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いきがい大学自主学習の日
担当班は朝の準備が忙しい
2月1日(火曜日)
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今年も既に、1/12ケ月が過ぎ去った。
もっとも、1月は行く2月は逃げる3月は去ると言って
気がつけば4月花見に浮かれて連休5月蒸し蒸し6月;暑いと言って7・8月
9月少し涼しく休養10月紅葉で11月冬支度12月が師走で大忙しく!そして又1月正月が行く!
心の時間を無視して時間が過ぎる。
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本日は学園生二つの班の企画による自主学習;
3つのテーマが有って幹事班の方はさぞ大変で有っただろう。
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立正大学名誉教授の高村弘毅先生による
”地球温暖化対策のはざまに見る水資源問題”
この講義は2008年直実市民大学で当時先生が学長であった時に
ご教授賜ったが今回はよりより詳しく聞けた!それでも
講義時間が足りないこともあって、もう少し聞ければと感じた。
なお学長時代の厳しいお顔がやや柔和になられた様に感じている。
続いて
”忍城と行田の歴史”
行田市教育委員会 文化財保護課 主幹の中島洋一先生から
最近,忍城から古墳群には何回か散策しており、歴史は調べていたので
説明がより理解が進んだ感じがする。
桜の時期には又歩いてみよう。
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最後に
”薩摩琵琶語り ”耳なし芳一”
能村達也・陽子ご夫妻先生による語り
琵琶の音が意外に強くそして悲しく又バチによる音出しが良かった。
小学校の頃、観劇でこの話を聞いたことがあるが
より心に沁みた時間であった!
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墓前で琵琶を弾く芳一
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芳一お堂
以下は読んでも読まなくも!
<あらすじ>
阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師が住んでいた。
芳一は平家物語の語り弾きが得意で,特に壇ノ浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われるほどの名手だった。
ある夜,和尚の留守の時,突然一人の武士が現わる。
芳一はその武士に請われて「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きに行く。
盲目の芳一にはよくわからなかったが,そこには多くの貴人が集っているようであった。
壇ノ浦の戦いのくだりをと所望され,芳一が演奏を始めると皆熱心に聴き入り,
芳一の芸の巧みさを誉めそやす。が,語りが佳境になるにしたがって
皆声を上げてすすり泣き,激しく感動している様子で,
芳一は自分の演奏への反響の大きさに内心驚く。
芳一は七日七晩の演奏を頼まれ,夜ごと出かけるようになる。
和尚は目の悪い芳一が夜出かけていく事に気付いて不審に思い,
寺男たちに後を付けさせた。 すると芳一は一人,平家一門の墓地の中におり,
平家が崇拝していた安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて
琵琶を弾き語っていた。寺の者たちは慌てて芳一を連れ帰り,
和尚に問い詰められた芳一はとうとう事情を打ち明けた。
これは危ない,このままでは芳一が平家の怨霊に殺されてしまうと和尚は案じたが,
生憎夜は法事で芳一のそばについていてやることが出来ない。
そこで法事寺の小僧と共に芳一の全身に般若心経を写し,
芳一に今夜は武士が迎えに来ても返事をするな,と堅く言い含めた。
その夜,芳一が一人で座っていると,いつものように武士(平家の怨霊)
が芳一を迎えに来た。しかし経文の書かれた芳一の体は怨霊である武士には見えない。
芳一が呼ばれても返事をしないでいると,「声も聞こえない,姿も見えない。
さて芳一はどこへ行ったのか……」という声が聞こえる。
そして怨霊は,耳だけが闇に浮いているのを見つけ,
「芳一がいないなら仕方がない。証拠に耳だけでも持って帰ろう」と,
芳一の耳をもぎ取って去った。
朝になって帰宅した和尚は芳一の様子に驚き,一部始終を聞いた後に芳一に詫びた。
芳一の身体に般若心経を写経した際,小僧が耳にだけ書き漏らしてしまった事が原因であった。その後怪我は手厚く治療され,この不思議な事件が世間に広まって
彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。
琵琶の腕前も評判になり何不自由なく暮らしたという。
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