西三河、知多城巡りの2番目は、大野城。吉良から西尾、碧南を通って衣浦トンネルを抜け半田市へ。昼食でコメダ珈琲に寄り、常滑市へ向かいました。少し道に迷いましたが常滑市街方面から何とか城址付近へ到着。信号を右折して急坂の住宅地の中を上がって行くと城址指示の看板の先に大野城跡はありました。
大野城(別名宮山城)は、戦国時代に佐治氏四代が城主で、三代城主は信長の妹を妻とし、四代城主はお市の方の娘小督(後に徳川秀忠の正室)を妻にしています(後に離婚)。
この大野城からは、北にある大草城(次の目的地)が見えます。写真を撮り、城山を下りて向かいました。
大野城(別名宮山城)は、戦国時代に佐治氏四代が城主で、三代城主は信長の妹を妻とし、四代城主はお市の方の娘小督(後に徳川秀忠の正室)を妻にしています(後に離婚)。
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この大野城からは、北にある大草城(次の目的地)が見えます。写真を撮り、城山を下りて向かいました。
3月22日に西三河から知多方面の城址巡りをしてきました。
最初に訪れたのが吉良町にある東條城です。ネットで調べて場所は確認しましたがいつも通る道から外れていたので見つけられるか心配でしたが、無事城址のある小山に到着出来ました。周りはあまり民家の無い静かな所でした。
駐車場で数人の女性と遭遇しましたが、女性達は先に駐車場を後にしたのでこの辺りのお宅に行く人達かと思っていましたが、私達が東條城址の小山に登ると女性達が城址にいました。白壁のお城があるわけでもないこんな城址にも訪れる人がいることを知ると仲間のような気がしました。帰りがけにも夫婦らしき中年カップルと遭遇しました。
東條城は、歴史が古いようで鎌倉時代の吉良氏から始まり、戦国時代には、徳川家康が松平元康の頃にここを攻め三河の平定を行なったようです。
東條城を後にすると次の目的地へ行くため、何十年振りかに知多へ入りました。
最初に訪れたのが吉良町にある東條城です。ネットで調べて場所は確認しましたがいつも通る道から外れていたので見つけられるか心配でしたが、無事城址のある小山に到着出来ました。周りはあまり民家の無い静かな所でした。
駐車場で数人の女性と遭遇しましたが、女性達は先に駐車場を後にしたのでこの辺りのお宅に行く人達かと思っていましたが、私達が東條城址の小山に登ると女性達が城址にいました。白壁のお城があるわけでもないこんな城址にも訪れる人がいることを知ると仲間のような気がしました。帰りがけにも夫婦らしき中年カップルと遭遇しました。
東條城は、歴史が古いようで鎌倉時代の吉良氏から始まり、戦国時代には、徳川家康が松平元康の頃にここを攻め三河の平定を行なったようです。
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東條城を後にすると次の目的地へ行くため、何十年振りかに知多へ入りました。
関西、三重城巡りの番外編、「伊賀上野城」です。
朝一で奈良から伊賀市へ行き、お城は1月3日でも開いていましたので写真を沢山撮りました。今日はその一部です。
朝一で奈良から伊賀市へ行き、お城は1月3日でも開いていましたので写真を沢山撮りました。今日はその一部です。
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今日は特別編です。
春と言えば、・・・桜です。日本の各地で桜の花が満開だと言う話題が新聞やテレビで報道されていますね。
それに乗っかって私達も桜とシデコブシ(奥方様が新聞で見つけた記事で見たがっていたので)の花を見に行きました。もちろんお城も関わるような投稿になるように写真を撮って来ました。・・・またまた田原城ですが・・・。
来週の後半城巡りの旅行に行ってきます。長野~山梨~静岡のお城や城跡、自然の風景などを見て、撮影して、リフレッシュして来たいと思います。
また、皆さんにも見て頂けるように画像の編集に取り組んでまいりますので、これからもぜひ訪問して下さい。
春と言えば、・・・桜です。日本の各地で桜の花が満開だと言う話題が新聞やテレビで報道されていますね。
それに乗っかって私達も桜とシデコブシ(奥方様が新聞で見つけた記事で見たがっていたので)の花を見に行きました。もちろんお城も関わるような投稿になるように写真を撮って来ました。・・・またまた田原城ですが・・・。
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来週の後半城巡りの旅行に行ってきます。長野~山梨~静岡のお城や城跡、自然の風景などを見て、撮影して、リフレッシュして来たいと思います。
また、皆さんにも見て頂けるように画像の編集に取り組んでまいりますので、これからもぜひ訪問して下さい。
関西城巡りの番外編です。
奈良県は、どこも歴史を感じる所ですね。大和郡山城の周辺も大きなビルが建ち並ぶことがなく、城下町の雰囲気が感じられました。・・・ただ城の前は電車が走っていますが・・・。
奈良県は、どこも歴史を感じる所ですね。大和郡山城の周辺も大きなビルが建ち並ぶことがなく、城下町の雰囲気が感じられました。・・・ただ城の前は電車が走っていますが・・・。
大和郡山城 | ||||
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今日は「奥方様と城址」の特別編、2001年の秋に名古屋を訪れた時の画像をご覧下さい。七年前の奥方様です。
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掛川城巡りの最後は、横須賀城です。高天神城からさらに南へ進み、途中で浜松方面へ向かうと右手に城跡はありました。
ここの石垣は、珍しく丸い河原石を使っています。北側に梅園らしきものがあり、城跡も説明石碑などがあり整備されていました。
横須賀城は、勝頼に落とされた高天神城を奪還するため、徳川家康が前線基地として大須賀康高が築城し、その後高天神城は奪還され、武田氏は滅亡へと向かうのでした。
この日の城巡りは終わり、帰路につきました。
ここの石垣は、珍しく丸い河原石を使っています。北側に梅園らしきものがあり、城跡も説明石碑などがあり整備されていました。
横須賀城は、勝頼に落とされた高天神城を奪還するため、徳川家康が前線基地として大須賀康高が築城し、その後高天神城は奪還され、武田氏は滅亡へと向かうのでした。
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この日の城巡りは終わり、帰路につきました。