2 解釈の限界
私「あー、その論点か・・・。
そうだねぇ、合憲限定解釈っていうのはさ、『解釈の限界』っていうものを
どう考えようか、っていう問題と深く深く係っているんだ。」
ツ「ああ、解釈の限界か。いやだよね。あの論点。
ほら、うちの分野でも、いろいろいやげな論点があってさ。」
こういうとツツミ先生は、ケラケラ笑った。嫌なことを思い出した時の反応である。
ツツミ先生の専攻は民法である。
私法業界の人は、されもが、来栖三郎先生に発端する法解釈論争の扱い方に難渋しており、
ツツミ先生も、その難渋っぷりを思い出したようである。
私「解釈ってのは、その法文と呼ばれるインクの染みから、
意味、もう少し言うと、法命題や法命題群を導き出す作業だよね。」
ツ「そうだな。ある法文から導かれうる法命題に限界はあるか、っていうのが、
『法解釈の限界』っていう論点だよ。
この論点については、来栖やら、CLSやら、ケルゼンやら、ドゥオーキンやら、
ウィトゲンシュタインやら、とにかく、いろいろな議論があるな。」
私「そうだね。この解釈の限界っていう論点については、
自然科学的限界と、社会科学的限界を区別すべきだ、
っていう指摘がある。」
ツ「そりゃそうだ。そりゃ区別せにゃあかんよ。」
ツツミ先生が、こういうと、煮魚定食が運ばれてきた。
ピンクのクラゲ亭の人気メニューである。
ツツミ先生は定食を見て、思い出したように
「あと、コーラ」と追加注文をした。
ちなみに、私は、から揚げ定食である。
2-1 法解釈の自然科学的限界
ツ「で、あれだろ、法解釈には自然科学的限界はないっていう話になるんだろ。」
私「そうだね。AIという音を、愛という意味で理解する言語(日本語)と
タマゴという意味で理解する言語(ドイツ語)があるように、
あるインクの染みの形(文字)や音には、無数の意味の付け方がある。」
ツ「うんうん。憲法9条を時効取得の条文だと理解することも、不可能じゃないよね。
確か、ウィトゲンシュタインがそんなこと言ってたな。
それを紹介する先輩の論文もあったよね。
来栖さんの議論もそういうことを言いたかったわけだし、
法解釈に限界はない、っていう主張はだいたい
法解釈には自然科学的限界はないっていう意味なんだよね。」
こういうとツツミ先生は、私のから揚げを一つ奪い、食べた。
あまりのナチュラルさに、目を丸くしていると、
ツツミ先生は、
「いやぁ、キムラ先生はキャパシティが違う」と意味不明の発言をした。
私「ただ、別に自然科学的限界がないっていうのは、当たり前で
比較的どうでもいい問題だ。問題は、社会科学的限界だよ。」
ツ「そりゃそうだ。
『我々は、自然科学的には壁にマヨネーズを塗ることができるが、
そのような社会的事実は観察されない。
その要因を探るのが社会科学だ。』って、ケインズも言ってる。」
たぶん、ケインズはそんなことは言っていないが、
的を得た言葉である。
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