旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

淡路で迎える1月17日

2019年01月17日 11時18分14秒 | 日々のこと
阪神淡路大震災から24年たった。

今住んでいる淡路島は震源地となった場所で、被害も大きかった。
車では分からないが、道を歩いているとあちこちで地震の爪痕に気付く。
今はもう穏やかにゆっくりと時間に溶け込んでいるけれど、ここも確かに揺れたのだ。

今日、小学校では「震災の集い」が開かれる。
「母ちゃんもこのうた歌った?」と福が“しあわせをはこべるように”を歌っている。
「母ちゃんが高校生の時だったから、母ちゃんはその歌知らんねん。教えてな」と
言うと紙に歌詞を書いて机の上に置いてくれていた。

あれから24年・・・あの揺れを経験した人は誰もがあっという間だった、と思うのだろう。
最近思うのだが、時間には“流れる時間”と“流れない時間”がある。
あれから24年きっちりと時間は流れたが、流れることなくあのまま固まった時間が私の中にはある。
あまりの怖さに抜け落ちている記憶も多々あるのだが、それが今になって突然思い出されたりもする。
今朝も友人から「昨日テレビを見ていたら急によみがえった思い出があって・・・」とメールが届いた。

あの揺れと共に私たちは年を重ねている。
100年たってもあの時間はどこにも流れていかない。ずっとこびりついたままだ。

しんどいな、と思うけど、「忘れたい」とはなぜか全く思わない。
いい思い出だけが大切なわけではないのだ。不思議だけれど、本当にそうなのだ。

去年の1月17日は父親の葬式だった。
ちょうど淡路への引っ越しが決まったところで、いろんなことが音をたてて動き出したところだった。
毎日は無茶苦茶だった。自分の心も無茶苦茶だった。どうやって日々をやり過ごしてきたのか
ほとんど記憶がない。一年たってここにいるのは「生き延びた・・・」と呆然とした顔で突っ立っている
私だ。

前の家に住んでいる時「ここで災害には絶対にあいたくない」「この人たちと避難所に入るなんて
絶対に嫌だ」「助けてと言える人も助けたいと思う人も誰もいない」この事実が恐ろしくて仕方なかった。
それどころか怒鳴り込んでくる隣人の家がぺしゃんこになっていたら私はほくそ笑んでいたとすら思う。
それぐらい歪んだ生活だった。
今は違う。助け合える関係がここにはある。もちろん私たちはまだ住み始めたばかりだから、周りの
人がしていることを真似しているだけだけれど。それでも「守っている」「守られている」という
感覚をきっとお互いに持つことができているのだと思う。セキュリティーのためでけではなく、暗い
夜を照らすためにつける外灯(泥棒もこんなどんつきの山奥まではあがってこないはず)、夕方家々の
子どもたちが帰ってくる時間まではすこーしだけ開けられた障子、野菜や魚の物々交換、
地域猫を介した何気ない立ち話、毒のないうわさ話(どこそこのスーパーが安いとか、どこそこで
何が釣れたとかそういうの)こんな小さなやり取りがいざという時いかに大きな支えになるか、力になるか
あの地震を経験したからこそわかること。

ここで生きていくと決めたからには、ここで起こった1月17日のことをもっと知りたい。
週末は子どもたちを連れて震災資料館を訪れてみようと思う。


よかった。
今年の1月17日は、少しだけ前向きだ。
もうすぐ12時。祈りの一日が半分過ぎていく。それぞれの場所で続いていく一日にじっと目を閉じよう。

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