旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

山の校長先生を偲んで

2020年11月11日 00時02分38秒 | 日々のこと
どんなに晴れてもどこまでも晩秋の気配に包まれた今日
ポストに喪中葉書が入っていた。

ユーロトレックで関わった方たちが、もしもまだこのブログを読んで下さって
いるのであればお伝えするのが私の役目なのかな、と思うので記します。

山の校長先生が今年の6月に永眠されました。79歳だったそうです。

日帰りツアーでは集合時間よりも必ず早く、誰よりもしっかりとした装備で
ニコニコと立っていてくださいましたね。

どのお客さんよりも山に詳しくて、歩行に安定感があって、「前か後ろに
校長先生がいてくれる」と思うだけで私は安心していました。いつもいつも。

ツアーを発表するといつも一番に予約を入れてくださいましたね。とっても
おちゃめなイラストを付けたメールで「〇月〇日、参加します」それだけの
シンプルなメールでしたが、どれだけそのメールが嬉しかったことか。
どれだけ助けられたことか。そして雨が降ろうが、人数が少なかろうが、
必ず参加してくださいましたね。

スノーシュー、夕焼けハイク、屋久島、ハワイ、いつもの六甲山、たくさんの
山を一緒に歩きましたね。美味しい山ごはん、たくさん一緒に食べましたね。
写真たくさんたくさんありがとうございました。

アホでアホで仕方なかった私のことを叱らずに、バカにせずに、いつでも
私たちのツアーを尊重してくださったことのすごさに気づいたのは、辞めてから
何年もたった後でした。

年賀状だけのやりとりが続いていく中で、私の中ではいつまでもあのままの
校長先生でした。私たちのツアーに遭遇した他のグループの方がいつも
不思議がっていましたね「一体、なんの集まりですか?」と。
年齢もバラバラ、服装もバラバラ、山経験もバラバラ、でもみんなゆるやかに
つながりあって山歩きを楽しんでいる。本当に本当に自慢のツアーでした。
そのまんなかにいつもいてくれたのが校長先生でした。

始まりはお客さんとへなちょこアホガイドでしたが、人生で大切なことを
その生き方から学びました。風貌だけではなく私の心の校長先生でした。
山を歩きながら何気なく交わした会話が次から次に思い出されて涙がこぼれます。

今年の年賀状は「剣岳」登頂の写真でした。最後まで山歩きを楽しめた人生
だったのだと思いたいです。

空の高い高いところから見下ろす今年の紅葉はきれいですか?
どの山よりも高いところにいかれてしまったのですね。

あの時アホすぎた私は25歳だったのに、41歳の今も私の心のどこかの部分は
校長先生に頼りっぱなしのアホな私のまんまです。叱られることすら想像
できずに笑い転げて飛び回っていました。

子どもを連れて六甲山を歩きにいきますね。
ご冥福を心からお祈りします。ありがとうございました。

そしてこれを読んでくださった、あの時一緒に山を歩いた“あなた”にも
“あなた”にも全ての方たちにありがとうございます、と伝えたいです。

でも本当に淋しい。
頭では分かっているけれど、心がついていけない。大事な人に出会ってしまうと
ずっと大事に思ってしまう。いつまでもおんなじ気持ちで追いかけてしまう。
もう10年以上も前のおぼろげな記憶がちっとも薄まってくれない。昨日の事と
同じような精度でいつでも取り出せてしまう。

「梢ちゃん、今あなたがやっていることの意味が分かるのは何十年も後の
ことなのよ。」

一緒に山歩きをしてくださったヨガの先生に言われた言葉を泣きながら思い出す。
きっと校長先生もそう思いながら、どうしようもなくアホな私の後ろを歩いてくれて
いたんだろうな。上手に忘れることが大人のたしなみなのだとしたら、私はダメだ。
全然ダメだ。そのダメさ具合にまた泣ける。

明日起きたら、またがんばろう。





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