山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

When You Wish upon a Star

2011年03月30日 | 実験
日本語に訳しますと、「星に願いを」。

XZ-1で星空を撮影してみましたが、所詮コンデジすぎません。
ピントの山を掴むのは難しいです。

これは、まさしく「ヤマカン」による撮影です。


幾度となくチャレンジしましたけど、満足いく撮影が果たせません。


お山にもって行って撮影する前に、設定ルーティンを確立しておかなくてはなりません。

① マニュアルフォーカスによるピント合わせ
② ISO、バルブ時間、F値

以上二点の参考になるサイトをご存知ありませんか?



MADE IN GERMANY 交換完了編

2011年03月29日 | CAR(リペア)
代引き注文で、送料込みの部品代総額は2.25諭吉。
申し訳なく思うほどの廉価で購入できました。
先ずは、コンピュータメモリをクリアするために、バッテリー端子のマイナス側を外します。


センサーはアッセンブリー交換ですから、マイナスドライバー1本だけで時間は10分もかかりません。
バッテリー端子をセットすれば、交換作業は終わりです。


近場で走行テストをしてみます。
エンジンは一発始動してくれました。
アイドリング時の振動もなくなりました。
それよりも嬉しいのがアクセルレスポンスが倍増したことです。

バッテリー端子を外した後で、忘れてはならない作業がこれですね。


最後に時計を合わせれば、全ての作業が完了です。

これでまた、5年はもたせたくなりました。

津波がきたら

2011年03月27日 | Weblog
命てんでんこ

元記事
そうです!これです。
11年前に三陸で学んだのは、この教訓です。
生き証人そのものが語る悲しい伝承です。

ユーチューブを無断借用します。



想定を遥かに超えた東北関東大震災による津波被害。

この津波で教訓は活かされたか?

語りべの住む集落は、人口300人。
内死亡者5名。不明者4名。
想定を遥かにこえたにもかかわらず、この驚異的な生存率は、
平常時に叩き込まれた防災意識の高さに違いありません。

MADE IN GERMANY

2011年03月27日 | CAR(リペア)
デスクワークをする上で、ずっとほしいな~
と思っていたものが、最近ようやく手に入りました。

これです。

些細な道具ですけど、手元にあるとても便利なものでございます。

こんなものですからどこの文房具店でも手に入ると安易に考えていましたら、実はドイツ製だったんですね。
これからは、対面に座るJ子さん使用のものを借用しなくて済むようになりました。(こちらは値段が二倍以上もするUSA製です)


ところで、、、、、

またしても不調を来たした 我が愛車。

一月ほど前から、エンジンが一発始動しなくなったり、
アイドリングが不安定になったりと、
不調症状が現れていたのです。


走行中は、不調感はないのですが、恐らく原因は故障箇所で悪名高きアレだろうとは薄々感じてはいました。

で、ネット検索してみますと、確かにこの方と同じ症状です。

やはり思ったとおりです。

エアマスセンサーが原因となりますと純正部品の交換作業を業者に任せれば、10諭吉以上かかる見積もりになるでしょう。
しからば、当然DIYしかありません。


品番は、参考させていただいたブログのものと同一でした。


もしかして、エアーダスターブローだけで回復するかもとチャレンジを試みましたが、症状は改善されません。
センサーリセット(バッテリー端子外し)でも、やはりダメでした。


シロウトが試せることは以上のみです。

こうなると、ドイツ製OEM交換部品をポチるしか手はありません。

交換しても万が一症状が改善されなかったら、
それこそ泣いちゃうぞ


交換完了編へつづく





危機回避

2011年03月22日 | 日常生活
こんなときに誠に恐縮ですが、サクラサク気分です。


気分に免じ、ノー天気な連中どもも今回だけは恩赦としてあげましょう。
そうです。まことしやかにささやかれていた危機を、本日回避できたのです。

それもこれも、行者さまの法力におすがりした賜物だと存じます。


行者さま。
ずっと一人岩屋にこもったまま、東の方角を見つめています。


すると、後頭部が破損していることに気づきました。


早いうちに、ホワイトモルタルで補修してあげなくっちゃね。

いまできること

2011年03月20日 | 日常生活
震災救援に出かけたいと思うところですが、素人が出向くにはまだ時期尚早とのこと。

家にいればいたで、PC他のスイッチをいれてしまうため、どうしても無駄な電力消費を助長するだけとなってしまいます。

となりますと方法は一つ、ガゾリン他の無駄な資源消費を抑止する意味でも、近場でお散歩するしか手立てはありません。
(左足首の回復率95%で)

明日は雨模様とのこと。
思い切って、林道開削工事の進捗状況調査を兼ねて出かけてみました。
仮設鉄パイプで組まれたアーチから吊るされたチェーンブロックは、何に使用されるかはわかりません。


元々の林道終点です。


道標を兼ねたお地蔵さまを右にみて、新設林道を進みます。


孟宗竹に侵食された地点も開削されていましたが、もうしばらくすると林道敷きにも、タケノコが顔をだすことでしょう。


そして峠です。
この峠のどこかに、石造物が埋まっていると睨んでいますが・・・


海方向を遠望できる地点を通過します。


ミカン畑を直進し、300m先の高圧鉄塔を目指します。


40年前にテントを担いで来たことがありますが、当時の記憶はまったくありません。


金網で囲われた竪坑脇を通過します。


角度を変えると、斜抗とも思えます。


放置された墓地もありました。


一墓起こしてみますと、文政年間(約190年前)のものです。


子安地蔵さまを通過し、本日のお散歩は終わりです。




ぐるっと一周、ゆっくり歩いて1時間半。
もう少し見晴らしの良い場所さえあれば、ハイキングコースになるのですが。

武峯から○○○は望めるか?

2011年03月19日 | 訓練、探索
生活物資が不足しています。

そう聞いただけで「買いだめに走った愚かな人たち」
第一次オイルショックの頃なら、戦中戦後の物不足を体験した先達の悲しい知恵だったと理解できますが、現代でも同じことが起ころうとは・・・
今は、デフレのまっ最中ですよ。
そう簡単に、物資が不足するはずもありません。
よく考えれば理解できるでしょうに。

それでもそうせざるを得ない行動にででしまうのが、日本人のいやしい民族性なのでしょうか?
それが証拠に、本日のスーパーは乾電池を除いてほぼ元通りの品揃えでしたから。


よだれ岩ネタアップで思い出したことがございます。
確認しなくてはならないあることをです。

山の中腹斜面に突き出したよだれ岩自体の高さは、目見当で約30m。


強風の中、パフォーマンスをしたこともありました。


昼休みに、ある女性はスカートで挑戦しました。


岩上を、美女と二人で占有したこともありました。

でも、ここから富士山が望めるかが不明のままだったのです。

ならぼ、検証するしかありません。春風吹く3月19日(土)午前中に決行です。

結論は・・・
残念ながら、よだれ岩から富士山は望めません。

「雲がかかっているぞ」って指摘をうけるかもしれませんが、快晴でも100%見ることはできません。

なぜ、そういいきれるのか?

実は、よだれ岩と山頂のちょうど中間地点で望める場所があったのです。

見えませんかー?

では、ズームで。ってピンボケですね。


なら、これでどうだ!
ほーらね。雪を被った富士山頂が望めるじゃありませんか!


場所は、ここです。パンザマストが折れて倒れた地点の岩上からですよ。

つまり、よだれ岩の地点まで下ってしまうと、手前の尾根に隠れて見えなくなるのでした。

地上では、ちゃんと美女二名が応援団として待機してくれていました。(ヤラセですが)


下からの携帯撮影画像(トリミング)が、これですって。


数名の方から聞いた「武山から富士山を見たことがある」って話は、眉唾だろうと疑っていましたけど、まぎれもない真実でした。


尤も、事前にカシミールで検証すれば一目瞭然でしたね。

ちなみに富士手前に見えた尾根は、奥から稜線歩道(左が三蓋山)
その手前は、85mから十郎尾根となります。

計画停電で

2011年03月18日 | 実験
輪番停電が開始されて、初めての停電を体験しました。
停電時間は、午後6時20分からおよそ2時間程度でした。

1泊以上でお山へ行けば必然的に停電状態になりますから、まあ2時間程度なら、どうということはありません。

でも我が家ですと、なにもしないというのも能がありませんから、実験してみました。

携帯電話ワンセグ視聴をです。


結果
停電しても、中継局はバッテリー駆動で送信し続けていることを確認できました。
携帯フル受電で1時間強は視聴可能のようです。

画面は小さくとも情報を仕入れるだけなら、そこそこ使えるかもしれません。
携帯だけですと内蔵バッテリーのもちがいまいちなので、明日ホームセンターで予備電源になるようなグッズを探してみることにします。
でも、まさかこんなものが役立つことになろうとは、夢にも思いませんでしたね。


別情報です。


毒岳氏によると、「よだれ岩の上で火をともす慣わし(風習)があった」と記述された書物を読んだ記憶があるとか。
是非、その書物の当該頁を知りたいものですなー。



刻一刻と

2011年03月15日 | Weblog
召集令状の発令日が近づいています。


殉職するかもしれぬこの山を、乗り切れるかはもちろん不明です。
そして、それが何年かかるかも不明なのです。

もし、誠しやかにささやかれているその噂が真実であったときには・・・

ブログ、HPを数年間は 更新はおろか削除しなけれればならない事態になるやもしれません。

万が一そうでなかった際には、面白がって茶化すノー天気なヤツらどもをぶっとばすに違いありません。

大地震

2011年03月13日 | Weblog
今回の東北地方太平洋沖地震で被災された皆様へのお見舞いとお悔やみを、そしてお亡くなりになられた方へのご冥福を、謹んで申し上げます。
唯々、罹災地区の一刻も早い復旧を心より願うばかりでございます。

今から11年前に宮城県を訪れたことがございます。
宿泊地は気仙沼でしたが、お隣に唐桑町(現在は気仙沼市と合併)がございまして、ここへ立ち寄り学ばせていただいたことを思い出しました。

昔から津波の被害に遭われてきた、三陸に住まわれる方々の生々しい教訓をです。
私の記憶が正しければ、このような内容のものでした。
「 大地震が来たら、着の身着のままで 高台へ避難せよ 」
( 現金は持ち出すな 場合によっては家族をも ) 
(逃げる際には自分のことのみ考えないと、一家全員が津波にさらわれてしまう)
その時間こそが生死を分けるんだと。

現在は同報無線も整備され、当然のごとく避難を促す自動放送が流れたことでしょう。
しかし今回の地震は、防災計画の想定を遥かに越えた大規模なものだったです。

三陸に住むものとしての知識上、その教訓を知っていたとしても、
想定上ここなら大丈夫だろうと逃げ遅れた方々や、教訓を守ったにも係わらず逃げ遅れた方、或いは職務上その場に留まらざるを得ない方も大勢いたに違いありません。
そのような方々の「無念さ」を察すると、胸が熱くなるのを禁じ得ません。

さて、我が街に住む人々の防災意識はいかがなものか?


海に面する我が街も、安政の大津波に襲われてからおよそ150年も経過しています。

知識上、その当時起きた災害を知っていたとしても、もはや昔の出来事だとかたずけてしまう方が大部分ではないでしょうか?


11年前唐桑半島ビジターセンターでは、東海地震が起こった際に起こる津波として、貼付画像の河川を遡るシュミレーション映像を流していました。
是非ともこの映像をご覧いただきたいと思うところですが、さて、現在でも放映しているかが不明です。