黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

転居

2007-04-01 23:43:09 | Weblog
昨日の事。

慣れ親しんだ我が家を旅立ち、我が家にやってまいりました。
そう、新しい私の住居。一人のためだけの住居。独り暮らしと
いう日々の始まりです。

前日はボスの長期出張に伴う送別会でしたので、家に帰り
着くと結構な時間、且つ酔っ払いでした。まだまだ詰めていない
荷物や、処分していない請求書などなど作業は山積みです。

眠い目をカフェインでこじ開けて、黙々と詰めて詰めて、破り
破り。3時ごろに眠り、7時におきてまた再開です。作業中、
ふと逝ってしまった愛犬の事を思い出しました。彼は17年の
人生の中で、どれほどの私物を持っていたのだろうかと、そんな
事を思ったのです。リードと水飲みと餌皿くらいでしょうか、
あとは現世に留まるための体だけ。・・・人間って大変ですね。

ようやく荷物を梱包し終えると大層な量に。一日で全て運び
終えるのだろうかと不安に駆られます。でも、それほどの量の
荷物を前にしてもイマイチ実感がわきません。私が家をでて、
家に行くという事に。私はちょっと出かけるだけなんだ、いつもと
同じように街へ出かけて帰ってくるのと同じなんだ、そんな
風に思うのです。まるでボスの終わりの見えない長期出張の
ように。

雨が降りそうな空模様でしたが、友人の助けもあって無事
引越しは終了です。竹のように節を刻みながら伸びる人生の、
新しい節の始まりです。この節で今までの友人以外に、新しく
色んな人と出会うことになるのでしょうか。

私は友人、特に遠方の友人に会うと「あと何回、どれほどの
時間を一緒に過ごせるのだろう?」と考えます。多分、延べに
して1週間も無い筈なのです。そう思うと一瞬、一瞬がとても
貴重で掛替えのないものであると実感するのです。

よもや、それを家族に対して考える事になるとは、思いもより
ませんでした。人生の大半を過ごしてきた母や妹と、あと
どれほどの時間を一緒に過ごせるのでしょうか。居て当たり前
だった引越し前の日々が宇宙の果てほど遠く感じます。

それでも家族が家族で居れるのは、数多の思い出があるから
でしょう。友人もしかり。時間が流れても、流れ行かずに留まる
ものもあるのです。
コメント
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