カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

フランス・コンク

2013-07-24 | フランス(オーヴェルニュ)
ラングドック=ルシヨン地域圏のナスビナル(Nasbinals)にやってきた。人口500人ほどの小さな街で、オーベルニュ地域圏のソーグからは60キロメートルほど南西に位置している。最寄りの県道(987号線)は、街の手前から大きく右に曲がり街の中心にある「サント・マリー教会堂」(ナスビナルの教会)を東側から包み込む様に蛇行し南西方面に延びていく。こちらは、県道沿いの北側歩道から眺めた様子で、後陣、北袖廊、礼拝堂、八角形の鐘楼などが一望できる。


ナスビナルの教会は、11世紀から12世紀にロマネスク様式で建てられた(14世紀に改築)が、もともとは、9世紀頃、聖ヤコブのものとされる墓がサンティアゴ・デ・コンポステーラにおいて発見され、巡礼路が整備されたことによる。現在は「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(世界遺産)の一つ「ル ピュイの道」の(ラングドック=ルシヨン地域圏のナスビナルからミディ=ピレネー地域圏のサン シェリ ドブラック間の巡礼路)として登録されており、教会堂の南側の階段左側の壁面に世界遺産を示す証明書が掲げられている。
クリックで別ウインドウ開く

今日は、その「ル ピュイの道」周辺にある教会などを見学しながら、宿泊予定の、ミディ=ピレネー地域圏アヴェロン県のコンク(Conques)へ向かうこととしている(以下、オーベルニュ周辺図を参照)。

入口の二重の半円アーチを支える左右の2本の円柱の柱頭にはロマネスク彫刻が見られる。向って左側の2本と右側の内側にはアカンサスの葉が施され、右側の外側の柱頭には「弓と槍を持つ戦士の戦い」の彫刻が施されている。


教会内に入ると、内陣側の天井はロマネスク建築の樽型ヴォールトで、身廊はゴシック時代の15世紀に作り直されたバレルヴォールトになっている。その身廊には、2階から3階にかけて柱頭や梁に架けられた欄干のある木製の会衆席がある。18世紀に製作されたもので、3階からは天井に手が届き石のぬくもりを感じることができる。


ナスビナルの教会を離れると、徐々に標高が上がり、1300メートル級の標高となる。時々見えるのは牛の姿ぐらいである。


県道(987号線)を更に進むと8キロメートルほどで、ミディ=ピレネー地域圏となり、オーブラック(Aubrac)に到着した。街は、南方向に延びる県道533号線との丁字路周囲に、数件の石造りの古びた建物が立ち並ぶだけの寒村である。その丁字路に建つレストランの裏側が広場で「ノートルダム・デ・ポーヴル教会」(Eglise Notre Dame des Pauvres)に向かう砂利道が続いている。教会の向こう側(北側)には建物はなく高原が広がっている。
クリックで別ウインドウ開く

左側に建つ直方体の方形屋根は、14世紀、教会の付属施設として建てられた「イギリス人の塔」で、古くから巡礼宿として使われ、今も引き継がれている。ちなみに左隣が県道987号線になる。

教会は、長さ24メートル、幅12メートルの四辺形の単身廊で、南身廊の左端に教会内への扉口がある。12世紀から13世紀にかけて建てられたが、東側に建つ鐘楼は1468年頃完成している。フランス革命時には、教会の建物は放棄され、その後急速に劣化し廃墟となるが、1840年に修復作業が行われ、スレートの屋根もこの時期に施された。最新の改修工事は1970年代に行われた。


教会内には、控えめな小さな窓が数えるほどしか設置されておらず、北壁には北側からの風雪の影響を受けるため窓がない。壁には色合いの異なる石材が美しく配置されている。天井は尖塔アーチ型のヴォールト天井で、アーチベイがかけられている。祭壇に向かって右側には、キリスト磔刑像が、左側には、聖母子像と左右に燭台を持った天使像が銅柱の上に飾られている。
クリックで別ウインドウ開く

教会近くには、品揃えが豊富な大きな土産ショップがある。容器などデザインも洗練された作りで、まるで高級デパートの売り場を思わせる様な商品が並んでおり驚いた。オーブラックは、標高1320メートルにあり、オーブラックの名を冠した赤身牛や、チーズなどが有名である。
クリックで別ウインドウ開く

時刻は午後5時を過ぎ、急ぎ出発した。コンクまでの途中で、エスパリオン(Espalion)のペルス教会(Eglise de Perse)は是非見学したいので、次のサン・シェリー・ドブラックは通過することにした。。しばらくすると、サン・コーム・ドルト(Saint-Come-d'Olt)の町並みが現れ、ナイフのように鋭い尖塔を持つ教会が見え始めた。


サン・コーム・ドルトは、オーブラックの麓、肥沃なロット渓谷に位置し、ほぼ円形の小さな旧市街が中世の特徴を残している。その旧市街の西側にあるポルト・テロン広場から狭い石畳の路地を入ると「聖コモ教会」の西側ファサード前に到着する。

ルネサンス風のポーチはオークの扉で、中柱(トリュモー)には聖コモの彫像が飾られている。現在の華やかなゴシック様式の教会は、1521年に再建されたもので、高さ45メートルあり、ねじれた鐘楼(炎の鐘楼)が特徴である。ファサードの右側には、小塔が接続されている。
クリックで別ウインドウ開く

急ぎ、教会内に入ってみる。多色のステンドグラスからはやや赤みを帯びた外光が取り入れられている。


南西方向進んでいた県道(987号線)は、サン・コーム・ドルトから西に向かう。ロット川の右岸を西に3キロメートルほど進むと、徐々に交通量が増え、建物が立ち並び始める。交差点から左折しロット川に架かる橋を渡ると、エスパリオンの中心地に到着した。

目的地の「ペルス教会」は、ロット川を渡ったすぐ先の交差点から左折して、南東方面への細い坂道を上っていった先の、広い墓地内の北東端にある。入口は、墓地の外壁に沿って200メートルほど進んだ鉄柵扉からになり、扉からは、身廊にある南正面ポーチへ通じる直線道と、途中から右折して南袖廊にあるポーチに向かう通路が延びている。
クリックで別ウインドウ開く

教会は、やや赤みを帯びた砂岩で建てられており、コンクの付属教会として11世紀から12世紀に造られたロマネスク教会である。交差部から後陣寄りに切妻屋根で覆われた幅の細い4つのアーチ鐘楼がある。

南正面ポーチの扉は鍵がかかり閉じられていた。時刻は午後6時を過ぎていたことから既に見学時間が終了したのかと思ったが、しばらくして、数人の訪問客が、ポーチ脇の箱から鍵を取り出し、扉を開けて笑顔で手招きしてくれた。教会は、見学者が自ら開閉することとなっているらしい。
クリックで別ウインドウ開く

4層に分かれた弧帯(ヴシュール)部分の内、外側アーチには、大天使ガブリエル、ラファエル、及び寄進者とされる王冠の人物が刻まれ、内側のアーチは、11人の天使が、それぞれが書物を開き、天国の法廷を示している。

半円形のタンパン(ティンパヌム)には、メダリオンに刻まれた胸像が太陽(左)と月(右)を表し、下に、10人の使徒に囲まれた聖母マリアが鳩から聖霊を受けている(精霊降臨)。リンテルには、人間の頭が出た石棺の上に魂の重さを量るための秤が設置され、右側に4つの生き物(テトラモルフ)を配置した栄光のキリストが座る楽園を、左側に、男を飲み込もうとするリヴァイアサンの巨大な口と周辺に4人の悪魔が取り囲んでいる(黙示録)。
クリックで別ウインドウ開く

左上部には、東方の三博士と、角に聖母子像の龕がある。少し稚拙な印象もある彫刻群だが、周囲のピンク色と彫像の素朴な造りが非常にマッチしており、ほのぼのとした雰囲気にさせてくれる。


南袖廊の壁の上部にもアーチ型の龕に聖母子像が祀られ、軒下(モディヨン)にも彫刻が施されている。


扉口を入るとすぐに、身廊床まで階段が続いており、大人の身長ほどの高低差がある。天井には、3本のアーチが這わされている。拝廊側に向かって右側(扉口の向かい側)には、二連アーチがあり奥に2つの小さな部屋がある。教会内壁は、外壁と同じくピンク色の材料が使用されている。


扉口の階段横の柱の基壇には、マスクの彫刻が施されている。柱から突出しており、唐突感があるが、愛嬌がある顔立ちをしている。最初から設置されていたのか、後日取り付けたのか分からない。。


内陣は筒型アーチで、多角形のアプスは8つのバットレスで支えられている。中央部には、半円形の連続アーチで飾られ、3箇所に明かり採りの窓が設置されている。
クリックで別ウインドウ開く

内陣アーチを支える柱の柱頭には、向かって左側に「乗馬姿で戦う戦士」が、右側に「マンドルラで囲まれた王座に座るキリストと弟子たち」の彫刻が施されている。


内陣アーチ手前の左右には、袖廊との境になる二連アーチがあり、南袖廊側の内陣側の柱頭には「中央の水場に集う二羽の鳩」が、北袖廊側の内陣側の柱頭には「剣と盾を持ち戦う戦士」の彫刻が施されている。そして、それぞれ袖廊の天井には、幾何学文様の縁取りがなされた円状の文様が、赤青黄色で鮮やかに彩られ、十字架を連想するような交差アーチが這わされている。
クリックで別ウインドウ開く

30分ほど見学して「ポン・ヴュー橋」にやってきた。こちらは、エスパリオンの中心側から対岸(北東側)を眺めた様子。左側(下流側)50メートルほどに、県道(920号線)が通る橋が架かっている。初代のポン・ヴュー橋は、13世紀に建設され塔や交易所があったが、その後、洪水で流され、赤砂岩で再建されている。川沿いに建つ木造の張り出しバルコニーのある住宅は、革の生産が行われていた工場の名残で、当時は、皮なめしが盛んに行われていた。
クリックで別ウインドウ開く

ポン・ヴュー橋は歩行者専用の橋で世界遺産(フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路、ミディ=ピレネー地域圏の建造物群)に登録されている。この時間は、日の入りが近づき西日が眩しい。尖りアーチが採用され、橋の中央部が高く、坂道歩行となるため滑り止めの小石が敷かれている。


エスパリオンから「セブラザックの教会」を通過し、山道を30キロメートルほど走行すると、コンク(Conques)のコミューンに到着したことを示す標識看板が現れた。更に急勾配の山道を上って行くものの、途中の三叉路から間違って左折したため(コンク周辺地図)、コンクの街並みを見下ろす場所になった。真下の円塔はダドン(Dadon)の住居(12世紀築・旧病院)で、その先隣の尖塔が村の中心に建つ「サント・フォワ修道院付属教会」になる。
クリックで別ウインドウ開く

バイパス道を通っていたことから、途中でUターンし、コンクの西駐車場に到着した。コンクは、ミディ=ピレネー地域圏アヴェロン県のコミューンで、ドゥルドゥ川とウシュ川の合流地点となるウーシュ峡谷にある人口約500の寒村である。緩やかな上り坂を歩いて行くと、街の中心には夕焼けにそまる「サント・フォワ修道院付属教会」(世界資産)が建ち、周囲には密集する様に中世以来の街並みが広がっている。時刻は午後8時過ぎで、日の入り前までに、コンクに到着することができた。
クリックで別ウインドウ開く

サント・フォワ修道院付属教会の北隣にある、ホテル「サント フォア」(ホテル カード)にチェックインした後、食事に向った。今夜は、コンク中心部から山間部を1キロメートルほど下った自然に囲まれた緑豊かな「ドゥルドゥー川」沿いにある4つ星ホテル「ホテル ムーラン ドゥ コンク」(Moulin de Conques)の併設レストラン(ミシュラン一つ星)「ムーラン・ド・カンベロン」(Le Moulin De Cambelong Hervé Busset)を予約している。店内は、エレガントでシンプルモダンなインテリアで表現されており、オーナーでシェフのエルヴェ ブッセ氏(Hervé Busset)による情熱注ぐ革新的な料理を提供することで名高い。
クリックで別ウインドウ開く
画像出典:http://www.moulindecambelong.com/fr

時刻は午後9時を過ぎたところ。料理はコースで注文した。最初のアミューズ(Amuse)はスギやヒノキ製の木板を曲げ縁を作った伝統工芸品「曲げわっぱ」で提供された。和食会席の先付けに似ている。。やや違和感があるが、フランスでは評価が高いのだろう。次に、泡立てられたスープ(Les soupe)で、ハーブの気高い香りが良かった。

飲み物は、フランス南部ミディ・ピレネー地方のガヤック(gaillac)を冠した名前の赤ワインを注文した。ガヤックは、ベネディクト派の修道士たちが、宗教上の儀式に使用するワインを得るため、ブドウ園を経営して発展した街である。

メインのポワソン(Les poisson)は、淡白な淡水魚で、やや甘めの味噌風のソースがかけられており、柔らかい身と、カリッと揚げた皮との対比ある触感が素晴らしい。
クリックで別ウインドウ開く

ヴィヤンド(Les viandes)は旨味のある鴨肉で大変美味しい。ポワソンもそうだが、高級素材と付け合せのハーブ、野菜、果実、花びらなどとの融合が、ブッセ氏の特徴である。
クリックで別ウインドウ開く

デセール(Les dessert)を頂いた後は、テラスに案内される。ドゥルドゥー川のせせらぎだけが聞こえる静寂の中、コーヒー(Cafe ou the)を頂いていると、竹皮に包まれていたプティ・フール(Petit fours)が運ばれてきた。正直、食器や容器に日本風の演出はいらないと思うが、食事は美味しく、静かな雰囲気で、ゆっくり過ごせて良かった。午後11時にレストランを後にした(計166ユーロ)。


サント・フォワ修道院付属教会は、この時間も開いていたが、他に参拝者はいなく静寂に包まれていた。ファサード前の石畳の小さな広場には、カフェ、レストラン、土産店などは既に営業を終え消灯していた。

******************************

翌朝、午前8時、朝食前に散策に出かけた。ホテル サント フォア前から、西方面にゆるやかに蛇行する下り坂を少し歩いた先の三叉路から振り返ると、ホテルと右側の広場先に建つ「サント・フォワ修道院付属教会」が望める(写真は12時撮影)。一番の見所とされる教会ファサードのタンパン(ティンパヌム)を見学するには、人通りの少ない時間を選ぶのがベストである。
クリックで別ウインドウ開く

コンク(ラテン語で貝殻)は、8世紀初頭、最初の修道院が隠者ダドンにより創設され、その後、礼拝堂が建設された。9世紀には、コンク出身の修道士アリニスドゥスが、アジャン修道院(コンクから西に約140キロメートル)から、聖フォア(ラテン語:聖フィデス)(?~303)の聖遺物を持ち帰ったことや、11世紀以降は、サンティアゴ・デ・コンポステーラに至る巡礼路の整備もあり、多くの巡礼者で賑わった。

現在の教会は、11世紀、ベネディクト会修道院として再建されたが、ファサード左右の塔は、1881年に追加されたもの。塔には、それぞれ3層のアーチ窓に加え、上部の二連の開口部と、頂部の屋根のある二連の開口部から形成されている。中央上部にはオクルスと二連アーチ窓があり、周囲に象嵌細工のロゼットが施されている。
クリックで別ウインドウ開く

そしてポーチには、大きなトルモー(柱)で区切られた2つの扉口があり、すぐ上に巨大な半円形のタンパン(ティンパヌム)が、突出したペディメントで保護されている。タンパンの浮き彫りは、1130年頃に制作された「最後の審判」で、復活したキリストを中心に、左右の天国図と地獄図から構成されている。表現される人物像は、背は低く頭部や手は大きい個性的な描写で、背景、持物など細部にわたり丹念に彫り込まれ、ロマネスク彫刻の最高傑作の一つとも評されている。
クリックで別ウインドウ開く

中央のキリストは、一際大きく表現され、右手を選ばれし人に、下げた左手は、断罪された人に向けている。背景のマンドルラ周囲からは、何層にも折り重なる光の襞が放たれ荘厳な雰囲気を醸し出している。上部の十字架を抱える天使は、槍と釘を持ち、キリストの受難を象徴している。
クリックで別ウインドウ開く

キリストの左隣には、聖母マリアが寄り添い、その横に鍵を持った聖ペテロ、隠者ダドン、オルドリック修道院長(コンクの初代院長)か、或いはベゴン3世修道院長と続いている。修道院長により手を引かれるのが、初期のコンクの礼拝堂を再建した初代神聖ローマ皇帝カール大帝(シャルルマーニュ)(在位:800~814)で、王冠を被り手に王笏を持っている。
クリックで別ウインドウ開く
中段の神の手に向かって祈る女性は、聖フォアで、彼女は10歳または12歳で迫害を受け殉教し、アジャン修道院に祀られ、その後様々な奇跡が起きたと伝わる3世紀の聖女である。なお、聖フォアの後方には、ロッジアの梁に足枷が多数吊るされている。そして下段には、聖地エルサレム(天国)が表現され、2人の子供を抱えるアブラハムを中心に預言者や聖人が座っている。

キリストの右隣には、4天使が配され、更にその右隣と下部が地獄図となる。逆さ刷りにされる人、頭をかじられる人、殴られている人など苦悩する人々が折り重なるように細かく表現され、色彩も良く残っている。
クリックで別ウインドウ開く
下段では、大きく見開く堕天使ルシフェルを中心に、左隣に淫欲の罪を現す男女や落馬する放漫な戦士が表され、右隣には財布をぶら下げ首をつられる吝薔家や、釜茹でにされ舌を抜かれる罪人などが表現されている。

タンパンの周りの弧帯には、地獄の悪魔に見つからないように隠れながら覗いている人物(好奇心)の浮彫が見える。手を交互に差し出し帯びを押さえつつ、顔を隠しながら、どうしても覗きたいといった心理が、見事に表現されている。
クリックで別ウインドウ開く

教会内はラテン十字型で建てられ、後陣には、放射状の礼拝堂が3つと、袖廊に配置された4つの礼拝堂がある。バレル・ヴォールトにより支えられる高さ約22メートルの身廊が後陣に向け続いており、身廊の左右にある側廊には、階上廊(トリビューン)が形成されている。この時間後陣のステンドグラスからは、朝日が差し込んでいる。
クリックで別ウインドウ開く

散歩後は、ホテル サント フォアに戻り、朝食を食べた。部屋は中庭側で、テラスのあるバルコニーがあり壁にはツタが這わさり、テラス席がある中庭には、屋根の様にフジの葉が覆い茂っている。周囲は中世時代から続く建物に囲まれ、ダドンの住居の円塔を望むことができる。部屋にはテレビや冷蔵庫はなかったが、お風呂には大きいバスタブがありゆっくり浸かれたのは良かった。


朝食後は、教会南側にある宝物館に向かった。宝物館の入口は、中央に大きな円形噴水(直径3メートル弱)がある中庭の西回廊の突き当り南側にある。もともと、この場所は修道院の敷地だったが、1830年頃に破壊され、現在では西側の6つの二連アーチの回廊のみが再建されている。


そのアーチを支える柱の柱頭には植物、動物、想像上のモチーフなど、11世紀後半から12世紀にかけて、ベゴン3世修道院長の工房で制作された浮き彫り彫刻が残されている。城壁から身を乗り出す躍動感のある「監視する兵士」や、結び紐のある長いローブ(シャウベ)をまとい前方を直視する「槍と盾を持つ兵士」など鮮やかで表現豊かな作品が残されている。
クリックで別ウインドウ開く

宝物館の展示会場(撮影禁止)で最も貴重な作品は聖フォアの頭蓋骨が収められた高さ85センチメートルの黄金の人形型聖遺物容器「栄光像」で、周囲を水晶、瑪瑙、エメラルド、サファイヤ、真珠など眩いばかりの宝玉で飾られている。宝玉は、奇跡をきっかけにして追加で荘厳されたとされる。「※ 宝物館リーフレット(その1その2その3)」。

その後、午前10時半から観光局主催のガイドツアーに参加する。最初に拝廊側から階段を上り、パイプオルガンの横にある小部屋で、説明を受けた後、北側廊の階上廊(トリビューン)から、南側廊の階上廊に向かう周回ルートでツアーは行われる。


こちらが、スタート場所となる拝廊側の北側廊の階上廊で、天井部には連続する4つの横断アーチが続き、左側のベイ間には高窓(クリアストーリー)が配置されている。この時間は、後陣側から、眩い外光が、中央交差部を通して差し込んで来る。現在、この階上廊は観光局主催のガイドツアーでのみ見学が可能だが、もともとは貴族や聖職者、上流階級の人々しか上がれることができなかった。


右側には、横断アーチの間に、二連アーチが配され、それを支える円柱の柱頭彫刻が見学コースの見所となっている。そして、その二連アーチの先が身廊で、更に先が、南側廊の階上廊となる。

最初の横断アーチ手前の二連アーチの左側の柱頭には、細かい葉を下部で縛った様なデザインが、そして中央柱の柱頭には、シンプルで大ぶりな葉と蔓のアカンサスが施されている。更に右側の柱頭には①「アカンサスから顔を出すグリーンマン」と、その右隣には、壁面上にある横断アーチを支える「アトラス像」が配されている以下、階上廊(Tribune)の配置図を参照)。
クリックで別ウインドウ開く

先隣の2番目と3番目の横断アーチ間に這わされた二連アーチの左側の柱頭には、頂部のアバクスに市松模様を備えたアカンサスの葉が、中央円柱(複合柱)には②「噴水の水を飲む二羽の鳩」が、そして右側の柱頭にはアカンサスの葉を中心に、左右に「角笛を吹く二人」が表現されている。修道院回廊にあった柱頭と同じく、ベゴン3世修道院長の工房で制作された作品。
クリックで別ウインドウ開く

3番目と4番目の横断アーチとの間の二連アーチの中央円柱(複合柱)の左側面には③「天使と預言者」が表現されている。踏ん張る様な姿の預言者を中心に左右に天使を配している。対する右側面には、「天使と預言者」(天を支える預言者)が表現されており、デフォルメされた天使は、円輪の上に立ち、落ちないように指先を曲げて縁を掴むなどの巧みな描写も素晴らしく、製作者の技術と秀逸なセンスが感じられる。頂部のアバクスには、神の手、グリーンマン、十字架を持つ羊が施されている。
クリックで別ウインドウ開く

4番目の横断アーチを過ぎると、見学通路は、正面の二連アーチの手前から北袖廊(左側)へ向かっている。この場所からは、中央交差部が一望でき、中央ドームを支える四隅のスクィンチに浮き彫り彫刻が確認できる。南東角は「大天使ミカエル」で、その下の柱頭のアカンサスには色彩が色濃く残っている。ちなみに、北東角には、大天使ガブリエルが、北西角には、聖ペトロの頭部、南西角には聖パウロの頭部の彫刻が施されている。
クリックで別ウインドウ開く

北袖廊の手前の二連アーチ右側の柱頭彫刻には④「吝嗇家を誘惑する二悪魔」が表現されている。そして、こちらは、北袖廊から中央交差部を通して南袖廊側を眺めた様子で、下のアーチ扉のある聖具室の壁面には、聖フォアの殉教を描いた15世紀のフレスコ画(連画)が僅かに残っている。その上には二連のアーチ窓の中央に「磔刑像」が飾られ、その上が階上廊(見学通路)となる。
クリックで別ウインドウ開く

階上廊は北袖廊の東側から中央交差部に向かい、左折して天井廊を半円状に進む。


天井廊を抜けると、中央交差部(ドーム下)の南東側に到着する。正面が南側廊で、右側が身廊で、更に右側が北側廊の階上廊となる。中央交差部(ドーム下)の向かい側の南西角のスクィンチには「聖パウロの頭部」があり、
クリックで別ウインドウ開く

その下のドームを支える南西側の複合柱には⑤「巻物を広げる天使」や、「書物を提示する天使」などが足の指で円輪を掴み前のめりで表現されている。それぞれ天使の上部には華やかな草花の文様の縁取りに加え、色彩も残っている。
クリックで別ウインドウ開く

階上廊沿いの左隣(南袖廊側)の二連アーチの柱頭にもアカンサスの葉が彫刻されており、右端の柱頭には人物が見える。


⑥「蔓の間から顔を出すワイルドマン(グリーンマン)」で、水引のように編まれた蔓が特徴的な作品である。
クリックで別ウインドウ開く

階上廊は南に向かい、南袖廊を回り込むように続いている。南袖廊の階上廊足元の庇飾りには「小さな怪物」が見える。小さい彫刻だが、覗き込むと表情なども確認できる。
クリックで別ウインドウ開く

窓側にある柱の柱頭は、ピンク色の赤石から製作されている。⑦「尾びれを持つメルジーナ(セイレーン)」で、柱頭の角を背に、左右対称に2本の尾びれを持ち上げ柱頭面に押し当てている。頂部のアバクスには厚手の市松模様が施されている。
クリックで別ウインドウ開く

階上廊は、南側廊に向かう。中央交差部側から数えて1番目と2番目の横断アーチの間から身廊側の二連アーチを見上げたところ。中央の複合柱には⑧「受胎告知」(正面が大天使ガブリエルで右側がマリア)で、左側の柱頭には、シュルレアリスムタッチの「幾何学的な体躯の人物」と、上部には2尾を掴む人魚や、魚が表現されている。
クリックで別ウインドウ開く

こちらは、2番目と3番目の横断アーチとの間から、二連アーチを見上げたところ。中央柱には、アカンサスの葉から顔が見えるが、アカンサス柄のマントを羽織っている様に見える。右側には、ベゴン3世修道院長の工房で制作された⑨「剣と盾で戦う戦士」が、左側には「グリフィン」の彫刻が施されている。
クリックで別ウインドウ開く

南側廊 階上廊の突き当りに到着した。正面の二層のアーチ窓がある壁面の先は、ファサード両側に聳える塔の内側となり、塔の正面にある窓からの外光が差し込んでいる。正面の壁は塔の周壁で、側廊の天井部を支える横断アーチとを兼ねている。その横断アーチを支える様に、身廊側に「アトラス像」の浮彫が施されている。


横断アーチを支える「アトラス像」は、北側廊階上廊のアトラス像と対になる。こちらのアトラス像は、アーチベイが重いのか、目を見開き、歯を食いしばった様な豊かな表情をしている。そして、隣の二連アーチの左端の柱頭彫刻には、剣と盾を持った兵士が向かい合う⑩「騎兵の戦い」が施されている。手前の兵士の後隣には、斧を持つ人物と、その腕を掴むもう一人の人物が表現されている。
クリックで別ウインドウ開く

身廊側に視線を移すと、拝廊にあるパイプオルガンが見える。階上廊からの階段は、そのパイプラインの真下に続いており、内陣の方向を一望できる。この場所から見ると身廊の高さを実感できる。
クリックで別ウインドウ開く

拝廊側から数えて1番目と2番目の身廊横断アーチ間の南側廊壁に、印象深い表情の①(Nef)「髭を蓄えたギリシャ人風のマスク」が飾られている(以下、身廊(Nef)、袖廊(Transept)の配置図を参照)。最後に、パイプライン横にある小部屋で展示用の柱頭彫刻の説明を受けた。こちらには、「演奏する音楽家と曲芸師」など数基の柱頭彫刻が展示されている。以上で概ね1時間のツアーは終了した。


次に、身廊から袖廊にかけて柱頭彫刻を見ていく。こちらは、中央交差部の手前となる身廊と側廊の間から拝廊側を振り返り見上げた様子で、左奥の拝廊にはバラ窓や先程までいたパイプオルガンや、ギリシャ人風のマスクなどが望める。
クリックで別ウインドウ開く

そして、すぐ上の北側廊の境い目となる円柱の柱頭には②(Nef)「聖フォアの受難」が表現されている。右端が聖フォアで、左隣の男が、その手を掴み、隣の剣を携える死刑執行人の元に連行している。そして、その向かい側が、裁断すべく椅子に腰掛けるローマ総督である。総督の背後には悪魔が隠れている。裏側(拝廊側)には、③(Nef)「聖杯を掲げるキリスト」がある。
クリックで別ウインドウ開く

こちらは、北袖廊から中央ドームを眺めた様子で南西角のスクィンチに「聖パウロの頭部」が望める。そして左側が礼拝堂の前廊でその左隣が礼拝堂になる。正面の柱頭は④(Transept)「アレクサンドロスの昇天」で、古代ギリシャ(マケドニア王国)のアレクサンドロス大王が、亡くなり左右の鷲に支えられ天に運ばれた伝説を現している。
クリックで別ウインドウ開く

振り返った北袖廊の壁面には、南袖廊の磔刑像の場所と対になる位置に、照明に照らされた⑤(Transept)「受胎告知」の彫像が飾られている。表情や衣の表現など、タンパンの浮き彫り彫刻のタッチと似ている。向って右側のマリアの傍ら(柱の背後)には、衣の裾をたくし上げる侍従がいる。
クリックで別ウインドウ開く

周歩廊の南隣にある「南袖廊の礼拝堂」手前の前廊を支える横断アーチの柱頭には「聖ペテロの生涯」を刻んだ浮き彫り彫刻が残されている。礼拝堂の手前右側には、損傷が激しいが、最も古い時代に制作された⑥(Transept)「聖ペテロの逆さ磔」で、キリスト教徒迫害が激化したローマ帝国第5代ネロ帝治世下において、キリストに再会し(クォ・ヴァディス)、ローマへ戻り、逆さ十字架にかけられて殉教した聖ペテロが表現されている。
クリックで別ウインドウ開く

左側(東側)が南袖廊の礼拝堂となり、前廊の横断アーチの左側の柱頭彫刻が「聖ペテロの逆さ磔」で、右側が⑦(Transept)「聖ペテロの救出」の彫刻である。ペトロは、ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ王(古代ユダヤ統治者ヘロデ・アグリッパ1世)により逮捕されるが、天使に助け出されると言った場面。そして右側奥が南袖廊で磔刑像が飾られているのが確認できる。
クリックで別ウインドウ開く

そして、「聖ペテロの救出」の上の横断アーチの向かい側の柱頭彫刻には⑧(Transept)「聖ペテロの逮捕」がある。左端がヘロデ王だが、右隣りのペトロは、天使を従えたキリスト側を向いているため、ローマへ戻るきっかけとなった2人の再会場面とも言われている。
クリックで別ウインドウ開く

周歩廊側の柱頭には、父アブラハムが刃物を振り上げた瞬間に、上部に神の手が現れ、天使がイサクの腕を掴み生け贄を静止する場面⑨(Transept)「イサクの燔祭」が表現されている。

これでコンクとはお別れになる。ホテルをチェックアウトして、西駐車場に向った。

(2013.7.24~25)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フランス・オーヴェルニュ(... | トップ | フランス・オーヴェルニュ(... »

コメントを投稿