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コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

秋葉山から火事(その7)下社

2014年09月15日 | 歴史ネタ
続きまして、次の一文です。

「時(とき)あたかも大東和戦争の戦中戦後にして、人員物資共に窮乏甚だしく、直ちに復旧する能はず
止む無く山麓坂下に奉還す」


類焼により社殿(上社)が消失してしまったが、ときはまさに太平洋戦争真っ只中、そして終戦となった。必然的に人員や物資の窮乏著しく、直ぐには元の位置に復興させることは叶わなかった。したがってやむなく、山麓の坂下に奉還させたのである。

下社参拝口の現在の様子です。(奉還当時に下社という概念があったかまではわかりません)

煙突のような常夜灯モニュメントが綺麗に塗り替えられたことが、一年半前との相違点ですね。

参道階段を登ります。社殿までの高低差は、30mあるかないかです。

初めて訪れたときから気づいていました。参道階段がずいぶんと雑な造りであると。
これってどうみても河原の石を積んだだけですよね。
戦時中の急造ですから、それも致し方なかったことを納得できます。

社殿正面です。

拝殿、本殿一体式ですね。屋根は質素な切り妻。拝殿は、土間を採用しています。間口は6間社殿ですが、中央の柱を抜いた変則5間となっています。

で、下社にはわからないことがやまほどあります。
①昭和18年3月の類焼から、どのくらい経過して社殿竣工へこぎつけたのしょう?
②そして遷座式の正確な年月日はいつだったのか?
③さらに、燃えてしまった御神体を、どのようにして新たに調達したのか?(それとも、火事場より持ち出せたのか?)
④建設費用はどうしたのか?
⑤なぜこの地を選んだのか?
等々です。

①についてを、航空写真で確認してみましょう。昭和23年と現在の比較です。

下社のすぐ右隣にある六所神社の参道は、くっきりと写っています。
下社本殿屋根もうっすら写っている様にみえませんか。

このあたりについては、秋葉神社へ直接尋ねれば教示してもらえるかもしれませんね。

さて、隣の六社神社にも触れておきましょうか。


そもそもこの六社神社も、大正年間にこの地に遷座されてきたもののようです。
山の人生・川の人生「木下恒雄書」P.274~275
古老からの聞き取りによれば「もともとは、犬居のはずれ後藤モータースのあたりにあった」
記述だけでは、大正年間初期に遷座されたことはわかりますが、六宇が一緒に合祀されたかまでは不明です。

明治の終わりから大正の初期にかけて、国の政策により神社整理がすすめられました。
六社神社の境内には、大正4年建立とかかれた灯篭が建っています。

時期としては、ちょうど符合するのですが・・・

その8へ続く



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