山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

無計画な秀吉補完計画 最終回

2012年11月27日 | お出かけ
昼食を食べ終わった時刻が12:40。
補完計画終了まで1時間と20分。

頭の中であれこれ残った時間を有効に使うべくオプション計画を立てた結果、手っ取り早い場所として智積院(ちしゃくいん)散策に決めました。昼食場所から、歩いて1分ですから。


傘をさしながら、西門より攻め入ります。


と、素晴らしい紅葉ではありませんか!


落ち葉もごらんのとおりです。


本堂方向へ向かいます。


振り返った画像も素敵です。


ワタシの住む地域とは、紅の色が確実に異なっています。


日中の気温の差が大きいほど、紅葉色が艶やかになるのだとか。


この時期の京都ならではの風景といえばそれまでですが。


悔しいけど、事実を素直に受け入れるしかありません。


良いショットと自負したいですが、レンズに水滴がついています。


こちらにもです。


XZ-1しか持参してないことを悔やみます。


悔やんでも手遅れですけどね。


そこそこの写りととれなくもありませんけど。


リタイアしたら調査は無しで、じっくり攻め込んであげましょうか!


てな散策を終え、バス停で京都駅行きの路線バスを待ちます。

京都駅までの所要時間は15分程度でした。

京都駅に建つ「電車鉄道事業発祥」の碑。 琵琶湖疏水での発電が大きく関与しています。


空港のような京都駅。


意味不明な、駅上部の造り。


コインロッカーに預けた手荷物を回収し、
時間どおりに新幹線に乗り込めました。
13:56ひかりで・・・


三島駅で立ち食いソバを食べ、


想定した時間を遙かにオーバーして、家路へ着いたのでした。

補完しきれなかった数箇所は、いつかまたの機会に ということで。

無計画な秀吉補完計画 其の四

2012年11月26日 | お出かけ
新日吉神宮を後にして、豊国廟第一鳥居へ戻ってきました。


で、補完計画の続き遂行です。

明治期の、復興整備後まもない豊国廟の撮影地点を、特定をしなくてはなりません。


現地にこの画像を持ち込む事前準備などできませんでしたが、間違いなく現地点がここだと断定できます。

現在では、山頂まで一直線に続く参道は望むことが叶いませんが。

拡大した石積み画像を比較すれば、誰もがここだと納得してもらえることでしょう!


現在は、石積みひとつ分が埋土されています。

さらに、寄進された灯篭の幅が狭まっていることに気づくはずです。
左手に車道が整備されたため、左右の灯篭バランスを考慮して、中央寄りへの移設を余儀なくされたと推測できますね。


それにしても車道確保のためといえ、この70m足らずの区間の歪曲は、どうにもいただけません。

明治画像は赤○地点から山頂のオレンジ○地点を撮影したものですが、現在は参道敷きに店舗が占用するなど、どうにかならないものでしょうか?

ひと先ず補完計画の達成はしましたけど、現地ではここだと確信できるすべはありませんでした。
もちろん、ここまできたのですから 豊国廟への前進あるのみです。


プリンセスラインの乗客者に、利老若男女の制限などありません。


革靴での歩行で、足腰が悲鳴をあげていました。


それでも、なんとか太閤坦には辿りつけましたが。


嘗て、ここにも灯篭が存在したようです。


左側にも一対をなす礎石がありますから。


拝殿までやってきましたが、雨中に加え足腰の弱った体ですので、485段を登る気力はうせています。


賃取おじさんに「今日はのぼりませんよ」と声をかけてから、拝殿先へ進ませていただきます。


三年前にも撮影しました。


拝殿全景を右手から撮影です。


これがなんだったかを思い出せません。


豊国廟の由来板です。


雨の日に、この階段を登る人の気がしれませんね。


三年前と変わっていたのが、参拝料です。 50円から100円へと、一気に倍額となっていましたよ。


参道右手の石碑その1


その2


手水鉢に水が張られていないのが、なんとも不憫でなりません。
間違いなく明治期整備の際に秀吉公の亡骸が掘り出され、頂上の五輪の塔に葬られているにも関わらず、この有様なのですから。


究極の補完計画は、この次の機会とすることにいたしましょう。
後ろ髪をひかれつつ、太閤坦をあとにするしかありません。


名残惜しいので、女子大前で振り返りました。


気づけば12:08。 朝食から一滴の水すら口にしていませんでした。
必然的に補給水分は、こちらとなります。


でもって、昼食も摂らにゃなりません。

1650円也。少々お高こうございました。

最終回へ続く

無計画な秀吉補完計画 其の参

2012年11月25日 | お出かけ
七条通を東上すれば、突き当たりが智積院(ちしゃくいん)門前となります。


歩道を渡った突き当たりを左折し、50m北上して右折すると、この碑が目にとまるはず。
新日吉神宮と書いて、”いまひえじんぐう”と読ませます。
ここは三年前にも登った、「女坂」の入り口ですね。


数奇な運命で移転を余儀なくされたこの社(やしろ)拝観も、今回の補完計画のひとつであります。
夏の陣以降に豊國社は破却され、参道前面を封鎖する形で新日吉神宮が移転されたのです。
<参考HP>
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~kazu_san/hyaku_taiko.htm


向かい側には、「豊國廟参道」の石柱に気づくはずでしょう。


緩やかに坂を東上すれば、黙って新日吉神宮入り口に到達するはずです。
画像鳥居は、豊國廟「一の鳥居」ですからお間違えのなきように。
明治になって豊國廟再興の儀が持ち上がり、新日吉神宮は再度移転の憂き目に会い、画像右手へ移転させられることになった訳です。


で、こちらが新日吉神宮鳥居です。


境内へ入ると、小雨がぱらついてきました。


囚われの猿 正面左側


囚われの猿 正面右側


謂れが書かれていますが、内容は割愛します。


右手奥へとの誘導看板です。


と、ありましたね。
『豊国神社』


「なぜ新日吉神宮に豊国神社が祭られているのか」の説明書きですが、この説明だけは疑問を挟む余地がありそうです。


ともかくも、秀吉公が祀られていることは事実に紛れもありませんが。


火防の神様である秋葉山と愛宕山も、ひとつの社に弊祀されておりました。


境内の低木モミジも赤く色づいています。


天神さまもいらっしゃいました。


京都を訪れる最良の季節です。


其の四へつづく

無計画な秀吉補完計画 其の弐

2012年11月25日 | お出かけ
東門より東寺を後にします。


次なる場所への移動手段は路線バスです。
このバス停は、東寺拝観前に撮影しておいたものです。

東寺の南側に面する九条通りには、必ずや東山方面へ向かうバスがあるだろうことは、観光マップを見た瞬間に判断できました。

そして、5分と待たずにバスはやってきました。
降車払いの表記ですが、乗車口に乗車券発行機はありません。
あせりつつ、いなかものは乗り込むしかありません。
「乗車券はないのですか?」と隣の男子高生に尋ねてみると、
「どこで降りても一律220円です」とのご返答です。

進んだ観光地ならではのものでしょうね?旅行者にとってありがたいですが。

九条車庫前で運転手さんが交代となりました。


そして降り立った場所は、勝手知ったる蓮華王院(三十三間堂)前です。

この界隈は、三年前にずいぶん歩き回りましたからね。

路地利用で大仏殿跡地へショートカットします。
紅葉したケヤキの巨木は、相変わらず逞しいです。


説明板は、必然的に3年分老朽化しています。


さらに路地使用で、方広寺梵鐘へ向かいます。


以外と知られていないのは、鐘楼は大正年間に再建されたものだということです。


方広寺大仏殿遺物 その1


その2


その3


合計9点ほどの遺物が鐘楼下に置かれてあります。


半身像の大仏さまを安置した最後の大仏殿は昭和48年の火災で焼失しましたが、本堂は現在も残っています。
15年ぶりくらいに拝観させていただこうと思いましたら、修繕中で拝観不可とのこと。
掃除をしていた若い僧侶と、「どこを撮影してもいいよ」と気さくなおばちゃまがいらした昔話などをしてから、豊国神社へ向かいました。


明治期の社殿再興の折、どうして大仏殿跡地に決定したのでしょうね。
そもそもの社殿の地、”太閤坦”が尤もふさわしい場所だと思うのはこの私だけでしょうか?

これも補完計画のうちのひとつ、宝物館裏にある馬塚見学です。
徳川期に破却された豊国社の代わりに、秘かに庶民が拝んだ供養塔だとか?
ちなみにバックの建物が、三年前に宿泊したホテルです。


そして、お目当てがこれです。
慶長4年は、秀吉が没した年に当たります。
阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その後造成された太閤平に豪華絢爛の社殿が造営されていったのです。

撮影禁止とは、どこにも書かれていませんからお許しあれ。

受付で、「宝物館に飾られた洛中洛外図の絵葉書を下さい」と言ったら、「それは洛中洛外図ではなく 秀吉公7回忌の「豊国祭礼図」ですよ」と、誤った認識にありがたい指摘をいただきました。
ともかくも、補完計画は順調に進んでいきます。

ようやく明治になって。太閤さんは大明神に復帰できました。


紅葉は、ちょうど見頃かもしれません。


耳塚には、花束が手向けられておりました。


さて、時刻は11:35分 次の補完地点へ向かいましょう。

其の参へつづく

無計画な秀吉補完計画 其の壱

2012年11月24日 | お出かけ
突如、思いつきました。
「そうだ 京都へ行こう」

思い立ったが吉日とばかり、既に新幹線ホームに降り立っています。時刻は8:50。
乗車率120%の地獄列車でございました。


まったくの無計画ですから、事前のリサーチも ガイドマップもないままでの無謀行動です。
先ずは無料のガイドマップ入手が先決です。
駅の内外を右往左往して、3階の観光案内所でマップを頂戴するまでにおよそ40分も消化してしまいました。

タイムリミットは14:00まで。
補完計画の目的地だけは、頭の中に描いています。

近鉄駅ホームです。時刻は9:33。


料金は一駅分の150円。


行き当たりばったりの旅行者にとっては、駅の街路マップは重要な情報資源です。


西へ歩くこと4分で、第一の目的地が見えてきました。


読んで字の場所へです。


塔の内部も拝観できるとは、ラッキーですね。


南大門をくぐります。


実は塔より、こちらの建物がお目当てなんです。


1603年に秀頼寄進によって建立(再建)された金堂です。

大仏殿再建のための、スケールダウンした「東山方広寺大仏殿」の雛形とみることができるとか?

<参考>
1593 方広寺大仏殿上棟式
1597 慶長大地震により大仏倒壊
1602 大仏再建途中の失火により大仏殿炎上 、二条城造営始まる
1603 家康征夷大将軍になる
1610 秀頼により大仏殿再建始まる
1662 地震により大仏破損 木造に変更

「なるほどなあ この目で見ると確かに」、と思った次第でございます。

おりしも紅葉真っ只中。


鮮やかに色づいております。


赤に浮かぶ五重塔。


天気がいまいちなのがいただけませんが。


なるべく空を映しこまないように工夫してみます。


気候的には、バッチリなんですけどね。


主目的の金堂、そして塔内部(撮影禁止)も見れたし、なにより紅葉に感動です。

しょっぱなから、一石三鳥以上の成果がございました。

其の弐へ続く。





  

6028マクロのダメ画像

2012年11月18日 | デジカメ
昨日の嵐が嘘のような、ポカポカ天気となりました。
散歩がてらに、6028マクロをE-PL1に装着して撮影してみたのですが、どれもこれも失敗画像ばかりです。

開放F値の2.8です。もっと絞ってあげなければいけません。


花弁に近づきすぎ。被写体が、なにがなんだかわかりません。


新渡戸稲造地蔵。顔にスポット光が当たっていませんね。


でも、面白いものも撮影できました。


「好い女 乱れて泣くは 明けがらす」 かなりエロチックです。

ずっと不思議な意匠だとおもっていましたが、たぶん石臼のパーツ再利用ですな。

これも6028マクロ撮影です。


手始めは、こんな程度でということで・・・

勘弁してくださいまし。

舌の根

2012年11月17日 | 物欲
五感に訴えると、「シモネタ」と聞こえなくもありません。

『舌の根も乾かないうちに』を連想していただく必要がございます。

撮影する暇もないくせに、勢いだけでポチった『M.ZD ED 60mm F2.8 Macro』すら活用できていない現状で、
さらにキャンペーンと銘うったOP社の勧誘メールに屈し、『M.ZUIKO DIGITAL 17mm F1.8』予約を追加でポチりました。


となると、来月はmft本体の買い替えか?