ゴムクロ修理日記  ゴムクローラー修理・販売(有)キムラセイコー       0237(86)7377

修理依頼を受けた作業行程・結果などを依頼者並び訪問者に見て頂くための親爺の気まぐれブログ
たまには修理以外の出来事も

何故 懲りぬ

2010年07月28日 | その他 出来事

 

  工場で仕事をしていると 上空より 「バリバリ」 と音がする

  その直前に救急車の「ピ~ポ~ ピ~ポ~」の音を聴く

  今日も何処かの山で事故起き 救助要請されたと察する

 

 

  仕事を終え 夕刊を見ると ・・・・・ やはり 救助要請あった

  親父も0学時代 山岳部に所属しており 夏合宿にと 福島県山都より登り

  山形県小国町長者原まで辿る飯豊連峰縦走を無事終えた

  今思えば 昭和42年8月6日 帰路長者原より乗り合いバスにて今のJR小国駅まで

  山岳道を走るバスに乗る (部員全員他 地元民 女車掌もいた)

  始発バス停を動き出し 山道具を席上の網棚に荷を乗せている僅かな時間

  バスは土手下に 豆入り状態で横回転しながら 約10m下の田んぼに ・・・・・・

  「俺が乗っているのに まさかぁ~」と思ったまでは記憶あったのだが

  物事終わるまでは意識無く 取り戻すに目は自分の指を眺めていた  「指が動く・・・!!! 」

  俺生きているんだぁ~~ と意識を取り戻す

  親父は「鼻血」を出し 口の中へ血が入り込む  鼻穴を押さえても口に血が入る

  先輩に言われる  鼻下 「バックリ」 開いている 

  道理で鼻押さえても血が出る  他 肋骨 2本折れるが無意識にて土手登る

  救急車着くまで待てず 地元援助のトラック荷台に載せられて町病院へと搬送される

  救急車が着いたときは 傷重い人 既に搬送され軽症者が救急車に乗ったと後で聞く

  治療を終え 自宅(寒河江)に帰ると 当日の夕刊紙面を賑わせていて

  親父の名で 「重傷」 と活字が記されている

  当時 横浜で暮らしていたので 横浜より東京の国鉄病院まで通院していた

  手にした切符 グリーンシート治療完了まで有効

  後遺症保証金として 15000円 今でも 鼻下に痕跡あり(昭和42年)

  女性だったら 将来の事も考慮し ?百万円保証かも?

  ジャニーズ系に入れぬ親父の顔付き故 大学と国鉄の示談で 保証金額決定される

 

 

  脱線してしまったが 山岳でのトラブルは街中でとは異なる

  若い時は山岳救助補助隊員として知らずにして登録され夏山 7000円 冬山 10000円

  の日当にて出かけた事ある  金額は定かではない ・・・ うる覚え(反省会込み金額) 

 

  ましてヘリを飛ばすと 42~46年頃 一回最低50万円と覚えてはいたが 今はわからない

  とにかく 誰にも迷惑掛けない 「山遊び?」 をしてください