旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

畑のチョウをみて思ったこと

2018年07月30日 22時08分55秒 | 淡路島のこと
夏真っ盛りである。
毎朝カゴいっぱいのトマトやキュウリやオクラやナスをせっせと食べている。
青の離乳食は食べる分だけ畑から調達。なんてぜいたくな!!どんだけセレブやねん!!

台所で野菜を切っていると、畑にやってくるお客さんがよく見える。
名前も知らないきれいな鳥、小さな鳥、チョウ、猫、近所の子ども、うちの子ども、
そしておびただしい数の虫たち・・・

意識も朦朧とするような暑い午後、真っ黒なチョウがヒラヒラ飛んでいるのをみていると
ここが一体どこなのかわからなくなりそうになる。チョウは不思議だ。時間とか空間を飛び越えて
とんでいるように見える。
チョウが優雅に飛んでいるのをみて、私の心はとても静かなもので満たされる。
畑にしゃがみこんでその世界をみていると、何とも言えない安らぎを感じる。「私もここにいていいんだ」と
ゆるされているような気持になる。トマトに群がっているダンゴムシ(けっこう大きい。なんというか意思を
感じるデカさ)、ちょっとおいしそうな葉っぱがあると一斉に食い尽くしている虫たち、土に還ろうとしている
いちじくをせっせとどこかに運ぶ虫たち、悠々と張られているクモの巣、寝転んでいる猫、上から見ている
トンビ、そして私。みんなでこの世界をシェアできていることに何とも言えない幸福を感じるのだ。
おいしいトマトのことは私よりダンゴムシの方が多分詳しい。鳥は羽を何度かはばたかせただけで海まで
いってしまう。猫は私よりきっとうんと自由だ。誰が上でどれが下とかがないこの空間の心地よさは
都会で生活していた時には感じたことがなかった。旅先でその気配を感じたことはあったけれど所詮は旅人、
それを「暮らし」に取り込むことまではできなかった。でも今はそれが全部できる。

洗濯を干すにはまずクモにどいてもらわないといけない。アリの行列をみつけたら「ごめんな、ごめんな」と
思いながらティッシュでつぶさないといけない。靴を履く前にはムカデが入っていないか確認、今も目の前を
悠々とでっかいクモがどこかに向かって移動している。

人間のためだけにある場所なんて本当はどこにもないはずなのに、私はそれを見ないふりして生きてきた。
いろんな生き物が主張しあうここでの生活は賑やかで、華やかで、それはそれは面倒くさい。
だけど都会にいたころの居心地の悪さはすっとどこかに消えてしまった。私もいろんな生き物のひとつなんだな
と自然に思える毎日がここにある。

「どうぞ」と差し出すことのできるきれいなものに囲まれて生きていきたい。

雨上がりの雲や、夕方の美しさ。運転しながらパッと目に入る景色が緑だけ、そんな奇跡のような瞬間で
私は私をまとってみたい。“ゆるめながら研ぎ澄ませる”心はきっとこういう風に使うためにできている。
淡路島の夏のとりこになっている。

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