男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

地方に多い家紋 高知県(土佐國)

2011年10月21日 | 家紋いろいろ
文明年間に京都から一条氏がやってきて国主になった。

家紋は藤丸。

豪族に安芸、本山、大平、長曽我部、香曽我部氏らがいる。

安芸氏は曽我氏の出で橘紋を用いた。

その後に出た畑山氏や、重臣の有沢氏、黒岩氏、山崎氏なども同じ家紋。

本山氏は檜扇紋。

大平氏は藤原氏の出で巴紋を用いた。

長曽我部氏は秦氏の出で帆掛舟、酢漿草(片喰)を用い、香曽我部氏は武田氏の出で割菱を用いた。

その他、甲斐源氏南部氏の鶴丸、清和源氏佐竹氏の扇に月丸、越智氏一族の折敷に三文字紋などが多く見られる。
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地方に多い家紋 徳島県(阿波國)

2011年10月21日 | 家紋いろいろ
戦国時代に三好氏(清和源氏小笠原一族)が領するところであったため、三好氏一門の大代、馬詰、坂東、寺沢、高輪、高志、野中、重清、麻植、一宮、高畠、北原などの各氏の家紋、三階菱、松皮菱、釘抜紋が多い。

また、同族の大西氏の鳳凰の丸、清和源氏細川氏の二引両、諏訪神家の流れの大塩氏の庵に柏、河野水軍一門飯尾氏の具に違雁金、栗飯原氏の月星紋などが多い。
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千葉一族

2011年10月20日 | この名字のルーツは?
千葉一族といえば桓武平氏だが、全国に広まっており、一番多いのが宮城県。

特に仙台市は一万人と言われている。東北地方に多い。(そうそう、千葉県に千葉さんは少ないといつかお伝えしました。)

千葉さんといえば、俳優であり空手家の千葉真一さんは?

福岡出身だけど、違うんです。千葉真一さんは芸名で、本名は前田さんでした。(笑)

この千葉一族、様々な苗字に変えている。

石躍、相馬、武石、須賀、国分、東、小高、君島、千田、有原、栗飯原、金原、武射、椎名、匝瑳、飯高、臼井、海上、堺、埴生、鏑木、白井などの苗字は千葉一族からの流れが多い。(全てとは言いませんが)

これらの家系の家紋は月星紋が多い。

月星紋なら可能性が高い。

月星紋は天体の運行を司る神、妙見さま信仰から来ている。
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日本人は良いとこ取り文化?

2011年10月19日 | 家系鑑定とアドバイスなど
日本人の文化は良いとこ取り文化と言われています。

日本人の信仰観に対してアメリカのドナルド・キーンは、「生まれたときは生まれたことを神道の神々に告げ、結婚式も神道で行い、普段の生活は儒教で、死ぬときは仏式の法事をする」と表現をしている。

日本人は重層信仰です。

多くの外国人から見れば不思議なことらしいです。

世界宗教といわれる大きな宗教はほとんどが一神教で、唯一の神しか信じない。

特にキリスト教などは重層信仰は不信仰として、一部宗派は姦淫の罪に匹敵するとも言われています。

そういう考えの外国人から見れば、信じられないということかもしれない。

しかし、何事も柔軟に受け入れた日本人だからこそ、良いところを吸収し、独特の日本文化を作ってきました。

二宮尊徳の言葉に、「神道は開国の道。儒教は治国の道。仏教は治心の道。」と表現しています。

いろいろな教えが渾然一体となって日本人の心に溶け合っています。

多くの日本人は、自分は仏教徒だと言いますが、日本人の仏教は純粋なお釈迦様の教えとは違うと指摘する人もいます。

お釈迦様の教えには先祖供養の概念は無いとか、霊界の存在は語っていないとか・・・。

長い時間の中で、神道や儒教の教えと混ざり合い、新たな情報も取り入れてきました。

日本人は、いろいろな情報の中から、良きものを構築してきたのではないでしょうか。

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お通夜は本来・・・

2011年10月18日 | 家系鑑定とアドバイスなど
通夜は本来、死者のそばで近親者が夜通し付き添う。

線香やロウソクは一晩中絶やしてはいけない。

死者の添い寝する行為は夜伽(よとぎ)といわれている。

死者との添い寝をした人は、七日間の忌みがかかるとされ、通夜の後は喪屋(本葬まで死体を安置するところ)で起居し、外歩きを避ける。

これは死は汚れととらえていた古来からの風習でしょう。

今はそこまでしません。家族ですらやらないところが多くなりました。

また、通夜に参加するくらいなら、よほど親しい関係であり、葬儀、告別式に参加するのは当然だが、最近では、葬儀に参加できないから通夜にのみ顔を出す人や、通夜に参加したから葬儀は出なくてもよいと考える人は多くなりました。

告別式も変貌している。宗教色を避けたい人が増えたのでしょうか。

納骨も散骨葬、樹木葬、とうとう宇宙葬まで出てきた。

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供養するこころ

2011年10月17日 | 家系鑑定とアドバイスなど
日本人は先祖供養が好きだが、その供養が人間にとどまらず、様々なものに及んでいる。

その代表例が針供養だ。

針供養は2月8日に行う。

折れた針や使わなくなった針を集め供養する。

そのほか、包丁、はさみ、めがね、時計、箸、扇子、人形など。

ポイッと捨ててしまわずに、「長い間ありがとうございます。」と言って感謝を込めて手を合わせる心はなんとなくわかる。

愛着を持っていた物なら、なお更でしょう。

他に鯨、フグ、ウナギ、鮭など食べるものにも及んでいる。

魚類が多いのは、昔の日本人は四足をあまり食べなかったからだろう。

生きるため、食べるために殺生をせざるを得なかったから供養をしたのでしょう。

果たして供養する必要があるのかどうかは、意見の分かれるところでしょうが、物や生き物に対する感謝の心の表れでしょう。
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先祖崇拝と先祖祭祀

2011年10月16日 | 家系鑑定とアドバイスなど
先祖という言葉は、昔から使われていました。

先祖に対して祖先という言葉があります。

祖先のほうが新しく、明治以降から一般的には使われてきました。

祖先という言葉は、英語ではANCESTOR(ANTE先に CESTOR行く人)の訳語です。

明治以降、外国語が入ってきてそれに対応して作られた言葉でしょう。

先祖崇拝とは、「先祖が子孫の生活に超自然的な影響をもたらす・・・という信仰に基づく儀式と宗教的行動。東アジアでは、こうした儀礼や宗教的行動を、一般的に先祖崇拝という。」(広辞苑)

先祖祭祀という言葉を最近よく耳にしますが、この意味は、「家族や親族などの血縁的集団において、子孫たちがその家や一族の先祖とみなされる先行世代の死者達の霊魂を祭ること。」(民族小事典)

祭祀という漢語は「まつる」という和語にあたります。

先祖の御霊を供養するという表現のほうが、ピッタリきます。

供養という言葉は古い時代から使われてきました。

日本人にはなじみの深い言葉です。
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家系は駅伝のようなもの

2011年10月15日 | 家系鑑定とアドバイスなど
私達は誰も父母から生れ、その父母もまたその上の父母から生まれました。

有史以来、どれほどの代を重ねてきたのでしょうか?

また、子供、孫、ひ孫と続く未来への広がりを想像してみて下さい。

自分は孤立無縁の存在ではなく繋がっているのです。

それはちょうど駅伝ランナーのようなものです。

上り坂もあれば下り坂もある、晴れの日もあれば風雨に耐えなければならない日もあります。

苦しくて倒れそうな時もありますが、走るのを止めるわけにはいきません。

棄権したら家系が絶えてしまいます。

止めずに自分の役割をしっかり果たして、駅伝のタスキを渡さなければなりません。

家系という長いフィールドを見つめながら人生を考えると、何をなすべきかが見えてきます。



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船渡川さん

2011年10月15日 | この名字のルーツは?
船渡川さんは関東で見かける名前だ。

全国約640人で少ない苗字だ。

下野発祥か、出自不詳。現在、栃木県に多く特に佐野市並木町に集住。
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私達は「仮の客」

2011年10月14日 | 家系鑑定とアドバイスなど
「たらちねに よばれて仮の客に来て 心残さず 帰るふるさと」

これは沢庵和尚の和歌です。沢庵和尚は戦国時代から江戸時代にかけて活躍されたお坊さんです。

歌の意味は・・・

たらちね:乳を垂らす女性。満ち足りた女性などの意味。母親や父親を意味しています。

「父母に呼ばれて、私はこの世に仮の客として生まれてきましたが、(一生を終え)心残さず古里である、あの世に帰ります。」という意味になります。

この世の一生は仮の客なら、私達の肉体も仮の姿。

私達は縁(えにし)により、今の父母から生まれました。

そして間違いなく、遅かれ早かれ生きているものは死んでいきます。

肉体は滅んでも、魂は永存する。そして神仏の元に帰る。

短い人の一生は、いろいろなことにとらわれて忙しく過ぎ去っていきます。

「もっと生きたかった。」「これもあれも、しておきたかった。」「ああっ、悔いが残る。」・・・などなど。

「これで充分です」と言ってあの世に行く人はいません。

般若心経は、「色即是空」形あるものはいっさいは空であると言っています。

地位、名誉や財産。美食、美貌、愛・・・。こんなものを追い求め生きていますが、どれを持って行けるでしょうか?すべて持って行けますか?

帰るところはどこですか?

人の一生はなんのためにあるのでしょうか?

それを考えると供養の本質が見えてきます。(つづく)
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