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そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第63日 秋田連泊

2009年05月16日 | 2008年日本海側の旅
6月12日(木) 晴 (秋田市・旅館「白鳥荘」連泊)

宿に連泊し、金沢以来の久しぶりの休養日。
本当は、秋田県立博物館に行き、菅江真澄の資料などを見たかったのだが、地図で調べてみると、県立博物館は宿からかなり遠く、むしろ翌日歩く行程の途中にあることがわかる。
8時、たっぷりの睡眠の後、遅い朝食をとる。
宿のオーナーは、秋田市は竿燈以外には特に見所はないと実に素っ気なかったが、天気も良いので、ともかく街に出てみることにする。
9時、宿を出る。
まず宿のすぐそばの千秋公園に行く。ここは藩主佐竹氏の居城であった久保田城址を公園にしたもの。久保田城は消失して今はなく、御隅櫓(おすみやぐら)と表門が名残をとどめるのみ。


若葉となった桜をはじめ、多数の木々に囲まれ、体全体が緑色に染まるくらいのさわやかな気分である。
久保田城御隅櫓を見学。






櫓も市制100年を記念して復元されたもので、物見や武器の貯蔵庫などの役割を持っていたとのこと。見学者は他にはおらず、一人でゆっくりと見せてもらう。内部には資料室と展望室があり、領主佐竹家の、常陸から当地への転封、歴代藩主の業績などの資料を興味深く見る。
「3階展望室」からの展望は、桜若葉にさえぎられて今一つだが、枝の隙間から鳥海山が見える。
公園内は、平日のせいか、まだほとんど人影を見かけず静かである。
中央に、第12代秋田藩主佐竹義堯(さたけよしたか)の像がある。像は、1915年(大正4年)に戊辰勤王記念銅像建設委員会によって建立されたが、太平洋戦争中に解体、1989年(平成元年)に復元された。
彼は最後の藩主で、戊辰戦争では、新政府方に属して戦った。つまり、奥羽越列藩同盟の会津藩・米沢藩の側から見れば「裏切り者」ということになる。もっとも、佐竹氏は、上記のごとく常陸から転封されてきたものでもあり、その思惑と行動などもっと調べてみないと軽々に評価を下すことは出来ない。


表門(一の門)を見る。


公園内には、若山牧水親子の歌碑もあり、
牧水の歌は、「鶸(ひわ)めじろ 山雀(やまがら)ひばりなきしきり さくらはいまだひらかざるなり」と刻まれている。




秋田市立中央図書館明徳館は、藩校「明徳館」にちなんだもので、菅江真澄の著作が多く収められている。
大手門の堀で睡蓮の写真を撮る。なぜか白い花はなく、ピンクの花がちょうど盛りである。


駅前郵便局で、この間に入手したパンフレットなどの諸資料を自宅に郵送。
駅前にジュンク堂があり、下関以来1ヵ月半ぶりに書店をのぞき、菅江真澄関連の書籍を眺める。
その後は、イトーヨーカ堂へ行き、地下で買い物と食事。玉丼パック、おにぎり2個。さらにダイソーで、定規、マーカー、接着剤。
午後は、「あきた文学資料館」へ行く。秋田県の文学史のパンフレットをいただき、


石川達三や石坂洋次郎など秋田出身や関連の作家などの写真や書籍などの展示を見る。


小林多喜二が秋田県大館の出身であったことを初めて知る。てっきり小樽の出だと思い込んでいた。小林多喜二や葉山嘉樹、徳永直などを読んだのは、全共闘運動が行きづまりつつあった頃のこと。


資料室で菅江真澄についての研究誌を見つけ、しばらく読む。
その後、再びイトーヨーカ堂へ行き、今後の食料などを調達。牛乳、食パン、クッキー、ピーナッツ、チョコレート、ポテトチップ、ココア、サラミ、レトルトカレー、コーヒーあめ、ガム2個。
帰路、千秋公園にてBさんと携帯電話で情報交換。彼は、今日は「道の駅いわき」に泊まる予定とのこと。
宿へ戻り、のんびり風呂に入って、買ってきたポテトチップをつまみに缶ビール。
翌日以降の計画の検討と経費の計算などをする。
宿の夕食は、オーナーの手作りで、おかずも和、洋、中とバラエティーに富んだもの。ボリュームたっぷりなり。

経費  3,413円    累計 239,819円
歩数  14,536歩   累計に加えず
距離  ?km       累計に加えず

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徒歩の旅 第62日 秋田市 旅館白鳥荘へ

2009年05月14日 | 2008年日本海側の旅
6月11日(水) 晴のち曇一時雨 (「道の駅 にしめ」~秋田市・旅館「白鳥荘」)



4時30分、「道の駅にしめ」を出発し北上。酒田以北の羽州浜街道は、「酒田街道」と呼ばれる。愛称「おけさおばこライン」の国道7号線である。
空は快晴だがまだいくらか肌寒い。この旅ではじめて牧草ロールを見る。


途中の「道の駅いわき」を越えて、秋田市内まで一気に入る予定を組んだので、歩行距離は今日も40キロ以上になる。加えて、秋田ユースホステルが満員で宿が取れなかったので、別の宿の予約もせねば。
5時10分、子吉川にかかる本荘大橋を渡る。橋は塗り替え工事中で、テープが張られた端を通過。
市街地を行くが、早朝のため車も少なく町も静か。ウォーキングの人たちと挨拶を交わしつつ歩く。
6時、道は海沿いをたどるようになる。
杉の丸太が大量に積み上げられている海岸の広場脇を通過する。秋田は林業の県でもある。


海上は、波はおだやかだが、雨が近づいているせいか遠くはやや霞んでいる。右側、丘の斜面には、野草が咲いている。




6時35分~40分、秋田まで35キロの表示の先に、「夕陽の見える日露友好公園」があり小休止。


1932年12月のロシア漁船の遭難漂着の救助を記念して建立された碑。


7時10分、路傍の花、オオキンケイギクがここにも。


7時15分、強風や寒さへの対策だろうか、この辺りは家屋や畑などが板や丸太で囲ってある所が多い。


7時20分、芦川を渡る。


7時55分、松ヶ崎のコンビニで買い物と食事。牛乳、菓子パン、塩あめ。
8時35分、JR羽越本線の踏切を渡り、以後線路に沿って進む。気温19℃の表示あり。雲が広がって風がひんやりしてくる。
9時20分、羽越本線の写真を撮っていると、小雨が降りだして来、バス停にて雨宿り。


9時40分~10時15分、「道の駅いわき」にて休憩。携帯電話で旅館の予約をする。
ここの道の駅にも菅江真澄のパンフレットがある。


11時30分、雨があがり、低潅木が続く海岸を眺めつつ歩く。




11時55分、秋田市に入る。


13時、こちらは羽越本線の特急。


13時20分、酒田街道は、国道7号線から別れて県道56号線に変わり、秋田駅方面に向かっている。
13時55分、大森山公園の横の坂をゆるく上り、大森山動物園交差点で県道65号線と交差。このあたりから徐々に市街地の雰囲気が感じられるようになる。
14時15分、新屋橋の公園の東屋で10分間小休止。
14時35分、雄物川にかかる秋田大橋。


大橋をを渡っていると、70歳だという男性に声をかけられ、しばらく話。彼は旭川出身の人で、旭川~秋田間は約700キロとのこと。そうするとこちらもあと1000キロくらい。全行程の約3分の2を歩いてきたわけである。


最上川には比ぶべくもないが、雄物川もまた大河の風格はある。


14時50分、橋を渡りきったところで、今度は自転車の青年に話しかけられる。彼は自転車で日本一周をしたいと考えているとのこと。ぜひ実現するように祈っていると言うと、記念に写真を撮らせてくれと言われモデルになる。
以後は市街のビル群をぬって歩くが、秋田市街は、歩行者にとって実に歩きにくい所。自動車優先で、歩行者信号の待ち時間はやたらと長く通行時間は短い。歩道橋や地下道など頻繁な迂回も否応なしである。福井県に次ぐ歩行事情の悪さだと感じる。
16時、宿に到着。宿は秋田駅に近く、千秋公園の横の静かな所。連泊のため宿泊代、1泊2食付5000円×2。

経費  10,443円  累計  236,406円
歩数  65,579歩  累計  3,059,000歩(300万歩を越える)
距離  46km     累計  2,018km(2000kmを越える)

歩数、歩行距離ともに、区切りとなる大台を越えた記念すべき日なり。

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徒歩の旅 第61日 由利本荘市 道の駅にしめへ

2009年05月12日 | 2008年日本海側の旅
6月10日(火) 晴 (十六羅漢岩~秋田県・由利本荘市「道の駅 にしめ」)



4時10分、十六羅漢岩の展望所でペットボトルに水を詰めて出発。


5時、国道345号から国道7号線に戻る。
JR女鹿(めが)駅が発見できず、昨夜の十六羅漢岩でのビバークは正解だったようだ。
JR羽越本線と並行して歩く。
5時35分~6時05分、三崎公園の山形県側の四阿にて食事休憩。


傍の頭上には羽後三崎灯台がそびえている。


三崎峠を、芭蕉が門弟の曾良と共に越えたのは1689年のこと。
往時の有耶無耶関(うやむやのせき)跡でもある。




草木に埋もれるようにして戊辰戦争戦没者顕彰碑がある。東北戊辰戦争は、奥羽越列藩同盟の結成と分裂、白虎隊の若松城篭城戦、野辺地戦争など、興味尽きないさまざまな事件に満ちている。ここでも今後の勉強課題の発見である。


国道をしばらく行くと、今度は秋田県側の三崎公園。峠からの道がここに通じている。


この難路の峠道を、芭蕉は病をおしつつも、象潟の風景を見たい一心で越えたという。


6時20分、秋田県にかほ市に入る。15県目。秋田県を越えると後は青森県と北海道の2つを残すだけとなる。とはいえ、言うまでもなく北海道は大物ではあるのだが。


6時55分、稲の苗が随分と伸びた水田の向こうには風車も見える。


7時10分、青空の下、広々とした水田の眺め。何とも言えない長閑で心休まる景色である。道草というのは、こういう所でするものなり。ザックを置いて小休止。




7時50分、上浜駅にて小休止。駅員さんとしばらく話。彼は、1987年の国鉄民営化のときに退職し、今は委託されて駅で働いているとのこと。駅舎やホームの花壇がとてもきれいに清掃されてあり気持ちがよい。
9時05分~30分、象潟駅近くの小公園で結露したテントを乾かす。
9時40分~10時、羽越本線の線路を渡り、象潟の蚶満寺(かんまんじ)を見学する。




お寺の北側の庭園には、芭蕉像と「象潟の 雨や西施が ねぶの花」の句が刻まれている碑がある。ここの芭蕉像は、敦賀や出雲崎のそれと比較して、いかにも健脚の旅人といった力強さを感じる。


絶世の美女「西施」について。
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」とある。像の隣の「象潟の 雨や西施が ねぶの花」の方が初めに詠んだ句、とか。


境内の池には睡蓮や花菖蒲などが咲いている。


蚶満寺山門。


弁天島方面には、かつての九十九島の名残のこんもりした木立の小山がいくつも見える。象潟は、かつては「東の松島 西の象潟」と言われ、「象潟 八十八潟・九十九島」と呼ばれた景勝地であったが、1804年の大地震で地面が隆起し、現在のような陸地になってしまった。これらの丘が海上に島々となって浮かんでいたなら、それはさぞ美しかっただろうと思う。


10時05分、コンビニで食事。牛乳、菓子パン、ピーナッツ。
10時20分~45分、道路の反対側の「道の駅象潟 ねむの丘」にて小休止。売店で、さくらんぼ、バナナを買う。


象潟は『奥の細道』の最北地点である。この日本縦断の旅の中でも、福井県から逆に辿りつつ、石川、富山、新潟、山形と、いくつかの句とともに付き合ってきた芭蕉翁ともここでお別れである。
ここより北、北海道の渡島半島あたりまでは、主に菅江真澄が往来したであろう道を歩くことになる。菅江真澄は、江戸時代後期の旅行者で民俗学者。宮本常一の『辺境を歩いた人々』にも登場する「歩き旅」の大先達なり。
道の駅休憩所にある菅江真澄の紹介。


休憩所で、菅江真澄に関する案内などを見ながら、さくらんぼを食べる。山形県を通り越してからさくらんぼを買って食べているというのが、「ちょっとピンボケ」なり。
10時55分、JR羽越本線の写真を撮りつつ行くと、金浦(このうら)バイパスに。


12時、雲もなく晴れ渡った空の下、幾分汗ばむ陽気で、跨線橋にて小休止。下をJR貨物のディーゼル列車が通って行く。


12時20分~14時10分、勢至公園にある白瀬矗(しらせのぶ)南極探検隊記念館を見学する。


はじめはちょっと立ち寄る程度のつもりであったが、展示や映像など非常に興味深く、結局2時間近く熱中してしまう。大和雪原(やまとゆきはら)の命名者である南極探検家白瀬矗は地元金浦の出身である。彼の直筆の報告書などの資料や当時の使用装備、南極探検の歴史、現在の観測の様子、またオーロラの美しい映像など、時間のたつのを忘れるほど。




外の公園には、彼らが探検に使用した帆船「開南丸」の模型や、白瀬矗辞世の歌、「我れ亡くも必らず 探せ南極の 地中乃宝 世に出すまで 南極探検隊長 白瀬矗」との碑がある。


14時20分、再び水田の間に木々がこんもり茂った丘がいくつも続く道を行く。


14時25分、旧金浦町(現にかほ市)を抜ける。


15時、仁賀保高原風力発電所の多数の風車が丘の上に林立している。


15時10分、仁賀保駅入口を通過。
15時20分~30分、泊まりに備えて、コンビニで買い物。牛乳、食パン、クリームパン。
16時05分、由利本荘市に入る。


16時40分~45分、しばらく前から違和感のあった足の指にテーピング処理。マメは思ったほどには悪化していなかったが、横着せずもっと早く処置すべきであった。反省事項である。
歩道の無い一直線の道路を車に気をとられつつひたすら歩き、
17時40分、道の駅「にしめ」に到着。
今日はここの休憩所で泊まらせてもらうことにする。
休憩所の外の椅子に腰掛けていた、1200ccのバイクの男性に呼び止められ少し話をする。走行中に見かけたからとか。彼は札幌の人で63歳。ほとんどが蛍光ペンで塗りつぶされた日本全国のロードマップを見せてくれる。道の駅のあり方や国道の様子についての話を聞き、こちらの今後のコースの情報も大分仕入れることが出来る。
さらにその後、休憩所で、今度は大阪からという男性が話しかけてくる。彼の方は、車で全国の温泉をまわっているとのこと。北海道のキャンプ場の情報が参考になりそう。
二人とも6月14日に開かれる盛岡の「チャグチャグ馬っこ」を見に行くとのことで、それはどうやら人気のある催しのようだ。
夕刻、鳥海山が一時姿を見せたが、やはり霞んでいる。

経費  1,542円    累計  225,963円
歩数  64,326歩   累計  2,993,421歩
距離  40km      累計  1,972km

(本日の到達地点――秋田県に入る)


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徒歩の旅 第60日 遊佐町  十六羅漢岩へ

2009年05月10日 | 2008年日本海側の旅
6月9日(月) 晴 (民宿「真砂子屋」~山形県・遊佐町 十六羅漢岩)



7時30分、民宿「真砂子屋」を出発。国道112号線を北上する。今日も好天が続く。


通学の小学生たちと挨拶を交わしつつ、30分ほど行くと松並木が現れる。


松の林は、以後ところどころに家並みを挟みつつも、延々と最上川の手前あたりまで続く。最上川南部の見事な黒松帯は、庄内砂丘ともいわれる庄内海岸からの飛砂防護保安林であり、防風林である。
8時15分、庄内空港地下道を抜ける。


再び松並木があらわれ、昨日の予定宿泊地であった庄内夕日の丘キャンプ場への分岐を過ぎる。


8時30分、防風のためだろうか、木材で囲った人家がいくつも見られる。


8時50分、左手に続く黒松林。


9時05分、赤川にかかる袖浦橋を渡る。川面が日に輝いており、川の両側にも大量の松の木が植わっているのが見える。




9時40分、「歴史遺産 次世代に引き継ぐ クロマツ林」という看板を見つつ通過。


10時05分、コンビニで買い物と食事。牛乳、吹雪まんじゅう。
11時05分、京田川と最上川をまたぐ出羽大橋を渡る。つい最近開通したばかりのこの橋は、1250メートル。橋の上から、左手の河口方面を望む。




『奥の細道』で芭蕉が、「暑き日を 海に入れたり 最上川」と詠んだ、最上川の河口の大きさを実感する。






11時05分、出羽大橋を渡り、酒田市街に入る。


11時15分~30分、山居倉庫へ。


明治26年(1893年)に造られたこの建物は、庄内米の取引倉庫で、大きな三角屋根の土蔵造りが12棟ある。


マンホールの蓋にも山居倉庫の絵。


観光のご夫妻にシャッターを押してもらう。


市街を進むと、市役所の庭の片隅に「酒田三十六人衆ゆかりの地」の碑がある。「三十六人衆」は酒田市の礎を築いた大商人達だそうである。


12時、JR貨物の酒田港線を越えて、
12時25分、国道7号線に合流し、酒田バイパスを行く。
大きな鳥海山が急に現れるが、全体的に霞んでおり、上部は雲の中である。
12時40分、道路標識は、秋田まで100kmを、青森まで300kmを切ったことを示している。


12時55分、宮海で食事のため10分間小休止。
13時45分、宮海橋を渡り、遊佐町に入る。


「おばこおけさライン」と呼ばれる酒田街道(羽州浜街道)を、車と並行して黙々と歩く。
14時50分~15時05分、少しづつ雲が取れて、残雪にところどころ覆われた鳥海山が見えてき、小休止して写真を撮る。


16時05分、コンビニで買い物。飲むヨーグルト、コッペパン、菓子パン。
道路の反対側に道の駅鳥海「森のエリア」があるが、テントは禁止。宿泊は西浜キャンプ場で、とある。予定通り無人駅のJR女鹿(めが)駅まで行くことにして、国道7号線と分れて国道345号線に入る。
16時30分に吹浦(ふくら)新橋を渡り、吹浦駅を通過。鳥海山もずいぶんとはっきり見えるようになる。




16時40分、吹浦漁港を過ぎる。


上り坂を、西浜キャンプ場を遠望し、吹浦港を見下ろしつつ行くと、
16時50分、芭蕉の句碑がある。昨日見たのと同じく「あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ はせを」とある。


夕日が反射して海が輝いている。




17時、坂を上りきったところに、十六羅漢岩がある。
展望所の近くの空き地にテントスペースがあり、飲料水も確保できる。女鹿駅まで歩くつもりであったが、今夜は雨の心配もなさそうだし、展望もよいので、ここで泊まることにする。
十六羅漢岩を見に行った後、展望所で日本海に沈む夕日の写真を撮ろうと待機する。
羅漢岩は、寛海和尚というお坊さんが、幕末から明治にかけて、海難の供養と海上安全を祈願して作ったとのこと。鳥海山から流れ出た溶岩に彫ったもので、全部で22体ある。数えつつ探したが、残念ながらそのいくつかはは見つけられなかった。






その後展望所で、散歩に来たという近くに住む70歳の婦人と話。漁港のコンクリートの堤防が出来て、この辺りの浜も様子が全く変わってしまった。自分が小さかった頃はよく海で遊んだものだが、今は汚れてしまい誰も泳げない。田圃の方も、今年は風が強かったので、せっかく植えた苗が風で倒れたり抜けたりして大変だった、等々。「お達者で。」と挨拶をして別れる。
19時少し前、十六羅漢岩のかなたに、太陽が空と海を赤く染めて沈んで行く。




今日で歩き始めてからちょうど60日目である。
計画より4日弱先行している。というのも、計画では1日あたり25~30kmと考えていたのだが、実際には本州に入り徐々に歩くペースが上がってきているからだ。九州での足首の痛みは、今ではまったくウソのようである。また、風邪もひかず、捻挫等もなくここまで来る事ができた。靴底の摩滅等によって足の裏が若干痛いし、今でもマメは時々できてしまうが、ここまで無事で来られた代償としては微々たるもの。願わくば、この調子が宗谷岬まで続かんことを!

経費  8,214円    累計  224,421円
歩数  56,003歩   累計  2,929,095歩
距離  38km      累計  1,932km

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徒歩の旅 第59日 鶴岡市  民宿真砂子屋へ

2009年05月08日 | 2008年日本海側の旅
6月8日(日) 晴 (道の駅あつみ~山形県・鶴岡市 民宿「真砂子屋」)



5時、「道の駅あつみ」を出発。


6時05分、今日も空は晴れわたり、海はおだやかだ。このあたりから北へ、国道7号線や県道50号線に沿った海岸通りは旧羽州浜街道で、今は「おけさおばこライン」と呼ばれている。遥かかなたに立岩が見える。


6時15分、県道44号線との分岐を通過。あつみ温泉入り口を示す大きなこけし人形がある。


6時35分、JRあつみ温泉駅で小休止。


駅の反対側、海辺にある大鳥神社。




神社の隣は「芭蕉公園」という展望台。「藤沢周平先生絶賛!」と書かれている。
「蝉しぐれ」で有名な作家藤沢周平は、鶴岡の出身。「風の果て」や「春秋山伏記」など、興味深く読んだ記憶がある。


海上には、岩場の間で漁をしている舟も見える。


6時50分、振り返って見た大鳥神社。


7時、コンビニで買い物と食事。今日は湯野浜に泊まるつもりだが、テント泊になった場合をも想定して食料を購入しておく。牛乳、食パン、薄皮アンパン、薄皮クリームパン、ピーナッツ。手持ちが、乾パン、サラミ、レトルトカレー、マヨネーズ、塩しかなかったので、一応ゆとりをもって行動できる。
7時35分、立石を通過。芭蕉の句碑があり、「あつ美山や吹浦やかけてゆふ涼み 芭蕉翁」と刻まれている。




句碑の先に、俵を積み重ねたように見えることから命名された「塩俵岩」。


日曜日のせいか、バイクライダーの集団がいくつも通る。手を振って合図をしていくバイクもある。
8時30分、新五十川(しんいらがわ)トンネル(396メートル)を抜ける。海はあくまでもおだやかで、釣り人も何人か見える。


9時05分、堅苔沢(かたのりざわ)に「鬼かけ橋跡」の碑がある。


『奥の細道』ゆかりの地で、曾良の文にも出てくるとか。


600メートル先の、鬼かけ橋跡。


9時35分、鯵ヶ崎トンネル。係員にトンネル内は工事中で通行できないと言われ、強引に作業用の自動車に乗せられてしまう。実際、入ってみると確かにトンネル内部は狭く仕切られており、片側通行がギリギリの状態で、歩行は無理と思われる。フェリー以外ではすべて歩きのつもりで、兵庫県の諸寄でも、自動車に乗せてもらった地点から翌日は歩き始めたりしたのだったが、これではやむを得ない。


9時55分、鶴岡ユースホステルの横を通過する。この時間では、ユースのチェックインまであと6時間もある。結果的には、ここで宿泊しなくてむしろよかったというべきか。
10時10分、道路が坂を上りきった先の標識の無い分岐で、さてどちらに行くべきか一寸迷う。折りよくバイクライダー達が左折していったので、それに従って由良漁港方面に下る。そこは近道だったようで、直進して行っていたら大回りになるところだった。途中から県道50号線に入る。
下り坂から見る由良漁港。


10時30分~40分、由良の商店で、買い物と小休止。酵母こしあんパンと酵母いちごジャムパン。
横光利一の文学碑があり、「蟻台上に飢えて月高し」と書かれてある。


その傍には、江戸時代の郷土の力士、朝日嶽鶴之助の碑なんぞというものもある。


「由良」というと、通ってきた京都にも「丹後由良」という地名があった。共通する謂れでもあるのだろうか。そう言えば、赤穂浪士の大石内蔵助も「仮名手本忠臣蔵」では大星由良之助となっていたが。
11時、漁港の先は由良海水浴場。おだやかな海を見つつ歩く。


12時、加茂漁港。


12時10分~25分、短い加茂の浦トンネルを抜けたところの公園にて小休止。足の裏にテーピングを2重に貼って痛みの軽減をはかる。
ウォーキングシューズの底もだいぶ磨り減ってきている。おまけに、4日連続で6万歩以上の歩行である。足の裏が痛くなるのも無理もないことか。湯野浜で適当な民宿を見つけて、今日はそこに泊まることにしよう。
12時40分、加茂漁港を振り返って。


13時、湯野浜に入る。


家族連れが浜辺で遊んでいる横を通り、温泉街に入っていく。
ツーリングマップルに「東北・日本海岸最大の温泉地」とあるように、砂浜に沿って高層の温泉ホテルが林立している。
どこの宿も、高くて(tall)、高そう(expensive)だ、などと洒落ながら、民宿はどの辺りにあるのかなと探しつつ行く。
13時30分、「真砂子屋(まさごや)」という民宿を見つけて尋ねると、1泊2食で7000円とのこと。感じもよさそうなので、早速ここに決定。
まだ時間が早いが、すぐに風呂に入れさせてもらい、汗を流して入念に足のマッサージをする。
時間がたっぷりあるので、溜まっていた着替えの洗濯をしたり、記録をまとめたり、この間の会計の計算をしたり、先の予定を考えたりと、とりとめなくのんびり過ごす。
夕食は、刺身、カニ、豚しゃぶ、煮物、ぬた、帆立貝の味噌汁と豪華な食事。
民宿の奥さんが、歩き旅に興味をもっていろいろ尋ねるので、こちらも随分とおしゃべりをしてくつろぐ。宿泊代、上記の通りで7000円。

経費  982円(宿泊代は翌日会計) 累計  216,207円
歩数  50,484歩         累計  2,873,092歩
距離  31km           累計  1,894km

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徒歩の旅 第58日 鶴岡市  道の駅あつみへ

2009年05月06日 | 2008年日本海側の旅
6月7日(土) 曇のち晴 (岩ヶ崎バス停~山形県・鶴岡市 「道の駅あつみ」)



4時30分、出発。
歩き始めた直後に路傍に湧き水を発見。こんこんと溢れ出る水で歯磨き、洗面をし、たっぷり飲んで水分補給。500ccペットボトル2本も満タンに。
4時45分、日本海に沿って、国道345号線を北上する。


JR羽越本線と並行して行く。


海岸線のすぐ傍まで水田が広がる。


5時10分、「海府ふれあい広場」のトイレで朝のおつとめ。泊まり場から30分余りで飲料水もトイレも確保できたわけで、結果として岩ヶ崎バス停は好宿泊条件であったということになる。道の駅や無人駅ならそんな心配もする必要はないのだが。
さらに食事のため10分間の小休止。
その後、この近辺にて泊まるのに快適そうなバス停を4箇所ほど確認する。
5時35分、無人駅の間島駅は、駅舎の待合室もホームのそれも宿泊可能と思われる。


5時55分、海は穏やかで、


天気も急速に回復してくる。


6時、大阪と札幌を結ぶ寝台特急の「トワイライトエクスプレス」が通過。




6時05分、海岸に杭が林立している。秋に刈り取った稲を架ける「はざ木」だろうか。


6時35分、近くの海中に岩が現われ、遠くに佐渡島も見えてくる。ここ数日のうちで今日が最もよく見える。
(訂正――佐渡島だとばかり思っていましたが、実は粟島だったようです。)


ここからの佐渡は、見る位置のせいか随分と幅の狭い島である。
(訂正――佐渡ではなく粟島だったため、随分と幅の狭い島に見えたようです。)


6時45分、海を眺めつつ、快調に歩を運ぶ。






7時、ここにもたくさんの杭が立っている。




7時35分、海辺の小屋では魚を干している。


7時45分、海岸線にはさらに岩が増えて、「笹川流れ」が近いことを教えている。




7時55分、旧山北(さんぽく)町の表示。2008年4月に村上市に合併された。短い鳥越トンネルを抜けると「笹川流れ」。


海岸に大きな奇岩が見え始める。


8時25分、「道の駅 笹川流れ」。まだ店は開いておらず、食料の買い物はできない。数人のバイクのライダーが手持ち無沙汰そうにたむろしている。
道の駅に接している桑川駅は泊まれそうである。
8時45分、「笹川流れ」の眼鏡岩。以前は2つ穴が開いていたが、1964年の新潟地震で1つが崩れてしまったとのこと。


「笹川流れ」は日本百景に数えられている。約11キロにわたり多くの奇岩や洞穴が海岸線に連続する。




海岸の岩の写真を撮りつつ進む。それにしても岩場や絶壁や洞穴と自然の造形は実に見事なものだ。岩陰を遊覧船も見え隠れする。
9時、頼三樹三郎の笹川流れ賛の碑があり、「松島はこの美麗ありて此の奇抜なし 男鹿はこの奇抜ありて此の美麗なし」と刻まれている。


砂浜には家族連れの姿も。


9時20分~30分、バス停にて食事。ずっとコンビニも商店もなく、もう一昨日買った食パンの残りとマヨネーズと水だけしか残っていないが、それでも口にできるものがあるだけよい。
鶴岡のユースホステルに予約の電話をするが、満室で明日の宿泊は不可とのこと。代替策を考えねばならない。
9時40分、再び海を見つつ。




9時50分、「笹川流れ」の案内碑。
「岩船郡山北町大字浜新保より大字寒川に至る海岸線」とある。


JR羽越本線に並行して歩いているので、さまざまな車両が通る。
貨物列車。


特急列車。


普通列車。


11時15分、越後寒川駅を通過。
12時25分、寝屋にて自販機を見つけ、ペットボトルを買って喉を潤す。
12時45分、勝木(がつぎ)駅の先で、国道7号線に合流する。
合流地点にコンビニがあり、買い物と食事。牛乳、おにぎり2個、菓子パン、豆大福。一気にみんな食べてようやく人心地が着く。
コンビニの女店員になぜ「かつき」ではなく「がつぎ」と読むのかを聞いてみたが、わからないとの答え。
13時30分、府屋第一トンネル(605メートル)、府屋第二トンネル(190メートル)と抜けていく。
13時45分、スーパーがあり、今夜と明朝およびその後のための食料を買う。乾パン、ミニトマト、バナナ、サラミ、レトルトカレー、マヨネーズ、飴。
15時、山形県鶴岡市に入る。14県目まで来たことになる。


15時20分、鼠ヶ関跡を通過。勿来、白河とともに東北三大関所の一つ。内務省設置という大きな石碑がある。




弁天島遠望。


16時、「道の駅あつみ」に到着。今日はここで泊まらせてもらうことにする。
休憩所にザックを置いて、売店などを見物。週末なので大勢の人が出ている。
売店で名物の「だだちゃ豆アイス」を買う。
この4日間は連日40キロ以上の歩行行程だったので足も少し痛い。足のメンテナンスのために、明日は計画よりやや手前ながら湯野浜温泉泊を検討する。

経費  2,024円    累計  215,225円
歩数  64,470歩   累計  2,822,608歩
距離  42km      累計  1,863km

(本日の到達地点――山形県に入る)


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徒歩の旅 第57日 村上市  岩ヶ崎バス停へ

2009年05月04日 | 2008年日本海側の旅
6月6日(金) 雨のち曇 (「丸井旅館」~新潟県・村上市 岩ヶ崎バス停)



夜明け前に一度雨が上がるものの、朝食時再び降ってくる。旅館のご飯は食堂のお姉さん自慢のコシヒカリで、確かにとても美味しい。朝食も夕べと同様に2度おかわりする。彼女に言われて気づいたが、半ズボンから出ている足は、後ろ側の方が色が黒い。北に向かって歩いているので、知らぬ間に後ろ側がよく日焼けしたらしい。
7時30分、雨は相変わらず。はじめから雨具を着て出発。今日も長丁場になりそうだ。
途中までは昨日通った商店街を引き返すが、確認しておいた道路標識をうっかり見落としてしまう。
結局、住吉町交差点、舟入交差点と非常な遠回りをし、国道7号線に沿って戻る羽目になる。
8時50分、ようやく城北町の交差点にたどり着く。左折して県道21号線を日本海方面へ、紫雲寺方向を目指す。朝っぱらから大きなロスなり。
9時、広々とした越後平野の水田地帯を行く。雨は一時上がるものの、今日の飯豊連峰は雲の中である。


9時20分、加治川橋を渡る。


9時30分、2ヶ月半前に閉校になった新発田市立中川小学校跡を通過。


郷土の詩人相馬御風の作詞による校歌が刻まれた記念碑。


過疎化による少子化と町村合併の結果だろうか。そういえば一昨日も廃校跡を通ったっけ(6月4日)。


9時50分、日本海東北自動車道の高速道路の下をくぐり、
10時、さらに緑の水田地帯を通って行く。広々と果てしなく続く越後平野の穀倉地帯だが、ところどころに見える減反政策による休耕田が痛々しい。


10時15分、稲荷岡交差点で右折。村上方面に向けて県道3号線に入る。民家が続き、時折右手に水田が垣間見える。
再び雨が強く降ったり止んだりし、雨具の着脱で消耗の繰り返し。黒い雲に追いかけられるようにして歩く。
11時30分~45分、気づかないうちに胎内市に入っており、築地(ついじ)にて小休止し食事。道路には小さなカタツムリがいくつも這っていて懐かしい。
12時40分、胎内川にかかる新胎内橋を渡る。飯豊連峰から流れ出る胎内川は水量多く澄んでいる。
13時05分、大出(おおいで)にて国道113号線に合流。とたんにトラックの量が増える。
このころになりやっと雨が上がって、時々陽も差すようになる。
13時35分、乙(きのと)という名の交差点を経て、村上市に入る。乙を正しく読める人は少ないだろうから、きのと(きっと)難読地名に分類されるだろうな。


13時45分、道標を見かけ写真に撮る。


米沢街道(小国街道)と羽州浜街道(出羽街道)の交点なり。


相変わらず、水田地帯が広がっている。


14時05分、金屋郵便局のATMで2万円下ろす。
14時35分、海岸線を通ってきた国道345号線に合流し、荒川にかかる長い旭橋を渡る。橋からは2日ぶりの日本海が遠望できる。


14時40分、コンビニにて買い物と食事。牛乳、コッペパン、豆大福。
15時45分、水田の脇を通りつつ行き、路傍で撫子の花を見かける。


16時、越後平野の水田地帯もそろそろ北端に近づく。


16時30分、瀬波温泉トンネル(1045メートル)を抜け、村上市街地に向かう。
JR村上駅の北側の陸橋を渡り、肴町交差点を左折、日本海方面に行く。
17時、コンビニで当面の食料調達。薄皮チョコパン、ロシアパン、バターピーナッツ(このときは気づかなかったが、この後、勝木までコンビニも商店もなく、ここで買っておいた食料は貴重だった)。
17時30分、三面川にかかる瀬波橋を渡り、急坂を登る。
雲間から雄大な日本海に光を投げかける太陽を写真に撮る。佐渡島もよく見える。
(訂正――佐渡島だと思っていたのは、実は粟島だったようです。)


17時55分、坂を上りきったところに、立派な「岩ヶ崎」のバス停を発見。実際には冬の過酷な天候を物語るのだが、今の自分にはおとぎの家のように見える。


予定では無人駅の間島駅まで足を伸ばすつもりだったが、時間も遅くなってしまい、ここは無理をせず、このバス停を借りて今日の泊まり場にさせてもらうことにする。宿以外での宿泊地選定の基準は、まず飲料水とトイレの確保であり、従ってバス停泊は優先順位では下位ランクにあるのだが、屋根があるのはうれしい。中は清掃が行き届いており非常に快適。
夜間は、たまに通る夜行列車か貨物列車の響きを夢うつつに聞きながらも、ゆっくりと眠る。

経費  755円       累計  213,201円
歩数  65,292歩    累計  2,758,138歩
距離  45km       累計  1,821km

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徒歩の旅 第56日 新発田市 丸井旅館へ

2009年05月02日 | 2008年日本海側の旅
6月5日(木) 晴のち雨 (越前浜防風林内~新潟県・新発田市 「丸井旅館」)



3時過ぎ起床、前夜は早々と眠ってしまったので今日は睡眠十分。暗い中で、朝食をとり、テントを撤収する。予報では天気は下り坂ということで行動を急ぐ。
4時05分、出発。天候の悪化を予測させるかに朝焼けの空に燃えるような色の雲たなびいている。




4時15分、単調に続く国道402号線を東へ向かってひたすら歩く。


4時25分、四ツ郷屋(よつごうや)海水浴場へと続く交差点を通過し、現在地を確認する。
予想地点とさほどは違ってはおらず。
その後、一時佐渡島が松林の切れ目から望めるも、それ以外のところでは防風林にさえぎられて海もほとんど見えない。
5時30分、新川にかかる往来橋を渡り、402号線からそれて、新川沿いをJR越後線の内野駅方面に向かう。
5時55分、内野駅を通り、「西大通り」の方の国道116号線に出る。
6時05分~20分、コンビニで買い物と食事。牛乳、カツ弁当、おにぎり2個。コンビニ先の広場で、結露したテントを乾かし、「新潟西バイパス」の方の国道116号線の方面に向かう。
この時点までは、距離からいって、今夜の泊まりは「道の駅 豊栄」のつもりでいたが、直後に事前調査の不十分さを思い知らされることになる。
7時、新通ICへ着いてみると、新潟西バイパスは自動車専用道路で、歩行者は通行不可との表示板がある。
結局、元来た道をとぼとぼと引き返す。この間に40分ほどのロスタイム。
さらに、これでは新潟西バイパスの延長にある新新バイパスの「道の駅 豊栄」は使用できないだろうと一人合点。使用できないとすると、さて今夜は何処に泊まろうかと考えながら歩く(実際には道の駅へ通じる他の道路があり使用可能だったようだ)。
ともあれ、先ほど通過した西大通りへ戻り、坂井交差点で右折、県道16号線を新潟駅の方に向かって行くことにする。
小学生が通学してくる商店街の通りを、
7時55分にJR越後線の寺尾駅の傍、
8時25分に小針駅の傍を過ぎ、
8時35分~45分、青山水道公園で小休止。
おにぎりを頬張りつつ、今日のこれからの行動について作戦を練る。
宿泊は、新潟駅近辺ではあまりに近すぎるので、降雨との兼ね合いだが出来るだけ前進し、日本海側の公園かさもなければ新発田駅あたりでも、という暫定的結論に。
9時10分、信濃川の関屋分水路にかかる関屋大橋を渡る。




こちらは信濃川本流。分水されても信濃川は日本一の大河である。


新潟駅方面を目指して、整備されて公園になっている河川敷に沿って行く。


信濃川の鉄橋を行く越後線。


土手は爽やかで、ウォーキングをする人、ジョギングをする人、犬と散歩する人などが何人もいる。また、遠くには雪が白く鮮やかな懐かしい飯豊連峰も一部望まれる。飯豊全山縦走をしたのは9年前の秋口だった、などと思い出しながら。あの時飯豊本山のテント場で見た満天の星空と人工衛星は忘れられない。
こちらは昭和大橋。1964年6月16日の新潟地震で、架け替え後15日にして落橋。その後改修して現在に至る。


10時05分、さらに河川敷を行き、萬代橋の手前で管理の人と話す。彼の話では、新潟地震のときにも、他の橋が壊れたのに萬代橋はびくともしなかったとのこと。




10時15分、6連アーチの姿が美しい萬代橋を渡る。


振り返って見る。


萬代橋の「橋側灯」の説明。


ビル街を通り抜け、国道113号線を行こうとするも、
10時分40、万国橋を渡ったところでついに雨が降りだす。雨具、ザックカバー着用。
雨はその後、夕方まで降ったり止んだりの天気となる。
11時15分、コンビニで今夜と明朝の食料などを買い込む。牛乳、飲むヨーグルト、おにぎり4個、食パン、ハム、ピーナッツ。ヨーグルトだけその場で飲み出発。
左折し、県道3号線を行くことにする。
12時30分、ワークショップで5本指靴下4足セットを買う。穴が開いてしまったこと、5本指は指と指との間のマメ防止に有効であること等々。
レジで、たまたま鹿児島から北海道まで歩いているという話になったところ、レジ嬢や他の女店員たちが感激し、タオルや軍手をおまけにくれた上、口々に「気をつけて」「頑張って」と5人総出で激励。うら若き女性たちの黄色い声援で見送られるということは、はなはだもって結構なことでございます。
13時20分~40分、阿賀野川に架かる泰平橋を渡り、小休止。
阿賀野川はとにかく桁違いに川幅が広く、川幅について言えばこれまで渡った中で一番ではなかろうか。とにかく感動するくらいに広い。かつて何度か沢登りをした只見川はこの川の上流である。


さらに県道3号線をどんどん進み、
14時50分、内島見(うちしまみ)東の交差点を通過。
15時10分、新発田市に入る。今夜の降雨量を想定し、新発田駅前の旅館に泊まることに決定。急遽電話で予約をする。
後は、宿まで飯豊山脈を正面にみつつ一気に行く。時々見える山塊は南部がガスに覆われてしまっている。
高速の日本海東北自動車道の下をくぐり、
16時20分、市街地を新発田駅方面に向かう。


再び雨が降り出してくる中を、市周辺の量販店などが並ぶ地域を抜け、さらに駅前商店街を抜けて、JR新発田駅に出る。
17時20分、雨の中、ようやくにして「丸井旅館」に着き、ともあれ13時間行動を終える。宿泊料6615円。
今日は、長距離であったこと、事前調査が不十分で道路や道の駅の利用が不確かであったこと、行動方針が一定しなかったことなど、反省点の多い一日である。

経費  8,993円(宿泊料前払い) 累計  212,446円
歩数  71,921歩          累計  2,692,846歩
距離  53km             累計  1,776km


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徒歩の旅 第55日 新潟市  越前浜防風林へ

2009年04月30日 | 2008年日本海側の旅
6月4日(水) 晴時々曇 ( 「道の駅 越後出雲崎天領の里」~新潟県・新潟市 越前浜防風林内)



夜明け前、目を覚ますと暗い空に星が沢山瞬いているのが見える。芭蕉が見たのもこの時季だろうか。しかし天の川までは見えず。やはり「光」害ということか。
5時、道の駅を出発。
海は穏やか、太陽が出て、光が海面に反射してとてもきれいだ。


出雲崎漁港を見つつ国道352号線を行く。
5時15分、良寛堂で小休止。




海を見て座っている良寛像。




台座には、「たらちねの ははがかたみと あさゆふの 佐度のしまべを うちみつるかも」と刻まれてある。佐渡は良寛の母「おのぶ」の生地である。


国道402号線に入る。
5時25分、出雲崎おけさの「おけさ源流の碑」を通過。




5時55分、霞がかかって佐渡はまだ見えない。
「海は荒海 向こうは佐渡よ……」と歌いつつ。


6時05分、井鼻海水浴場。


6時30分、長岡市に入る。
和島オートキャンプ場の近くの路傍に、ぽつんと草に埋もれて「お春瞽女(ごぜ)之碑」が立っている。碑文は今東光の書。今東光は瀬戸内寂聴の出家得度の際に手を貸したりもしており、単なる右翼の毒舌坊主というだけではない何かがあったようだ。


解説文もなかなか味わい深い。昭和22年(1947年)秋といえば、ちょうど自分の生まれた頃のことである。


7時10分に県道277号線との分岐を、
8時には県道169号線との分岐を、爽やかな空気に包まれ海を見ながらハイピッチで歩く。
新潟県の海岸は「日本海夕日ライン」と名づけられている。


8時05分、松沢町交差点から、寺泊市街に入っていく。
8時15分、佐渡汽船のフェリー乗り場。


8時25分~40分、寺泊の魚のアメ横。まだ時間が早いため、準備中の店が多い。


観光客の姿もまだ見えない。


開いている売店で、イカと番屋揚げの串焼きを買う。番屋揚げは、草履のごとき形状の巨大さつま揚げといったようなもの。


イカ焼きは大きく肉が厚いので、今はとりあえずこれだけで十分満腹。番屋揚げ焼きは後で食べることにしてザックのサイドポケットに入れておく。
さらに、行動用及び今夜の分として一応トマトも買っておく。
9時10分、信濃川の大河津分水路にかかる野積橋を渡って、
9時15分~35分、SOWA美術館手前の芝生の公園で小休止。
結露に濡れたテントと雨具を乾かしながら、先ほどの番屋揚げ焼きを食べる。
気温は21℃だが、さほど暑いとは感じない。
10時、のどかな水田地帯を通る。


10時20分、左手海岸沿いの「立岩」や


10時25分、右手山側の「滝の川」を見つつ行く。




10時35分、新潟市に入る。このあたりは「越後七浦シーサイドライン」というそうだ。


空は青く、海もまた青く、波は穏やか、絶好の歩き旅日和である。




立壁トンネル、崖松トンネル、白岩トンネルと短いトンネルを抜けて、
11時35分、国道55号と交差する、間瀬交差点あたりで気温は19℃。しかし今度は表示よりははるかに暑い感じである。
間瀬漁港を過ぎ、
11時55分、間瀬海水浴場。


さらにいくつかのトンネルを抜けて行く。
道が大きく山側に上り、
12時35分、やや長いトンネルを2つ(585メートルの角海トンネルと、714メートルの五ヶ浜トンネル)抜けると、今度は海の方へ下っていき、浦浜海水浴場に着く。
13時15分、海の中にある「立岩」を眺めて過ぎる。このあたりには、「立岩」という名称の岩がいくつかある。


13時30分、角田岬の白い灯台を遠く眺めながら行く。


13時40分、角田浜海水浴場。しかしシーズンオフのため買い物ができるような店はない。
そのまま越前浜へと、トラックが頻繁に走るアップダウンの多い道を行く。
今日は距離からいってどこかでビバークになるだろうと覚悟し、適地を探しながら歩く。
しかし、右側は野菜畑、左側は防風林で、なかなか適当なビバークサイトが見つからない。単調な道がどこまでも続き、さてどうしたものかなと考えながら黙々と歩く。
終いには、ままよ、見つからなければ、このまま歩き続けて新潟市街に入っていってもいいや、新潟駅の近くまで行けば宿泊施設はあるのだから、と腹をくくる。
そう決めて歩いていると、
15時30分、松の苗木を植えるため通行止の看板が設置されている、浜辺方面への入口がある。さらに、よく見ると通行止のワイヤーの横に出入りをした形跡もある。そして、偵察がてら一応防風林の中の方へ入ってみると、テントを張った跡もあるではないか。
よしここに決定。
松の苗木に影響のないように、砂浜近くの草むらを選び、今夜の泊まり場とさせてもらうことにする。
単調な防風林がどこまでも続いているので、ここが越前浜のどのあたりか、正確な現在地はわからず。
設営後、早朝からの行動の疲れからか、潮騒の子守唄を聞きながらあっという間に眠りに落ちる。

経費  950円        累計  203,453円
歩数  62,633歩      累計  2,620,925歩
距離  約42km       累計  約1,723km

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徒歩の旅 第54日 出雲崎町 越後出雲崎天領の里へ

2009年04月28日 | 2008年日本海側の旅
6月3日(火) 曇一時雨 (「風の丘米山」~新潟県・出雲崎町 「道の駅 越後出雲崎天領の里」)



5時30分、一人でゆっくり宿泊させてもらった道の駅の休憩所を出発。


昨日上ってきた坂を下り、国道8号線をJR北陸本線と平行して海岸に沿って北上。


6時、鯨波交差点で国道8号線と別れ、左折して柏崎港方面へ。
6時30分、港には、イカ釣り漁船が停泊。


6時40分、鵜川を渡り柏崎市街地へ入る。


工事箇所が続出し紅白のコーンが目立つ。2007年7月の中越沖地震の被災地は、復旧工事中なり。



6時50分、コンビニで食事。牛乳、おにぎり2個。
市街地に入るや、仮設住宅がいくつも立ち並ぶ地域を通って行く。




7時05分、国道352号に入る。
「新潟県立柏崎アクアパーク」は壊れており閉鎖中(その後2008年7月27日に再開された)。


復旧工事の掲示。


7時20分、道路にも各所に被害の後が残っている。そういえば、 「道の駅 風の丘米山」休憩所の備え付けノートにも、地震発生直後休憩所にボランティアが大勢宿泊したとの記載があった。


7時35分、鯖石川にかかる安政橋を渡り、柏崎市街地を抜ける。
7時50分、雨が降り出し、バス停にて雨宿りを兼ねて20分間の小休止。なかなか降り止まず、雨具を着用して出発。
8時50分、荒浜交差点を通過。
9時30分、海から離れ、柏崎刈羽原子力発電所を大きく回りこんで刈羽村に入る。
雨がさらに強くなる中、原発の横を行く。
道路左の原発側は樹木によって目隠しされている。頭上遠くに見える紅白縞の鉄塔は原発のもののようだ。
前年の中越沖地震後、東京電力柏崎刈羽原発は全7基が運転停止中。
時折自動車が飛沫をあげて通過する中を黙々と歩く。
9時55分、刈羽トンネル(551メートル)を抜けて、刈羽村から再び柏崎市に戻り、海岸に沿って行く。
10時20分、酒店で買い物、牛乳、菓子パン2個、バナナ。
海岸の四阿で食事がてら雨宿り。
その後も地震復旧の道路工事箇所をいくつか通過する。
11時、椎谷で国道352号線が通行止め。観音岬が通れず、整理員の指図で279号線を内陸方面に大きく迂回。緑の丘や田圃に雨が降り注ぐのを眺めながら行く。
12時05分、ずいぶん行った頃にようやく左折。新しくできたばかりの堂坂トンネルを抜け373号線へ。見通しが立ち、25分ほど雨宿りと食事。
雨が上がりやや陽も差してきたかなと思うものの、再び曇ってくる。両側が田圃の挟まれた田園地帯の中の道を行く。
12時30分、もとの国道352号線に戻り、海沿いの北上を続ける。
12時35分、雨はすっかり上がり、バス停にて雨具を脱ぎ、小休止。
遠くの海上に佐渡島らしき塊が見える。このところ雨や霞などでなかなか見えなかったが、やっと見ることができたようだ。
13時25分、石地(いしじ)海水浴場にて15分間休憩。


浜にいた中年男性と話。
石地地区は地震をまぬがれたが、柏崎市街地はひどかった。この違いは地層の関係かもしれない。先ほど迂回させられたところは、崖崩れでずっと通行止め。今後はトンネルを掘る予定になっているとか。
佐渡島の左に小さい佐渡が見えると言うので目を凝らすとそんな感じもする。佐渡の島の地形がそう見せるのだと。また、佐渡まで海の中で岩が飛び飛びに続いており、それが隆起したときに伝って佐渡に渡れたという伝説がある、などの話を聞く。
13時45分、海上遥かの佐渡島。


セグロカモメなど。


14時、出雲崎町に入りさらに行くと、


14時30分、「道の駅 越後出雲崎天領の里」に着く。「天領」とは江戸幕府の直轄地のこと。


ここは、道の駅とはいえドライバーのための無料休憩所もない。天領出雲崎時代館とみやげ物とレストランの観光センターの一角を、国土交通省が間借りして道の駅にしているといったところか。
レストラン前の広場の、焼きそば屋のおばさんにザックを見ていてもらい、さっそく「良寛記念館」に行く。
途中で「芭蕉園」に立ち寄る。芭蕉の像。


『奥の細道』の一節と「「荒海や 佐渡によこたふ 天河」の句の碑がある。




さらに、芭蕉が宿泊した旅人宿「大崎屋」の跡。




また、近くに「北国街道人物往来史」という非常に興味深い掲示板がある。


佐渡に流罪になった人々の他に、上杉謙信・景勝、豊臣秀吉らの武将や、日蓮上人や遊行上人(一遍)、木喰上人らの僧、芭蕉や池西言水や谷文晁らの文人たち、歌舞伎の阿国や忠臣蔵の堀部安兵衛たちが、この地に泊まったり通過したことが分かる。意外だったのは、吉田松陰の名があったことだ(後日、青森にても松蔭の足跡を知る。無知は恥しきものなり)。






15時05分、「良寛記念館」は坂を上った途中にある。


記念館への道の脇に、良寛の作品が石に刻まれてある。
「君看雙眼色
 不語似無憂」
(君看よ 双眼の色  語らざるは 憂なきに似たり)


「己東毛羅東 轉萬理都幾都々 可數美多川 難可起者留悲遠 久良之川留閑毛」
(子どもらと 手まりつきつつ 霞立つ 永き春日を 暮らしつるかも)


「手を振て およいてゆくや いはしうり」


館内には良寛の書と彼に関する多くの著作が展示されている。書かれてある文字は読めないものも多いが、解説によるとその内容は味わい深いものがある。




良寛の住まい「耐雪庵」の模型。


帰路、坂の上から「歴史国道 妻入りの街並」の縦に長い家屋の写真を撮る。


16時、今夜と翌朝の食事用に、コンビニで買い物。食パン、トマト。
道の駅に戻り、ザックを頼んだお礼に、焼きそば、串から揚げを買い、食べながらおばあさんの話を聞く。
その後、海岸にある子供の頃の良寛像や


「夕凪の橋」を写真に撮り、


17時30分、道の駅の隅の小さな芝生スペースにテントを設営。
食後、Bさんに途中の通行止め、迂回の件を電話する。彼は、米山を過ぎて、柏崎市街で今夜の宿を探している最中。
出雲崎市街地にはやたらとジェロとかいう黒人の顔写真が貼ってある。歌手だそうだ。
出雲崎といえば、何といっても芭蕉であり良寛だとばかり思っていたが、今や黒人歌手にその座を追われてしまっているかの如し。嗚呼。

経費  2,346円     累計  202,503円
歩数  55,471歩    累計  2,558,292歩
距離  33km       累計  1,681km
(歩数と距離の食い違いは、良寛記念館に足を伸ばしたため)

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徒歩の旅 第53日 柏崎市  風の丘米山へ

2009年04月26日 | 2008年日本海側の旅
6月2日(月) 晴 (「働く人の宿 あいかわ」~新潟県・柏崎市 「道の駅 風の丘米山」)



朝食後、宿の食事係のお姉さんと話。旅の日程や宿泊形態、家族の理解のことなど。旅に出発する直前にケータイを買い、持たされていることや、毎晩、行動後にメールで安否確認することを義務付けられていることなどを話す。
出発時に、宿の前でケータイのデジカメで写真を撮ってもらう。これまで、途中の風景は何度か送信したが、自分の行動姿は送っていないので、一応自宅に送っておくことにする。


7時30分、彼女に激励されて出発。小さな潟川橋を渡り、
7時50分、日の出交差点で国道8号線に合流。産業団地を行く。
クラクションが鳴ったので見ると、昨夜の同宿者たちが車で作業現場へ行くところだった。笑いながら手を振って「頑張れ」と叫ぶので、こちらも手を振って応える。
8時20分、コンビニで買い物。牛乳、ガム2個。
8時50分、JR信越本線犀潟駅を通過。
9時30分、土底浜駅を通過。ここも無人駅で、当初、場合によってはここで泊まろうかとも考えていた。だが、この後テント泊が続きそうなので、結局は宿泊まりに切り替えたというわけ。
国道8号線は車が多いので、海に近い県道129号に入る。
9時50分、潟町郵便局のATMで2万円下ろす。
10時10分、大潟海浜公園のハマナスの池にて小休止。今日は、少し咲いているだけ。


公園内の夕日の森展望台に上ってみる。
直江津方面。視界がきけば妙高山や佐渡が見えるらしいが、空気が霞んでいて見えず、残念。


新潟方面。こちらは遠く米山が見える。


風が出て、寒さを感じる。
鵜の浜温泉街を通ると、「直江兼続」のポスターがあちこちに貼ってある。(恥ずかしながら、この人物について全然知らず、戦国時代に越後にはこんな武将もいたのかぁ、という感想。旅から帰って、2009年のNHKの大河ドラマの主人公と知る。)
10時50分、再び国道8号線に合流。
11時00分、上下浜駅通過。
11時35分、馬正面交差点のコンビニにて買い物と食事。カツ丼焼きそばセット、豆大福。
「馬正面」という珍しい地名はどういう謂れがあるのだろうか。
11時55分、正面右手に標高993メートルの米山が大きく近づいてくる。


越後の道端に咲いていたシモツケソウ。


12時35分、道が海岸沿いになり、更に風強く寒い。


JR特急列車の写真を撮っている人がいるが、彼も寒そうにしている。
13時10分、こちらは信越本線普通列車。


13時15分、柏崎市に入る。


13時40分、米山駅を通過し、聖ヶ鼻の岬手前。ここも真っ黒な屋根瓦の家屋が多い。


国道8号線は坂を上り、米山の町は足元に。


14時、米山トンネル(350メートル)を抜ける。
14時05分、信越本線米山第二トンネルの手前側は、中越地震の地すべり跡の工事だろうか。


14時25分、芭蕉ヶ丘トンネル(455メートル)を抜ける。
14時40分、後ろから来た自転車の青年に「頑張って下さい」と声をかけられ、「有難う」と応える。
彼が自分と同じ銀色のロールマットを自転車にくくり着けているのが印象に残った。というのも、そろそろ梅雨対策として銀マットは自宅へ送り返し、代わりにコンパクトでザックに入れられる登山用のウレタンマットを、どこかの郵便局留めで送ってもらおうかと考えていたからだ。銀マットがザックに外付けされてあると、雨の際ザックカバーを着用する時にちょっと手間がかかるため。しかし、どうやら銀マットは、テント泊まりで街道を旅する者たちにとっての連帯の象徴のようだなという気がしてき、それならやっかいでも最後までこれを持って行こうと決める。
14時分45、短い笠島トンネルを抜けると海。


14時50分、柏崎国民休養地。
当初、今日はここのキャンプ場に泊まる予定だったので、ちょっと坂を上ってキャンプ場を偵察する。しかし結局、天気は下り坂という予報が出ていることも考え合わせ、もう少し歩いて屋根のある道の駅に泊まることにする。
14時55分、柏原市の地図。


15時、振り返ると笠島港と田塚鼻の岬。


15時40分、国道から右手に上っていったところの、大きな風車のある「道の駅風の丘米山」の休憩所に到着(写真の、右手奥)。


休憩所は、水道・トイレOK、やや狭いながらも畳敷きで快適そう。隣の売店で夜食用に、牛乳、豆菓子を買う。
ケータイから天気を調べる方法がわかり、それまで夜の交信時に自宅から聞いていた天気予報を今後割愛する。

経費  1,373円     累計  200,157円
歩数  44,630歩    累計  2,502,821歩
距離  32km       累計  1,648km


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徒歩の旅 第52日 上越市  働く人の宿 あいかわへ

2009年04月24日 | 2008年日本海側の旅
6月1日(日) 快晴 (JR梶屋敷駅~新潟県・上越市 「働く人の宿 あいかわ」)



今日から6月。4時頃にはそろそろあたりがうっすらと明るくなってくる。
4時30分、一晩お世話になったJR梶屋敷駅を出発。


4時40分、昨日とはうって変わって雲一つない空の下、早川橋を渡る。


朝日を浴びた海谷山塊の山々がくっきりと見える。


4時45分、コンビニにて食事。牛乳、おにぎり2個。
5時40分、JR浦本駅を通過。ここから直江津までは「久比岐(くびき)自転車歩行者道」が、国道8号線に平行して続いているが、もうしばらく国道を行く。
6時20分、木浦橋を渡る。
7時、弁天岩。赤い欄干の曙橋のたもとに、野口雨情の碑があり、
「能生の弁天岩  どんと波おいで  いつも弁天さま  どんと波見てる」と刻まれている。
海も昨日の鉛色と異なり、青々とおだやかである。


暑くなりそうなので自販機でペットボトル買う。
7時10分~9時、「道の駅 能生(のう)」の海洋公園で大休止。
東京から職場の元同僚のA君、J君が陣中見舞い。
差し入れを貰い、自宅からの荷物を受け取り、こちらの荷物も自宅へ届けてもらう手筈。待望の薄手のダウンジャケットが届いたので、これで今後のテント泊や駅寝の寒さがだいぶ和らぐだろう。荷物の軽量・コンパクト化を心がけた結果とはいえ、払った代償は大きくずいぶん寒い思いもした。
彼らはこれから能登半島、白川郷方面に行くことになったとかで、余り時間もとれなかったが、食事をしながら旅の話をしたり、記念写真を撮ったりしてしばしくつろぐ。
9時10分、「久比岐自転車歩行者道」に入る。
「久比岐自転車歩行者道」は全長33km。正式名称は「新潟県道542号上越糸魚川自転車道線」。旧国鉄北陸本線の線路跡地を利用した自転車と歩行者の専用道路で、平坦で非常に歩きやすい道路である。


昨日から今日にかけて歩いてきたところは、田中冬二の詩「北陸にて」で描かれた場所である。若い頃に読んだその詩のところどころ断片など思い出しつつ一人歩く。

( 「北陸にて」     田中冬二

北陸線の
能生 梶屋敷 糸魚川 青海 親不知 市振 泊 入善
みんな何といふさびしい名であらう
能生は海に沿うた細長い そして魚くさい町だ
魚問屋の土間をとほして 青い海が見える
丁度スクリーンいっぱいのように
その青い波の上を 低くとんでゐる白い海鳥
板屋根の古い宿屋があって
昼は海に向かった方の雨戸を 半閉ざしてゐる
そんな昼を心太の水もぬるむような昼を
按摩が笛を吹いて歩いてゐる
能生 梶屋敷 糸魚川 青海 親不知 市振 泊 入善
みんな何といふさびしい名であらう )

現代化された北陸だが、こんな雰囲気を今でも感じさせるのはなぜだろうか。
「久比岐自転車歩行者道」から国道8号線と日本海を望む。


道は時々緑の草や潅木の間を行ったり、トンネルを通過したりするが、概ね国道8号線の一段上を通行するので、海方面の展望がよい。
振り返ると、「道の駅能生」の白い風車が見える。


前方。歩きやすい道が筒石、名立へと続く。


右手の陸地側は、緑が眩しい。


このあたりも自転車歩行者道が高台を通るようになっており、国道8号線を見下ろしながら、日本海の展望を楽しみつつ歩く。天気はよく、道は歩きやすく、車に怯えることもない、まさに歩き旅日和。


10時20分、筒石を通過。ここは真っ黒な瓦屋根の家が多い。気候の過酷さを物語っているようだ。


10時25分~40分、後から来た自転車の青年と、しばらく話しながら歩く。彼は地元の役場に勤めていて、将来四国八十八ヶ所と屋久島に徒歩で行きたいとのこと。資金調達、宿泊場所や装備の選定、衣類の洗濯、その他についてのノウハウなどアドバイスを求められる。「意志あるところ道あり」で決意を持続させること、すべてはそれに付随してなんとか考えつくもの、それがまた旅の計画の面白いところ、目的場所が観光によって俗化し荒れないうちに、なるべく早く行った方がよいのではないか、など自分の経験の話をする。
青年と別れて少しして、後ろから来た自転車の男性に羊羹を貰う。「何処まで行くの?」「北海道まで」「日帰りか? 何処から来たの?」「鹿児島から」「日帰りか?」「いや百日帰り」と、なんとも他愛ない会話を交わす。
気づかないうちに上越市に入り、
10時50分、名立海水浴場では、サーフィンを楽しむ人たちがいる。


11時、大抜トンネル手前の、屋根つきの名立休憩所で10分間の小休止。さきほどいただいた羊羹を食べながら、地元の高齢者のサイクリング団体の人たちと旅の話など。出発時には口々に激励される。
11時35分、名立。ここには「うみてらす名立」という道の駅があるが、寄らずに通過。


12時20分、茶屋ヶ原でトンネルに入る。


12時30分、JR有間川駅を通過。
12時40分、やや広くなった地点で20分ほど休憩し、地面にテント、マット、雨具などを広げて乾かす。
日差しが強く、暑いので、朝買っておいたミネラルウォーターがうまい。自転車歩行者道は歩きやすくてよいのだが、途中に売店も何もないのがやや難点か。いや考えようによって、むしろそれだからこそ逆によいのか。
この後、400メートル前後のトンネルをいくつか通過。内部は照明が明るく歩きやすい。ひんやりとした空気が火照った体に心地よい。
14時、道は国道を越えて、海岸沿いに続く。


14時20分、郷津交差点で「久比岐自転車歩行者道」は終わる。
この先国道8号線に戻り大回りで直江津港の宿に行くか、そのまま県道468号線を行くかで迷うが、近そうな県道を行くことにする。
しかしこの選択は誤りで、坂道をだいぶ上ることになり、さらに分かりにくいところを通り、ようやくにして直江津駅から港への道を確認する。
15時20分、関川河口から直江津港方面。川の中にいるのはアオサギのようだが。


15時30分、荒川橋、古城橋と渡り、
15時40分、「働く人の宿 あいかわ」に着く。
宿の主人の話では、ここは直江津港で働く期間労働者などが主な宿泊者とのこと。長期滞在者も多いそうだ。料金を安くするために、食堂はセルフサービスにしているということだが、食事はボリュームがあり且つ美味、洗濯やインスタントコーヒーは無料などとても快適な宿である。
風呂で同宿の中高年の労働者たちと雑談したりして、旅の疲れを癒した。同宿の3人ともとても気のいい人たちで親切。北海道から九州まで全国で働いてきた彼らの仕事の話は興味深い。こちらの旅の話にも関心を持ったようでいろいろと尋ねられる。

経費  7,220円     累計  198,784円
歩数  54,805歩    累計  2,548,191歩
距離  38km      累計  1,616km

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徒歩の旅 第51日 糸魚川市 JR梶屋敷駅へ

2009年04月22日 | 2008年日本海側の旅
5月31日(土)   雨のち曇  (「料理旅館 有磯」~新潟県・糸魚川市 JR梶屋敷駅)



朝は雨が降ったり止んだり。部屋は日本海の雄大な展望を目の当たりにし、窓を開けると潮騒が聞こえる。
今日はいよいよ親不知・子不知の通過。日本海に沿って国道8号線を行く以上、他に迂回路はない。
とは言え、行程は30キロほどなので、少しゆっくりして天気の様子見。
8時05分、霧雨程度になったので出発。宿の女将さんから宗谷岬まで無事に行けるようにと、ヒスイの根付のお守りを頂く。


8時20分、JR北陸本線に沿って、車両の写真を撮ったりしつつ行く。
普通列車。


特急列車。


雨が強くなり、雨具着用。デジカメはザックの中へ。
8時55分、境川にかかる境橋を渡ると新潟県糸魚川市である。13県目。これで、新潟、山形、秋田、青森、そして北海道とあと1道4県を残すのみ。旅も半分と思うと、にわかに随分と来たものとの感を強くする。
9時、雨が強いので、「道の駅 越後市振(いちぶり)の関」にて50分間の大休止。
情報コーナーで、親不知の道路の移り変わりの歴史などを見つつ過ごす。現在、親不知・子不知はJR北陸本線の市振駅~親不知駅~青海(おうみ)駅の三駅間、約15キロの総称とされている。








この間に、やや遅れて着いたBさんは、5分ほど休んだだけで先行する。
9時50分、雨は相変わらずだが、当分止みそうにないので出発。
10時、JR市振駅を覗く。
当然ながら40年前の面影はなく、モダンな駅になっている。
あの時は、3月に5人で五竜岳から雪の後立山連峰稜線を北上し、2週間かけて国鉄市振駅に着いたのだった。当時は「栂海新道」もなくて、積雪期だけのルートだった。
かつて待合室にかかっていた、芭蕉の「一家に 遊女も ねたり 萩と月」の額を探してみたがが見つからず。
10時15分、小降りになった雨の中、これから行く親不知のトンネルと洞門が、海岸に沿って何処までも続いているのが見えてくる。


10時25分、最初の洞門に入っていく。
幸いなことに、今日は土曜日のせいか、大型トラックは予想していたよりも少なくて助かる。
しかしそれでも、猛烈なスピードで走り抜けていく何台もの車を避けながら、白線で区切られただけの狭い洞門内の「歩道」を通行するのはさすがに神経が疲れる。
一昨日富山市で買った反射バンドを腕に巻き、ヘッドランプを手に持って振りながら、右側のコンクリート壁にへばりつくようにして歩く。左側は、洞門の隙間から曇った空がのぞく。
10時50分、「天険(てんけん)トンネル」へ。ここは海側に遊歩道がついており、そこを通行する。海抜70メートル、距離900メートルのこの道は、天険親不知線という市道で「親不知コミュニティロード」と呼ばれている。
断崖には「如砥如矢」や




「足下千丈親不知」「天下之嶮」などの文字が刻まれている。


11時、前方にはまだまだ洞門が続くのが見える。


11時15分、振り返ると、断崖絶壁がもろに日本海に落ち込んでいるのがわかる。


「親不知文学散歩」の案内板には、尊敬する文学者で共産主義者である中野重治の「しらなみ」の詩が紹介されてある。


(「中野重治詩集」所収「しらなみ」の詩全文。
   
「しらなみ」     中野重治
ここにあるのは荒れはてた細ながい磯だ
うねりは遙かな沖なかに湧いて
よりあいながら寄せてくる
そしてここの渚に
さびしい声をあげ
秋の姿でたおれかかる
そのひびきは奥ぶかく
せまつた山の根にかなしく反響する
がんじような汽車さえもためらいがちに
しぶきは窓がらすに霧のようにもまつわつてくる
ああ 越後のくに 親しらず市振(いちふり)の海岸
ひるがえる白浪のひまに
旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ )

案内板に親不知・子不知の由来が書かれている。
「親しらず子はこの浦の波枕
  越路の磯のあわと消えゆく」


また、親不知観光ホテルのそばには、「栂海新道」の登山口がある。乗鞍岳から始まった北アルプスのどん詰まりである。
11時25分、展望台のウェストン像の横で小休止。トンネルと洞門の前半戦をひとまず終了。
11時50分、「道の駅親不知ピアパーク」で20分間雨宿り、兼小休止、兼昼食。週末のせいか、雨天にもかかわらず結構人がいる。
休憩後、さらにいくつかの洞門とトンネル歩きの後半戦が続き、
13時10分、全部で約3時間の集中力の維持から解放され、この旅の最大の難所が終わる。
13時20分、雨宿りを兼ねて15分小休止。
さらに、降りしきる雨の中を闇雲に歩き続け、青海川を渡り、
13時55分、JR青海駅でまた15分の小休止。
15時30分、姫川にかかる姫川大橋を渡る。
姫川は、フォッサマグナの西縁いわゆる糸魚川・静岡構造線に沿って、白馬から糸魚川へと日本列島を東西に分割する大断層を流れる川。
あらかじめ想定していた旅のちょうど中間地点であるが、「越えては越えて 来つるものかな」と感慨にひたるゆとりもなく、デジカメもザックから出せずに黙々と雨中を歩く。
15時40分、泊まりに備え、コンビニで食料の買い物。牛乳、幕の内弁当、菓子パン。
15時55分、JR糸魚川駅を通過する頃、ようやく雨が上がる。
16時10分、無人駅のJR梶屋敷駅に到着。濡れた雨具やザックを待合室の隅で乾かし、今夜はここで駅寝をさせてもらう。

経費  10,416円(前夜の旅館代含む)累計  191,564円
歩数  45,920歩          累計  2,403,386歩
距離  31km             累計  1,578km

(本日の到達地点――新潟県に入る)


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徒歩の旅 第50日 朝日町  料理旅館 有磯へ

2009年04月20日 | 2008年日本海側の旅
5月30日(金) 曇のち晴 (「浜黒崎キャンプ場」~富山県・朝日町 「料理旅館 有磯」)



4時40分、出発。
「浜黒崎キャンプ場」にある「富山県観光案内図」。


空は曇っており、灯台の灯りがしょんぼり。


地方道1号線を行き、常願寺川にかかる今川橋、白岩川にかかる浦の橋と渡って行く。
5時、コンビニで食事。牛乳、おにぎり2個。
滑川市に入り、道路にゴミが全くといっていいほど落ちていないことに驚く。これまで歩いてきた道路の中で最もきれいであった。萩市も確かにゴミがなくきれいだったが、随所に「ゴミ捨てるな」の看板があった。滑川にはそれもない。
滑川市のマンホールには、北アルプスの山々を背景に、ホタルイカ漁の様子がが描かれている。


5時45分、滑川市加島町、「立山 大岩道しるべ」。立山、大岩への登拝者のための道案内で、江戸時代に作られたもの。「大岩道 是より四里」とある。


6時、神明町にある「延喜式内社」の檪原(いちはら)神社には、芭蕉の「しばらくは花のうへなる月夜かな」の句碑がある。「延喜式内社」とは1200年前に決められた延喜式神名帳に記載された神社ということだそうだ。


滑川は、往時北国街道の宿場町として賑わったが、当時を語る「なめりかわ宿場回廊」という説明板がいくつも立てられている。
6時10分、「ほたるいかミュージアム」の先にある「道の駅ウェーブパークなめりかわ」にて小休止。早朝ゆえ人の気なし。
6時40分、海浜公園を過ぎ、海岸線の松並木を走る「しんきろう自転車道」に出て、富山湾沿いを行く。
7時10分、海釣りをしている人などを眺めながら10分小休止。空が曇っているので、海の色も今一つ冴えない。
7時40分、三ケ(さんが)にて1号線に戻り、早月川を渡って、滑川市に別れを告げる。


滑川市のシンボルは「ホタルイカ」。


早月川は剣岳西面からの水を集めて富山湾に注いでいる。澄んでいかにも冷たそうだ。


そう言えば、10年ほど前の5月に、早月川上流のブナクラ谷から、残雪の剣岳北方稜線を大窓まで3人で縦走したことを思い出す。その先剣岳本峰にまで行けるだけの力量は、われわれのパーティーにはなかった。ザイルを使って大窓の雪渓を下り、雪解け水に臍まで浸かる徒渉でちぢみあがったっけ。そんなことも懐かしい思い出である。
早月橋の上から、剣岳方面を望むも、雲に覆われて剣岳は見えず。
橋を渡り、魚津市に入る。


7時55分、空は相変わらず曇ったままで、目をこらせども剣岳は見えず。


8時05分、富山地方鉄道本線と並行して進む。


魚津駅周辺の案内図。


8時55分、魚津高校の前を通過する。魚津高校山岳部は、幾多の岳人を輩出していることで有名。


9時10分、江口にて国道8号線に合流する。
9時30分、片貝大橋で片貝川を渡る。ここからも剣岳は見えず。白銀の剣岳展望を期待していたが、どうやら今回は縁が無かったようだ。残念無念なり。
片貝川は、剣岳北方稜線の毛勝三山(毛勝山、釜谷山、猫又山)の雪解け水を集めている。こちらも澄んで冷たそうである。


9時40分、黒部市に入る。


10時40分、コンビニにて食事。飲むヨーグルト、菓子パン。
11時25分、黒部大橋を渡る。


黒部川は、広い川幅に北アルプスからの大量の清水が流れている、飛騨・越中の大河である。


黒部大橋は、572メートル。


黒部川は長さ85キロで、上流には、「下の廊下」、そして黒4ダムを挟んで、「上の廊下」や「東沢谷」と、かつて遡行を楽しんだルートがある。


黒部川を渡ると入善町である。


気温が高くなり、暑さに耐えて黙々と国道を歩くが、ついにたまりかねて自販機でペットボトルを買う。
直後に、呼び止められたので振り返ると、金沢ユースで一緒の部屋に泊まったFさん。滑川市の交通公園でSLの写真を撮ってきたとのこと。ペットボトルの差し入れをいただく。ありゃ、今さっき買ったばかりだ。
12時10分、入善黒部バイパスとの合流点の上野にて10分間の小休止。
12時55分、椚山口(くぬぎやまぐち)交差点で、県道60号線方面へ左折、JR北陸本線に沿って行く。
13時20分、麦が黄金色に実って刈入れを待っている。


13時35分、朝日町に入る。


赤川橋を渡り、泊(とまり)の市街地を抜け、
14時20分、水田の向こうに防砂林を見つつ進む。


防砂林の向こうは日本海である。


14時40分、「親鸞聖人御假泊之古跡」がある。岩には親鸞聖人の作と伝えられる「越路なる 宮崎浜の 岩かげに 宿りて弥陀の 思こそしれ」の文字。


宮崎港、ヒスイ海岸を経て、
15時、「料理旅館 有磯」に到着する。この宿は、登山の帰りなどで以前に二度ばかり泊まったことがある。女将さんと雑談をしていたら、Bさんも到着する。
4階の展望風呂でゆっくりと汗を流した後、
夕食は宴会場で、Bさんと二人で豪勢な海の幸をいただいた。
カニ、鯛のかぶと煮、天ぷら、刺身、海老と野菜の蒸し煮、ホタルイカの沖漬、ホタルイカのぬた、焼き魚、香の物、そして当地名物のタラ汁とご飯にビール。この旅で一番の贅沢で大いに英気を養う。宿泊料8925円。
(この写真は2人分)


今日で歩き始めてちょうど50日目、新潟県まであと5キロの地点に来ている。
半分の地点まで来たということは、この先宗谷岬まで行く距離も、Uターンして鹿児島まで戻る距離も同じということ。でも、とても戻ることはできない。この先に困難が待っていようとも、前へは行ける気がする。しかし戻ったら途中で歩くのを止めてしまうだろう。行程の半分までと我慢してきた50余日ぶりのビールにほろ酔い気分で、そんなことを語り合いながら心地よい時間を過ごす。

経費  824円      累計  181,148円
歩数  6,1165歩    累計  2,357,466歩
距離  42km      累計  1,547km

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徒歩の旅 第49日 富山市  浜黒崎キャンプ場へ

2009年04月18日 | 2008年日本海側の旅
5月29日(木) 雨のち晴 (「上和田緑地キャンプ場」~富山県・富山市 「浜黒崎キャンプ場」)



4時15分、目が覚める。夜から降り出した雨は小降りになり、食事をしているうちに止むが、テントを撤収していると再び降り出す。
6時30分までに一応出発準備はできたが、しばらく待機。天気予報が午後から晴れてくると言っていること、今日の行程は30キロ程度であること、そして泊まりは宿ではなく「浜黒崎キャンプ場」の予定ということで、仮に到着が夜になってしまってもよかろうとの判断である。
炊事棟にて雨宿りがてら、柄にもなく旅情にひたりつつ、一人で降りしきる雨に煙る新緑の越中の景色をしばし眺める。
9時30分、雨がやや小降りになったので出発。しかしデジカメはザックの中で、写真を撮ることはできず。
富山市街方面までどこを通って行こうかとしばし思案。やや遠回りでアップダウンがあるが比較的明瞭そうな国道359号線を行くか、それとも昨日通ったどこかの地点まで戻って、不確かながら平らな田圃の中の道を行くか。結局、わかり易い道の方がいいと判断し、359号線に向けて歩くことにする。
ひとまず地方道72号線を行き、
10時、坂をひとつ越えて国道359号線に合流。
雨は相変わらずで、時々強く降ってくる。大型トラックの水しぶきを何度も浴びながら、359号線を富山市街方面に向かって、樹林に囲まれたゆるやかな上り坂を歩いていく。
10時15分、富山市に入る。
10時30分、ブドウ園の看板があり、長い上り坂がようやく終わったかと思いきや、さらにだらだらと上り坂が続き、
10時40分、やっと登坂車線が終わる。
雨が上がったので雨具を脱ぎ小休止。デジカメを出して、今度は長い下り坂を水田の写真を撮ったりしつつ富山平野に向かって下っていく。
なだらかな丘をバックにして、水田に木々が映っているジオラマのような景色はまるでお伽の国だ。水田の作業は大変だろうが、この景観はいつまでも残してほしいと思う。


雨上がりの苗の緑が目に優しい感じ。


森林と水田が交じり合ったようなところを過ぎていく。


都会で生活していると、こういう景色を独り占めして歩いているのは実に至福の時間だ。


11時45分、長沢交差点通過。道路表示に「八尾」の文字があり、「風の盆」で有名な八尾はこのあたりだったのか、と思いつつ行く。
12時、羽根交差点のコンビニで、買物と食事。牛乳、おにぎり2個。
長い下りも終わり、富山平野の一角に入ってくる。


用水は水をたたえて流れ、田畑を潤す。麦畑も黄色く熟れている。


広い静かな道を進み、JR北陸本線を越えて、量販店などが立ち並ぶ富山市街地に入ると交通量も増えてくる。
13時25分、神通川に架かる婦中(ふちゅう)大橋を渡る。神通川は、黒部川と並んで越中を代表する大河。このころには天気予報どおり空もすっかり晴れ上がっている。


神通川の流れ。この川の流域は、高度成長期に、上流の神岡鉱山から出された廃液のカドミウムを原因とする「イタイイタイ病」で有名だった。そんなことを思いながら通過。


13時45分、掛尾町交差点を左折して、飛騨街道の国道41号線に入り、富山駅方面へ。金融機関のビル街を通り抜けて、
14時20分、城址公園前を右折。
14時30分、「いたち川」という名の小川にかかる月見橋のたもとにて小休止。非常に暑くなり自販機でペットボトルを買い、15分ほど濡れた雨具類を乾かす。両岸の桜並木は勢いよく葉を茂らせている。お花見のころはさぞかし見事だろう。


15時20分、これまで使った反射テープが剥がれてきたので、明後日の親不知トンネル通過対策に、百円ショップで反射テープと反射腕バンドを買う。
道は富山湾方面にカーブしていき、
16時20分、針原中町のコンビニで買物。食パン、サラミとチーズ。ついでに、「浜黒崎キャンプ場」への道を教えてもらう。
見渡す限り広々とした水田の中の道をひたすら歩く。






16時50分、北陸本線を越えて、
17時10分、「浜黒崎キャンプ場」に着く。松林の中のきれいなキャンプ場だ。
期間外のためか、キャンプ場は閉鎖していたが、門の横に中へ入る道があるので辿っていくと炊事棟とトイレがある。調べるといずれも使用可能であり、また最近テントを設営した形跡もある。管理人がいないので一言断ることもできないが、今夜一晩ここで泊まらせてもらうことにする。そんなわけで宿泊代0円。
今日で歩行距離が1500キロメートルを超える。旅の全行程が約3000キロの予定だから、これで半分を歩いたことになる。

経費  1,062円     累計  180,324円
歩数  43,032歩    累計  2,296,301歩
距離  33km       累計  1,505km

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