そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第84日 増毛町  大別苅防災ステーションへ

2009年06月30日 | 2008年日本海側の旅
7月3日(木) 晴のち曇 (「浜益海浜公園」~増毛町・「大別苅防災ステーション」)



今日は日程のはざ間で、雄冬までの19キロ行程の予定。ゆっくり起きて支度する。
7時05分、浜益海浜公園キャンプ場を出発。


国道231号線の反対側のセイコーマートで、昨日のごみ出しと買い物。牛乳、スナック菓子、バターピーナッツ、枝豆。
7時15分、歩き始めるとすぐに浜益覆道。


7時25分、浜益漁港方面へおだやかな海に沿って進む。


7時45分、振り返り見る浜益漁港。遠くに愛冠(あいかっぷ)岬も望める。


海から離れ、内陸側へ緑に囲まれた長い坂を上っていくと、土を満載したダンプカーが、クラクションを鳴らし、手を振っていく。昨日の新赤岩トンネル工事現場にいた運転手のようだ。こちらも手を振る。しかし、それは彼一人だけではなく、しばらく行くとまた同じようにクラクションを鳴らし手を振るダンプ。さらにその後も何台か同じようなダンプカーがあるので、工事現場でこちらのことが話題になったのかもしれない。
7時55分、「動物注意」の道路標識あり。


8時05分、群別(くんべつ)川にかかる群別橋をわたり、そのまま坂を下る。


8時45分、生い茂る草の向こうに幌(ぽろ)灯台を見て、幌の集落に入る。


8時55分~9時40分、時間のゆとりがあり、バス停にて大休止。食事をし、明後日の小平(おびら)の民宿を予約する。
9時45分、緑が美しい床丹川を渡る。


9時55分、幌漁港を振り返る。


10時、再び海沿いの単調な道、


波消しブロックにとまっているイソヒヨドリ。


いよいよ海岸線に沿って、断崖にくり抜かれたトンネルが連続する区間に入る。
10時20分、木丹覆道。


10時50分、二ツ岩トンネル(1796メートル)を25分かけて抜ける。右は廃止になり閉鎖された初代二ツ岩トンネル。


10時55分、千代志別トンネル(364メートル)に入る。


千代志別トンネルがそのまま覆道となり、次のガマタトンネル(2060メートル)に接続する。


11時30分、長いガマタトンネルを30分かかって抜ける。


11時35分、タンパケトンネル(340メートル)。


11時45分~55分、タンパケ橋にて休憩。
ホンダのカブで北海道を回ってきた千葉の男性と話。彼は、北海道に来る途中で岩手宮城地震に遭遇。走行中に、大きな岩が目の前を走っていた乗用車の横っ腹にぶつかった、ドライバーに怪我は無かったようだが、あと何秒かの差でバイクが直撃されていたら、と思うとぞっとした等の生々しい話を聞く。
12時20分、雄冬岬トンネル(878メートル)に入る。雄冬岬の周辺は、暑寒別岳から派生してきた陸地が巨大な岩塊となって海に押し寄せ、海は陸地を押し返そうとするがごとき、実に陸と海の戦いの舞台といった趣きである。


トンネルを抜けた所には、「白銀の滝」が流れ落ちている。


雄冬岬の「国道開通」の碑。ここが突破できなかったがゆえに、雄冬は長い間「陸の孤島」を強いられてきたとのこと。


12時45分、増毛町に入る。ここで陸と海との戦いは一旦小休止といった感じ。


12時50分、雄冬キャンプ場に到着。


時間が早すぎるが、そしてキャンプ場の地面の整地がはなはだよろしくないが、さらに天気は下り坂で今夜あたり雨の予報であるが……。しかし留萌まで行くのはとても無理だし、途中の増毛にはキャンプ場がない。
当初計画どおりここにてテント泊にするしかないと決めて、少し周囲を探索。


「雄冬冷清水」。喉が渇いているが飲用にはできない。
かつて北方探検家の近藤重蔵がこの地を訪れた際、この清水の存在を「西蝦夷地日誌」に記録している。


しばらくすると、ボート遊びを終えて帰る途中だという2人組の男性が、ドライブ休憩に来る。旅の話の後、今の時刻でここでのテント泊はもったいないと言って、今夜の宿泊場所を一緒に考えてくれる。そして、留萌までは無理だが、途中半分くらいの距離のところに大別苅(おおべつかり)防災ステーションという駐車場があり、飲料水、トイレも確保できるし、雨もしのげるだろうと言う。2人に感謝しつつ、
13時10分、大別苅に向けて出発。
海沿いを赤岩岬を目指して行く。
13時45分、雄冬トンネル(134メートル)から陸と海との戦いが再開する。


赤岩岬覆道、武好(ぶよし)トンネル(108メートル)を通過し、
岩尾トンネル(90メートル)、


汐岬(しおのみさき)トンネル(64メートル)、


日和トンネル(140メートル)、湯泊(220メートル)と、海沿いの短いトンネルをいくつも抜けていく。もちろんトンネルの長短は工事の難易とは関係なく、どのトンネルも過去の難工事を思わせる。
右は緑の木々が茂るところもあるが、左はほとんど切り立った断崖絶壁をトンネルが貫いている。途中、
14時25分~30分、汐岬トンネル手前の岩尾港バス停にて小休止。
14時50分、「銀鱗の滝」が、黒岩トンネル(770メートル)の手前に流れ落ちている。


黒岩トンネルを10分余りで抜けると、


15時10分、工事中の本日最長の日方泊(ひかたどまり)トンネル(2900メートル)。


日方泊トンネルの約3キロを、トンネル内の一方通行などに緊張し、「高名の木登り」を唱えつつ35分かけて抜ける。
その後も、
マッカ岬トンネル(683メートル)、


ペリカトンネル(394メートル)と通過して、


16時50分、国道231号線最後の大物である大別苅トンネル(1992メートル)を25分かけて抜け、やっと人心地がつく。




やがて道は下り坂になり、
17時05分、大別苅防災ステーション駐車場に到着。
雨対策として、四阿の下にテントを設営させてもらう。
こちらの旅姿のせいもあろうが、今日も北海道の人の親切を実感する。雄冬の2人組の男性の他にも、バイクや自動車から何度も手を振ったり挨拶されたりして激励された。
当初の半日休養の予定と異なり、だいぶ歩くことになったが、ともあれこれで「オロロンライン」南部のトンネル地帯は突破したことになり、ゴールが一気に近づいたような感じだ。

経費  492円        累計  308,027円
歩数  52,739歩     累計  4,216,716歩
距離  36km        累計  2,788km

(本日の到達地点――増毛町)



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