山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

AKB50(その7)

2013年03月28日 | お出かけ
現在地は浜松市春野区。

となれば、よっておくべきところはこちらです。


天狗面


日本一の大きさを誇る面だとか。


解説その1


解説その2


下駄


さらに天竜区にある鳥羽山掘割です。


人工で切り開いた天竜川との合流地点へも行ってみました。


ガードレールの隙間から下ります。


下流方向です。


上流方向。


水準点ですね。


県設置の境界杭もうってありました。


上流方向を望みます。でも、顕彰碑的なものは、どこにもなかったのでした。


二俣駅にも寄っていきましょう。


道路向かいには、SLも置いてありますし、
鉄分補給には、もってこいです。


で、ふと見つけました。トンネル跡を。

「ふふ みーつけた」と思いましたら、既にあのお方が探索済みの物件でしたね。残念。

で、帰るのかかと思いきや、さらに西方向のパーキングへ寄りこみます。


雨はざんざん振ってくるし、渋滞だし・・・


夜の出動は、こちらにしました。


生とお通し。生はもう一杯追加です。


山ねこ


アサリの酒蒸。


なんこつポン酢


焼き鳥アラカルト10品。その1


その2


その3


菊水の辛口。


しめて4k円也。

まあ、こんなものでしょう。


AKB50(その7)

2013年03月26日 | 訓練、探索
三の鳥居跡からは予定していた通り、車道を下ることにします。


そこは、石塔が乱立状態ですね。


秋葉寺の末寺、「千光寺」です。


千光寺全景


反対側は、気田川風景です。


そこから、ショートカットルート利用で車道へ出ます。


九里橋分岐を通過します。


駐車場手前の空き地で、下ってきた方角を仰ぎ見ました。


停めてあった車のワイパーに、画像のチラシが挟んでございました!


着替えをすませ、ひとまず下社前駐車場へ戻りましょう。
三年半前と風景が変わっていることに気づきました。


三年半前の画像


ともあれ、下社へもお参りしていきましょうね。


上社への参道に比べれば、この程度の階段は、どうということはありませんから。


戦時中の昭和18年に上社が消失し、やむなく急造されたため、質素な切妻造りの拝殿となった下社です。


信仰厚き匠業者より、「十能」と「火箸」が寄贈されています。


アップ画像


別角度


でもって、拝殿内へ失礼させていただきます。
と、なるほど!そういうことでしたか。


さらに、みーつけた!
ずっと探していました。趣意書とこの画像で、おおよその上社再興経緯が判明しました。


このようなものも飾ってこざいます。


下社参拝だけでも、満足のいく成果が得られたかもしれません。
なので、無料休憩所でお茶をいだだき、境内を後にします。


境内からそのまま隣の六社神社へスルーします。


六社神社の右奥にある、不思議なモノ。
大砲の弾をかたどった碑でしょうか?


六社とは、地元の氏神さま六神を合祀した神社かな?
下社が建てられるずっと以前の大正年間の灯篭です。


参道を下ります。


隣の下社より、ずっと急な階段です。


時刻は、15:37。
ならば、あそこにも寄っていかなくちゃあね!

つづく


AKB50(その6)

2013年03月24日 | 訓練、探索
本日の見納めです。後悔せぬよう、振り返って金色鳥居を眺めておきましょう。

階段下で、コンビにで買った稲荷寿司と、サンドイッチをほおばりました。


さてさて、本日の探索はこれで終りではありません。
上社裏手へまわります。


水源地をこの目に収める目的がございますので。
テキトーに下ったのが大間違いでした。


結局、上り返す羽目になりました。(二度ほど)


でもって、見つけましたよ!


どうしようか迷いましたけど、
藪を前進するしかなさそうです。


そうそう、これです。


上社の水源地となっている「機織井(はたおりい)」です。


山姥伝説もございます。


小社も辛うじて残っています。こんな場所を訪れる輩は、万人に一人くらいでしょうね。


せっかくついでに、ご無礼仕る。


別井戸です。


「神社」


目的は達成できました。
で、藪を戻るか、どうするか?


強引に設えた、階段をチョイスしますが、やはり藪を選択すべきと後悔したのでした。


神社裏の石造物 その1


その2


平成17年に整備された、神門です。(スーパー林道利用ですと、こちらからの参詣となります)


本日は売店が開いています。


海抜866mは間違いありませんね。


それなりの成果はありました。
社務所を一周して、帰還開始です。13:43


随身門通過、


五の鳥居跡通過、


二十台前半の山ガール軍団とすれ違い、秋葉寺まで下ってきました。13:59
オバカな私です。
ようやくこのとき、上社のトイレにストックを忘れたことに気づきました。
修羅場をくぐりぬけたストックですが、惜しくはありません。
「寄進」ということでかたずけましょうね。


雨がパラついてきましたが、せっかくきたのです。寄り道していきましょう。


三角点ゲットですよ。M氏のためにです。


三角点からそのまま下って、参拝道との合流地点を振り返った画像です。
右側が現在の参拝道。左手から下ってきたのですよ。
尤も、そこが元々の参拝道らしいです。


高圧鉄塔付近で、西側に気田川を望みます。


子安地蔵尊通過。


四の鳥居跡通過。


賭場跡通過。


ヒキガエルを轢かぬように通過。


残り三分の一。


十四町通過、そして


三の鳥居跡地着。
ここで携帯に着信アリ。

TMちゃんと、NNちゃんからの他愛もないジジイ宛の電話でした。

つづく

AKB50(その5)

2013年03月24日 | 訓練、探索
歩いて登る。
久々の登山ですので、正直かなりバテています。

現れた巨杉からパワーをいただきましょう。


画像では比較対象物がないため、その太さがわかりませんね。


海抜800m。残り66mです。


そうこうして、ついに随身門へ到着です。


「秋葉山林相」案内板。


家族連れのハイキングご一行様方とすれ違いました。


門脇の石積みが気になります。


昭和18年の大火でも、唯一燃え残った江戸期の貴重な遺物です。


寛政年間の常夜灯。


尾州名護屋押切町からの寄進です。


ここにはM氏と三年半前にきました。上社から下ったのですが。


扁額です。「火防秋葉神社」


右大臣


左大臣


碍子がついています。


随身門を抜ければ、上社はすぐそこです。


巨大な杉株。


見えてきました。


社務所です。


昭和61年に再建された近代的な階段です。


手水舎


ヤツデの紋様


階段を登ります。


正面です。


金色鳥居。


鳥居についての説明板。


入母屋造りの拝殿を斜めから。


流れ造りの本殿は、拝殿の後ろに隠れています。


しめ縄


拝殿前面


今回も曇っています。


神楽殿を望みます。


若者グループが上ってきました。


神恵岩


上社本殿付近のとある探索はすませました。(後日ネタ)



なので、上社を後にします。

つづく

AKB50(その4)

2013年03月24日 | 訓練、探索
それでは、秋葉寺境内へ足を踏み入れることにいたしましょう。

仁王門をくぐります。


この建物は、どういう用途のものでしょうか?


右手の石積みは、鐘楼跡です。


そして左手です。


目に入ったのはこれです。


近づいてみましょう。
「武田貞次郎」どちらさんでしょうか?※検索してもヒットしません


とりあえずアップ。


正面から


斜めから


左手奥にも建物があったようです。


本堂内を覗きますと、明かりは点いていますがどなたもいらっしゃいません。


本堂右側。護摩炊きの木材かな?


大黒堂


受付&販売所を兼ねる庫裏のようです。


参拝道へ戻ると、裏手にはトイレがございました。


トイレの裏側は、そのまま倒壊した建物が・・・


さて、頂上を目指します。
この付近からは、巨大な株が目につくようになります。
昭和18年の山火事が原因で、伐採されたものかもしれません。


三河萬歳碑を通過します。


そして平地となりました。
石組が気になりますね。


左右に礎石の残る場所ですよ。


五の鳥居跡地です。


教育委員会が建てた説明板もございました。


現在時刻 12:18
頂上までは、もう一息です。

つづく

AKB50(その3)

2013年03月23日 | 訓練、探索
このところの運動不足が祟りはじめています。
改めて自重に気づく有様です。

高圧鉄塔が見えてきました。


ベンチが置いてあります。


表参道で、唯一眺望の利く地点だからですね。


そして海抜600m。残り266m。


「らくがきするな」の電柱落書が笑えます。


信玄足掛け岩とのこと。


小さな石造物が、信玄岩に同化しています。


拡大しましょうね。


手を加えられた、小さな切通しを通過します。


秋葉道の小さな案内板。


時刻は11:55。お腹が空いてきましたけど、山頂まで我慢しましょう。


いつの間にやら三十町。のこり二十町となりました。


正面に見えてきましたね。


そこが、海抜704m地点です。


さらに近づきます。右手方向が山頂へつづく参拝道ですが、倒木注意の看板で封鎖されています。


三尺坊境内からも通りぬけできますので問題ありません。
ところで、このコンクリート角柱基礎が気になりますね。
かつては、長方体の案内板でも建っていたのしょうか?


説明板。秋葉寺。


仁王門です。


向かって左側の木製常夜灯は、支柱の腐食により倒壊してしまったようです。


根腐れしたのでしょうね。


秋葉大権現の扁額。


昭和18年の大火で消失したため、戦後に再建された仁王門です。


阿形


吽形  両像とも鎌倉期のもので、門再建後ここへ移設されたのだとか。


倒壊した常夜灯上部が、門下に放置してあります。


さて、秋葉寺境内へ足を踏み入れるとしましょう!
12:03

つづく

AKB50(その2)

2013年03月23日 | 訓練、探索
表題の意味を、
いまいちどおさらいしておきましょう。

AKB=アキバ 50=五十町です。

海抜400m地点を過ぎると、右手に石垣が見え始めます。11:14


嘗ては、茶屋があったのかもしれません。


表示板から判断して、三分の一程度を登ったことになります。十五町下。


常夜灯の傍らには、摩滅した石造物もございました。


破損した常夜灯もございます。十五町。


こちらも、上部がありません。たぶん十五町。


十六町です。この意匠のものは、嘉永五年に金原明善翁の父君が寄進したものです。


常夜灯頭部も撮影しておきます。


賭場が開かれた、「ちょぼいち平」跡地です。


判読できませんが、たぶん十七町です。


そして、海抜500m。残り366mとなりました。


参拝道は、シケインばかりではありません。たまには平地で、ストレートな場所もございます。


雪隠跡でしょうかね。


左右に常夜灯がある場所にきました。
なるほど!散逸したものしか見ませんでしたが、元々は方形傘を被っていたのですね。


町石には、二十町が刻まれています。


山頂まで2.1km。登り工程だけで約半分の地点です。


そこは、茶屋跡とのことです。


この石柱も、やはりつじつまが合いません。


そして、またしてもストレートな平地に来ました。


左右のピラミッド状に積まれた石造物は、なんだろうと凝視しましたら、転倒した巨大な常夜灯でした。


相当な重量物のため、修復できないまま放置されているのでしょう。


さらに同地点には、これもございます。


四の鳥居跡。


左右の礎石には、倒壊した鳥居柱の痕跡が見てとれます。


鳥居跡から3分登れば、右手の赤屋根が目に留まるはず。


子安地蔵尊です。


柄杓がたくさん置かれています。


柄杓に穴を開けて奉納するのは、どのような意味があるのでしょうね。11:40

つづく

AKB50(その1)

2013年03月23日 | 訓練、探索
「すべての道は秋葉に通ずる」と、言わしめるほど賑わいのあった秋葉信仰。
いまでは、スーパー林道利用で、簡単に上社へ行けてしまいます。

新東名が開通して、ぐっとアクセスし易くなりましたから、
足腰が弱らぬうちに、秋葉山下社から上社への参道踏破を、クリアしておくことを思い立ちました。

九里橋から秋葉山頂まで50町(丁)の距離がございます。で、今回の表題はAKB50。ポイントヒットを狙ったわけではございません。


既に車は、二俣を北上しています。


下社へ到着です。ここは来たのは、三年半振りかな?


下社より200m先にある参拝用の駐車場を起点に、上社へスタートです。10:30


もちろん、徒歩でですよ。


九里橋


坂下集落


スーパー林道が開鑿される以前は、多くの参拝者がこの表参道を利用したのです。


坂下集落の突き当たりを左折します。


石畳を緩やかに進みます。


と、車道に出ました。帰りは車道側へ下ることにしましょう。


そこは、「三の鳥居」が建っていた場所です。(別の数え方ですと「一の鳥居」らしい)


石畳が終わり、路面が山道へ変わりました。


右手に、明治期の碑が三つありますが、なんでしょうね?


六町通過です。


海抜200m。上社の標高は866mですから、あと標高差666mを登ればいいわけですね。
ちなみにスタート地点の標高は105mです。


安藤広重の版画か何かで見た風景画のようです。


磨耗著しい石造物です。


つづら折の道をひたすら登ります。


昭和12年に建立された石柱。(あと三十町ではつじつまが合いません。ここは二十町ではありませんから)


海抜300m。あと566mです。


海抜318m。茶屋でもあったのでしょうか?


ベンチもありますが、座る気にはなりません。


山頂まで3.2km。工程の四分の一弱を消化したに過ぎません。


十三町。


十四町。


海抜400m。


残り466mです。

つづく

エキスパート

2013年03月17日 | 歴史ネタ
本日、大変貴重なお話を拝聴できました。


「これは珍しい像であるが、よくわかっていない」
「室町期頃の作品」

納得しました。

で、ある仮説がヒラメキましたよー。

そうか!そうだったのか! 

次回お会いする際に、エキスパートに仮説をぶつけてみましょうか!