つづきです。
アナ「はい。たけるんさん、どう対応するのでしょう?あ、指しましたよ。」
た▲7 要するに、審査基準の機能とは、最後の最後で、
裁判所がどっちにするかの問題と考えているのではないでしょうか。
そうすると、原告が言及する必要は必ずしもない、ということになります。
キ△8 なりません。そもそも「最後の最後でどっちにするかの問題」ってなんですか?
定義示して下さい。
ツ「出ましたね。キムラ先生は、対局時に相手に
『その言葉の定義は?』を連呼し、わめきちらすのが特徴です。
奨励会では、法哲学の若手に、『正義定義してみろよ』ってわめきちらして
『お前は正義というものの本質を分かってない』と言われてました。
アナ「あ、また指しましたよ。」
た▲9とにかく答えてください。
キ△10 あ、いま地方の受験生の方から電波が来た気がする。
「厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、
クリアしなければならない要素を明確にする」機能と、
「抽象的な危険しかなくとも規制してよいか」をみる機能というのは、
矛盾抵触するものではなく、両立するのではないかと思うのですが。
た▲11 そうですね,両立すると思います。
より端的に示すと,後者ではないかという指摘にすぎません。
キ△12 それは違うでしょうね。
抽象的危険しかなくても規制してよいか、をみる機能というのは
違憲審査基準の機能の一部にすぎません。
クリアしなければならない要素が明確化されることによる効能は
論証の批判可能性を開く、などいろいろあります。
アナ「これは、どうなんでしょう?」
ツ「はい。もう書いてある通りに読めばよろしいと思います。
抽象的危険除去のための規制だけに、違憲審査基準論の価値を限定するのは
いささか極端でしょう。」
アナ「さて、たけるんさん、戦場を別の箇所に展開しましたね。
端攻めです。」
た▲13
②法令違憲では、「原告の特有の主張」ではなく、
当該法令で問題となる権利一般について論じるべきでしょう。
キ△14
それは違うでしょうね。
「法令で問題となる権利一般」というと、
本問の場合、例えば、国民の情報受領権や
地図検索システムを神と看做す人の信教の自由も主張できることになります。
しかし、それはいわゆる第三者の権利主張であって、
仮に違憲な権利侵害であっても、原告との関係では客観違法を構成するだけで
違法にはなりません。
おそらく、たけるんさんは、採点実感名人が
「法令審査」と読んでいる作業の定義を理解していないと思います。
明確に定義してみてください。
た▲15
原告固有の事情は、処分違憲のところではないでしょうか
(平成23年採点実感4頁5参照)。
キ△16
インターネット上に写真画像を流通させる行為の規制である
というのは、
「原告固有の事情」ですか、それとも「一般的な事情」でしょうか?
生活ぶりがうかがえる画像を流通させる行為の規制だという事情は、
原告の行為固有の事情ですか?
それとも、そういう行為を規制してしまう法令についての事情ですか?
原告の主張である以上、原告の立場から主張できるものでなくてはなりません。
アナ「ふーむ。なにか、こう、けむに巻かれたような感じですね。」
ツ「はい。違憲審査基準論のとこと違って、
良くわからないと思われた方も多いのではないでしょうか。
その原因は、「法令審査」と「処分審査」という概念の定義が
示されていないからだと思います。」
た▲17 原告固有のという表現では誤読の恐れがあります。その旨の指摘です。
キ△18 はあ。そうかもしれませんが、その点は、
処分審査、法令審査の記事で書こうと思っていました。
ツ「ふーむ。とりあえず、歩を打って端攻めを抑えたという感じですね。」
アナ「おや、たけるんさん、まだ指すようですね。
た▲19
付言すると、試験委員のいう適用違憲は、木村先生と違う言葉のように読めます。
平成23年採点実感4頁、5のタイトルは「法令違憲と処分(適用)違憲」となっています。
これは、平成20年採点実感2頁、3(1)のタイトルが「法令違憲、適用(処分)違憲」としているのと比べると、
試験委員のいう適用違憲とは、端的に処分違憲=芦部類型2・3を意味しているのではないでしょうか。
キ△20
おそらく、違いません。
試験委員は一貫して、「適用違憲」「処分違憲」という言葉を
その法令から導かれる法命題の一部が違憲であり、かつ、
その法命題を導出しない解釈が(不明確な解釈であるなど)解釈の限界を超える場合に、
その違憲な法命題のみを違憲無効にする処理
という言葉として使っていますし、それが現在の学説の水準を前提にした場合の定義です。
これには芦部先生の三類型は、
第一類型(いまいった適用違憲・処分違憲の処理)
第二類型(合憲限定解釈による処理)と
第三類型(これは第一類型に吸収されるものと、単に、
限定解釈・部分無効とされた法令の要件を充たさないもの、に分かれる)
に分かれますが、今回、採点実感が言っている処分違憲というのは、第一類型です。
ところで、
たけるんさんは、
「法文」ないし「法規則Rechtsregel」と「法命題Rechtssatz」の違いはご存じですか?
ここが分からないと、処分違憲の論点は、理解できないはずです。
アナ「おお。すごい攻防です。」
ツ「キムラ八段、気合の対応ですねえ。
しかし、結局、キムラ八段の『採点実感の二段階審査』の記事を
読まないと分からないような気もします。
(過去には、キムラ先生はこういうこともいってますが。)
まあ、そのあたりはたけるんさんも同じで、
キムラ八段は、処分審査だなんだというなら、定義を示して下さい
と、いつもの定義示せ連呼戦法に走っているわけですね。
あ、まだ局面が動きます。
ちなみに
(処分違憲、処分審査、純粋処分違憲については、キムラ先生は過去にも記事があります。)」
た▲21 先生のお考えは、おそらく平成20年採点実感4頁
「当該処分の違憲性から過度の広汎性等の理由で
法令自体の違憲性へと進むアプローチ」に近いように思います。
キ△22 そうかもしれません。私は、過度の広汎性・明確性の問題を
防御権とは区別して、異次元の問題と捉えますので。
まあ、とにかく処分審査・法令審査と採点実感の絡みについては、
まだ書いてませんので、しばしお待ちください。
アナ「どうやら、今日のところはここまでということですね。」
ツ「はい。定義を示せの連呼というキムラ八段の奨励会時代からの
攻めを見ることができて、とても楽しかったです。
たけるんさんが、法令審査および処分審査のどのような定義を示すのか、
なかなか興味深いところですね。
あと、法規則と法命題の違いという、憲法研究者ではない人に向かって
いかがなものかと思う概念法学の反問を投げかける
大人げない姿が印象的でした。」
アナ「あのう、なぜ大人げなくも、そんなこと聞いたのでしょう?」
ツ「はい。おそらく、そういう根本的なとこが分かってないと
正確な理解はできないぞ、という指導でしょう。
しかし、それにしても大人げない。
勝手に盛り上がって、ダーっとせめて局面をむちゃくちゃにするということで、
キムラ先生が将棋でやることと、全く一緒です。」
アナ「はい。それでは、みなさん。また、お会いいたしましょう。
ツツミ八段、今日はどうもありがとうございました。」
アナ「はい。たけるんさん、どう対応するのでしょう?あ、指しましたよ。」
た▲7 要するに、審査基準の機能とは、最後の最後で、
裁判所がどっちにするかの問題と考えているのではないでしょうか。
そうすると、原告が言及する必要は必ずしもない、ということになります。
キ△8 なりません。そもそも「最後の最後でどっちにするかの問題」ってなんですか?
定義示して下さい。
ツ「出ましたね。キムラ先生は、対局時に相手に
『その言葉の定義は?』を連呼し、わめきちらすのが特徴です。
奨励会では、法哲学の若手に、『正義定義してみろよ』ってわめきちらして
『お前は正義というものの本質を分かってない』と言われてました。
アナ「あ、また指しましたよ。」
た▲9とにかく答えてください。
キ△10 あ、いま地方の受験生の方から電波が来た気がする。
「厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、
クリアしなければならない要素を明確にする」機能と、
「抽象的な危険しかなくとも規制してよいか」をみる機能というのは、
矛盾抵触するものではなく、両立するのではないかと思うのですが。
た▲11 そうですね,両立すると思います。
より端的に示すと,後者ではないかという指摘にすぎません。
キ△12 それは違うでしょうね。
抽象的危険しかなくても規制してよいか、をみる機能というのは
違憲審査基準の機能の一部にすぎません。
クリアしなければならない要素が明確化されることによる効能は
論証の批判可能性を開く、などいろいろあります。
アナ「これは、どうなんでしょう?」
ツ「はい。もう書いてある通りに読めばよろしいと思います。
抽象的危険除去のための規制だけに、違憲審査基準論の価値を限定するのは
いささか極端でしょう。」
アナ「さて、たけるんさん、戦場を別の箇所に展開しましたね。
端攻めです。」
た▲13
②法令違憲では、「原告の特有の主張」ではなく、
当該法令で問題となる権利一般について論じるべきでしょう。
キ△14
それは違うでしょうね。
「法令で問題となる権利一般」というと、
本問の場合、例えば、国民の情報受領権や
地図検索システムを神と看做す人の信教の自由も主張できることになります。
しかし、それはいわゆる第三者の権利主張であって、
仮に違憲な権利侵害であっても、原告との関係では客観違法を構成するだけで
違法にはなりません。
おそらく、たけるんさんは、採点実感名人が
「法令審査」と読んでいる作業の定義を理解していないと思います。
明確に定義してみてください。
た▲15
原告固有の事情は、処分違憲のところではないでしょうか
(平成23年採点実感4頁5参照)。
キ△16
インターネット上に写真画像を流通させる行為の規制である
というのは、
「原告固有の事情」ですか、それとも「一般的な事情」でしょうか?
生活ぶりがうかがえる画像を流通させる行為の規制だという事情は、
原告の行為固有の事情ですか?
それとも、そういう行為を規制してしまう法令についての事情ですか?
原告の主張である以上、原告の立場から主張できるものでなくてはなりません。
アナ「ふーむ。なにか、こう、けむに巻かれたような感じですね。」
ツ「はい。違憲審査基準論のとこと違って、
良くわからないと思われた方も多いのではないでしょうか。
その原因は、「法令審査」と「処分審査」という概念の定義が
示されていないからだと思います。」
た▲17 原告固有のという表現では誤読の恐れがあります。その旨の指摘です。
キ△18 はあ。そうかもしれませんが、その点は、
処分審査、法令審査の記事で書こうと思っていました。
ツ「ふーむ。とりあえず、歩を打って端攻めを抑えたという感じですね。」
アナ「おや、たけるんさん、まだ指すようですね。
た▲19
付言すると、試験委員のいう適用違憲は、木村先生と違う言葉のように読めます。
平成23年採点実感4頁、5のタイトルは「法令違憲と処分(適用)違憲」となっています。
これは、平成20年採点実感2頁、3(1)のタイトルが「法令違憲、適用(処分)違憲」としているのと比べると、
試験委員のいう適用違憲とは、端的に処分違憲=芦部類型2・3を意味しているのではないでしょうか。
キ△20
おそらく、違いません。
試験委員は一貫して、「適用違憲」「処分違憲」という言葉を
その法令から導かれる法命題の一部が違憲であり、かつ、
その法命題を導出しない解釈が(不明確な解釈であるなど)解釈の限界を超える場合に、
その違憲な法命題のみを違憲無効にする処理
という言葉として使っていますし、それが現在の学説の水準を前提にした場合の定義です。
これには芦部先生の三類型は、
第一類型(いまいった適用違憲・処分違憲の処理)
第二類型(合憲限定解釈による処理)と
第三類型(これは第一類型に吸収されるものと、単に、
限定解釈・部分無効とされた法令の要件を充たさないもの、に分かれる)
に分かれますが、今回、採点実感が言っている処分違憲というのは、第一類型です。
ところで、
たけるんさんは、
「法文」ないし「法規則Rechtsregel」と「法命題Rechtssatz」の違いはご存じですか?
ここが分からないと、処分違憲の論点は、理解できないはずです。
アナ「おお。すごい攻防です。」
ツ「キムラ八段、気合の対応ですねえ。
しかし、結局、キムラ八段の『採点実感の二段階審査』の記事を
読まないと分からないような気もします。
(過去には、キムラ先生はこういうこともいってますが。)
まあ、そのあたりはたけるんさんも同じで、
キムラ八段は、処分審査だなんだというなら、定義を示して下さい
と、いつもの定義示せ連呼戦法に走っているわけですね。
あ、まだ局面が動きます。
ちなみに
(処分違憲、処分審査、純粋処分違憲については、キムラ先生は過去にも記事があります。)」
た▲21 先生のお考えは、おそらく平成20年採点実感4頁
「当該処分の違憲性から過度の広汎性等の理由で
法令自体の違憲性へと進むアプローチ」に近いように思います。
キ△22 そうかもしれません。私は、過度の広汎性・明確性の問題を
防御権とは区別して、異次元の問題と捉えますので。
まあ、とにかく処分審査・法令審査と採点実感の絡みについては、
まだ書いてませんので、しばしお待ちください。
アナ「どうやら、今日のところはここまでということですね。」
ツ「はい。定義を示せの連呼というキムラ八段の奨励会時代からの
攻めを見ることができて、とても楽しかったです。
たけるんさんが、法令審査および処分審査のどのような定義を示すのか、
なかなか興味深いところですね。
あと、法規則と法命題の違いという、憲法研究者ではない人に向かって
いかがなものかと思う概念法学の反問を投げかける
大人げない姿が印象的でした。」
アナ「あのう、なぜ大人げなくも、そんなこと聞いたのでしょう?」
ツ「はい。おそらく、そういう根本的なとこが分かってないと
正確な理解はできないぞ、という指導でしょう。
しかし、それにしても大人げない。
勝手に盛り上がって、ダーっとせめて局面をむちゃくちゃにするということで、
キムラ先生が将棋でやることと、全く一緒です。」
アナ「はい。それでは、みなさん。また、お会いいたしましょう。
ツツミ八段、今日はどうもありがとうございました。」
今回の記事、あんまり分からなかったです・・・
でもツツミ先生が出てきたのでよかったです。
今度、木村先生とツツミ先生とタケオカ先生と佐渡先生で飲み会に行くお話が読みたいです。
たけるんさんも、コメントにご回答していただき、ありがとうございました。
記事の後半部分は、本当に難しいですね‥(これが、定義がわかっていないということだと思いますが‥。)。引き続き、処分審査・法令審査の記事で勉強させていただきます。よろしくお願いいたします。
その方は「(狭義の)厳格審査基準や中間審査基準は違憲にする前提で裁判所が示すものだ」ともおっしゃっていたので,おそらく違憲審査基準の機能を「最後の最後で,裁判所がどっちにするかの問題」と捉えているのでしょう。
しかし,先生のおっしゃる通り,それって何ですか?ですよね。
たけるんさんとは個人的な付合いがあります(ました)が,ブログ上ではキムラ八段の怒涛の攻撃を楽しみにしています。
おとなげなくとも,定義直下流の真髄を発揮して,気合で勝ちきってください(笑)
今回の記事(1)(2)のうち
違憲審査基準の部分は、
みなさんにも参考になるだろうと思って書いた部分です。
後半部分は、「おぬしの言っている諸問題については、
まだまだ語らねばならぬことがある。
先走らず最後まで話をきけ。」と指摘しつつ、
予習範囲を指定しているだけなので、
よく分からなくて当然であります。
ご安心ください。
(・・・違憲審査基準のとこが
不明確ということだったら、ご指摘ください)
>地方受験生さま
どうもありがとうございました。
続きは、こうなったら採点実感週間にしたろうじゃないかと、
記事をば鋭意執筆中なので、しばしお待ちください。
>YSさま
わはは。そのようなことをおっしゃる予備校の先生がいらっしゃるのですか。
実は、その予備校の先生の言っていることは
半分は正しいのです。
憲法問題は、訴訟においては法律問題で
その判断は裁判所の専権事項です。
なので、原告が違憲の主張を全くしなくても
いきなり違憲判決が出ることがあり得ます。
そういう意味では、原告は、
目的手段審査はおろか、違憲の主張すらする必要がないのです!!!
しかしまあ、問題形式からして、
原告側の主張で、「要件に該当しないという主張以外には、
特に主張することはない」と書いたら
間違いなくアウトでしょう。
まあ、たけるんさんとの対局は、指導対局なので
勝ち負けというより、
どう説明すると、あるいは、どういう質問をすると、
たけるんさんが、正確な理解に到達できるか
ということを考えて指しております。
たけるんさまにも、そのようにお伝えください。
目的手段審査についても、
なんか思いのほか盛り上がっちまったな、
こうなったら採点実感に全部コメントしたろう、
どんとこい採点実感週間
という
よくわからないハイな状態ですので、
書いていこうと思います。
行くとでも思っておるのか。
ワシはいま、月島のもんじゃ焼屋で
おいしくビールを飲んでいるところじゃ。
ん?あれはタケオカとツツミではないか。
よし、あいつらをよんでもんじゃ焼きをやかせよう。
上手く言葉では言い表せないのですが、例えば「何か食べたら、寝なければならない」っていう法律があるなら、食べ物っていっても、お肉とそれ以外のものがあり、お肉にも豚肉とそれ以外のお肉があり、豚肉にもアメリカ産とそれ以外のものがあり、って永遠に枝分かれが続いていくなかの、どこかの部分を取り出して、そこについて審査するのが処分審査で、枝分かれの根っこの、そもそも「食事したら、寝なければならない」ことそれ自体の是非を審査するのが法文審査っていうイメージでしょうか。もし法文審査で違憲なら処分審査って意味なくなりますよね。
ただ、定義というとなかなか難しいです。続きを楽しみにしています。
そういえば、途中でしたね。すいません。
これを機会に、体系的にまとめておきましょう。
慶應ローの後輩に爆笑されました。
さて,私の議論の仕方が拙かったので,一応の応答をしておきます。
>そもそも「最後の最後でどっちにするかの問題」ってなんですか?
主張と反論には多くの合理的なものがあります。その上で、双方につき戦わせ、強い主張と反論が残ります。残ったものには,どっちも説得力がありますが、審判は白黒つけなきゃいけない。そのジャッジを決めるのが違憲審査基準ではないか,ということです。
>抽象的危険しかなくても規制してよいか、をみる機能というのは違憲審査基準の機能の一部にすぎません。クリアしなければならない要素が明確化されることによる効能は論証の批判可能性を開く、などいろいろあります。
この点については,私が不適切でした。しかし,先生ご指摘のような「クリアしなければならない要素」を決めるのは,審判(裁判所又はあなた自身)であり,プレイヤー(原告・被告)ではないはずです。
>「法令で問題となる権利一般」というと、本問の場合、例えば、国民の情報受領権や地図検索システムを神と看做す人の信教の自由も主張できることになります。しかし、それはいわゆる第三者の権利主張‥」
それは,種類の異なる憲法上の権利であり,類型的にXは主体ではないからです。しかし,Xは表現の自由を享有しており,本法律の適用対象の限度で,問題となる表現の自由につき一般的に審査を求めることができると考えています。
>生活ぶりがうかがえる画像を流通させる行為の規制だという事情は、原告の行為固有の事情ですか?それとも、そういう行為を規制してしまう法令についての事情ですか?
固有ではないと思います。これは法令の規制対象に“当然に含まれるもの”です。少なくとも、過度の広汎性の法理からは、表現の自由に限り原告を離れた主張はできるはず。平成20年出題趣旨1頁が「仮にAの提供する情報は「有害」であるとしても、第三者の、憲法が保障する表現も規制される可能性」というのも、このことを示唆しています。
>インターネット上に写真画像を流通させる行為の規制であるというのは、「原告固有の事情」ですか、それとも「一般的な事情」でしょうか?
これは、一般的な事情でしょう。原告以外にも適用対象はいるはずです。
>試験委員は一貫して、「適用違憲」「処分違憲」という言葉を… という言葉として使っています
この点は、根拠となる資料を示していただけるとうれしいです。
>今回、採点実感が言っている処分違憲というのは、第一類型です。
それは同意できません。第1類型は,法令そのものに問題があるケースです(作法242頁)。猿払事件,証券取引法事件も,最高裁は適用審査の主張を法令審査で取り扱っていることからも伺えます。ですから,第1類型は処分が問題なのではなく,法令に問題点がある場合と考えます。ただ,先生は,第2類型,第3類型も,法令に問題があるとしているため,この論点はペンディングしておきましょう。
>「法文」ないし「法規則Rechtsregel」と「法命題Rechtssatz」の違いはご存じですか?
先生のおかげで知りました笑。
ちなみに、平成20年採点実感4頁には、「当該処分(適用)の問題点を論ずる適用違憲(処分違憲)」とあります。処分の憲法適合性の問題と理解すれば、それは芦部第1類型ではないと思います。第1類型で違憲となるのは,処分ではなく,法令と考えるのが自然です。要するに、試験委員は、違憲の対象が法令のものを法令違憲、処分のものを処分違憲と言っているようです。たしかに,この理解は,従来の学説が適用違憲と法令違憲を“何に違憲判断をするか”という“出口”の問題としていたことからは,ズレています。
従来の学説の審査方法は,大要,次のようなものであると理解しています(急所は,処分審査,法令審査,二段階審査を択一関係でないと考えているようなので,従来の学説を参照しました。)。
①まず,当事者固有の具体的な憲法上の権利から違憲審査を出発させて、違憲の理由によって、違憲となる法命題を確定する。ただし,萎縮効果が問題となる場合,文面審査(急所でいう法令審査+法文審査)が可能になる。
②その上で、法令違憲にするか,処分違憲にするか,法命題と法文を照らして決定する。
法命題を確定するためのルートは,処分も法令も同じで,出口が異なる,
これは、適用審査優先原則を採用した上で,適用“違憲”判決を優先する必要はない,という立場のように見えます(宍戸306頁も同じように思えます。)。おそらく,平成20年採点実感4頁の「当該処分の違憲性から過度の広汎性等の理由で法令自体の違憲性へと進むアプローチ」という審査方法はこれを指していると思います。
しかし,「もある」との表現、カッコ書きであることから、採点実感は別のアプローチを前提としていると考えられると思います。その“別のアプローチ”こそ,平成20年採点実感2頁の「被告(当事者)としては法令違憲の主張をまず行い、それが認められない場合でも本事件に関して適用違憲(処分違憲)が成り立つことを主張する方法が、まず検討されるべきである」という記載ではないでしょうか?これは,従来の学説の採用する適用審査優先原則を明らかに放棄しています。ですが,上記の猿払事件,証券取引法事件を想起すれば,このアプローチは最高裁の審査方法に非常に近いと思います。
従来の学説は,攻撃防御により法命題を導いてから,法令か処分かというターゲットが決まることになります。しかし,これは逆立ちした議論でしょう。本来的には,ターゲットを決めて、攻撃防御して、判断するべきです。攻撃防御して、ターゲットが決まって、判断するというのは、逆立ちしています。
要するに,採点実感と従来の学説は,アプローチが違うので,従来の学説の系譜に属する先生の見解で説明することは,難しいのではないか,ということが私の主張の骨子です。