黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

誰が馬鹿なのか

2007-12-02 20:26:17 | Weblog
正社員として今の職場に就職して、初めての年末、
そして久しぶりのボーナスが支給されます。金額的には
十分に満足できる内容で、それだけ仕事も評価されて
いるようです。春にあれほど迷った選択はそれほど悪い
ものでは無かった様に思います(もう一方が分からないので
断言は出来ませんが)。

でも、正直なところ、今携わっている仕事が今後もずっと
続くのかと思うと憂鬱なのです。憂鬱な理由はいくつかあり
ますが、どれも世間一般的な事です。でも、ひとつだけ
我慢ならんことがあるのです。それは扱っている製品の品質
です。驚くほどの低品質なのです。さらに悪しきはその
製品を開発している企業がQCに対して何も考えていないのでは?
と感じさせられるような態度です。

ああ、腹立たしい。本当に腹立たしい。最近、眉間のしわが
とれませんことよ?アタクシ。

さらに腹立たしいのはそういう事態があっても直接、製品に
手を加える事の出来ないもどかしさ、さらには「バグなんかどの
製品にもあるわ」とノタマウ上司様!!!!!!!!!!!
よそはよそ、この製品はこの製品だろ!!!!!!!!!!
と絶叫してしまうのです、階段の踊り場で。

誰が馬鹿なのか。

こんなものをリリースして平然としているメーカーなのか、
こんなものを売りたいがために無視をしている上司なのか、
それともただただ怒りを発散し、眉間にしわ寄せる私なのか。

「いろんなこと」を考えてしまうのです。
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ある種のホワイトホール、ロバの耳の木の洞

2007-12-02 18:00:32 | Weblog
私はすっかり忘れていました。
正確には「忘れている風に努めていた」かもしれません。
とにかく、表には出さないように、そして表には出てこない
ようにしていた、ある「記憶」があるのです。

小学校4年生の、多分早秋。私は学校の先生に「何か」を相談
しました。多分、両親が離婚する事の不安をどうしたらいいか、
のような内容だったと思います。正確には思い出せませんし、
どんな回答があったかも記憶にありません。日のあたる渡り
廊下の、海側の校舎よりの出入り口から3メートル離れた場所で。
そこなら、級友に「何か」を聞かれないと思ったのでしょう。

子供にとって、一番身近な大人は両親です。もちろん、
等距離ではありませんけれど、困った事があれば最初に親の
どちらかに話すでしょう。その次は祖父母や近所のおばさん
でしょうか。

何故、私は両親が離婚しそうで、住み慣れた場所を越してなら
なければならないのかと毎夜泣き続けて、でも自分の力では
どうしようもないのを感じていた事、そんな事から生まれた
不安を先生に話したのでしょうか。

多分、先生を人間として見てなかったんだと思うのです。
そういう存在や生き物だと思っていたのだと思うのです。
異世界に問いかければ奇跡が起きるかもしれない、そんな気持ちを
感じながら相談したように思います。今から思えば馬鹿げた
考えだと思います。先生だって人間ですし、完璧ではありません。

ええ、馬鹿げてます。
でも、子供にもう逃げる場所は無かったのです。結果、何も
変わらないのは何処かで解っていたとしても。絶望と言う言葉を
知らなくても、血肉に満たされる絶望が心を殺して行くのを
止められなかったとしても。

今頃、何故。
昨日、友人の友人のご自宅にお邪魔してお酒などを頂いていたの
ですが、彼の職業が小学校教師だったからでしょうか。不意に、
わざざざざざざざざざざざっと脳の奥底から沸いてきたのです。

わざざざざざざざざざざざっと、ものすごい勢いで。
小さな棘が、いまだに幾つも海馬に刺さっています。
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