動物虐待というのは犬や猫に対してだけではなく、食用の動物にたいしても、動物虐待はやめろ、という運動があるのは認識しておくべき。
この世に、苦しみを増やすべきでない、ということと、命に対する礼、命に対しては敬意を払うべき、ということであろう。
mass noun
1The state or quality of being worthy of honour or respect.
‘the dignity of labour’
with dignity and respect
威厳と敬意をもって
treat customers with dignity and respect
尊厳と敬意をもって顧客を扱う[に接する]
“In British and Japanese society, the ability to control emotions is considered dignified and elegant,” Ishiguro told The Times in 1990. In Stevens, there is “the tendency to mistake having any emotions at all with weakness.”
“Ultimately,” he continued, "the book is about the tragedy of a man who takes that thing too far, who somehow denies himself the right to love and be human. This is something the middle-class and upper-middle-class English do a lot.”
『日の名残り』は、そういう英国人について書いた物語です。その前に書いた最初の2つの作品*は、そういう日本人について書いた物語です。いずれも、とても誠意があって、社会のために貢献したいと思っている人ですが、自分の視点で考えるということをしなかったがために、自分たちの周りである熱狂が浮上してきても、それに対して立ち上がることができなかったという人たちの話です。そのために、結果的に自分で後で後悔するようなことに手を貸してしまい、人生である時点まで来た時に自分の人生を振り返って、そのことに気づくわけですが、「もう時、既に遅し」というわけです。その意味で彼らの人生は無駄になってしまったわけです。
品格は人間というものを考える際に僕が一番大事にしている概念なんだ。欧米では「日本人は(西欧人と違って)面子を大事にする」なんて言われがちだ。でも僕から見れば欧米でも同じ。ただし「面子をつぶされる」とは言わないで、「品位を失った」と表現するだけ。 (取材・構成/ライター・鈴木あかね
僕の作品では、非常に限られた人生を運命づけられた登場人物が、自分の境遇を受け入れて、できるだけ意味と品位のある人生にしようとする。つきつめれば僕らはみんな、そうやって生きていると思うね。
The tone of the novel is often wistful or nostalgic for the past; as the story goes on, the tone deepens into one of regret as Stevens reevaluates his past actions and decisions, and finds them unwise. Miss Kenton also openly says at the end of the novel that she often regrets the choices she has made in her own life. The overwhelming sadness of the ending is only slightly lifted by Stevens's resolve to perfect the art of bantering—it seems a meager consolation considering the irreparable losses he has experienced in life.
静観 「僕はあなたの人生に責任がある」
志乃 「和夫さん(静観の本名)
昔とちっとも変わらしまへんな、その言い方」
静観 「いや、しかし‥僕は後悔してるんだ」
志乃 「じゃあ、仮にですよ、
あなたがもうひとつの生き方をなすっとったら
ちっとも後悔しなかったと言いきれますか?」
Societal memory is manipulated to keep the hatred going
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今朝の朝日新聞に掲載されていた世論調査で注目したところ…。◆今度の衆議院選挙で投票する政党や候補者を決める時、あなたは、学校法人「加計学園」の獣医学部新設や、「森友学園」への国有地売却の問題を重視しますか。重視しませんか。
重視する41%
重視しない49%
当然、朝日はこの部分を見出しにとっていませんでしたが、半年以上、紙面全体を使って大キャンペーンをやっていた問題が、自社の調査で「重視しない」のほうが多いなんて、さぞかしショックだったでしょうね。
また、内閣支持率が低下する傾向がある選挙の最中であるにもかかわらず、支持率は40%と4割を超えました。これも朝日は当然、見出しにしていませんでしたが、きっとがっかりしたことでしょう。社運をかけた倒閣運動の結果報告でした。
衆院選で投票先を決めるとき、加計学園や森友学園の問題を重視するかを聞くと、「重視する」41%、「重視しない」49%だった。自民支持層は「重視する」19%、「重視しない」が73%だったが、無党派層では「重視する」48%が「重視しない」40%を上回った。
まあ、でも、日本語が話せようが話せまいが、カズオ・イシグロは自分で英国国籍を選んだイギリス人ですから。過剰に日本と関係づけようとする報道は下品だからやめたほうがいいですよね。
4:41 - 2017年10月5日
“I’ve always said throughout my career that although I’ve grown up in this country (Britain) ... that a large part of my way of looking at the world, my artistic approach, is Japanese, because I was brought up by Japanese parents, speaking in Japanese,” Ishiguro said on Thursday.
イギリスで育ったけれど、私の世界観や芸術的手法のなかには、日本人的なものが大きな部分を占めている、と、作家をはじめてから、ずっと言ってきた。で、その後以下の発言が続くんだね。
I was brought up by my Japanese parents speaking Japanese inside Japnanese home, and so I've always looked at the world partly through my parents' eyes:That's what we all do and so I always had a part of me that was Japanese,That was quite good for me as a writer at the time when I was writing, because literature started to become very international.
日本風の家庭で、日本語を話している日本人の両親に育てられました。部分的には、両親の視点を通じて、常に世界を見てきたわけです。みんなそうしているわけです。その意味で、自分の一部は常に日本人なんです。それは、ものを書く時の作家としてすごくいいことで、だからこそ、文学が国際的に通用しはじめたんだと思います。
どうしてそのように物事を距離を置いて見ることができるのだと思いますか。
イシグロ:それは、私が日本人だということが関係していると思います。
When discussing his Japanese heritage and its influence on his upbringing, the author has stated, "I'm not entirely like English people because I've been brought up by Japanese parents in a Japanese-speaking home. My parents didn't realize that we were going to stay in this country for so long, they felt responsible for keeping me in touch with Japanese values. I do have a distinct background. I think differently, my perspectives are slightly different." When asked to what extent he identifies as either Japanese or English the author insists, "People are not two-thirds one thing and the remainder something else. Temperament, personality, or outlook don't divide quite like that. The bits don't separate clearly. You end up a funny homogeneous mixture.This is something that will become more common in the latter part of the century—people with mixed cultural backgrounds, and mixed racial backgrounds. That's the way the world is going."
“In Japan – and I’m very distant from Japan, so I’m looking at this from a great distance – but there has always been this conflict with China and Southeast Asia about the history of the second world war,” he said.
“The Japanese have decided to forget that they were aggressors and all the things that the Japanese imperial army did in China and south Asia in those years.”
日本はどうか。これは日本にいない私のような外にいる人から見た場合の見解ですが、戦後、日本は恐らく、「(第2次大戦については)忘れることをエンカレッジ(encourage) された」のだと思います。米国が日本を占領しはじめた頃には、第2次大戦はもう「過去」で、既に冷戦という差し迫った問題が浮上していたからです。
日本は「過去を忘れた」から復活したのでしょう
対共産主義との戦いが始まっていた…
イシグロ:そう。中国は共産国になっていたし、ソ連も大きな脅威となっていた。朝鮮戦争も始まらんとしていた。最優先すべきは日本に自信を取り戻させて、日本を民主主義と西欧の資本主義の重要な同盟国とすることだった。この戦略はうまく機能したわけです。
私は、日本がもし戦争責任や戦争犯罪について、裁判などで誰が悪かったのかということを追及し続けていたら、国としてはバラバラになっていたと思います。少なくとも奇跡的とも言える経済的復活を遂げることはできなかったでしょう。
ドイツも日本も、第2次大戦中に独裁政権やファシズムを経験したことを考えれば、戦後、成し遂げたことは素晴らしい。日本は80年代に米国経済を凌駕するまでになっただけでなく、言論の自由や民主主義という価値を定着させ、強固な民主主義を築きました。これは、ある程度「過去を忘れる」ということをしなければ恐らく実現できなかったでしょう。
私は戦後、ずっと日本にいたわけではないし、その頃日本にいた多くの人を知らないので、読書からしか理解していませんが、「過去をある程度忘れて民主国家を築く」というのが米国がまさに意図したことだったのだと思います。
日本が「(戦争の)過去を忘れていった」背景には、ほかの要因もあります。中国もその一つです。民主主義国家を敵と見なし、共産国家として外の世界とは長くカーテンで閉ざされていたため、最近になって日本との間に浮上している第2次大戦を巡る問題は、当時は顕在化していなかった。
また、日本が被爆国になったことも一因にあるでしょう。戦後、世界が核戦争の勃発を恐れる中、広島と長崎は「二度と核爆弾が落とされるような事態を招いてはならない」という願いの象徴的存在となりました。このことも、日本人が自分たちのことを第2次大戦の(加害者というより)被害者だと考えるようになった一因になったと思います。
つまり、日本人が第2次大戦に関していろんなことを忘れるに至った背景には様々な要因があるということです。ただ、今日、日本はあまりに多くを忘れすぎており、それは問題ではないかという見方は確かにあると思います。
というのも第2次大戦が始まった時、英国は既に覇権国としての地位を失い始めていた。そして戦争で大英帝国の多くを失い、戦後は大国としての地位をさらに急速に失い、欧州の端っこにある小さな島国になってしまった。そうした中で、第2次大戦で米国が参戦する前、欧州の大部分がヒトラーに占領される中で英国だけがナチスに抵抗した、ということが彼らにとっては大きなプライドとなっていました。自分たちがファシズムを打ち負かし、民主主義を守ったのだという自負が、衰退しつつある英国の人の誇りを支えていたのだと思います。