黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

お節介ながらも「ほっとけない貧しさ」

2005-09-06 20:47:33 | Weblog
台風が迫り、それでも雨は降りません。でも生温い風が
地下鉄入り口やオフィスビルの谷間にどんより居座っています。
こう蒸し暑いと自ずから半そでを着たり、袖をまくったりします。

そんな人たちを眺めていると、意外に例のアレを手首に
うやうやしく、かつ虚栄的な何かを感じさせながら着けている
人たちを多く見かけます。

一部、「セレブバンド」だなんて。

つけている人は大体が「善意で」とか「お洒落で」とかの理由で
つけているのでしょう。己の虚栄心やら何やらを満たしてくれる
「魔法の首輪」ですものね。

嗚呼、薄っぺらい。

「ほっとけない貧しさ」なんてキャンペーンの前に、そんなものに
頼らなくてはならない心の貧しさの方がほっておけない気もします
(別に善意の行為に対してはいいんですよ。ほら、このキャンペーンって
恣意的な何かが見えかくてしていると思いません?金銭以外の、
それ以上のものを得る事が出来る人間の存在を。そしてそれに
依存する人間の存在を)。

私自身の心が豊かであるか、と聞かれると返事に窮します。
でも、白い中国製プラスチック製品で救われるほど、感性が乏しい
とは思っていません。

貧しい心は生活の退廃を生みます。生活の退廃は、現実世界を蝕み、
ダメージを与えます。そうして、多くの退廃が生まれれば、社会は
大層生きにくいものになるでしょう。そうなれば、救えるものも
救えなくなります。

他人を救うには、まず自分を救ってから。
自分も支えられないのに、他人を救うなんておこがましい。
コメント (2)
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