6月20日(金) 晴ときどき曇 (「道の駅 浅虫温泉」~青森県・横浜町「道の駅 よこはま」)
4時、出発。昨日は雨のために予定より手前で泊まってしまったので、その分今日は長丁場。
覚悟を決めてまだ薄暗い中、「ゆ~ざ浅虫」を後にする(歩道橋の左下がテント泊の位置)。
青森湾に浮かぶ湯ノ島の左側には有明の月が沈もうとしている。
奥州街道の国道4号線を青森湾に沿って進む。
4時20分~35分、コンビニ内で食事。牛乳、オムライス。大福はウエストポーチに。
4時40分、夏泊(なつどまり)半島や下北半島もうっすらと見える。東の空には雲がかかっているが、西の空は晴れてきている。
4時45分、JR東北本線と並行して歩いていると貨物列車の通過。
5時30分、夏泊崎方面へ向かう県道9号線を左に分け、青森湾と別れて、夏泊半島基部の緑濃い田園地帯の中へと坂を登って行く。
5時55分、東北本線の西平内(にしひらない)駅を左手遠くに見て通過。
田圃の向こうを行く貨物列車が、長くコンテナを連結しているのが樹間に見える。
西平内のバス停の小屋には、「宿泊・休憩厳禁」という張り紙がある。このような張り紙のあるバス停はこの地域だけであったが、過去に何か余程のことでもあったのだろうか? それともこれも洞爺湖サミットの影響だろうか?
西平内はホタテ養殖の発祥地とか。歩道にホタテの貝殻がいくつも落ちていたり、ホタテの貝殻を混ぜたコンクリートが敷かれたベンチなどがあったりする。
やがて人家が続く中を行き、
6時40分、小湊駅入り口を通過。
7時05分、夜越山(よごしやま)森林公園を過ぎ、跨線橋をわたる。
7時10分、「東京まで715km」の道路標識がある。自宅の川崎まではさらに20kmあるから、ここから735kmか。随分遠い所を歩いているのだと感慨深い。
7時30分~40分、平内パーキングにて小休止。
案内板があり、
さらに、奥州街道を示す石柱と、
「奥州街道の由来」が書かれてあり読んでみると、「この辺りを通った有名人」として、高山彦九郎の他、伊能忠敬、菅江真澄、吉田松陰らの名前があげられている。高山彦九郎は群馬、伊能忠敬は千葉の人だが、菅江真澄は三河だし、吉田松陰は長州である。川崎が遠いどころではなかった。
8時10分、清水川駅を通過。陸奥湾が見え、遠くうっすらと恐山方面も望まれる。
8時35分、東北本線の普通列車が通過。
8時50分、コンビニで買い物。コッペパン2個、ミルク飴。
9時20分、狩場沢駅で10分間休憩。
特急スーパー白鳥号の通過を撮ったあと、
待合室でお婆さんと少し話。ご主人とは7年前に死別、恐山に行ったときにご主人とお母さんを呼んでもらい、話をしたとのこと。一人暮らしなので青森までいろいろな手続きをしに行くのが大変だ、等々。「お気をつけて」と言われガムを貰う。気温21℃。
10時、野辺地(のへじ)町に入る。
津軽領・南部領の藩境塚があり、
ここにも菅江真澄の碑がある。
10時15分、国道4号線と県道243号線との分岐、下北半島へ向かって、県道を行く。
10時40分、戊辰戦争跡地。
1868年9月、弘前藩(討幕側)の津軽軍と、盛岡藩(旧幕府側)の南部軍がこの地で局地戦。
野辺地戦争戦死者墓所に津軽軍戦死者が葬られている。
11時、JR大湊線の踏切をわたり、
11時15分~30分、スーパーにて買い物。海鮮天丼、トマト、マヨネーズ。ベンチでトマトをほお張り、海鮮丼を食べる。
11時40分、陸奥湾に沿って「むつはまなすライン」の国道279号線を行く。案内板には石川啄木の「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かのはまなすよ 今年も咲けるや」の歌が書かれてある。
11時50分、十符ヶ浦(とふがうら)海水浴場。通過してきた夏泊半島方面が望まれる。
12時15分~45分、「れすとらん常夜灯」で、「元祖」ほたて丼を食べる。1000円。ほんの1時間前にスーパーで食事をしたばかりだったが、「元祖」の文字に引かれて立ち寄ってしまう。味は大変結構。
これで大分時間を喰ってしまい、あとはアップダウンを繰り返す道を、延々とただひたすら「道の駅 よこはま」を目指すことになるが、とにかく遠い。
14時30分、六ヶ所村核燃料再処理工場方面に続く県道180号線との交差点。
横浜まで19kmの表示あり。あと4~5時間か、こりゃ日が暮れてしまうかもしれんな。
野辺地ウインドファームの風力発電の風車を見つつ行き、
15時30分、横浜町に入る。
15時50分、海辺の雲雀平に、幸田露伴の『易心後語』から引かれた文学碑がある。
「左に断えず海を眺めつ
茫々たる原中を
歩まするに菖蒲 玫瑰
遠く近くに 咲きにほひ
さまゞゝの禽の歌ふ
聲長閑く立てる座れる
睡れる 當歳 二歳
三歳以上の馬どもの各が
じゝ自由に振舞へる
も我等の眼には
新しゝ」。
「玫瑰」を「はまなす」と読むことを知る。
傍に大町桂月の「一沼に 馬群れ十里 尾花かな」の文学碑もある。
木材を満載したトラックや、大湊線の写真を撮ったりしつつ、
16時55分、大湊線の吹越(ふっこし)駅を通過。いかにも風の強そうな名前なり。
17時20分、大湊線がたった1両で通過する。
18時~05分、コンビニにて買い物。飲むヨーグルト、またもや大福。
18時40分、ようやくにして道の駅「よこはま」に到着。今夜はここで泊まらせてもらうことにする。
およそ14時間半行動か。我ながら今日はとにかくよく歩いた。靴も随分くたびれてきた。
このまま中1泊で大間まで行くことも可能に思えるが、修行でもトレーニングでもないのに、この調子でわき目もふらず下北半島を駆け抜けたのでは、いったい何のための旅だか分からない。日程も予算も余裕があるので、下北半島でもう2泊することにしよう。
経費 3,190円 累計 260,376円
歩数 84,902歩 累計 3,524,211歩
距離 56km(えっ!) 累計 2,327km
(途中から当ブログにこられた方は、右サイドバー「最新コメント」欄の「★はじまり★/ブログを始めました」をクリックして旅のはじめのページに飛び、最上段の「次の記事へ」から順に、日本縦断徒歩の旅をお楽しみください。--管理人より)
4時、出発。昨日は雨のために予定より手前で泊まってしまったので、その分今日は長丁場。
覚悟を決めてまだ薄暗い中、「ゆ~ざ浅虫」を後にする(歩道橋の左下がテント泊の位置)。
青森湾に浮かぶ湯ノ島の左側には有明の月が沈もうとしている。
奥州街道の国道4号線を青森湾に沿って進む。
4時20分~35分、コンビニ内で食事。牛乳、オムライス。大福はウエストポーチに。
4時40分、夏泊(なつどまり)半島や下北半島もうっすらと見える。東の空には雲がかかっているが、西の空は晴れてきている。
4時45分、JR東北本線と並行して歩いていると貨物列車の通過。
5時30分、夏泊崎方面へ向かう県道9号線を左に分け、青森湾と別れて、夏泊半島基部の緑濃い田園地帯の中へと坂を登って行く。
5時55分、東北本線の西平内(にしひらない)駅を左手遠くに見て通過。
田圃の向こうを行く貨物列車が、長くコンテナを連結しているのが樹間に見える。
西平内のバス停の小屋には、「宿泊・休憩厳禁」という張り紙がある。このような張り紙のあるバス停はこの地域だけであったが、過去に何か余程のことでもあったのだろうか? それともこれも洞爺湖サミットの影響だろうか?
西平内はホタテ養殖の発祥地とか。歩道にホタテの貝殻がいくつも落ちていたり、ホタテの貝殻を混ぜたコンクリートが敷かれたベンチなどがあったりする。
やがて人家が続く中を行き、
6時40分、小湊駅入り口を通過。
7時05分、夜越山(よごしやま)森林公園を過ぎ、跨線橋をわたる。
7時10分、「東京まで715km」の道路標識がある。自宅の川崎まではさらに20kmあるから、ここから735kmか。随分遠い所を歩いているのだと感慨深い。
7時30分~40分、平内パーキングにて小休止。
案内板があり、
さらに、奥州街道を示す石柱と、
「奥州街道の由来」が書かれてあり読んでみると、「この辺りを通った有名人」として、高山彦九郎の他、伊能忠敬、菅江真澄、吉田松陰らの名前があげられている。高山彦九郎は群馬、伊能忠敬は千葉の人だが、菅江真澄は三河だし、吉田松陰は長州である。川崎が遠いどころではなかった。
8時10分、清水川駅を通過。陸奥湾が見え、遠くうっすらと恐山方面も望まれる。
8時35分、東北本線の普通列車が通過。
8時50分、コンビニで買い物。コッペパン2個、ミルク飴。
9時20分、狩場沢駅で10分間休憩。
特急スーパー白鳥号の通過を撮ったあと、
待合室でお婆さんと少し話。ご主人とは7年前に死別、恐山に行ったときにご主人とお母さんを呼んでもらい、話をしたとのこと。一人暮らしなので青森までいろいろな手続きをしに行くのが大変だ、等々。「お気をつけて」と言われガムを貰う。気温21℃。
10時、野辺地(のへじ)町に入る。
津軽領・南部領の藩境塚があり、
ここにも菅江真澄の碑がある。
10時15分、国道4号線と県道243号線との分岐、下北半島へ向かって、県道を行く。
10時40分、戊辰戦争跡地。
1868年9月、弘前藩(討幕側)の津軽軍と、盛岡藩(旧幕府側)の南部軍がこの地で局地戦。
野辺地戦争戦死者墓所に津軽軍戦死者が葬られている。
11時、JR大湊線の踏切をわたり、
11時15分~30分、スーパーにて買い物。海鮮天丼、トマト、マヨネーズ。ベンチでトマトをほお張り、海鮮丼を食べる。
11時40分、陸奥湾に沿って「むつはまなすライン」の国道279号線を行く。案内板には石川啄木の「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かのはまなすよ 今年も咲けるや」の歌が書かれてある。
11時50分、十符ヶ浦(とふがうら)海水浴場。通過してきた夏泊半島方面が望まれる。
12時15分~45分、「れすとらん常夜灯」で、「元祖」ほたて丼を食べる。1000円。ほんの1時間前にスーパーで食事をしたばかりだったが、「元祖」の文字に引かれて立ち寄ってしまう。味は大変結構。
これで大分時間を喰ってしまい、あとはアップダウンを繰り返す道を、延々とただひたすら「道の駅 よこはま」を目指すことになるが、とにかく遠い。
14時30分、六ヶ所村核燃料再処理工場方面に続く県道180号線との交差点。
横浜まで19kmの表示あり。あと4~5時間か、こりゃ日が暮れてしまうかもしれんな。
野辺地ウインドファームの風力発電の風車を見つつ行き、
15時30分、横浜町に入る。
15時50分、海辺の雲雀平に、幸田露伴の『易心後語』から引かれた文学碑がある。
「左に断えず海を眺めつ
茫々たる原中を
歩まするに菖蒲 玫瑰
遠く近くに 咲きにほひ
さまゞゝの禽の歌ふ
聲長閑く立てる座れる
睡れる 當歳 二歳
三歳以上の馬どもの各が
じゝ自由に振舞へる
も我等の眼には
新しゝ」。
「玫瑰」を「はまなす」と読むことを知る。
傍に大町桂月の「一沼に 馬群れ十里 尾花かな」の文学碑もある。
木材を満載したトラックや、大湊線の写真を撮ったりしつつ、
16時55分、大湊線の吹越(ふっこし)駅を通過。いかにも風の強そうな名前なり。
17時20分、大湊線がたった1両で通過する。
18時~05分、コンビニにて買い物。飲むヨーグルト、またもや大福。
18時40分、ようやくにして道の駅「よこはま」に到着。今夜はここで泊まらせてもらうことにする。
およそ14時間半行動か。我ながら今日はとにかくよく歩いた。靴も随分くたびれてきた。
このまま中1泊で大間まで行くことも可能に思えるが、修行でもトレーニングでもないのに、この調子でわき目もふらず下北半島を駆け抜けたのでは、いったい何のための旅だか分からない。日程も予算も余裕があるので、下北半島でもう2泊することにしよう。
経費 3,190円 累計 260,376円
歩数 84,902歩 累計 3,524,211歩
距離 56km(えっ!) 累計 2,327km
(途中から当ブログにこられた方は、右サイドバー「最新コメント」欄の「★はじまり★/ブログを始めました」をクリックして旅のはじめのページに飛び、最上段の「次の記事へ」から順に、日本縦断徒歩の旅をお楽しみください。--管理人より)