2月15日(金)月遅れの新年会を柳橋事務所で開催。
集まったのは私を含めて4人。
昭和46年大学卒業 団塊の世代。
学園闘争でキャンパスは封鎖され
まともな授業も受けず、単位取得も目こぼしで卒業証書を授与?
私など 体育会山岳部に所属、年間165日合宿だったので
いま「あんた何学部で学んだの」と問いかけられても
恥ずかしくて答えられない。
既に60代半ば。
サラリーマンを末倒した者。
勤め先倒産しての転職した者
マルマル士事務所を現在も続けている者。
サラリーマンをドロップアウトして零細自営業をしている私。
頭髪が半分の者
頭髪がかろうじて桃の産毛ような者
まだ、退化せず黒々の者
前髪だけ白い者
皆元気に働いている。
前日 自転車で両国橋渡り 春日野部屋近くのスーパーに
鍋の具材を買出しにイケメンが行った。
このスーパーは力士がちゃんこ料理の具材調達するので
揃っている。
17時開宴。
マグロの刺身の差し入れもあった。
残骸
息子に
何にもしなかった団塊世代と貶されるが
日本の高度成長をもたらした世代だと自負している。
アジアでは当時 群を抜く高学歴、学力の若者。
まだ賃金も安いがアジアでは最高能力の労働者。
海外進出する企業は大手メーカーの一部に限られ
国内産業は伸張した。
企業倒産もあったが転職も気ままにできた。
所得も年齢重ねれば、能力なくても毎年アップ。
毎晩 今日は何処へ飲むか
深夜タクシーで帰っても
全て会社の経費。
平和で戦が起きる恐怖もなかった。
老後の年金支給の心配もしていなかった。
みんな、ローン組んで持ち家にした。
恋愛にも結婚にも深刻ではなかった。
仕事も多かったが若者の働き手も不足した。
それが60歳定年を達した頃から
突如の暗転。
かろうじて早期退職、リストラを免れた。
今宵、おじさん達は、昔話に若さを取り戻す。
ここで名言
なぜ私達は自分に起きた昔の出来事の細かい点まで覚えていられるだけの記憶力を持ちながら、それを何度同じ人に話したのかを覚えているだけの記憶力がないのだろう。
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擦り切れたテープレコーダーのごとく、同じ昔話を語る。
今では 正社員という肩書きが履歴書に必要な社会。
鬱屈した若者を見るとやりきれない。
勝ち組 負け組みを20代で決定つけられる
がんじがらめの社会。
日本海の先には、ずっと昔の怨念への仕返しを企む国々。
地球儀をひっくり返して見れば
大陸の上に風雨でもないのに、傘のような島国日本列島がある。
大陸から眺めたら、見下げられているようで
どうにも、鬱陶しい。
屈辱を返すべき激しい野次が飛んで来る。
団塊オジサンは、これらに対抗するには、年を取り過ぎた。
少子化の若者に今後を委ねるしかないが
世界最高水準の洗練された日本の若者に、野卑 粗野な群れと拮抗して対峙できるか?
内向的な歯向かいしない若者に
ハイエナは昼夜を問わず襲いかかる。
おじさんは吼える
虐め 体罰には、闇夜の黒豹のごとく襲え。
又 名言
「若い時は一日は短く一年は長い。年をとると一年は短く一日は長い」
戻らぬ青春の懐古の宴は、21時半に終わった。
柳橋のアーチに輝くグリーンライトの下
背を丸めたコート姿のオジサンを窓辺から見送った。
頭髪と干からびた顔面をぼかせる
酔い闇が似合う年になったのだ。