黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

train goes on

2006-04-26 22:41:21 | Weblog
丁度一年前の今時分、私はニュース番組を見ながら涙を
流していました。先頭車両に取り残された乗客の生死や
突然に「遺族」となってしまった家族の事を考えながら。

あの時、私が「被害者」となり、家族が「遺族」となって
いたかもしれない、と未だに思います。過密ダイヤに
高速度での運転、神戸線で起きていたとしても何ら不思議
ではありません(原因の一つに急カーブ云々と言われて
いますが、神戸線にも急なカーブくらいありますしね)。

事故後、JRは非難に晒されて信頼を失い、安全対策として
多額の追加投資を余儀なくされました。さらには売りで
あったスピードアップも封印、これまでの経営姿勢を大きく
転換せざるを得ませんでした。

当然です。JR社内での要因が直接間接に影響して、このような
事故に至ったのですから。

ただ、そういったマスコミが好きそうな「吊るし上げ」に
流されずに意識しておかなければならないことがあると
思います。それはそういった速さや便利さを求めたのは、
乗客である私たちであったり、社会であったという事です。

ただ、乗らなくては日々は成り立たないのですから、仕方の
ない要求ではあるとは思うのですけれども。長い道のりが
5分でも短くなるのであれば、それに越したことはありません
から。

電車通勤しない人には解かりますまい(寧ろ、速さだけ追求
したことが悪い!怖い!などと空々しく申されていることに
憤りすら感じます。さあさあ、満員御礼の通勤電車にお乗り
やっしゃ)。

何事もバランスが大事なのでしょうけれど、そういうご時世に
生まれた事を受け入れて、日々を過ごしていくしかないので
しょうね。

時に理不尽で悲惨な目にあうかもしれない危険を孕みながらも。
生きている=バンザイ!なのでしょうか。私にはわかりません。
コメント (2)
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