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my耳袋#7「塀の上」:kipple

2010-08-14 02:18:00 | kipple小説

my耳袋#7「塀の上」


私は大学一年の終り頃から大学三年の終わり頃までの約2年の間、阿佐ヶ谷の下宿屋で暮していました。

国鉄阿佐ヶ谷駅の北口から早足で歩いて20分程の場所でした。

その下宿屋は大家の住んでる母屋と我々下宿人が住んでいる建物が別々になっていて、部屋に出入りする時は、母屋をぐるりと回りこんで行く様になっていました。

そして、その下宿屋はかなり大きな敷地を有しており、樹木や茂みが多く、何だかとても鬱蒼とした雰囲気で森の中にでもいるみたいでした。

いや、鬱蒼とした雰囲気は、その下宿屋だけではなく、そこいら一帯がそんな感じで、やけに木々が多く、昼間歩いていてもちょっと薄暗く感じる事があったくらいでした。

巨大な植物園の中を歩いている・・・そんな風に思う事さえありました。

私が下宿していた建物は古い和風の大きな屋敷を改造したような感じで、中は迷路のように入り組んでいました。

部屋はだいたい、六畳間で、部屋数はかなり多かったと思います。下宿人も大勢おりました。

しかし、何と言いますか、狭い廊下や階段が迷宮のように上に下に右に左に斜めに横に二股三股に・・・一言でいえば縦横無尽に張りめぐらされていたのですが、そういう状態なのに、これが又、各部屋部屋が隙間無く見事に連続して配置されており、いったいどうやったらこんな建築物が作れるのかと感心したり、不思議だったりしたものでした。

まあ、たぶん、どんどん、壊して継ぎ足していったんでしょうねぇ。

でも、私は巨大な忍者屋敷で暮しているようで、何だかとっても楽しかったのです。

私の部屋は6.5畳でした。 .5畳というのは台所です。

そして、私は、その下宿でアルバイトや勉学に励み、女を連れ込み思う存分・・・いや、この話には関係ないので、ここらで私の下宿の話はおしまい。


あれは大学二年の秋ごろだったと思います。その阿佐ヶ谷の下宿で暮し始めて半年ちょっとくらいだったかなぁ、いや、もう少し経ってたか。1979年だな。

私はその頃、大酒飲みで毎晩毎晩どこかで友人たちと飲み歩いておりました。まるでウワバミのようでありまして、いくらでも飲めまして、鬼の如く酒が強かったのです。

今は何故か飲めなくなりましたが。。。

30歳を過ぎた頃から何故だかアルコールがダメになり、ビールを少し飲んだだけで頭がガンガンして気持ち悪くなるのです。よって、今は下戸です。人生何だか分かりませんなぁー!

とにかく、その日も夕方から、あれは確か歌舞伎町の信玄屋形だったと思います。とにかく安くて飲み放題で、よく通ってました。

終電にグデングデンに酔った友人と共に乗り込みまして、その夜は、その友人を阿佐ヶ谷の私の下宿に泊める事になりました。

その友人を仮称、K氏としておきましょう。とにかく、K氏はもうヘベレケ状態を通り越して歩くのもやっとで、私が肩を貸しながら引き摺っていくような感じでした。

私は、何とかK氏を電車の中から阿佐ヶ谷駅のプラットフォームに引き摺りだし、駅から下宿に向かいました。

阿佐ヶ谷の駅を出て、途中で何度か休みながら、商店街を抜け、下宿に向かってゆきました。

私は、K氏に左肩を貸し左腕で抱きかかえるようにして、ゆっくりと歩きました。

K氏はとても苦しそうで、時折、ウゥゥ・・・オェェェ・・・と呻きますもので、“吐きたければ吐いちまえ!”と言いますと、オェェェ・・・と呻きながら手で、“いや、大丈夫”というような仕草をしました。

そんな感じで幾つか路地を抜けて歩いていきますと、辺りは木々が多くなり鬱蒼とした感じになってきました。

真夜中でしたので、その鬱蒼さ加減が倍増しており、実に不気味な雰囲気満点でした。

ま、だいたい毎晩、1人でそんな時間帯を帰っていたんですがね、誰かと一緒だとあらためて木々の生い茂る真夜中の路地の薄気味悪さを確認させられるものです。

でも、少ないですけれど、木々に囲まれるようにして、街灯がポツン、ポツンと点いておりましたので、見通し自体はそんなに悪くはなかったのです。

だんだん下宿が近付いてきて、あと路地を2~3回曲がれば到着するぞ、と、その時に、急にK氏が座り込んでしまいました。

私はK氏に肩を貸して腕を回して抱きかかえていた状態だったために、K氏にグッと引っ張られるように私も路地の真ん中にしゃがみこんでしまいました。

そのまま、私はしばらく“大丈夫か”とK氏の背中をさすっていました。

K氏は、どうやら余り大丈夫ではないようで、ウェッウェッ!っと今にも吐きそうな感じで呻いておりました。

そうしてると、K氏は、又、手で、もう大丈夫だという感じの仕草をしましたので、私は再び、K氏に左肩を貸して、一緒に立ち上がりました。

よっこらしょい、っと!

そして、二人で何とか立ち上がり、さあ、もうすぐだと歩き始めようとした時、右前方の塀の上に顔が乗っていました。

その塀の内側にも木々が茂っており、その顔は塀の内側から伸びた木々の枝に挟まれるようにして塀の上に乗っかっていました。

私も酔いが残っていて、疲れていたためか、あれ?どうしてあんな塀の上に顔があるんだろう?程度にしか感じませんでした。

そして、近くに街灯があったので、暗闇でしたが、けっこうハッキリと、その塀の上の顔が見えました。

私は目を凝らして、その塀の上に乗ってる顔を見ました。K氏の顔でした。

あれ?っと思いました。その時、急に私の左肩が軽くなった気がしたのです。

突っ立ったまま、今度は抱えているK氏を見ると、彼の首の付け根から上が、ありませんでした。

K氏の首の付け根は何だか黒くぼんやりしてて、どうなっているのか良くわかりませんでした。

しかし、相変わらず、K氏は首から上が無い状態のまま、ウゥゥゥウェェ・・・と呻いているのです。

私は困ってしまって、“おい、お前、どうなってんだよ、お前の生首があそこの塀の上にあるぞ”とか言ったのですが、再び苦しみだしたK氏の耳には入らないようで、いや、首から上が無いんですから、首無しの彼に言ってもしょうがないような気もしましてねぇ。

かと言って、塀の上のK氏の顔に話しかけるのも変な気がしまして、どうしたらいいのか途方に暮れていると、首無しのK氏が再び、ウゥウゥゥェーとか言ってしゃがみこみました。

今度はK氏に引っ張られないように、私はすかさず左肩をはずし、彼の後ろに回りました。

首無しのK氏が、ゲーゲー呻いているので、しょうがなく、私は彼の背中をさすってやりました。

ウゲェー!っと言うK氏の声と共に、ドババババババーとゲロが吐き出される音がしました。

しかし、おかしな事に、K氏の首から上はありませんので、ゲロも見えません。音はすれどもゲロは無しです。

私は、あれ?もしやと思い、右前方の塀の上に乗ってるK氏の顔に目を凝らしました。

案の定でした。ゲロは塀の上に乗ってるK氏の顔の方が苦しそうに、まるでガラモンの断末魔のようにあんぐりと開いた口から吐き出していて、そのゲロはK氏の顔が乗ってる塀の表面に垂れていって、ゆっくりと下に流れ落ちながらベッチョリと、その塀にくっつておりました。

その時、ぷ~んと、ゲロ特有の臭いが漂ってきまして、私まで、ちょっと吐きそうな気分になりました。

首無しのK氏の方は、まだ手足と胴体だけで、ゲーゲーゲロゲロやってました。

それから、どうしたのか、ちょとよく思い出せないのですが、兎に角、私は、一度ゲロを吐いて少し楽になった感じのK氏を抱きかかえたまま下宿に帰ったのです。

K氏がゲロを吐いてから、彼を抱きかかえて下宿に帰る途中には、すでに彼の首から上はちゃんと元に戻っていて、ちゃんと顔がありました。

塀の上にあったK氏の顔はもう無かったように思います。

そして、K氏と二人で倒れこむようにして、私の下宿の部屋に入りますと、すぐにK氏は、グーグーとイビキをかいて寝てしまい、私も適当に布団をしいて、毛布を出すと、K氏を蹴飛ばして布団の上に転がして毛布をかけ、自分も倒れこむようにして毛布に包まって眠ってしまいました。


翌朝。

私も、K氏も何だか爽やかな気分で目覚め、インスタントコーヒーを飲んで、しばらくボンヤリと煙草を吸ってから出掛けました。

何だかんだと、すでに8時頃になっており、二人とも必修の講義があったので、けっこう急いで何も食べずに大学に向かいました。

途中、昨夜の塀のところを通りかかりました。

K氏は何も覚えてないようでしたが、私は忘れようにも忘れられません!

昨夜、K氏の顔が乗っていた塀の上には、何もありませんでした。ただ木々が鬱蒼としてました。

ちょっと立ち止まったと思います。

ゲロの跡はどうなったか、それが気になったのです。

しかし、その塀には昨夜、K氏の顔が吐いたはずのゲロの痕跡も全くありませんでした。

何だったのでしょうか・・・

それで、ちょっと首無しのK氏が、ゲーゲーやってゲロを吐いていた場所を見たんです。音はすれどもゲロは無しだった場所です。

昨夜は全く気づきませんでしたが、ちょうど首無しのK氏がゲロを吐いていたとろこにマンホールが、ありました。


最後に。

私は、この事を、K氏には一切話しておりません。
K氏は今もちゃんと生きてますが、あの夜、彼の顔だけが胴体を残して、あの阿佐ヶ谷の路地にあった塀の上に乗っかっていたなんて事は、知らないでいるのです。

けっこう、K氏はそういう事を気にするタイプなので、私は生涯黙っているつもりなのです。




                   


This novel was written by kipple
(これは実体験なり。フィクションではない。・・・が、妄想かもしれない。)



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