山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

夕方茶運巣

2010年10月31日 | デジカメ
日本一を謳う宍道湖の夕日を拝んだのが、いまからちょうど三年前。
その日は加藤文太郎のような単独行動をしたがため、たいそうヒンシュクをかいました。


ところで、
我が住む街だって条件さえ整えば、この程度くらいの夕暮れは拝むことができるのです。


夕日モードで撮影すれば・・・
もともの赤いのですから、これでは強調し過ぎかもしれませんね。


なので、オート撮影画像をアップしてみます。
が、なんか、いまひとつインパクトに欠ける画像に過ぎませんですねぇ~。


で、再度夕日モードです。うーむ。気に入りません。
それで、またまた悩みが増えました。


そして、美女二人とお食事タイム。


信義則という大義名分でのお食事でしたが、自らの悩みも解決できないオヤジの助言ごときが、少しは力になってあげられたのかは不明です?

巨大鉄管

2010年10月27日 | 歴史ネタ
伊豆に住む人がマイカーを利用して山梨県や長野県へ行くためには、大きく以下の四つのルートが考えられます。
① 御殿場から東富士道路で駕籠坂峠トンネルを抜け、そのまま河口湖ICから中央道に乗り大月ジャンクション経由で向かうルート
② 河口湖までは①と同様で、御坂峠を越え宮坂ICへ向かうルート
③ 富士市から西富士道路利用で精進湖を左折し、旧上九一色村から甲府南ICへ向かうルート
④ 国一バイパスから、富士川沿いに52号線を北上し、増穂から中部横断道路暫定開通区間へ向かうルート

ところで、皆様が④利用した際に下記画像の巨大鉄管を、52号線へ到達する前の富士川沿いの県道10号線沿いで目撃したことはありませんか?
目見当(めけんとう)で直径5m。ぶっとい鉄管が富士川を跨いでいる光景をですよ!

さて、目撃したことがあるかたもない方も、とこからどこまで繋がっているかが気になりますでしょう。

カシミール本購入され、インストールしている方なら、その答えは簡単です。
水色の破線がマップ上に表示されているのですから。すなわちこれが導水管だってことは疑うべきもありませんね。
皆様が判り易いように、水色の破線を赤の実線でなぞってみました。
マップを見ても場所が特定できない方のために補足しますと、旧芝川町役場から500m先、釜口橋を越えたすぐ左側の地点となります。


先ずは上流部へ遡ってみましょう。
約11km上流の南部町井出にある富士川第一発電所へ繋がっていました。
さらに導水路は北西へ続いています。


で、ここが取水堰地点です。第一発電所から17km上流部となります。


こちらは、同地点から下流方向を望んだ画像です。


身延町文化会館のほぼ正面ですから、場所を特定するのはたやすいでしょう。


さて、今度は下流最終地点へ向かいます。
撮影場所は、旧東海道上ですね。
最終出口の手前がこの圧力送水管4本で、一気に下りとなるのです。
取水堰からですと、ざっと35km。富士川身延の水が導水路を通って、最終的には太平洋まで導かれているんです。


このマップを見ただけで、勘の良い方でしたら何のためのものかはお分かりいただけますでしょう。


管の太さは一本が2.5mほどに思われました。


車道橋下を潜り、管はさらに反対側の富士川第二発電所へ続いています。


近くにあった案内板も掲示しておきましょう。


刻印をみますと、ペンキの塗り替えを3年に一度実施しているようです。


鉱石を精製してアルミ地金にするためには、膨大な電力を必要とするのは知っていました。
富士川支流にあと四つの発電所やダムまでも所有している会社なのですから。
ところで、第一、第二発電所が完成したのが昭和16年。それってボーキサイトの輸入が絶たれた年ですよね。

ははん!それでこんな途方もない設備が造れたのか!って思うのでした。

紅葉ハイキング2010

2010年10月24日 | 山行、ハイキング
遭難碑付近で振り返ると、雲海に浮かぶ富士山に感激します。


同地点から、南アルプス深南部もご覧のとおりです。


葉っぱも赤く色づいてきてきますが、見頃には早すぎたかもしれません。


上空は快晴そのものです。


そして茅ヶ岳頂上着です。所要時間2時間4分。深田公園へ寄ってのタイムです。


頂上には先客が一人だけ居られました。



茅ヶ岳は”ニセ八つ”などと呼ばれることもあるようですが、本物の八つを望むこともできます。


北アルプスも望めます。


頂上からの富士山です。 やはりフレアが気になりますね。


なので、アップ画像です。


そして、金峰山・瑞牆山方向です。


今頃、あの辺りにいるのでしょうな!と思って某氏へ携帯をかけてみましたら、
「既に瑞牆山から下山して、富士見平小屋までもどってきましたよ これから金峰山へ向かいます」ですって。
日帰りで2山も攻め込むとは 恐れ入る体力です。


さらに、こちらが南アルプス方向です。鳳凰三山へ攻め込む選択肢もありましたね。


山頂標柱をイジメル輩がいるらしい。建てても直に壊されるのだとか?
この山に恨みをもつものがいるのでしょうか?恐ろしい限りです。


花も撮影しておきましょう。白い花ですと2段ほど露出値を落としてあげないと、白トビしちゃうんです。


さて、もうひとつのピーク”金ヶ岳へ向かいます。紅葉した木立からの木漏れ日が綺麗です。


青空を背景にすると、ちゃんとした赤で撮影できるのはナゼでしょうか。


40分かけて金ヶ岳へやってきました。


E-PL1の標準レンズが寄れる限界幅です。


ポップアートなる機能も使ってみました。北岳方向ですが、山岳風景には不向きのようです。


同設定のまま、さらに引いた画像でもう一枚。


比較用に、こちらがオートで撮影したものです。


茅ヶ岳まで戻って、ボケ味のテストもしておきましょう。


良いのか悪いのか?ワタクシにはよくわかりません。


帰路ルートは、尾根道を利用します。


寝不足のため、帰路が長く感じられました。


今回も前泊車中泊で、一睡もできなかったんです。
次は、なにか方策を考えなくてはいけません。

鉄壁の守り

2010年10月23日 | 情報
昨年の正月ハイクで遣り残した課題のひとつ、香貫山で見つけられなかった三角点をさがしてきました。

桜台から新桜台へ続く場所に、目的の三角点はありました。


休憩舎に、ワンチャンを連れた御仁がおられました。
遠目でもプラ杭が確認できますね。


ナゼ見落としたんでしょう?


破損を防ぐ措置でしょうね、4方向から石でがっちり守られています。


堅固な守りで築づかれた三角点と言えば、ここしか思い浮かびません。


GENZI山にあるんです。

後の祭り

2010年10月17日 | 情報
うっかりしていました。
今日は、画像の公開講座がある日だったんです。

夜に開かれるものだとばかり思い込んでいました。
13:30分頃、開始時刻を確認するためにHamden氏へ電話してみましたら、「講座の真っ最中なので、電話切るよ・・・」ですって!


その頃ワタクシめは、お買い物ついでに蝶を追いかけていたのでした。

せっかくM氏より入場券を頂戴したというのに、ドブに捨てたと同じコトになりました。

ゴメンチャイ!

アクシデント

2010年10月15日 | 歴史ネタ
先週の土日に、地元の秋祭りが執り行われました。
土曜日は雨模様のため、シートを神輿に被せて移動させます。


御霊移しを行うためには、事前に神輿を神社へ納める必要があります。


行程は、
日曜日の正午に宮出をして、巡行したのち午後9時30分に帰還して宮入となります。

さて、幣殿(拝殿と本殿の間の建物)へ神輿を納めました。



この場所まで侵入できるチャンスはめったにありません。なので、
本殿の様子も記録しておきましょう。
で、ほらね 気がつきましたか?
前々から気になっていましたが、右手の立像にですよ。

神功皇后か? はたまた菅原道真公か?
神官さんに確認してみなくてはいけませんね。



日が変わり日曜日を迎えました。
で、標題のアクシデントですが、祭りのクライマックスである宮入での出来事です。
宮入を阻止するバリケードと神輿との第1回目の衝突の際、指が指し示す場所から担ぎ棒がポッキリ折れたんです。
(参考)昨年の宮入の様子。



どうやって対処したかと言いますと、
担ぎ棒は宮入用の小型のものと、巡行用と二つありまして、画像手前に写っている
巡行用の担ぎ棒(台)へと急遽交換して事なきを得たのでした。

もしかして、アクシデントが起こった原因って
前日に本殿を撮影したがためかも!
(撮影禁止とはどこにも書いてなかったですが) 



夜半の豪雨も嘘のよう。
心配された雨もあがり、青空が広がってきました。


修祓(しゅうばつ)献饌(けんせん)のためのお供物です。

この時点で、アクシデントが起こることを知っていたのは、神様だけなのでした。

変貌

2010年10月14日 | 情報
いつのまにやら県庁所在地の駅前に、こんな像が建っていました。

高層ビルが背景にしかならない場所ですから、どうしても違和感がありますね。

さらにこの街は、塀越しに巨大ロボも跋扈しているようです。

大暴れでもしたら、損害は甚大なものになるでしょう。

そうこうしながら踏み切りで停止しますと、

午後の紅茶号が通過していきました。
思わず笑っちゃうインパクトだけは、褒めてあげましょうか。

講師を質問攻めでイジメタあとは、スイーツのお土産でも買って帰りましょ。

同行者J女史さんも、いい意味でイジメル楽しさを理解しはじめたようですし?

と・・・ スイーツ店の玄関先から見る夕日が、やたら綺麗じゃありませんか!

今月は少なくともあと二回、変貌した街を往復しなくてはなりません。



ワタシも一緒に連れてって

2010年10月12日 | Weblog
ドタキャンが出たら助っ人外人になろうかと、てぐすね引いてまっていたけど、結局おこぼれにあずかれませんでした。

くやしいよなぁ~ そうそう行ける場所でもなさそうだし・・・

八年前にも計画したけど、反対者が多くてそのときは計画倒れになりました。

今年は「龍馬伝」放映で、さぞかし賑やかだったことでしょう。

ならば、せめてものお願いというわけで、
MYコンデジ(FT1)のみ、

連れてってもらったのでした。

明治は遠くなりにけり

2010年10月11日 | 歴史ネタ
明治期に撮影された一枚の白黒写真。

明治三十年。五百優余段の階段を登った頂上に、五輪塔などが再興されました。

で、現在のほぼ同地点の様子は・・・

鳥居手前から上部の階段は現存するものの、手前の参道はほぼスロープ化され、
「女坂」などと呼ばれようになっています。

日本屈指の観光地でありながら、
ここを訪れる方って、かなりのマニアかもね?

道標の謎

2010年10月04日 | 歴史ネタ
ついに遭遇できました。
この道標にです。

過去2度も側方通過したはずなのに、なぜ見落としたのが腑に落ちませんけど・・・

道標はズバリA地点に存在しますが・・・

いくら考えても、A地点に道標があることが道理にかないません。

Bから巻き道を辿り大鍋へ下る峠であるC地点に、画像のお地蔵様がいらっしゃいますから、

B地点に道標がありさえすれば、全て合点が行くわけですな。

つーことは、B地点からA地点までの200m水平道を、何らかの理由で移動させたものがいるんじゃないでしょうか?

ねこ村氏がこの道標にこだわる理由が、ようやくわかりました!