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木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

行政の中立性について質問に答える

2012-02-12 09:10:55 | Q&A その他
行政の中立性さまから、以下のようなご質問をいただきました。

2012-02-11 17:28:31
木村先生

質問1
①も②もおかしいという選択肢はないのでしょうか?

 >①がおかしいとすれば、
  ②を論じる必要なしに違憲の結論が導かれるのではないでしょうか?
  

質問2
そもそも「行政の中立性」とは何か、調べてみてもよくわからなくなってきました。
(特に「中立」の部分)

制度Aを設ける法律が制定されたときに、
制度Aに反対の意思を有している公務員は
その個人の思想・信条にかかわらず制度Aに
従うことだとすると、
「中立」
=「多数派の制定した法律に従うこと」
となりますが、この理解では違うような気がします。

疑問点がうまくまとめられていませんが、
ご教示のほどお願いします


 >行政の中立性ですか。
  基本的には、法律に従うことのはずです。

  事務次官や市庁幹部など、いわゆる上級公務員は、
  大臣や市長の判断資料を作成したり、
  政策実現の方向性を提案したりしますが、
  これは確かに、特定の政党に有利なようにいろいろ
  イタズラできそうです。

  ただですねえ、行政組織法は、
  そういう公務員が、自分の政治信条から、
  正しい情報出さない、おかしな制作提案する、
  といったことを禁じているはずなので、
  やはり、「法律に違反」したイタズラになるはず。


 >但しですねえ、冥王星さまやゆんゆんさまが指摘しているように

  そういう裁量の広い上級公務員は、
  政治的中立性に違反した活動をしているのか、
  していないのか、判断するのがとても難しい。

  従って、政治的中立性に反するイタズラをした
  上級公務員は懲戒対象になるものの
  イタズラをしたか、それが適切なものと判断したのか、、
  判断が難しい以上、事後的懲戒が上手く機能するとは限らない。

  というような考え方につながる可能性はありますね。

 >と、いうわけで、
  行政の中立性は、法律ないし法律の趣旨に反する行為をしないこと
  くらいの理解で、全く問題はないわけです。

  もっとも、②が成立しないと、
  裁量の広狭は結局どうでもいい問題になってしまうわけですが・・・。


信頼保護と中立性 (黒井崇男)
2012-02-10 10:09:09
刑法の賄賂罪の保護法益について、信頼保護説、純粋性説等が説かれ、
争いになっていて、判例は信頼保護説に立っていると思います。

このことと、本記事の話とは、何か関係があるのでしょうか、
それとも無関係でたまたま同じような表現ないし結論になっているのでしょうか。

判例を読んでいたとき、賄賂罪の判例の言い回しに似てるかな、
と感じたことがあるので、疑問として書き込みさせていただきました。



 >そうですねえ、よくよく考えていけば、関連はするはずですが、
  さしあたり、独立の問題とかんがえていいはずです。


以下、参考になるやりとりを移設しました。

黒井崇男さまへ (ゆんゆん)
2012-02-10 18:02:31
私も同様の興味を持っていまして少し調べたりしましたので、
考えるところを書いてみたいと思います。

結論として両者は大いに関係があると思います。
ただ、収賄罪においては、現実に不正行為がされない段階でも処罰される(単純収賄)という前提が
ありますので、それを説明するために信頼保護説が支持されているということがありますが、
今回の件は、不正行為と直結しないような政治活動を処罰すべきかということ自体が
問題となっている点が違うと思います。
そして、信頼保護説に対しては「信頼」という語が広範かつ曖昧であることから、
職務の公正を保護法益とした上で、単純収賄は不正行為の危険犯として
処罰対象としたのだという純粋性説が主張されています(以上につき山口刑法各論補訂版606p)。
私は、同様の考え方から、政治活動の危険性は賄賂と比較にならないと思いますから、
そのような危険犯の処罰は政治活動については当てはまらないという立論が
本件では可能ではないかと思うところです

信頼まで保護すべき、なのか (黒井崇男)
2012-02-12 00:32:59
>ゆんゆんさま
不勉強な私の疑問におこたえくださり、ありがとうございます。確かに、単純収賄が犯罪とされる刑法の話と異なり、政治活動を自由に行う権利は公務員を含む国民一般に保障されていますから、なおさらその制約を正当化するためには相応の理由が必要ですね。この視点は自分持ってませんでした。でも、そもそも国民の信頼まで保護すべきなんでしょうか…裁判官の政治活動の場合に、特に強く制約を許してよい、との根拠につながりそうですが…。仮に信頼保護すべきとなると、例えば現業公務員の特定政党のポスター貼りを見た国民は、信頼を害されると見ていいか?という問題になりますが、仮に現業公務員ですら制約してよいとなると、もはや公務員は一般的にポスター貼りが出来なくなりますね。なかなか難しい問題です。
>いまどき喫煙者さま
信頼保護まで目的とするなら、一般国民は当該公務員がいかなる裁量を有しているかはわからないし、そもそも今現業でも配置転換により現業でなくなる場合もあると思いますが…。自分は大穴のあなたに掛けてみたいです。


行政の中立性について (ゆんゆん)
2012-02-12 00:51:05
行政の中立性の内実について疑問が出ておりまして、
私も同様の疑問を抱いていたので、考えてみました。
行政の中立性という言葉は、意外と共通認識のない用語ではないかと思います。
私は大きく二つの方向性から考えられると思います。
一つは、政治過程からの独立を指向するものです。
すなわち、高度の専門性技術性こそが行政の理想とされ、
党派的な力関係に影響されるべきでないという方向性です。
これは、明治以来の我が国の官僚のイメージに根強くあると思います。
このような考え方からは、官僚になった以上は政治状況いかんに左右されることなく
粛々と公務に専念すべきであり、自らの個人的思想に基づいて職務を遂行することは
権限の濫用であり許されず、政治活動はその危険犯として処罰される。
最近叩かれている検察などにこのイメージが当てはまりますね。
このような立場からは、権限濫用の基礎には裁量権がある(裁量がなければ濫用できない)
ということを根拠にして、現業不処罰を導きうると思います。
他方、行政国家に対する民主的コントロールを指向する方向性が考えられます。
国民内閣制を主張する論者の考え方ですね。
すなわち、議院内閣制を前提にすると、
国民→国会→内閣→行政各部というような民主的コントロールの図式を構想します。
先ほどとは逆に、官僚は国民の党派的な力関係に服従せよという方向性になります。
これは、菅前総理や民主党のマニフェストの基礎になる考え方に近いですね。
このような考え方からは、官僚は民意に服従する存在であり、
民意を操縦するような政治活動は、主従の逆転であり、許されないということになります。
このように考えると、現業・非現業の別にかかわりなく、政治活動は許されない
という帰結になると思います。
私は以前にも申し上げましたが、「不正をするかもしれないから」という
理由は、政治活動を禁ずる理由にはなり得ないと思います。
そのような信頼は、行政の中立性に対する信頼ではなく、
単なる業務の適正に対する信頼に過ぎません。
公務員でない私企業の職員であっても、やってもらっては困る行為です。
公務員の政治活動の根拠は、「ヤマトの職員は政治活動をしてもよいのに、
なぜ郵便局員は政治活動をしてはいけないのか」という問いに答えられなければなりません。
郵便物を廃棄する危険性は、いずれも同じですから理由にならないと思います。

>ゆんゆんさまの説明には、行政の中立性という概念の定義がありませんね。
 (4)でまとめてコメントしますので、しばしお待ちください。
  

レポートの書き方

2012-01-12 17:00:43 | Q&A その他
たけるんさま、コメント読ませて頂きました。

それでは、コメントさせていただきます。
前回、対局風に書いたところ、分かりにくいというご指摘を頂きましたので、
普通に書きます・・・。


結論から申しますと、たけるんさんのレポートには色々な問題があります。
以下、指摘していきますが、これはたけるんさんへの個別的非難を目的としたものではなく
たけるんさんレポートを素材に、
レポートや卒論を書く際に注意しなくてはならないところで
こういうことに注意しましょう、という内容の記事だとお考えください。

(読者の皆様、司法試験とは、あまり関係のない部分ですので、
 以下のたけるんさんの記述や私の指摘の意味が良くわからなくても
 焦らないでください)

(今回のたけるんさんの議論は、正直、私も理解できない部分が多く、
 書かれている内容が良くわからない、という方は、
 そんなに心配せず、私が、たけるんレポートにどういう指導をしているか
 に注目して読んで頂ければと思います。)


>そもそも「最後の最後でどっちにするかの問題」ってなんですか?
主張と反論には多くの合理的なものがあります。
その上で、双方につき戦わせ、強い主張と反論が残ります。
残ったものには,どっちも説得力がありますが、審判は白黒つけなきゃいけない。
そのジャッジを決めるのが違憲審査基準ではないか,ということです。



まず、この「強い主張と反論」という言葉は、雰囲気だけで、
何を意味しているか不明で、コメントのしようがありません。

なので、この文章全体があいまいになってしまっています。
こういうことを書く場合は、相手に伝えることを意識して、定義を示しましょう。


また、仮に、「強い主張」と言うのを、
結論を出す上で重要な主張、説得的な主張、を意味するとします。

そもそも説得力の有無を判断するためには、
どういう基準によって主張を判断するか、と言う枠組み(例えば審査基準もその一つ)が必要です。

それに、原告に有利な結論とは、
制約された権利の価値が高い、
それゆえ厳格な審査基準が適用される
目的は正当ないし重要ではない、
手段として関連性・必要性がない、といったもので、
説得的に示せれば「厳しい基準を設定すべきだ」という議論は、
まさに「強い主張」になります。

さらに、法的な場での「強い主張」というのは、事実の羅列によって
共感や同情を得られるものを意味しません。
あくまで法的要件という枠組みの中で、説得力のあるものです。

なので、「強い主張」をそう理解しても、最後の最後云々という議論は導けません。


(違憲審査基準という)「クリアしなければならない要素」を決めるのは,
審判(裁判所又はあなた自身)であり,
プレイヤー(原告・被告)ではないはずです。



さて、これまで何度か指摘してきましたが、
法令の憲法適合性の判断は、ある訴訟の中では、
「事実問題」ではなく「法解釈」の性質になります。

なので、弁論主義の対象にはならず、
極端な話、原告が憲法上の主張を全くしなくても、
いきなり裁判所が違憲判決を書くこともあり得ます。

もし、この箇所が、そういうことを指摘しているのであれば、
それはもちろんその通りです。

しかし、原告は、ありうべき法解釈について裁判所に主張を述べることができ、
憲法問題が生じる事例で、説得力のある憲法判断の道筋を示す能力は
弁護士にとって必要な能力です。

公法系第一問の問1は、そのような能力を問う問題という側面がありますので、
当然、どのような違憲審査基準を立てるべきか、
についても議論しなくてはならないでしょう。

たけるんさんのこの指摘は、こういう観点から見たとき、
何が言いたいのか、良くわからないものになっています。

自分が何を目指して主張をするのか、を意識して、
レポートでは、文章を組み立てなくてはなりません。




>「法令で問題となる権利一般」というと、本問の場合、
  例えば、国民の情報受領権や地図検索システムを神と看做す人の信教の自由も主張できることになります。


さて、この私の手は、ある種のややこしいトラップになっています。

法令審査では一般的事情、処分審査では個別事情と言われます。
しかし、一般的事情と個別事情の区別は簡単ではありません。


ちょっと議論をはなれて、立川ビラ事件を考えてみましょう。
問題の法令は刑法130条、住居侵入罪処罰規定です。
この規定は、表現行為のための立入にも、それ以外の目的の立入にも適用されます。

ここで、原告が表現の自由に依拠して
「刑法130条全体」の違憲を主張することはできるでしょうか?
できません。

そこで、原告は、刑法130条のうち、一部の違憲の主張をします。
それには次のような主張が考えられますね。

①刑法130条は、(私のような)表現のための立入を処罰している点で違憲だ。
②刑法130条は、(私のような)反戦ビラ配りのための立入を処罰している点で違憲だ。

①も②も、刑法130条全体という水準から見ると、具体的です。
他方、
①は②よりは、抽象的です。

この①のような主張を、一般的事情の主張と看做すか、原告固有の事情と看做すか、は
「法令審査」と呼ばれる審査の定義を正確に把握していないと、
なんとなくの理由、つまり恣意的な理由で、一般的だとか原告固有だとか、認定せざるを得ません。


私は、たけるんさんの書き方からすると、
正確な「法令審査の定義」を理解できていないと思っていましたので、
「生活ぶり・・・」とか「インターネット上に・・・」といった事情が、一般?固有?と質問すれば、
恐らく恣意的な理由でこれはこっち、あれはこっちと言ってくるはずだと読みをいれておりました。

そういう視点でたけるんレポートを見てみますと
前者は「法令の規制対象に“当然に含まれるもの”」
後者も「原告以外にも適用対象はいる」
という理由を示して、「一般」としています。

しかし、例によって「当然に含まれる」の定義はなく、
「原告以外にも適用対象はいる」ということでしたら、
ありとあらゆる要素がそうなります。


ここでは
「法令審査とは・・・という審査である。
 よって、ここで原告が主張できる事情とは、・・・となる」
という論証が必要なわけですね。

定義や前提をしっかり示して、議論をする。
レポートを書く際の基本です。


さて、このように見てくると、たけるんさんがやらなくてはならない作業は、
「法令審査」と「処分審査」の定義を示して、
そこから演繹的に、キムラ先生のここが違う、ということになります。

ツツミ先生が最後にしっかりフォローをして、そうやりなさいと指摘しているわけですね。


私は、常々、
法令に全く違憲部分がないのなら、それに根拠を持つ処分が違憲である、
ということは理論的にあり得ない、と説明してきました。

このことは、学説によって違うという性質のものではなく、
(3×2が6であることについて、数学説の対立がないのと一緒です)
理論の一義的な帰結です。

そして、このことを前提にせずに、
法令審査・処分審査、法令違憲・処分違憲の概念を理解しようとすると、
理論的にあり得ない奇妙な見解になるわけです。


さて、このことを前提にすると、「処分違憲」は、
それを基礎づけている法令の一部が違憲になる処理と解さざるを得ません。
(それ以外の見解は、3×2=32を前提にした「学説」のようなもので、
 学説の名に値しません。
 この点については何度も指摘してきたことなのですが、
 32だと信念を持っている方とは、さすがに合理的な議論ができません。)
(試験委員全員が32と信じていると断言されるのであれば、
 もう、それはしょうがないことです。
 私は、試験委員の顔ぶれからして、そんな初歩的な理論ミスをするわけがない
 とさすがに思います・・・。)

そういう視点で、たけるんレポートの

第1類型は,法令そのものに問題があるケースです(作法242頁)。

という指摘から見ますと、
法令そのものに問題がないのに処分・適用が違憲であるケースという
ナンセンスな概念を立ていることが分かります。

そして、このような根本的な誤解を抱えているため、
「法令審査と処分審査の定義」という今回のレポートで要になる部分が
書けないということになるわけです。

平成20年採点実感2頁の「被告(当事者)としては法令違憲の主張をまず行い、
それが認められない場合でも本事件に関して適用違憲(処分違憲)が成り立つことを主張する方法が、
まず検討されるべきである」という記載


を引用するだけでは、定義が不明確です。
(そういう意味では、採点実感自体に問題がありますが)

他方、従来の学説として示された定義ですが、

 まず,当事者固有の具体的な憲法上の権利から違憲審査を出発させて、
 違憲の理由によって、違憲となる法命題を確定する。



「当事者固有の具体的な憲法上の権利」なるものの定義がなく、
先ほど述べたように、ある事情が「固有」かどうかは、
法令審査・処分審査の定義をしなくては定まらない事情です。

そうなると、採点実感の見解と従来の学説のいずれも明確な定義がなく、
結論である


要するに,採点実感と従来の学説は,アプローチが違う

という部分が、検証不能な命題になってしまっているわけです。

以上まとめると、ポイントは、

①自分が特殊な言葉づかい(「最後の最後」「強い主張」等)をするときは、
 定義を書く。

②そのレポートを書く目的を明確に設定する。

③レポートの要になる概念(今回で言えば法令審査、処分審査)について、明確な定義を示す。

ですね。

ではでは、
レポートを書く際に、参照していただければ、とてもうれしいです。

新春恒例お好み対局(2・完)

2012-01-11 17:32:35 | Q&A その他
つづきです。


アナ「はい。たけるんさん、どう対応するのでしょう?あ、指しましたよ。」

た▲7 要するに、審査基準の機能とは、最後の最後で、
    裁判所がどっちにするかの問題と考えているのではないでしょうか。
    そうすると、原告が言及する必要は必ずしもない、ということになります。


キ△8 なりません。そもそも「最後の最後でどっちにするかの問題」ってなんですか?
    定義示して下さい。


ツ「出ましたね。キムラ先生は、対局時に相手に
  『その言葉の定義は?』を連呼し、わめきちらすのが特徴です。
  奨励会では、法哲学の若手に、『正義定義してみろよ』ってわめきちらして
  『お前は正義というものの本質を分かってない』と言われてました。

アナ「あ、また指しましたよ。」


た▲9とにかく答えてください。

キ△10 あ、いま地方の受験生の方から電波が来た気がする。
 「厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、
  クリアしなければならない要素を明確にする」機能と、
 「抽象的な危険しかなくとも規制してよいか」をみる機能というのは、
 矛盾抵触するものではなく、両立するのではないかと思うのですが。

た▲11 そうですね,両立すると思います。
 より端的に示すと,後者ではないかという指摘にすぎません。

キ△12 それは違うでしょうね。
 抽象的危険しかなくても規制してよいか、をみる機能というのは
 違憲審査基準の機能の一部にすぎません。
 クリアしなければならない要素が明確化されることによる効能は
 論証の批判可能性を開く、などいろいろあります。


アナ「これは、どうなんでしょう?」

ツ「はい。もう書いてある通りに読めばよろしいと思います。
  抽象的危険除去のための規制だけに、違憲審査基準論の価値を限定するのは
  いささか極端でしょう。」

アナ「さて、たけるんさん、戦場を別の箇所に展開しましたね。
  端攻めです。」

た▲13
 ②法令違憲では、「原告の特有の主張」ではなく、
 当該法令で問題となる権利一般について論じるべきでしょう。

キ△14
 それは違うでしょうね。
 「法令で問題となる権利一般」というと、
 本問の場合、例えば、国民の情報受領権や
 地図検索システムを神と看做す人の信教の自由も主張できることになります。

 しかし、それはいわゆる第三者の権利主張であって、
 仮に違憲な権利侵害であっても、原告との関係では客観違法を構成するだけで
 違法にはなりません。

 おそらく、たけるんさんは、採点実感名人が
 「法令審査」と読んでいる作業の定義を理解していないと思います。
 明確に定義してみてください。

た▲15
  原告固有の事情は、処分違憲のところではないでしょうか
 (平成23年採点実感4頁5参照)。

キ△16
  インターネット上に写真画像を流通させる行為の規制である
  というのは、
  「原告固有の事情」ですか、それとも「一般的な事情」でしょうか?

  生活ぶりがうかがえる画像を流通させる行為の規制だという事情は、
  原告の行為固有の事情ですか?
  それとも、そういう行為を規制してしまう法令についての事情ですか?

  原告の主張である以上、原告の立場から主張できるものでなくてはなりません。


アナ「ふーむ。なにか、こう、けむに巻かれたような感じですね。」

ツ「はい。違憲審査基準論のとこと違って、
  良くわからないと思われた方も多いのではないでしょうか。
  その原因は、「法令審査」と「処分審査」という概念の定義が
  示されていないからだと思います。」

    
た▲17 原告固有のという表現では誤読の恐れがあります。その旨の指摘です。

キ△18 はあ。そうかもしれませんが、その点は、
     処分審査、法令審査の記事で書こうと思っていました。



ツ「ふーむ。とりあえず、歩を打って端攻めを抑えたという感じですね。」

アナ「おや、たけるんさん、まだ指すようですね。

た▲19
 付言すると、試験委員のいう適用違憲は、木村先生と違う言葉のように読めます。
 平成23年採点実感4頁、5のタイトルは「法令違憲と処分(適用)違憲」となっています。
 これは、平成20年採点実感2頁、3(1)のタイトルが「法令違憲、適用(処分)違憲」としているのと比べると、
 試験委員のいう適用違憲とは、端的に処分違憲=芦部類型2・3を意味しているのではないでしょうか。

キ△20
 おそらく、違いません。
 試験委員は一貫して、「適用違憲」「処分違憲」という言葉を
 その法令から導かれる法命題の一部が違憲であり、かつ、
 その法命題を導出しない解釈が(不明確な解釈であるなど)解釈の限界を超える場合に、
 その違憲な法命題のみを違憲無効にする処理
 という言葉として使っていますし、それが現在の学説の水準を前提にした場合の定義です。

 これには芦部先生の三類型は、
 第一類型(いまいった適用違憲・処分違憲の処理)
 第二類型(合憲限定解釈による処理)と
 第三類型(これは第一類型に吸収されるものと、単に、
      限定解釈・部分無効とされた法令の要件を充たさないもの、に分かれる)
 に分かれますが、今回、採点実感が言っている処分違憲というのは、第一類型です。

 ところで、
 たけるんさんは、
 「法文」ないし「法規則Rechtsregel」と「法命題Rechtssatz」の違いはご存じですか?
 ここが分からないと、処分違憲の論点は、理解できないはずです。


アナ「おお。すごい攻防です。」

ツ「キムラ八段、気合の対応ですねえ。
 しかし、結局、キムラ八段の『採点実感の二段階審査』の記事を
 読まないと分からないような気もします。
(過去には、キムラ先生はこういうこともいってますが。)

 まあ、そのあたりはたけるんさんも同じで、
 キムラ八段は、処分審査だなんだというなら、定義を示して下さい
 と、いつもの定義示せ連呼戦法に走っているわけですね。
 あ、まだ局面が動きます。

 ちなみに
処分違憲処分審査純粋処分違憲については、キムラ先生は過去にも記事があります。)」



た▲21 先生のお考えは、おそらく平成20年採点実感4頁
    「当該処分の違憲性から過度の広汎性等の理由で
     法令自体の違憲性へと進むアプローチ」に近いように思います。

キ△22 そうかもしれません。私は、過度の広汎性・明確性の問題を
     防御権とは区別して、異次元の問題と捉えますので。
     まあ、とにかく処分審査・法令審査と採点実感の絡みについては、
     まだ書いてませんので、しばしお待ちください。



アナ「どうやら、今日のところはここまでということですね。」

ツ「はい。定義を示せの連呼というキムラ八段の奨励会時代からの
  攻めを見ることができて、とても楽しかったです。
  たけるんさんが、法令審査および処分審査のどのような定義を示すのか、
  なかなか興味深いところですね。

  あと、法規則と法命題の違いという、憲法研究者ではない人に向かって
  いかがなものかと思う概念法学の反問を投げかける
  大人げない姿が印象的でした。」

アナ「あのう、なぜ大人げなくも、そんなこと聞いたのでしょう?」

ツ「はい。おそらく、そういう根本的なとこが分かってないと
  正確な理解はできないぞ、という指導でしょう。

  しかし、それにしても大人げない。
  勝手に盛り上がって、ダーっとせめて局面をむちゃくちゃにするということで、
  キムラ先生が将棋でやることと、全く一緒です。」

アナ「はい。それでは、みなさん。また、お会いいたしましょう。
   ツツミ八段、今日はどうもありがとうございました。」
    

新春恒例お好み対局(1)

2012-01-11 17:29:53 | Q&A その他

たけるんさま、からご質問をいただきました。
みなさんにも参考になるかと思い、記事にさせていただきます。

地方受験生様もどうもありがとうございました。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


アナウンサー「新春恒例、お好み指導対局の時間です。

 本日の対局は、第十八世名人の資格をお持ちで、
 名著『矢倉の急所』の著者としても有名な森内俊之名人
 と同郷であることが自慢のキムラ八段と、
 サラダを前に憲法の先生を追い詰めるのが趣味の
 たけるんさんの一局です。

 解説は、永世解説名人・永世解説竜王・永世解説王位
 名誉解説王座・永世説王・永世解説王将・永世説聖の
 永世七冠のこの方です。」

ツツミ「どうも。こんにちは。

 ええと、私はですねえ、今回の対局の見どころはですねえ、
 キムラ先生得意の一回定義を決めたら動かさない定義直下流の
 手筋がどう決まるか、というところですね。
 
 はい。定義直下流というのはですねえ、
 キムラ八段の師匠の高橋永世名人の直伝の差し回しでありまして、
 原理原則の定義を決めて、そこから演繹されることなら
 どんな非常識なことでもつっぱし・・・。

 あ、そうだ。自己紹介を忘れてました。ツツミです。」

アナ「…。はい。ツツミ九段、よろしくお願いします。
 今回の対局は、先の名人戦第五局のキムラ八段の解説にですね、
 ネット中継をごらんになっていた
 たけるんさんが、ツッコミを入れてきたので、
 対局になった、と、そういう状況ですね。」

ツ「ええ。はい。早速、対局室の様子を見てみましょう。」
 
たけるん(以下、た)1▲先生は、
 ①違憲審査基準の機能は「厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、
 クリアしなければならない要素を明確にする」ことにあるから、
 厳格に審査すべき理由を論じるべきである。
 その場合、②「『原告の』特有の事情を踏まえた『主張』を書かなきゃいけない」。
 とお考えであるということでしょうか。

キムラ(以下、キ)2△そう書いてありますね。

た3▲そうすると異論があります。
  ①平成19年出題趣旨は、違憲審査基準の機能に関して
 「本問で前提となっているのは、
  教団の「危険性」への懸念にも一定の理由があるが、
  その有無・程度等には不確実な面もあるといった状況である。
  この文脈で、審査基準論が意味を持つ」としています。

キ4△そう書いてありますね。



アナ「はい。二手目まで進みました。
 これはキムラ先生が受けにまわっているようですが。」

ツ「はい。キムラ先生は、受けに回る展開も苦にしない
  森内俊之名人のファンだそうですが、
  私生活上の将棋では、我慢が聞かなくて
  じぶんからダーっと攻めて、いい将棋もダメにするタイプだそうです。」

アナ「はあ。」

ツ「また、小学校時代、将棋道場では、
  桂馬や香車でせこい罠をしかけて、相手玉のとん死を狙うタイプで
  『とん死の木村君』と呼ばれていたそうです。
  どっちにしろ、じっくり受ける人間ではおよそありませんが、
  今回は、まず普通に受けましたね。
  ただ、ここまでは、たけるんさんは、ただ引用してるだけですから、
  攻める守るという状況ではないですね。」  


た5▲この部分を素直に読むと、違憲審査基準の機能とは、
   抽象的な危険しかなくとも規制してよいかという部分にある、
   とも読めます。

キ6△はい。違憲審査基準論を使わない場合、
   規制の理由もたいしたことない(抽象的だ)けど   
   規制される行為もたいしたことないよね、と言う理由で
   合憲判断が出されがちになります。

   そうすると抽象的にすぎない危険で権利を制約することが
   許される場面は増えるでしょう。



アナ「お、攻防が始まりました。
   これは、どういうことでしょう?」

ツ「これはですね、違憲審査基準というものの定義をしているわけです。
  キムラ八段の言っていることはですね、
  例えば、表現行為を例にしますとですね、
  野党議員の政府批判言論とか、
  産業廃棄物にかかわる利権構造の告発とか、
  それ、規制しちゃダメだろっていう理由が
  はっきりと分かるものも多いわけです。」

アナ「はい。」

ツ「しかしですね、
  芸能人のプライバシー記事とか、
  自称憲法学者がやっているくだらないブログ記事とかですね、
  夜間の住宅街での演説とか、
  世の中には、それ保護する必要あんの?みたいな
  表現もたくさんあるわけですよ。」

アナ「たくさんありますね。」

ツ「しかしですね、この表現行為は大事で、
  この表現行為は大事じゃあない、とかって言って、
  大事であることが明らかな表現だけを保護すると、
  これ、どうなります?」

アナ「なんか、窮屈になりますね。」

ツ「そうです。窮屈です。そして、危険です。
  いいですか、大切な情報とそうでない情報の区別なんて
  簡単では、ありません。

  お前これ、ただのポルノだろ、っていう作品が、
  実は人間性を深いところまで掘り下げていた重要な文学作品だ
  と評価されるとか(バタイユ『眼球譚』参照)、
  街角のストリートビューなんか、政治に役立つの?
  っていう写真が、町づくり政策に重要な疑問をなげかけたりとか、
  そういうことはいくらでもあります。」

アナ「はあ。そうすると、表現行為の規制には、
  具体的な危険とは別に、
  〈一件すると大事とは思われないが、本当は大事な〉情報が流通しなくなる
  という類型的危険があるというわけですね。」

ツ「はい。まさにその通りです。そうすると、
  事案毎の単純な比較考量(アドホックバランシング)ではなくて、
  『表現行為の規制』一般について、
  大事な目的のために必要な規制じゃないと認めないわよ、
  と、こういう基準を使うことが大事なわけです。」

アナ「はあ。なるほど。」

ツ「さて、そうすると、たけるんさんが3手目で指摘した
  平成19年の出題趣旨はですね、
  そういうアドホックバランシングをすると、こういう展開になります。

   他の財産権(だったよね)の行使はともかく、
   今回の財産権の行使は、たいして大事じゃないよね。
   だから、抽象的危険でも、今回の規制OKです。

  他方、違憲審査基準論からいくと、こうなります。
 
   原告は財産権を侵害されている。
  (今回の財産権の行使は、一見大したものでないとしても)
   財産権の規制には、これこれこういう危険があるから、
   ちゃんとした目的と必要性がないとだめだ。
   しかし、今回の規制は、抽象的な危険の除去を目的とするにすぎない。

  このように、違いが明確になります。
  キムラ八段は、こういう手を指したわけですね。
  あの手を日本語に翻訳すると、
  たけるん君、奥平先生の『なぜ表現の自由か』をちゃんと読んでよ、ということです。」

                      つづく。

制度的保障と制度後退禁止

2011-11-30 15:50:26 | Q&A その他
制度後退禁止と制度的保障 (お茶の子)
2011-11-28 18:17:24
 「急所」において説明されている「制度後退禁止の原則」といわゆる制度的保障の関係がよく整理できません
 前者は,国家への請求権のうち具体的立法をまつべき抽象的権利の内容について,国家が充足すべき内容を持たない立法をすることが禁じられる,という意味と理解してい

ますが,このことと,制度的保障が目指す国家の国民に対する義務は同じものと考えてよろしいのでしょうか?私は,制度的保障として説明される権利や制度(大学の自治,政教分離,地方自治,信教の自由など)も制度そのものではなく,その核心を侵害するような立法が禁じられるという意味で,先生の「制度後退禁止」原則と同じ趣旨のもの

と理解できると考えます。まったくピントが外れているかもしれません。「急所」には,確か,制度的保障という項目の説明がなかったように記憶していますので,制度的保障をさらに発展させたお考えなのかなとも思います。どうか御教示くださいませ。




>お茶の子さま (kimkimlr)
2011-11-28 21:25:55
はい。

「制度的保障」というのは、
個人の権利を保障したものではなく、
客観法原則として保障されるにすぎない
(したがって、その違反について個人の主張適格が認められない)
という意味の言葉なので、
制度後退排除「権」とは、かなり異なる概念です。

(シュミットの制度的保障という概念は、
 また全然違う概念です。
 興味があるなら説明します。)

なので、制度後退排除権は、制度的保障とは全く関係のない「制度後退の禁止」という
社会権の分野で発達してきた概念を
整理したものとご理解ください。

ただ、もちろん制度核心は立法によっても奪えない
という議論なので、
良く似ていると直感されるのも無理はないかなと思います

ありがとうございました (お茶の子)
2011-11-29 07:28:55
木村先生さっそくありがとうございました
憲法,行政法が大好きで何十年も勉強しているのに理解がいいかげんなことにあきれるばかりです
今後ともよろしくお願いします

>お茶の子さま
なんと!何十年も勉強されているのですか。
今後も頑張ってください。