山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

八十八ヶ所のうち第三十一番

2013年12月18日 | Weblog
気づいたのが遅過ぎました!

もっと早く探索しておくべきでした。


修善寺夜泣き松

下田街道ファンの彼も探索を試みたものの、敢え無く敗退しています。

GOOGLEMAPで探すと、ポイントはここですね。


拡大すると写っています。

「横瀬なる 夜泣きの松も 音たえぬ 三世の仏の 母のいなせば」
これより続く古道があったと睨んでいます。(現存しているかも)

参考1 参考2

それがですね、つい先だって移設されてしまいました。

今となっては、後の祭りというわけです。
ところで、3日間かけて巡拝する桂谷八十八カ所ルートが公開されていないのはなぜなんでしょう?





点と線をつなぐ(その2)

2013年12月11日 | 歴史ネタ
とんでもない誤りに気づきました!

水宝ダム社長で氏の別荘だった建物、すなわち旅館「水寶閣」は、この方の持ち物だったが正解です。
その臨終模様は、壮絶そのものです。

では、なぜ勘違いしたのか?

たまたまA氏とB氏が同姓同名で、目と鼻の先(放水路と水寶閣跡地)にある場所に係わる、しかもどちらも治水に関連する御仁だったためです。その年の差15歳にすぎませんし。

絡んだ線を整理しましょう。
A氏は、水宝ダム社長とダム建設での同士だった。

B氏は、根っからの地元名士で尽力された方。


点と線をつないではみたものの、結果的に絡めてしまいました。
人様に指摘される前に気づいたのが不幸中の幸い。

これもひとつのネタと捕らえていただきたく、
お詫びして訂正申し上げます。



点と線をつなぐ(その1)

2013年12月11日 | 歴史ネタ
いまいちどあの記事を読んでいただきたい。

水寶閣

読み直してみると、貴重な情報を4年近くも前に教示いただけていたのでした。
謎の古老から!

いまさらながら、感謝申し上げます。

水寶閣

これですね。

水宝ダム社長とは、この方のことですね。

胸像になっていました。


そして1958年に、静岡県の死者行方不明者1000人以上の狩野川台風が起こります。

国会で尽力された議事録が残っています。



ところで、狩野川放水路は狩野川台風の教訓で建設されたんじゃないことをご存知ですか?
伊豆地域にお住まいの大部分の方が勘違いされていますが、実はその7年前から建設着手していたんですよ。

真相は、完成前に狩野川台風に見舞われ、当初計画の2本トンネルから3本トンネルするなどの設計変更がされたということです。

話が脱線しましたが、水宝ダム社長に話を戻しましょう!

とどめがこれです1954
ここにも関わっていたいたとは、存知あげませんでした!

※ 2013/12/7にアップした時点では、大きな間違いに気づいていませんでした。したがいまして、(その2)として訂正版をアップすることにいたします。

菖蒲前宅趾

2013年12月08日 | 歴史ネタ
この画像をご覧ください。


「(伊豆) 古奈温泉名所 菖蒲前の宅趾と菖蒲の瀧」

もはや存在しないものだと、ずっと思っていました。

ネットで検索しても、ヒットしませんでしたから。

がしかし、現存していたことを突き止めました!


とくとご覧あれ!





たぶん、
観光ツールとして利用してはいけない、大人の事情ってのがあるのでしょうね。



夢 それとも幻

2013年12月03日 | 訓練、探索
JPG画像に刻まれたExif情報によりますと、撮影日は2005/12/14で、時刻は14:06となっています。
今から9年前のことですね。
其の日、確かにこのわたくしめが撮影したことは間違いありません。
当時の撮影機材はこちらです。

で、この再調査も兼ねてのアナキン活動でしたが・・・

扇型をした石は、幅1mほどあったと記憶しています。

でも、5年前には忽然と消えうせていたんです???

痕跡探しのため、日曜日もう一度チャレンジしてみます。

アナキン活動

2013年12月02日 | 訓練、探索
地域防災訓練前の時間帯を狙って、前々から気になっていた近場の探索活動を敢行です。

ここへ訪れたのは5年振りくらいでしょうか?

地球の割れ目の再確認です。


最初に目撃したときは、落ちたら這い上がれないなと思うほどの衝撃を受けたのですが、よくよく観察するとなんなく脱出可能ですね。


尾根上の鞍部に裂け目がなぜできたのか? 予想はしてましたけど、その確認作業です。


ありましたね~ 尾根までわずかに5m下の坑口掘削じゃ、おのずと陥没するわけだ!


反対側にも回ってみましたが、ウラジロが繁茂する斜面なので、危なくて深入りはできません。


鞍部を挟んで、しっかりと東西への道筋がついています。


当該場所は、この石柱から北へ200m地点です。