1月18日(木) 晴時々曇のち雨 膳所公園~道の駅びわ湖大橋米プラザ
ビワイチ観光ウォーキングマップ 6
7
8
朝起きると雨は上がっており、6時30分から、公園に集まった人たちと一緒にラジオ体操。
7時、出発。
7時5分、膳所城址。
7時10分、近江大橋。
なぎさ公園を行き、
7時25分、太陽が顔を出す。
「北緯35度線と大津湖岸なぎさ公園」の碑。北緯35度戦場には、テネシー州のメンフィスやギリシャのクレタ島、アフガニスタンのバーミヤン、忠ごこの洛陽や韓国の木浦などがあることを知る。
途中で、芭蕉の墓のある義仲寺に立ち寄っていこうと考え、
7時40分、コンビニにて野菜ジュースを買いがてら、義仲寺への道を教えてもらう。
7時55分、義仲寺についてみたところ、9時にならなければ開かないとのことで諦める。
再び湖岸に戻り北上。
8時20分、常夜燈。
お城のような建物は、「滋賀県立琵琶湖文化館」。
琵琶湖観光船「ミシガン号」。
大津港から離れて、三井寺に向かう。で、うっかりしてケータイを起動するのを忘れていることに気づき慌てて起動する。そのため、それまでの歩数はノーカウント。
9時、西国14番園城寺(三井寺)へ。
園城寺が「三井寺」と呼ばれるのは、天智、天武、持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と言われたことに由来する、とのこと。
仁王門。
阿形仁王像。
吽形仁王像。
入山料600円。
釈迦堂。
近江八景「三井の晩鐘」で有名な鐘楼。
金堂。
3人の天皇の産湯に用いられた泉がわくといわれる閼伽井屋。
霊鐘堂の「弁慶の引摺り鐘」 ――「当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。 むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。
また、この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象が生じたといいます。 良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、 また良いことがあるときには自然に鳴るといいわれています。 」――三井寺のホームページより
弁慶の汁鍋。
一切経蔵。
三重塔。
灌頂堂。
微妙寺、三井寺5別所の一つ。
観音堂へ。
正確には、この観音堂が西国三十三所観音霊場の第14番札所。
琵琶湖展望台という所へ行ったが、昔はさぞかしと思えるも、今はビルが立ち並び、琵琶湖はあまりよく見えなかった。
1時間余りで退出。三井寺は広くて由緒あるお寺で、しかも観光シーズンではないので、静かな雰囲気に浸ることが出来た。
さらに、すぐそばの大津市歴史博物館へ。観覧料320円。
八千年前の縄文時代から現代までの、大津の文化と歴史が豊富な資料によって説明されており、とてもボリュームのある展示だった。時間が許せばもっとじっくり見学したかった。
博物館から見た琵琶湖。先ほどのミシガン号が見えた。
こちらも1時間ほど見学し、
11時、ふたたび歩き体制に。
県道161号を辿り北上。
13時、唐崎神社。
近江八景「唐崎の夜雨」の碑。
霊松「唐崎の松」。この有名な老松は三代目、樹齢150~200年、と。
柿本人麻呂の「楽浪の志賀の辛崎幸くあれど 大宮人の舟待ちかねつ」を思い出す。
13時30分、坂本城跡。
そばには織田信長の命によってここに築城した明智光秀の像。
14時50分、スーパーにて食料調達。
その後は車の多い県道161号を辿る。
15時40分、民家の間を抜けて、近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂のある海門山満月寺へ。
浮御堂。
16時、出島の灯台。他に類を見ない木造の燈台、と。
琵琶湖大橋の近所に住むという女性に案内されて、お喋りをしながら一緒に湖岸道を行き、
16時20分、道の駅びわ湖大橋米プラザへ。今夜はここでテント。
一時、冷たい強風とにわか雨。
23時50分、夜中に小用で起きた際に、ついでに琵琶湖大橋の夜景を一枚。
歩数 33399歩 (累計 163908歩)※ケータイの起動が遅れ不正確。
距離 22.5km (距離累計 105km)
経費 1376円 (経費累計 15417円)※賽銭は別
ビワイチ観光ウォーキングマップ 6
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朝起きると雨は上がっており、6時30分から、公園に集まった人たちと一緒にラジオ体操。
7時、出発。
7時5分、膳所城址。
7時10分、近江大橋。
なぎさ公園を行き、
7時25分、太陽が顔を出す。
「北緯35度線と大津湖岸なぎさ公園」の碑。北緯35度戦場には、テネシー州のメンフィスやギリシャのクレタ島、アフガニスタンのバーミヤン、忠ごこの洛陽や韓国の木浦などがあることを知る。
途中で、芭蕉の墓のある義仲寺に立ち寄っていこうと考え、
7時40分、コンビニにて野菜ジュースを買いがてら、義仲寺への道を教えてもらう。
7時55分、義仲寺についてみたところ、9時にならなければ開かないとのことで諦める。
再び湖岸に戻り北上。
8時20分、常夜燈。
お城のような建物は、「滋賀県立琵琶湖文化館」。
琵琶湖観光船「ミシガン号」。
大津港から離れて、三井寺に向かう。で、うっかりしてケータイを起動するのを忘れていることに気づき慌てて起動する。そのため、それまでの歩数はノーカウント。
9時、西国14番園城寺(三井寺)へ。
園城寺が「三井寺」と呼ばれるのは、天智、天武、持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と言われたことに由来する、とのこと。
仁王門。
阿形仁王像。
吽形仁王像。
入山料600円。
釈迦堂。
近江八景「三井の晩鐘」で有名な鐘楼。
金堂。
3人の天皇の産湯に用いられた泉がわくといわれる閼伽井屋。
霊鐘堂の「弁慶の引摺り鐘」 ――「当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。 むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。
また、この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象が生じたといいます。 良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、 また良いことがあるときには自然に鳴るといいわれています。 」――三井寺のホームページより
弁慶の汁鍋。
一切経蔵。
三重塔。
灌頂堂。
微妙寺、三井寺5別所の一つ。
観音堂へ。
正確には、この観音堂が西国三十三所観音霊場の第14番札所。
琵琶湖展望台という所へ行ったが、昔はさぞかしと思えるも、今はビルが立ち並び、琵琶湖はあまりよく見えなかった。
1時間余りで退出。三井寺は広くて由緒あるお寺で、しかも観光シーズンではないので、静かな雰囲気に浸ることが出来た。
さらに、すぐそばの大津市歴史博物館へ。観覧料320円。
八千年前の縄文時代から現代までの、大津の文化と歴史が豊富な資料によって説明されており、とてもボリュームのある展示だった。時間が許せばもっとじっくり見学したかった。
博物館から見た琵琶湖。先ほどのミシガン号が見えた。
こちらも1時間ほど見学し、
11時、ふたたび歩き体制に。
県道161号を辿り北上。
13時、唐崎神社。
近江八景「唐崎の夜雨」の碑。
霊松「唐崎の松」。この有名な老松は三代目、樹齢150~200年、と。
柿本人麻呂の「楽浪の志賀の辛崎幸くあれど 大宮人の舟待ちかねつ」を思い出す。
13時30分、坂本城跡。
そばには織田信長の命によってここに築城した明智光秀の像。
14時50分、スーパーにて食料調達。
その後は車の多い県道161号を辿る。
15時40分、民家の間を抜けて、近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂のある海門山満月寺へ。
浮御堂。
16時、出島の灯台。他に類を見ない木造の燈台、と。
琵琶湖大橋の近所に住むという女性に案内されて、お喋りをしながら一緒に湖岸道を行き、
16時20分、道の駅びわ湖大橋米プラザへ。今夜はここでテント。
一時、冷たい強風とにわか雨。
23時50分、夜中に小用で起きた際に、ついでに琵琶湖大橋の夜景を一枚。
歩数 33399歩 (累計 163908歩)※ケータイの起動が遅れ不正確。
距離 22.5km (距離累計 105km)
経費 1376円 (経費累計 15417円)※賽銭は別