そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第60日 遊佐町  十六羅漢岩へ

2009年05月10日 | 2008年日本海側の旅
6月9日(月) 晴 (民宿「真砂子屋」~山形県・遊佐町 十六羅漢岩)



7時30分、民宿「真砂子屋」を出発。国道112号線を北上する。今日も好天が続く。


通学の小学生たちと挨拶を交わしつつ、30分ほど行くと松並木が現れる。


松の林は、以後ところどころに家並みを挟みつつも、延々と最上川の手前あたりまで続く。最上川南部の見事な黒松帯は、庄内砂丘ともいわれる庄内海岸からの飛砂防護保安林であり、防風林である。
8時15分、庄内空港地下道を抜ける。


再び松並木があらわれ、昨日の予定宿泊地であった庄内夕日の丘キャンプ場への分岐を過ぎる。


8時30分、防風のためだろうか、木材で囲った人家がいくつも見られる。


8時50分、左手に続く黒松林。


9時05分、赤川にかかる袖浦橋を渡る。川面が日に輝いており、川の両側にも大量の松の木が植わっているのが見える。




9時40分、「歴史遺産 次世代に引き継ぐ クロマツ林」という看板を見つつ通過。


10時05分、コンビニで買い物と食事。牛乳、吹雪まんじゅう。
11時05分、京田川と最上川をまたぐ出羽大橋を渡る。つい最近開通したばかりのこの橋は、1250メートル。橋の上から、左手の河口方面を望む。




『奥の細道』で芭蕉が、「暑き日を 海に入れたり 最上川」と詠んだ、最上川の河口の大きさを実感する。






11時05分、出羽大橋を渡り、酒田市街に入る。


11時15分~30分、山居倉庫へ。


明治26年(1893年)に造られたこの建物は、庄内米の取引倉庫で、大きな三角屋根の土蔵造りが12棟ある。


マンホールの蓋にも山居倉庫の絵。


観光のご夫妻にシャッターを押してもらう。


市街を進むと、市役所の庭の片隅に「酒田三十六人衆ゆかりの地」の碑がある。「三十六人衆」は酒田市の礎を築いた大商人達だそうである。


12時、JR貨物の酒田港線を越えて、
12時25分、国道7号線に合流し、酒田バイパスを行く。
大きな鳥海山が急に現れるが、全体的に霞んでおり、上部は雲の中である。
12時40分、道路標識は、秋田まで100kmを、青森まで300kmを切ったことを示している。


12時55分、宮海で食事のため10分間小休止。
13時45分、宮海橋を渡り、遊佐町に入る。


「おばこおけさライン」と呼ばれる酒田街道(羽州浜街道)を、車と並行して黙々と歩く。
14時50分~15時05分、少しづつ雲が取れて、残雪にところどころ覆われた鳥海山が見えてき、小休止して写真を撮る。


16時05分、コンビニで買い物。飲むヨーグルト、コッペパン、菓子パン。
道路の反対側に道の駅鳥海「森のエリア」があるが、テントは禁止。宿泊は西浜キャンプ場で、とある。予定通り無人駅のJR女鹿(めが)駅まで行くことにして、国道7号線と分れて国道345号線に入る。
16時30分に吹浦(ふくら)新橋を渡り、吹浦駅を通過。鳥海山もずいぶんとはっきり見えるようになる。




16時40分、吹浦漁港を過ぎる。


上り坂を、西浜キャンプ場を遠望し、吹浦港を見下ろしつつ行くと、
16時50分、芭蕉の句碑がある。昨日見たのと同じく「あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ はせを」とある。


夕日が反射して海が輝いている。




17時、坂を上りきったところに、十六羅漢岩がある。
展望所の近くの空き地にテントスペースがあり、飲料水も確保できる。女鹿駅まで歩くつもりであったが、今夜は雨の心配もなさそうだし、展望もよいので、ここで泊まることにする。
十六羅漢岩を見に行った後、展望所で日本海に沈む夕日の写真を撮ろうと待機する。
羅漢岩は、寛海和尚というお坊さんが、幕末から明治にかけて、海難の供養と海上安全を祈願して作ったとのこと。鳥海山から流れ出た溶岩に彫ったもので、全部で22体ある。数えつつ探したが、残念ながらそのいくつかはは見つけられなかった。






その後展望所で、散歩に来たという近くに住む70歳の婦人と話。漁港のコンクリートの堤防が出来て、この辺りの浜も様子が全く変わってしまった。自分が小さかった頃はよく海で遊んだものだが、今は汚れてしまい誰も泳げない。田圃の方も、今年は風が強かったので、せっかく植えた苗が風で倒れたり抜けたりして大変だった、等々。「お達者で。」と挨拶をして別れる。
19時少し前、十六羅漢岩のかなたに、太陽が空と海を赤く染めて沈んで行く。




今日で歩き始めてからちょうど60日目である。
計画より4日弱先行している。というのも、計画では1日あたり25~30kmと考えていたのだが、実際には本州に入り徐々に歩くペースが上がってきているからだ。九州での足首の痛みは、今ではまったくウソのようである。また、風邪もひかず、捻挫等もなくここまで来る事ができた。靴底の摩滅等によって足の裏が若干痛いし、今でもマメは時々できてしまうが、ここまで無事で来られた代償としては微々たるもの。願わくば、この調子が宗谷岬まで続かんことを!

経費  8,214円    累計  224,421円
歩数  56,003歩   累計  2,929,095歩
距離  38km      累計  1,932km

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