そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第61日 由利本荘市 道の駅にしめへ

2009年05月12日 | 2008年日本海側の旅
6月10日(火) 晴 (十六羅漢岩~秋田県・由利本荘市「道の駅 にしめ」)



4時10分、十六羅漢岩の展望所でペットボトルに水を詰めて出発。


5時、国道345号から国道7号線に戻る。
JR女鹿(めが)駅が発見できず、昨夜の十六羅漢岩でのビバークは正解だったようだ。
JR羽越本線と並行して歩く。
5時35分~6時05分、三崎公園の山形県側の四阿にて食事休憩。


傍の頭上には羽後三崎灯台がそびえている。


三崎峠を、芭蕉が門弟の曾良と共に越えたのは1689年のこと。
往時の有耶無耶関(うやむやのせき)跡でもある。




草木に埋もれるようにして戊辰戦争戦没者顕彰碑がある。東北戊辰戦争は、奥羽越列藩同盟の結成と分裂、白虎隊の若松城篭城戦、野辺地戦争など、興味尽きないさまざまな事件に満ちている。ここでも今後の勉強課題の発見である。


国道をしばらく行くと、今度は秋田県側の三崎公園。峠からの道がここに通じている。


この難路の峠道を、芭蕉は病をおしつつも、象潟の風景を見たい一心で越えたという。


6時20分、秋田県にかほ市に入る。15県目。秋田県を越えると後は青森県と北海道の2つを残すだけとなる。とはいえ、言うまでもなく北海道は大物ではあるのだが。


6時55分、稲の苗が随分と伸びた水田の向こうには風車も見える。


7時10分、青空の下、広々とした水田の眺め。何とも言えない長閑で心休まる景色である。道草というのは、こういう所でするものなり。ザックを置いて小休止。




7時50分、上浜駅にて小休止。駅員さんとしばらく話。彼は、1987年の国鉄民営化のときに退職し、今は委託されて駅で働いているとのこと。駅舎やホームの花壇がとてもきれいに清掃されてあり気持ちがよい。
9時05分~30分、象潟駅近くの小公園で結露したテントを乾かす。
9時40分~10時、羽越本線の線路を渡り、象潟の蚶満寺(かんまんじ)を見学する。




お寺の北側の庭園には、芭蕉像と「象潟の 雨や西施が ねぶの花」の句が刻まれている碑がある。ここの芭蕉像は、敦賀や出雲崎のそれと比較して、いかにも健脚の旅人といった力強さを感じる。


絶世の美女「西施」について。
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」とある。像の隣の「象潟の 雨や西施が ねぶの花」の方が初めに詠んだ句、とか。


境内の池には睡蓮や花菖蒲などが咲いている。


蚶満寺山門。


弁天島方面には、かつての九十九島の名残のこんもりした木立の小山がいくつも見える。象潟は、かつては「東の松島 西の象潟」と言われ、「象潟 八十八潟・九十九島」と呼ばれた景勝地であったが、1804年の大地震で地面が隆起し、現在のような陸地になってしまった。これらの丘が海上に島々となって浮かんでいたなら、それはさぞ美しかっただろうと思う。


10時05分、コンビニで食事。牛乳、菓子パン、ピーナッツ。
10時20分~45分、道路の反対側の「道の駅象潟 ねむの丘」にて小休止。売店で、さくらんぼ、バナナを買う。


象潟は『奥の細道』の最北地点である。この日本縦断の旅の中でも、福井県から逆に辿りつつ、石川、富山、新潟、山形と、いくつかの句とともに付き合ってきた芭蕉翁ともここでお別れである。
ここより北、北海道の渡島半島あたりまでは、主に菅江真澄が往来したであろう道を歩くことになる。菅江真澄は、江戸時代後期の旅行者で民俗学者。宮本常一の『辺境を歩いた人々』にも登場する「歩き旅」の大先達なり。
道の駅休憩所にある菅江真澄の紹介。


休憩所で、菅江真澄に関する案内などを見ながら、さくらんぼを食べる。山形県を通り越してからさくらんぼを買って食べているというのが、「ちょっとピンボケ」なり。
10時55分、JR羽越本線の写真を撮りつつ行くと、金浦(このうら)バイパスに。


12時、雲もなく晴れ渡った空の下、幾分汗ばむ陽気で、跨線橋にて小休止。下をJR貨物のディーゼル列車が通って行く。


12時20分~14時10分、勢至公園にある白瀬矗(しらせのぶ)南極探検隊記念館を見学する。


はじめはちょっと立ち寄る程度のつもりであったが、展示や映像など非常に興味深く、結局2時間近く熱中してしまう。大和雪原(やまとゆきはら)の命名者である南極探検家白瀬矗は地元金浦の出身である。彼の直筆の報告書などの資料や当時の使用装備、南極探検の歴史、現在の観測の様子、またオーロラの美しい映像など、時間のたつのを忘れるほど。




外の公園には、彼らが探検に使用した帆船「開南丸」の模型や、白瀬矗辞世の歌、「我れ亡くも必らず 探せ南極の 地中乃宝 世に出すまで 南極探検隊長 白瀬矗」との碑がある。


14時20分、再び水田の間に木々がこんもり茂った丘がいくつも続く道を行く。


14時25分、旧金浦町(現にかほ市)を抜ける。


15時、仁賀保高原風力発電所の多数の風車が丘の上に林立している。


15時10分、仁賀保駅入口を通過。
15時20分~30分、泊まりに備えて、コンビニで買い物。牛乳、食パン、クリームパン。
16時05分、由利本荘市に入る。


16時40分~45分、しばらく前から違和感のあった足の指にテーピング処理。マメは思ったほどには悪化していなかったが、横着せずもっと早く処置すべきであった。反省事項である。
歩道の無い一直線の道路を車に気をとられつつひたすら歩き、
17時40分、道の駅「にしめ」に到着。
今日はここの休憩所で泊まらせてもらうことにする。
休憩所の外の椅子に腰掛けていた、1200ccのバイクの男性に呼び止められ少し話をする。走行中に見かけたからとか。彼は札幌の人で63歳。ほとんどが蛍光ペンで塗りつぶされた日本全国のロードマップを見せてくれる。道の駅のあり方や国道の様子についての話を聞き、こちらの今後のコースの情報も大分仕入れることが出来る。
さらにその後、休憩所で、今度は大阪からという男性が話しかけてくる。彼の方は、車で全国の温泉をまわっているとのこと。北海道のキャンプ場の情報が参考になりそう。
二人とも6月14日に開かれる盛岡の「チャグチャグ馬っこ」を見に行くとのことで、それはどうやら人気のある催しのようだ。
夕刻、鳥海山が一時姿を見せたが、やはり霞んでいる。

経費  1,542円    累計  225,963円
歩数  64,326歩   累計  2,993,421歩
距離  40km      累計  1,972km

(本日の到達地点――秋田県に入る)


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2 コメント

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Unknown (佐藤)
2009-05-12 11:39:49
久しぶりに全国地図でみるとすごい旅なんだと改めてわかります。

足が悪化しませんように。
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Unknown (「そぞろ」管理人)
2009-05-13 11:43:05
コメント有難うございます。
次回の記事を見ていただければお分かりになると思いますが、翌日(6月11日)に、歩数で300万歩、距離で2000キロを越えます。
また、これまでに行った事がある最北到達点が、八幡平の葛根田川での沢登りでしたから、近々それより以北を歩くことになります。
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