元祖・東京きっぷる堂 (gooブログ版)

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「戦慄!!!ゾンビ・ジジイ」:kipple

2005-07-20 00:26:00 | kipple小説


     「戦慄!!!ゾンビ・ジジイ」 


前書き:
 私は見た!この話は私の記憶の中では、あますところなく絶対的に真実であるが記憶が間違っている、あるいは記憶というものが変形を避けられぬものであるならば、これは、デタラメである。

  これが真実であるという証拠は何もないのだ。あらゆるものに証拠などというものは無 い。私たちは記憶と瞬間に知覚したものだけに頼って生きているのだ。
  私は私の記憶を信じるしかないし、他人の同意を得て、記憶を確認するしかないのだ。 まあ、この話を、どうやって私が知り又、目撃したのかは秘密だが・・間違いなく私だけの記憶だ。
  私たちは、とても不確かな世界に生きている。しかし、避ける事はできない。
  再度、繰り返すが、この話は全て実際に起こった事であり、私は、この目で見た!出来事の因果関係を、今さら探る事は不可能だし、無意味なのだ。すでに過ぎてしまった事だ。

  話は一人称形式を用いた。
前書き:終わり。


 20世紀末。

 ワシは、ひかえめで、おとなしくて、あまり責任を負わぬ人間になるべきだったが、そんな人間を、とことん軽蔑してやまない人間なのじゃ。しかし、ワシが積極的で情熱的で、ちゃんと責任を果たす人間になるためには、あまりにも無能じゃった!

 ワシは前者のタイプの中に、必死に埋まり込まねば、生きてなんかこれなかったのじゃ。しかし、後者のタイプの中でも、殆ど偶然による無能の勝利を願ってきたのじゃ。まったく、そのような甘い期待がワシを蝕んできたのじゃ。全能になろうなんて、実に大それた夢を抱いている、ワシャー、この愚か者め!何故、ロボットじゃいけなかったのじゃ?

 何故、小心者でいけなかったのじゃ?ワシはワシ。自分は自分の中だけで生きていればよいのじゃ。ワシの、殆ど偶然でもよいから、奇跡的な無能の勝利を意識していれば、いいのじゃ。よいではないか。他人には分からぬワシだけ、内に秘めた偉大な勝利を感じていればよかったのじゃ。

 しかし、ワシは、この年になっても耐えられそうもないのじゃ。わかっちょるんじゃ。全てが屈辱なんじゃ。女房の顔も、息子の態度も。家族の不参加。何もしない息子夫婦の怠惰。自分の利益にしか身体を動かさぬ娘の高慢で利己的な生き方。まったく、ワシャー我慢ならん。

 それでいて、ワシのような弱い立場の人間の領域には、こそこそと調子よく足を踏み入れて、次第に安心と分かると、大きな顔をし始めるんじゃ。最近の奴らには道徳も理念もありゃしないのじゃ。

 奴らの求めるものは狡知と、欲望の充足だけなのじゃ。そのために、偽善意や、いいわけじみた奸計を練るのじゃ。汚らわしいのう!見事に汚らわしいのう!無意識の域まで、しっかりと高めているのう。腐っとるんじゃぁぁ!奴らは、その動作の中にチラチラと軽蔑の念を浮かべるのじゃ。ワシが老人じゃから少しボケとると思うとるに違いないのじゃが、あいにくワシは感性豊なのじゃ、まだまだ。

 しかしワシは平静を、どうしても保て無いのじゃ。だからといって、ワシも負けてはならないのじゃ。全力で、逆にワシが奴らを軽蔑する事だけに意識を集中し、侮蔑の言葉を空想するのじゃ。それでもって、やっとワシの中に、一つの高尚な平穏が現れるのじゃ。それは、一つの安心じゃ。生きることと死ぬことへの安心なのじゃ。

 ワシは高校時代から60才を過ぎるまで、いつも死を意識しとったのじゃ。何万回も、自殺しようと思ったのじゃ。18才の時、とにかく60才までには死んでしまおうと決意したものじゃ。その死の決意の意識こそ、ワシの誇りだったし、理想だったわい。その意識があるということが耐えず、ワシを元気づけ、励まし、明るさを保つ糧となったんじゃ。

 全ての生、息をしたり、太陽を見て暖かい陽射しを正面から浴びたり、わいわい仲間と話しをしたり、それら全ての対極にあるもの、それが死なのじゃ。その死を、耐えず意識してるっちゅー事が、ワシに、世間のたわけどもに対する超然たる優越の感情を与えずにはおかなかったのじゃ!

 凡人どもめ貴様らみたいな、たわけたアホぅとは違うんじゃ、と心密かに、死の意識を隠し持つのだわい、この快楽よのう。ワシは生あるもの全てに対して、誇らかで高い気分で満たされてきたのじゃ!

 時が、たったのぅ、一度だけ自殺らしき事をやって、還暦を迎えたわい。60才になった時、ワシの身体から強い力のようなものが、すぅっと、地の底か空気天井へ消えていったのじゃ。ワシに死の意識を与えるワシは完全にモヌケのからと化してしまったのじゃ。ワシは死ななかったのじゃぁあ!

 18才から60才まで、ワシは死でいっぱいじゃった。毎日毎日。大学へ行き、就職し、結婚し、子供を作り、仕事をし、孫ができて、定年を迎えるまで、ワシは毎日、死を読んでいたのじゃ。太宰治や芥川龍之介が一番、貢献してくれたようじゃ。最近の文学はダメじゃ、漫画なんぞ、以ての外じゃ、あんなもの読んだら家系の恥じゃ。ワシは太宰の自殺のヶ所を何千回も酔いしれて読みまくってきたんじゃ!

 ワシが人生で初めて心の底から感動を覚えたのは18才の頃じゃった。素晴らしい時代じゃった。それから60才まで、死を意識して超然と人々と付き合い、楽しげに暮らす事の素晴らしさじゃ。ワシは回顧する。18才から60才、あれは全てワシの人生の頂点と言っていいほどじゃ。

 凡俗でたわけた貴様らが、どんな人生観を、どんな論理を知識を、まくしたてて、ワシを脅かそうとしたって、ワシの中に静かに不敵に流れる死に対しては、何の効力も持たなかったのじゃぁぁぁぁぁアア!ざまーみさらせぇぇぇエエ。ワシは、得意だったもんね。貴様ら、たわけどもは、薄汚いブタなのじゃっとな。へーっへっん。薄ら笑いを、いつも浮かべてたのう。貴様ら、たわけどもの、あざけり笑いにも平気で同調してやったんじゃ、かっかぁ~。そんな事は何でもなかったのじゃー。じゃがのう、ワシは60才までに死ぬつもりじゃったもので、なんと気づいたら死ぬ予定を通過してしまったのじゃ。死はワシの60才までの空想の中で実行されてしまったのじゃ。空想の中で理想は自殺を遂げ、ワシは、現実のワシは、抜け殻になって、ポンと放り出されてしまったのじゃ。その後のワシに、ワシは何を要求したらよいのじゃろう。60才で定年を迎えてしまったワシに・・・・。

 死の意識は単なる遊びだったんじゃろうか?抜け殻になったのは、単にワシが老いぼれて定年を迎えて、はじめて無職になって暇で暇で仕方がないからじゃろうか?それならば、それでよいんじゃ。それなら、まだ、ワシはワシの理想に望みをたくせるのじゃ。遊びを続けていけばよいのじゃ。くちびるに死を、心に死を持てじゃ!それにしても暇じゃ、、、いかん、いかん、遊びを続けるのじゃ。そうでなくては、決して定年前の平穏は得られないじゃろーう。

 じゃが、今、死の決意ができるかのう。こんなに老いぼれて屈辱的で、ひねくれ、女房にも息子達にも疎外され、すっかり無感動になってしもうた、このワシが。還暦、過ぎてから幾年月、ワシは死ぬための感動なんか、実は、もう、ちっとも感じる事ができないのじゃ。うっうっ。還暦前に、やはり後に楽しみを残そうなどと、みみっちい事を思わずに、きっぱりと死ぬべきじゃったのかものぅ。

 ワシは生きる死人なのじゃぁっぁあああああアア!まるでゾンビじゃぁぁああああっぁぁ!もう、たわけた他人どもに触れて欲しく無い・・・ない・・・ないんじゃぁあぁあアア!ワシの消えてしまった死を、汚してほしくないのじゃ。お前たち、妻や息子たちや孫たちや友人や世間のたわけどもとは、縁を切りたいんじゃ。ちっくっしょーーーーーぃいっ!でも、ワシは貴様らタワケらに、どうにも切っても駄目な期待を持っとるらしいのじゃ。ガッチョーン!ほいほいと、のこのこニコニコ、てめぇらと供に行動してしまうのじゃ。くそっ、たわけ!たわけ!ワシは、ますます、生きながら死んでゆくのじゃ。無感動にじゃ! 本当は貴様らタワケどもを全員、叩き殺してやりたいんじゃ。

 かぁーーーーーーー!目玉を抉り出し、脳味噌を握りつぶし、内臓をぐちゃぐちゃに踏み潰しても、ワシは、まだ足りないんじゃ。貴様らタワケどもが憎いんじゃぁ。

 ワシを邪魔くさそうに扱う、その薄ら笑いが死ぬ程、憎い!黙って念仏唱えてろジジイって顔に書いてある、その黙った顔が、ワシをぶちのめすんじゃ。くそぅ!スカタンめ!

 タワケめ、死にやがれい!苦痛にまみれて死にやがれい!お前もじゃ!お前もじゃ!全員じゃ!皆、泣き叫んで死ねばいいんじゃぁあ!


 ・・・ワシの中のワシの死は、もう、還暦過ぎてから老いてしまったからのう。老いた死は、ワシに無気力と無力と憤懣と退屈しかもたらさぬんじゃのう。死を決意させる感動すら、ないのじゃ!!ただ、生きたふりをするのみなのじゃ!さよなら、ワシの死。ちゃんちゃら可笑しいわい。ワシは死んだ生き老人として、物みたいに暮らしてゆく事じゃろーな、すっとこどっこいが。

 ワシは人類の死滅を念願するのじゃ、イッシッシィ。楽しみは、それぐらいかのぅ。しかし、のう、生きてる限り、ワシにも無意味な欲の広がりが、時々、湧きあがるのじゃ。しかし、しかしじゃ、静かに、それは納まり消えるのじゃ。我慢じゃ。忍耐力さえ、あればじゃ、次第に、さらに老いて痴呆が進み徘徊でも、し始めたとしても、感動が無くとも、自然に死んでゆく事ができるのじゃ。ほら、みぃ。死は、やはり生きる糧じゃないかいな。死は、カスガイってね。がっはっは。

 しかし、まあ、今後、現実問題どうするかのぅ。やはりワシは、静かにじっと内にこもっていようかのぅ。何も起きないのぅ。たわけた他人に言われれば、余りに屈辱的な事以外は無表情のニコニコで、すんなりと従ってやるんじゃ。そして屈辱が身体中を流れ始めたら、ダッシュでトイレの横のワシの部屋に逃げ込むのじゃ。そして、こーして、ぶつぶつ書くか、寝るかの、どちらかってことになるんじゃろうのぅ。もう、ワシは読書と日記と最低限の欲望の充足以外は何もしないのじゃ。何も、してはいけないのじゃ!ちゅーちゅーたこかいな。

 仕事、するかのぅう。やはりのう、暇なんじゃ。けんど不況じゃし、サラリーマンで特に技能を持ち合わせぬワシにはなかなか仕事が見つからないのじゃよ。取り合えず、仕事を見つけるまで、当分の間は部屋に逃げ込んでおるんじゃ。ふん、所詮、仕事を見つけたら、この今のワシの中に仕事が入り込むだけじゃ。タワケどもに要求したり、自ら行動を起こしたり、タワケどもに挑んだりしてはいけないんじゃ。ワシは完全な受動人間になるのじゃ。それが、いかに、口惜しくてもじゃ。そうするのじゃ。それがワシの生きる道。そうせねば、ワシは限り無く続く、自己撞着と自分の無能に悩まされることになるからじゃ。

 ああーよっこいしょっと。ワシは、遥かな光の溢れる草原で、ひとりぼっちになりたいのぅ。静かに、静かに。美しく厳しく正義感にあふれた、優しいオナゴたちと一緒に、ひとりぼっちになりたいのぅ。いひひぃ。でも、それも幻想なんだからのぅ。ラリパッパじゃ!

 おお!ピンと来たぞな、もし!

 ワシは、突然わかったのじゃ!ワシは愛してるから完全なものを求めてきたんじゃ。


 愛してる!完全なものを求めてる!だからこそ、腹を立ててしまったんじゃ。たわけめ。本当に嫌いな人間はワシを、ただゾッとさせ、怖がらせるだけじゃ。きゃつら、たわけには、ワシは完全なんて一寸も求めとりゃせん。きゃつらは唯、消えてしまえば良いのだ。ワシの目の前から永久にのぅ。愛する人も嫌うタワケもワシは同じ様に憎むが、嫌いなタワケに対しては、おびえが混じるのじゃ。愛する人には、仄かな希望が混じるのじゃよ。その区別を、はっきりとつかむ事じゃ、ニガしては、いけないのじゃ!

 と還暦を迎え、定年で無職になってから、ワシは、このように毎日毎日、延々と人生に悩み続け、気付くと、もう実は80才を過ぎておったのじゃ。仕事は無い、無いんじゃぁぁぁぁ!たわけめぇぇエエ!ワシには、まだまだ未来があるのでのぅ、仕事も探さにゃならんし、人間関係の悩みも尽きぬし、あれこれ戦略をねらねばならんでのう。しかし、老いても老いても悩みは尽きぬものじゃのぅ。自殺を支えに内に死を抱き死の理想に燃えて生きてきた還暦までの人生が懐かし~~~い!

 しかし、なかなか死なんのう。いったい、ワシは、いつ死ぬんかいな!ひょっとして死なないんじゃなかろけぇ~?!かえるのつらにしょんべんじゃぁー!

 こりゃまた、失礼いたしましたぁぁっぁぁあ----------!


 かぁーーーー、ぺっ!ぺっ!


時は流れて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 21世紀。。。

 ワシは、相変わらず、ジジイじゃ、悪いか!ぺっぺぇーっ!好きでジジイやっとるわけじゃないんじゃぁー!なかなかジジイ以外になれんのじゃけっけ!もう、ワシは自分がいったい何才で、どのくらいの間、何10年?ひょっとして何百年?ジジイをやっとるのかも、もう、よく分からなくなっとるんじゃぁぁー!ふんだらぺっぺー!ふんだらぺっぺー!

 たいていの人間の脳は人間の作り出した法則なら理解できるんじゃ。理解できぬという事も理解できるんじゃ。

 しかし、どんな奴でも、さっぱり分からんし、それ故にできるだけ、そんな事を考えずに生きようとする問題があるのじゃわい。実は、これが根源的な最も重要なものなのだわな。それは、ワシたちが何故、望んだわけでもない、この泥沼世界にポイと生まれて、死ぬのか?って問題だわい。いったい、何故?誰も知らないんじゃ。

 さて、実は、ワシたちは、最も初歩的で基本的で完璧に共通な問題の答さえ見出せずに、このボール、球状のかたまりにへばりついて主人公づらして生きているのじゃ。なんて愚かで生意気なんじゃ!

 果たして、ワシたち以外、あの理性とやらをもたぬ昆虫や魚たち、飛行を自力で成し遂げる小鳥たち、彼らが知っていないと誰が言えようか。何故、生き、死ぬ、のかも分からぬ我々に何故、言えようかのう。

 ・・・言ってごらん、簡単じゃよのぅ。バカモノめって!

 ラヴじゃ。

 彼らは知ってるんじゃわ。赤トンボは知っているんじゃ。コウノトリも知っているんじゃ。メダカの兄弟も知っているんじゃ。

 深遠なる意識と心を持つもの、我々、君ら、僕らは、それ故に知らないのじゃ。じゃぁ何で、お前は、知っとるのけ?と君らが思うのも当然だわわな。実を言うと、ワシは、2001年、9月11日、にUFOから与えられたビジョンによって知っているだけなのじゃ。これを完全に言葉に還元するのは不可能じゃ。言葉は、たいした機能を持たないのじゃ。

 ワシは、その日、まだ、80歳を何年か過ぎた頃で、徘徊の途中で、黄砂現象の真っ只中を歩いておった。あたりは、まっ黄色に染まってな、夢精した次の朝みたいじゃったわい。

 そのUFOは、あのメビウスの輪を横軸に、ぐるぐるぐるぐる回転させたようじゃった。ビリビリと何千もの電光を、彼方へ彼方へと、放っておった。もちろん、ワシが、その電光が、あのアメリカ帝国の方角へ向けて放っていた事を、あとで知ったわけじゃ。

 あれから何10年たったかのぅ。人間、皆、アホになったわい。あれは思うに、アホアホ光線だったんじゃないかのぅ。人間を全部、アホにしてしまうきっかけを作ったんじゃないのかのぅ。お前が悪いお前が悪い、俺は正しい、俺は正しい。かぁー!なんて愚かなんじゃぁー!最も根本的な問題さえ、さっぱり分からぬくせに、なぁにが悪いだの正しいのじゃ?アホアホじゃ。

 あの頃、改革だ改革だって金科玉条の如く、ペラペラしゃべる口の達者な連中がTVや何かで喋っていたのを、ワシは老人心に覚えておるが、果たして変わりたい奴、なんぞ、本当におったのかのぅ。メダカもミミズも知ってる事さえ知らないアホどもがアホ丸出しで、世界中でアホアホになっちまったんじゃのぅ。アホに磨きがかかって狂っちまったんじゃ。

 しかしなぁ、何で、UFOはアホアホ光線をアメリカに放ったんじゃろ?ワシも、アホになってもうて、よう分からんわい。アホアホ光線でアホになった連中が飛行機で貿易センタービルやペンタゴンやらに突っ込んだんじゃっけ?その後、興奮してエキサイトした人々がさらにアホアホ光線の餌食になって、世界中にひろがったんじゃが、何でやねん。

 何でUFOはワシにビジョンを送ってきたんじゃろ?人間だけがアホなんじゃと、な。ま、あれから何10年も過ぎて、人間は皆、ゾンビになってしもうたがな。アホアホ・ゾンビじゃ。死んでるから死なないのじゃ。死んでも生きてるんじゃ。ますます、何故、生き、死ぬか、分からなくなったのぅ。なんせ、死んで生きとるんじゃけのぅ。

 ワシは、最近、そんな事ばかり考えておって、不眠症ぎみなんじゃ。ゾンビも寝るのじゃよ、そんな事も知らなかったけ?

 女房は言うんじゃ。

「煙草を吸うと、眠くなるそうよ」

 でも、煙草は身体に悪いからのぅ。ワシは、ちょっと女房には言えないような欲求が、最近、下半身にムラムラと湧きあがってきてのぅ。友人のゾンビ・爺いに相談するんじゃ。

「煙草を止めて、毎朝、縄跳びでもすりゃ、女の一人も抱けるわなぁ」

 と赤らがおの友人ゾンビは言うんじゃ。


 ああ、しかし、禁煙始めて、4日目に、ああ、また吸ってしもうたわい。ああ、あとに残るのは、また、アホアホな自己嫌悪だのぅ。むん?ひょっとしてUFOは我々、人間を襲撃したのかのぅ?まあ、よく分からんが、とにかくワシは、今日も明日も明後日も、ずぅぅっぅっと宇宙人様のために労働に励むんじゃ!やることがあるってのは幸福なことじゃのぅ、しかし。ありがたやありがたや。ワシは死なないしのぅ。

 ぶはははは。ぶひひひひひひひひ。


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 人類は絶滅している。人類を同士討ちさせて全滅させ、地球の新たな支配者となったバルタン星人は、ゾンビ光線を受けてビジョンを見た10億ほどの人間を生きる屍として残し、彼らの奴隷として使役している。

                   


This novel was written by kipple
(これは小説なり。フィクションなり。妄想なり。)



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