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そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第77日 八雲町  JR山崎駅へ

2009年06月15日 | 2008年日本海側の旅
6月26日(木) 曇のち晴 (「オニウシ公園」~八雲町・JR山崎駅)



3時半頃からたくさんのカラスがやたらと鳴き始め、騒々しくて目が覚めてしまう。
5時、出発。


道の駅の先には野草が咲き乱れている。


大沼国道の国道5号線をしばらく行くと、路傍の桜の枝に花が咲いている。咲き残りか、それにしてももうすぐ7月である。やはり北海道なんだなぁ。


5時50分、JR函館本線の桂川駅の先で湯の崎トンネル(464メートル)を抜けると、右手に内浦湾が広がっている。内浦湾は、別名噴火湾とも言われている。駒ケ岳や有珠山(うすざん)などの多くの火山に囲まれているため、18世紀末の英国海軍探検船「プロヴィデンス号」船長、W.R.ブロートンという中佐が名付けた。うす曇であるが、弱い日差しが海面に反射している。


今日は以後もずっと海に沿って、JR函館本線と着かず離れずに北上する。
6時20分、蛯谷(えびや)漁港を通過。


漁業用具が積まれている。この後も、汐の匂いの強い集落をいくつも過ぎて行くことになる。


6時25分、石谷駅の手前に、茅部鯡供養塔がある。


宝暦7年(1757年)に建立。当時ニシンは大豊漁で浜辺はニシンの山を築いたほど。しかし加工技術が追いつかず、漁師たちが合議の上でニシンを土中に埋めて慰霊供養をしたとのこと。


7時、濁川温泉への分岐通過。
7時15分、頭上をコンテナを連ねたJR貨物の長い列車が通っていく。その姿が壮観なり。


7時20分~35分、本石倉駅の階段に腰掛けて小休止。食パンにトマトや玉ネギをナイフで無造作に切って載せ、マヨネーズをかけただけの食事だが、草枕旅にしあれば、実に美味いんだなぁこれが。
7時45分、石倉跨線橋の上にて。石倉海岸に沿ってやってくる函館本線の普通列車。


7時55分、八雲町に入る。
8時25分、雲も切れ始め、振り返る内浦湾も陽光にきらめいている。


8時50分、落部(おとしべ)のコンビニで買い物。牛乳、豆大福、バターピーナッツ、ピーナッツチョコ、ガム。
さらに、その先の郵便局のATMにて2万円下ろす。
9時25分、単調な道が続いているが、空は晴れ、海青し、気分爽快で歩く。


9時45分、順調に歩を進める。


畑の彼方は海。


10時15分~45分、時間にゆとりがありそうなので、野田生(のだおい)のバス停にて小休止。今後の行動計画を考える。野田生は江戸時代に野田追場所のあったところ。
11時15分、神明大稲荷神社。


幕末の北海道探検家で地理学者の松浦武四郎が、蝦夷奥地に向かう際にいつも立ち寄り安全を祈ったとのことで、彼が1858年に詣でた際に作った歌がある。
「天地の神も知りませ国の為め 千島の奥に思い入る身を」。
松浦武四郎は、「北海道」の名付け親である。


11時25分、ポケットマップで知った、ヤクモ飲料工場の敷地内にある湧水を飲み、ペットボトルに詰める。たっぷりと湧き出ているおいしい水は、自由に飲んでよいそうで、車で大きなタンクに汲みに来ている人もある。
11時40分、境川の「蝦夷地・和人地の境跡」の碑。享和元年(1801年)、江戸幕府が定めた境界の跡。


11時40分、カモメが群れている浜辺の彼方、長万部方面が遠く霞んで見える。


12時、山越内(やまこしない)関所跡。




山越内関所は日本最北端の関所で、蝦夷地への武器の移動取締り、通行人の手形取扱い、関銭の取立て等を行った。

JR山越駅。


東京から自転車で来た「洞爺湖ママチャリサバイバル」の大学生4人のグループと出会う。洞爺湖で環境問題を考える集まりがあるそうで、グループのうちの一人と歩きながら話をする。彼らのブログに載せたいから写真を撮らせてくれないかと言うので承知し、また彼らの寄せ書きに協力する。
12時15分、長万部近づく。


12時55分、八雲駅方面との分岐を通過。
13時15分~25分、コンビニで買い物、菓子パン3個。ダイソーで買い物、バンドエイド、青森でホームレス君にあげてしまったテントシートの補充。
14時10分、ユーラップ川にかかる八雲大橋をわたる。ユーラップ川は内浦湾を囲む函館ー室蘭間では最も大きな川の一つである。
「ユーラップ」の意味は、アイヌ語の温泉が下る川という意味の「ユ・ラプ・ペッ」によるとも、支流がたくさん集まって流れる川という意味の「イウラプペッ」によるとも言われている。
14時45分~15時15分、跨線橋の先に、八雲町ガイドマップのある小公園があり、時間が早いので調整がてら休憩する。


ハマナスが植えてある。ここのハマナスは花びらが八重になっており、このような種類は初めて見る。


15時15分、函館本線の貨物列車の通過。


15時30分~16時40分、前方から徒歩の男性がやって来る。お互い今日の行動予定は大方片付いており、バス停の建物の中のベンチでのんびり話す。彼は35歳で、宗谷から歩いて鹿児島まで行くと言う。日本海沿いを通る予定でこちらがこれまで歩いてきたルートと重なり、また彼が通ってきた道もこちらの今後の予定ルートと一部重なるので、道路状況や宿泊地などお互いに情報交換をする。彼の話では、札幌あたりからこちらは、洞爺湖サミットのための警官による職務質問が頻繁にあり極めてしつこかった、とか。小振りのザックで主に宿泊まりとのことで、こちらのザックを背負ってみて重さに驚いていた。記念に写真を撮らせてほしいと言われ承知する。モデルになるのは本日これで二度目なり。そう言えば、彼と話している最中に、キタキツネが何かを咥えて国道の路肩を歩いて行った。ほぅ、こんな事もあるのか、と驚き感じ入ってしまった。最後まで頑張ろうと誓い合って別れる。
16時45分、JR山崎(やまさき)駅着。今夜はここに泊まらせてもらうことにする。


夜まで間があるので、待合室を掃除したり、駅を通過する列車の写真を撮ったりして時を過ごす。
特急「北斗」。


普通列車。


寝台特急「トワイライトエクスプレス」。


山崎駅は木造の無人駅で、ホームから内浦湾が見えるとても開放的なところである。待合室には誰も来ず、隅にシートを敷いて寝る。


経費  1,161円      累計  289,836円
歩数  57,564歩     累計  3,798,629歩
距離  38km        累計  2,509km

(本日の到達地点――JR山崎駅)


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徒歩の旅 第76日 森町   オニウシ公園へ

2009年06月13日 | 2008年日本海側の旅
6月25日(水) 小雨のち晴 (「大沼公園ユース」~森町・「オニウシ公園」)



8時55分、今日は距離としては半日休養日相当なので、同宿者たちを見送りしてからゆっくり出発。
ユースを出るや否や雨が降ってくるが、すぐに止んでしまう。
9時10分、爽やかな緑の林の中へ大沼の写真を撮りに行く。




空はまだ曇っている。時間がたっぷりあるので、大沼を周遊していくことにし、緑のトンネルを反時計回りに歩く。
9時50分、見え隠れしていた砂原回りのJR函館本線と別れ、東大沼キャンプ場へ。


キャンプ場では、自転車旅の若者がくつろいでいたり、校外活動らしき女子高校生たちがテントを撤収したりしている。
大沼はいかにも北国の湖といった感じで、波が静かで、空気がうまい。


やがて徐々に日差しが強くなってくる。
10時15分、大沼北岸の駒ケ岳神社に立ち寄る。


ここはかつて駒ケ岳登山口であったが、火山活動のためこのルートは現在入山禁止になっている。


11時、分岐にて大沼から離れ、国道5号線方面に向かう。


湖岸道路から離れたとたんに道路の舗装が悪くなり、ザラザラで、浮き上がった小石が、薄くなった靴底に痛い。
時々樹間から見えていた駒ケ岳は、常に右手に見えるようになる。
しかし道路には標識もなく、現在地の確認が覚束ない。
やっと目印の「ちゃぷ林館」という温泉が見つかり一安心。
赤井川にかかる橋をわたり、大沼回りのJR函館本線を跨いで、
12時、保養基地入り口の交差点で、ようやく国道5号線に合流する。
12時05分~20分、バス停にて、食パンにレトルトカレーをはさんだサンドで食事。
広く明瞭な5号線を行く。
12時55分、右手の野菜畑の向こうに駒ケ岳の西面を眺めつつ歩く。


駒ケ岳は見る角度が異なるにしたがって、まったく別の山のように形が変わっていくのが面白い。


13時05分、セイコーマートにて買い物。牛乳、食パン、コッペパン、菓子パン、豆大福、のど飴。
14時05分、梢に白い花をたくさんつけているニセアカシアの高木が幾本も並んでいる道路を下っていく。


よい香りが漂ってくる。


14時50分、国道278号線と交差する。
15時15分、道の駅「YOU・遊・もり」に到着。


道の駅の物産館にて買い物。いかめし、トマト。


物産館のレジの女店員に様子を聞くと、道の駅の建物は夜間閉鎖してしまうが、隣のオニウシ公園ではテントで泊まっている人をよく見かける、とのこと。
今夜はオニウシ公園に泊まらせてもらうことに決定する。
時間があるので、大きな噴水のある公園のベンチで、しばらく今後の行動計画を検討。
この公園は広々として、緑も多くきれいで、それ自体は大変結構なのだが、ともかくやたらとカラスが多い。トイレに行っている間に、ビニール袋に入れておいた食料がカラスに引きずられてしまい、たまたま公園に居合わせた親切な男性が、カラスを追い払って荷物を見張っていてくれた、とのこと。袋は嘴によって破られてしまっていたが、さいわい中身は無事、しかし油断大敵である。
さらに、昨夜ユースで聞いたとおり、洞爺湖サミットの影響だろうか、駐車場をはじめとしてやたらと警官の姿が目に付く。
日が落ちるとカラスもおとなしくなり、公園内の芝生の上にテントを設営して快適に眠る。

経費  1,446円      累計  288,675円
歩数  30,436歩     累計  3,741,065歩
距離  25km       累計  2,471km

(6月25日の到達地点―オニウシ公園)



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徒歩の旅 第75日 七飯町  大沼公園ユースへ

2009年06月11日 | 2008年日本海側の旅
6月24日(火) 雨のち晴 (「ライムライト」~七飯町・「大沼公園ユースホステル」)



雨が降っており、様子見がてらにモーニングのトーストとコーヒーをいただきつつ、飼い猫をからかったり雑談したり。
8時40分、やや小降りになったので、出発。
ライダーハウスの管理人夫妻や同宿の若者たちに見送られて出るも、5分もしないうちに再び激しく降り出す。ビルの陰に避難して雨宿り。
管理人夫人から、ケータイに、無理をせずにもう一度戻って休んでいったらどうかとの申し出。ユースの予約もあるので、行動する旨伝える。
驟雨が去り、小降りになる。雨具を着用して歩き出す。
8時55分、JR函館駅前を通過。国道5号線に沿って進む。
途中、函館海岸郵便局にて、昨日買ったお土産を郵送。
9時45分、函館本線の五稜郭駅にて小休止。
9時55分、駅の向かい側に、昨日聞いた「セイコーマート」というローカルコンビニがあり、さっそく買い物とカードつくり。牛乳、食パン、コッペパン、バナナ、レトルトカレー。
10時15分、その先のゲオという本屋にて、これも聞いていた「北海道ポケットマップ」を買う。
10時40分、函館新道方面への分岐を分け、函館本線と並行して市の中心部を行く。
雨は一時止むと思うとすぐに再び降り出すというはっきりしない天気。
国道5号線は、「大沼国道」とも呼ばれている。
11時10分、桔梗駅通過。雨が上がる。
七飯(ななえ)町に入る。
道路の両側に見事な赤松が並んでいる。ここから七飯町峠下までの14キロ余りは「赤松街道」と呼ばれ、高く美しい赤松の並木がずっと続いている。明治時代に植えられたもので、全部で1400本以上あるそうだ。「日本の道100選」にも選ばれている。
11時20分、スーパードラッグでテーピングを買う。
11時40分、大中山駅を通過。気温21.5℃の表示あり、やや暑し。
天気が回復してくるにつれ、右手の樹間には、緑鮮やかななだらかな丘も見える。


こんな表示も。


このあたりが赤松街道の中でも一番美しい区間。


12時30分、大沼まで14kmの表示のある、役場入り口手前にて15分間の小休止。道路わきの土手に腰掛けてコッペパンとバナナの食事。
左手にも緑の原が続く。


13時35分、自動車道の函館新道と合流し、昆布館を過ぎる。
14時、国道96号線と交差、大沼まで8kmの表示。
道路が右にカーブし、長い坂をゆるく上っていく地点でふと振り向くと、函館山が遥か遠くに見える。カーブを曲がってしまった後はもう全く見ることは出来ず、あれが函館の見納めだったわけだ。
14時25分、跨線橋をわたり、さらに坂を上っていくと大沼トンネル(671メートル)である。トンネル内は明るく、歩道も広くゆったりとしており、とても歩きやすい。
14時40分、トンネルを抜けると、俄かに視界が開け、目の前に駒ケ岳が。
岸辺近くに水草が繁茂した小沼を前景に駒ケ岳の写真を撮る。頂上まではっきりと見える。


駒ケ岳は標高1131メートル、蝦夷駒ケ岳とも呼ばれ、尖った頂が美しい火山。大沼・小沼は噴火活動によってできた堰止湖である。
国道5号線と分かれて、橋をわたって、道道338号線を函館本線と並行して歩く。
15時15分、大沼駅を通過し、緑の木々に囲まれた大沼の湖畔を行く。
15時40分、こちらは大沼。


15時50分、大沼の向こうに駒ケ岳。




16時10分、緑に囲まれた静かな「大沼公園ユースホステル」に到着。今日も短い行程である。
夕刻、Bさんに電話をしたところ、彼は津軽半島経由で北海道に入ったため、2日前にこの大沼ユースに泊まり、先行していることが分かる。
夕食後、女性1人を含む同宿者4人の中高年の間で話が弾み、終わったのは20時30分ころになってしまう。車の人、バイクの人、電車の人、歩く人とさまざまなため、話題が尽きず楽しい時間。でも少し難しい話も出て、印象に残ったのは、庶民が戦争に巻き込まれるときの精神状況について、ということなど。高齢の方から、インテリについては多く書かれているが、庶民自身による説得力のある説明が載っているような本はなかなか得られない、という話がされた。深いテーマである。

経費  7,665円      累計  287,229円
歩数  43,733歩     累計  3,710,629歩
距離  31km        累計  2,446km

(本日の到達地点―大沼ユース)


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徒歩の旅 第74日 函館市  ライムライトへ(その2)

2009年06月09日 | 2008年日本海側の旅
6月23日(月) 雨のち晴 (「菅原民宿」~函館市・ライダーハウス「ライムライト」)
その2




(その1より続く)
群青の津軽海峡をフェリーは函館を目指し、


やがて前方左手遠くに見える北海道の山々が徐々に大きくなってくる。




陸地が近づくと、海面の海鳥が一斉に羽ばたき、


いよいよ函館の街並みが指呼の間に。


13時10分、フェリーは、大間―函館間を1時間40分で結び、函館港に着岸。
これまで冗談交じりに「死ぬ迄に一度でいいから北海道というところへ行って見たいものだね」などと言ってきたが、ついに北海道の地に第一歩を記す。とうとうここまで来たかと思うと感無量なり。
フェリーの名の「ばあゆ」は、インドの風の神で、航海の安全をもたらすという。


13時15分、下船し、ターミナル内を見物後、今日の宿であるライダーハウスの「ライムライト」へ向かう。
13時55分~14時10分、今後の食糧確保のため、スーパーで買い物。食パン、菓子パン2個、バナナ、トマト、チキンカツ、コーヒー飴、ジュース。
途中で、郵便配達の3人組に住所を確認して、
15時、ライダーハウス「ライムライト」に到着。ライダーハウスに泊まるのは初めてである。同宿者は7人の若者で、バイク旅のライダーや、自転車旅行の「チャリダー」たち、そしてこちらは歩き旅の「徒歩ダー」である。管理人夫人から宿泊についての説明を受ける。また、若者たちも北海道の情報をいろいろと教えてくれる。
その後、まだ時間もあるので市内見学へ。
まずは、函館山へロープウェイで登る。
16時10分、函館山ロープウェイ山頂駅から、市内眺望。


函館ハリストス正教会周辺。


こちらは函館湾方面。


売店にて、3月まで働いていた職場の同僚と弟一家へお土産を買う。
その後、案内図で確認し、立待岬方面(図の右下)へ向かう。


やはり函館は、石川啄木の町。


市電通りを歩き、




17時10分、市営墓地を通って、大森浜を見晴るかす石川啄木一族の墓へ。




墓石には、「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」の歌が刻まれてある。


碑の裏側は啄木の自筆書より。


「啄木書簡之一節
 これは嘘いつはりもなく正直尓言ふのだ、
 『大丈夫だ、よし~、
 おれは死ぬ時は函館へ行って死ぬ』 
 その時斯う思ったよ、何処で死
 ぬかは元より解った事でないが、僕は矢張死ぬ
 時は函館で死にたいやうに思ふ
 君、僕はどうしても僕の思想が時代より一歩進ん
 でゐるといふ自惚を此頃捨てる事が出来ない
 明治四十三年十二月二十一日
 東京市北郷弓町二の十八
 石川啄木    郁雨兄 」 
17時20分、さらに立待岬にある与謝野鉄幹・晶子の歌碑に行く。


「濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土 寛」
「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと 晶子」とある。
そういえば、彼ら夫妻の歌碑は、旅の2日目に通過した開聞岳近くの迫平自然公園にもあったっけ。行動範囲の広い人である。


17時45分、函館公園へ。ちょうど白孔雀が羽根を広げたところに遭遇。


公園内の啄木歌碑には、
「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」の歌が刻まれている。




帰路、函館青柳町。


道端の花壇の矢車草。


その後、函館発展の基礎を築いた高田屋嘉兵衛銅像や、




作詞家の高橋掬太郎歌碑などを見る。


「酒は涙か 溜息か 心のうさの 捨てどころ」、と。


18時30分、宿に戻る。
夕食後、管理人夫妻と四方山話。とても感じのよい人たちで、当方が初めて北海道に来たというので、北海道の道路や宿やキャンプ場の様子、明日行く大沼方面の案内、さらにはしばらく北海道を歩くのだからセイコーマートというコンビニでポイントカードを作るとよいということ、ツーリング用のポケットマップが一冊あると便利だということ等々、実に細々と親切に教えてくれる。本当に有難い。
20時、就寝体制に入る。宿泊代、素泊まり+モーニング1500円。

経費  7,057円      累計  279,564円
歩数  52,560歩     累計  3,666,896歩
距離  27km        累計  2,415km

(本日の到達地点――北海道へ入る)


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徒歩の旅 第74日 函館市  ライムライトへ(その1) 

2009年06月07日 | 2008年日本海側の旅
6月23日(月) 雨のち晴 (「菅原民宿」~函館市・ライダーハウス「ライムライト」)
その1




4時、起床。窓の外は雨がしとしとと降っている。本州最後の日。片付け、食事、用足し、ザックのパッキング。
5時、出発。函館行きフェリーの出発時刻は11時半だが、大間までの徒歩の所要時間が定かでないので、一応早目に出発することにする。
5時15分、雨の下風呂漁港。


漁港の隣の「海峡いさり火公園」には、井上靖の文学碑があり、


「アカエリヒレアシシギ」の文章が刻まれている。

 
 「 アカエリヒレアシシギ

  暫くすると、再び海峡の闇の
  中に、アカエリヒレアシシギ
  の集団は、その啼き声と一緒
  に吸い込まれ始めた。小さい
  生命が四、五十、ひと固まりに
  なって、一定の間隔を置いて、
  次々に、海峡の闇の中に突入
  し、突入している。
  私たちは生涯で、そう度々、
  立ち会おうとは思われぬ、可
  憐な生きものの、凄烈極まり
  ない渡海の式典に列していた。
  風間浦村の荒磯に立ったまま、
  寒さも忘れ、一言も発しない
  で、耳を澄ませていた。ひど
  く高く感じられる天の一角、
  そこだけに幾つかの、小さい
  星が輝いていた。
         井 上 靖  」

井上靖は、ここ下風呂温泉に宿泊して、小説『海峡』を執筆したそうである。『海峡』はアカエリヒレアシシギという渡り鳥に心を奪われた男たちの物語。読んだのは40年以上前の学生の頃だったか。当時は漠然と、下北半島は随分遠いところだがいつの日にか一度訪れてみたいと憧れのように思っていた。今はその地を歩いている。
5時35分、「むつはまなすライン」の国道279号線を行くが、海は相変わらず鉛色の雨雲の下で、波が激しく岸へ打ち寄せている。


5時50分、シシウドと海。ようやく雨が止む。


6時、海岸沿いにピンクや白のハマナスが咲く横を大間を目指して急ぐ。




6時10分、突然、先方の頭上の一角に青空がのぞく。その他の空は依然として厚い雲に覆われているのだが。カモメも空を舞い始める。


6時35分、「桑畑ゆとりの駐車帯」。雨はすっかり上がったが、四阿のベンチは濡れているため、周囲の景色などを確認しただけで休まずに歩き出す。
6時55分、北海道方面上空も雲が切れ、青空が徐々に広がっていくが、その下は雲が垂れ込め依然北海道は見えず。


しかし、行く手の大間方面は徐々にはっきりと見えてくる。


7時25分、青空は急速に広がり、日差しも戻ってくる。真っ青な太平洋は、下関以来じつに1ヶ月半ぶりだ。


7時30分、易国間(いこくま)漁港。


7時45分、易国間の集落を過ぎる。太陽は眩しく海に反射し、


海も空もますます青さを増して来る。


まだ風は強く寒い。岩礁に打ち寄せる波。


遠く大間方面の丘の上に風車が2基、強風にぐんぐん回っているのが見える。
8時05分、布海苔(ふのり)を広げて天日干しをしているのを見る。このあたりは布海苔発祥の地、とか。


8時20分、蛇浦(へびうら)の集落を通過。
8時55分、折戸坂を上ると、右手に大間崎への分岐が現れる。


遠くに大間崎灯台の縞模様。


岬まで4キロとあり、本州最北端なので行ってみたいところだが、大間の郵便局で貯金を下ろさねばならず、時間的に難しいと判断して残念だが見送ることにする。
9時10分、左手遠くに折戸山の2基の風車を見て、


大間町に入る。「なずな」は、数年前に放映されたNHK朝のTV小説のヒロイン名。


10時、途中、尋ねながら行き、大間郵便局にて3万円下ろす。
10時20分、フェリーターミナル到着。フェリーの出航は11時30分なので、乗船券を買い待合所でしばし休憩。お茶のペットボトル、お菓子2袋買い、今後の計画を検討しつつ時を過ごす。


11時、フェリー乗船開始。2等船室にザックを置き、甲板へ。


11時30分、出航。


カモメがフェリーの周囲を舞い、






大間の港が、青森県が、本州が徐々に遠ざかっていく……






(その2へつづく)

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徒歩の旅 第73日 風間浦村 菅原民宿へ

2009年06月05日 | 2008年日本海側の旅
6月22日(日) 雨 (「畑中旅館」~青森県・風間浦村 「菅原民宿」)



7時55分、小雨にて雨具を着用して出発。背後の恐山方面は、今日は濃いガスに煙っている。
8時05分、JR大湊線踏切をわたり、「斗南藩士上陸之地」を見に行く。




1870年(明治3年)6月、戊辰戦争に敗れ廃藩処分となった旧会津藩(斗南藩として再興)の藩士と家族が、新潟から船で下北半島のこの地に上陸した。


当時、この辺りは火山灰土の風雪厳しい不毛の土地、その艱難辛苦如何ばかりか。


読んでみると、記念碑は鶴ヶ城の石垣にも使用されている慶山石で出来ており、正面からは会津若松市を望む方角に設置されている、と。また、記念碑を取り巻いて、むつ市の花である「はまなす」と会津若松市の木である「アカマツ」が植えられているなど、むつ市の心遣いが感じられる。


大湊漁港の空は雲が垂れ込めどんよりとしている。これで陸奥湾も見納めである。


昨日通ったむつ市内を行く。雨の日曜日の朝とあって、人通りもなく静かな街並みである。ここにもツツジが咲いている。


途中で、今夜と明日の宿泊地を公衆電話の電話帳を調べながら予約する。今夜は下風呂の民宿で素泊まり、明日は函館のライダーハウスというところに初めて泊まることになる。
9時、大橋交差点を左折、はまなすラインの方の国道279号線を行き、
9時40分、むつバイパスの国道279号線に合流。
やや小降りとなるものの相変わらず降り続く雨の中を黙々と北上する。恐山はガスに覆われてしまって、もはや全く見えない。
9時40分、緑の景観の中を進み、藤掛レイクサイドヒルキャンプ場入り口通過。
10時、朽ちかけた茅葺き屋根の家がある。


10時30分~45分、樹林の中を進み、関根パーキングで小休止。四阿で雨を眺めながら、昨日買っておいたコッペパンを2個食べる。
11時30分、出戸川にかかる新出戸橋をわたると、下北半島のマサカリ形の天辺部分を歩くことになるのだが、大畑バイパスは海岸沿いでないため津軽海峡は見えない。相変わらず雨にぬれた並木の緑を眺めつつ歩く。
11時45分、今夜の素泊まりに備えて、コンビニで買い物。食パン、ミニかつ重。
一時雨が上がるが、再び霧雨が降り出し、その後も降ったり止んだりする。
12時50分、大畑川にかかる青い朝比奈橋をわたり、
13時、湯坂にて薬研(やげん)温泉への道と交差し、その後はアップダウンの道を行く。
高台から見下ろすと、大畑の空も目の前に広がる津軽海峡も灰色で、波が白く打ち寄せている。


やはり津軽海峡が見えると、本州の歩き旅もあとわずか、第一幕の九州に続く、第二幕もいよいよ最終段階に来つつある感を強くする。


13時30分~40分、バス停にて食事。
その先の緑の木野部峠の駐車場で、15匹ほどのニホンザルの群れに遭遇。テレビなどで見る北限のニホンザルである。とは言え、こちらは一人きりなのでちょっと慌てる。どうしようかとしばらく立ち止まって見ていると、集団で林の中に移動していくので一安心。デジカメで撮っておけばよかったのだが、残念ながら、今日は雨天なので行動中はザックの中。休憩時のみ、ゆとりがあれば出して撮る程度なり。
14時、相変わらずの津軽海峡の景色。


大畑漁港遠望。


14時20分、峠を越え、下りに入ったところで北方の見通しが利く。海岸線が遥か彼方、雨に煙る中に遠く伸びているのが確認できる。あの先が本州最北端の大間崎か。


14時45分、この天気の中、サーフィンをやっている若者たちのグループがある。「元気だねー。」と声を掛けると、「おじさんの方こそ元気だよ。」と返事が帰ってくる。雨にぬれながら15キロのザックを背負って歩いているのだから、やはりこちらも「元気」なのだろう。
15時、風間浦(かざまうら)村に入る。本州最北の村である風間浦村は、1889年に、下風呂(しもふろ)、易国間(いこくま)、蛇浦(へびうら)の各地区の一文字を取って名づけられた、とのこと。


道路わきに函館の病院に関する案内を見かける。ここでは青森市へ行くよりも北海道の方が近いというわけか。たしかに大間まで行けば、そこから函館まではフェリーで1時間40分である。


あとは海沿いをどんどん歩き、
15時50分、下風呂の「菅原民宿」に到着。
素泊まり宿泊費の3000円から300円バックして、坂の上の共同浴場へ、とのこと。共同浴場では、やはり日焼けのあとが異様らしく、70歳の男性から話しかけられる。旅の話をし、また彼の旅の話を聞いた。彼は、今でも魚を売りに本州にも行っているとのこと。北海道のタラバガニ漁についての話など、興味深かった。タラバガニは、今ではもっぱらロシア人によって獲られ日本に持ち込まれているが、彼らは十分に生育しないうちに捕獲してしまうので、昔よりも随分と小ぶりになってしまった、とか。こちらの翌日の行程についても、他の客や番台のおばさんに大間のフェリーの時間を照会してくれるなど、いろいろと親切にしてもらう。

経費  10,617円    累計  272,507円
歩数  46,914歩    累計  3,614,336歩
距離  33km       累計  2,388km

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徒歩の旅 第72日 むつ市  畑中旅館へ

2009年06月03日 | 2008年日本海側の旅
6月21日(土) 晴 (「道の駅 よこはま」~青森県・むつ市「畑中旅館」)



5時40分、出発前に、ウォーキングシューズの状態を見てみる。4月7日に自宅を出たときは新品だったが、さすがに350万歩を越えるとだいぶくたびれてしまっている。底も磨り減って、小石を踏むと足裏が痛いときもある。北海道のどこかで買い換えなければならないかもしれないと思う一方で、愛着もわいてきていて、ここまでよく頑張って来てくれたな、お前たちと一緒に最北端の宗谷岬に立ちたいよな、などと話しかけたい気もしてくる。


6時、道の駅を出発。「はまなすライン」の国道279号線を行く。本日も晴天なり。


道の駅の目の前のコンビニにて買い物。牛乳、おにぎり2個。
6時20分、道路わきにウツギの花が咲いており、芳香を漂わせている。


6時30分、JR大湊線の跨線橋をわたる。
6時50分、青森県の県木であるヒバの林がところどころに続くのを見上げつつ行く。


7時05分、ここ下北でも、稲はだいぶ生育している。


7時10分~30分、大豆田(まめだ)パーキングエリア、ゆとりの駐車帯の四阿で食事。


恐山方面の写真を撮る。


恐山は、下北半島の、マサカリ形の刃の部分の真ん中に当たるが、陸奥湾をはさんで、ここからは島のように見える。


このあたりは昔は田名部街道と呼ばれていた。


ハマナスが咲き、


ウツギも満開である。「卯の花の におう垣根に、ほととぎす はやも来鳴きて、忍び音もらす、夏は 来ぬ。」と一人で歌いつつ。


また、丘の上には風力発電の風車が何基も並んでいる。


気温25℃、蒸し暑い中、アップダウンを繰り返しつつ、単調な「むつはまなすライン」を行く。
7時45分~8時10分、有畑小学校の横を通り、JR大湊線の無人駅の有畑駅にて休憩。今日は、一応むつ市内のどこかで泊まる予定なので比較的ゆっくり出来る。
さらに行くと、牧草ロールを見かけるようになる。うーん、やっぱり北国の景色だなぁ。


8時40分、玩具のような、たった1両の大湊線が通過。


8時55分、むつ市に入る。


9時~25分、公衆電話の電話帳で宿泊先を調べ、今日の宿の予約をする。これで一安心。
10時、近川駅手前の交差点を通過。この頃より爽やかな海風がときおり吹いてくるようになる。
11時、金谷沢駅通過。
道路で交通取締りをしていた若い警察官に、「ご苦労さん。頑張って。」などと声を掛けられる。
11時05分、「むつ市立金谷沢小学校」を通過。ここも廃校のようだ。


11時10分、こちらは随分とモダンで豪華な民宿。しかし、宿はもう予約済みだし、だいいち時間が早すぎるわ、などと思いつつ、相変わらず単調な道路をたどる。


11時45分、コンビニにて食事。牛乳、ミニかつ重。
12時05分、Y字の分岐で、国道279号線を右に分けて、県道176号線を大畑・川内方面に向かう。「川内」は「かわうち」、鹿児島では「せんだい」だったなぁ。
12時40分~13時、今日の行程もはかどったし、宿の予約は既にしてあるし、余り早く着いても仕方なかろうと、のんびりと無人駅の赤谷川駅にて休憩。
その後、路傍でツツジの花を見かける。もうすぐ7月になろうとしているが、ここではまだ季節はゆっくり動いているようだ。


13時30分、下北駅を通過。ここはJRの本州最北の駅である。
田名部川にかかる下北橋をわたり、
13時40分、スーパーにて今後の行動食の調達。コッペパン3個、オレンジジュース、サラミ。
そのまま暑い中を大湊駅方面に進み、本州最果ての終着駅である大湊駅へ。
14時20分、駅前の「畑中旅館」に到着。
早速、青森ヒバのさわやかな浴槽で汗を流す。
今日は、昨日に比べればだいぶ楽な行程だったのだが、それでも昨日の後遺症か足が重かった。まあ、四分の一日休養といったところか。
夕食のおかずは、ホタテ焼き、鯛刺身、鮎の塩焼き、天ぷら、モズク、香の物、デザートに枇杷。そしてビール。宿泊代、一泊二食6500円。

経費  1,514円(宿泊代は翌日会計)  累計  261,890円
歩数  43,211歩           累計  3,567,422歩
距離  28km              累計  2,355km

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徒歩の旅 第71日 横浜町  道の駅よこはまへ

2009年06月01日 | 2008年日本海側の旅
6月20日(金) 晴ときどき曇 (「道の駅 浅虫温泉」~青森県・横浜町「道の駅 よこはま」)



4時、出発。昨日は雨のために予定より手前で泊まってしまったので、その分今日は長丁場。
覚悟を決めてまだ薄暗い中、「ゆ~ざ浅虫」を後にする(歩道橋の左下がテント泊の位置)。


青森湾に浮かぶ湯ノ島の左側には有明の月が沈もうとしている。


奥州街道の国道4号線を青森湾に沿って進む。
4時20分~35分、コンビニ内で食事。牛乳、オムライス。大福はウエストポーチに。
4時40分、夏泊(なつどまり)半島や下北半島もうっすらと見える。東の空には雲がかかっているが、西の空は晴れてきている。


4時45分、JR東北本線と並行して歩いていると貨物列車の通過。


5時30分、夏泊崎方面へ向かう県道9号線を左に分け、青森湾と別れて、夏泊半島基部の緑濃い田園地帯の中へと坂を登って行く。
5時55分、東北本線の西平内(にしひらない)駅を左手遠くに見て通過。
田圃の向こうを行く貨物列車が、長くコンテナを連結しているのが樹間に見える。


西平内のバス停の小屋には、「宿泊・休憩厳禁」という張り紙がある。このような張り紙のあるバス停はこの地域だけであったが、過去に何か余程のことでもあったのだろうか? それともこれも洞爺湖サミットの影響だろうか? 
西平内はホタテ養殖の発祥地とか。歩道にホタテの貝殻がいくつも落ちていたり、ホタテの貝殻を混ぜたコンクリートが敷かれたベンチなどがあったりする。
やがて人家が続く中を行き、
6時40分、小湊駅入り口を通過。
7時05分、夜越山(よごしやま)森林公園を過ぎ、跨線橋をわたる。
7時10分、「東京まで715km」の道路標識がある。自宅の川崎まではさらに20kmあるから、ここから735kmか。随分遠い所を歩いているのだと感慨深い。


7時30分~40分、平内パーキングにて小休止。
案内板があり、


さらに、奥州街道を示す石柱と、


「奥州街道の由来」が書かれてあり読んでみると、「この辺りを通った有名人」として、高山彦九郎の他、伊能忠敬、菅江真澄、吉田松陰らの名前があげられている。高山彦九郎は群馬、伊能忠敬は千葉の人だが、菅江真澄は三河だし、吉田松陰は長州である。川崎が遠いどころではなかった。


8時10分、清水川駅を通過。陸奥湾が見え、遠くうっすらと恐山方面も望まれる。


8時35分、東北本線の普通列車が通過。


8時50分、コンビニで買い物。コッペパン2個、ミルク飴。
9時20分、狩場沢駅で10分間休憩。
特急スーパー白鳥号の通過を撮ったあと、


待合室でお婆さんと少し話。ご主人とは7年前に死別、恐山に行ったときにご主人とお母さんを呼んでもらい、話をしたとのこと。一人暮らしなので青森までいろいろな手続きをしに行くのが大変だ、等々。「お気をつけて」と言われガムを貰う。気温21℃。
10時、野辺地(のへじ)町に入る。




津軽領・南部領の藩境塚があり、




ここにも菅江真澄の碑がある。


10時15分、国道4号線と県道243号線との分岐、下北半島へ向かって、県道を行く。


10時40分、戊辰戦争跡地。


1868年9月、弘前藩(討幕側)の津軽軍と、盛岡藩(旧幕府側)の南部軍がこの地で局地戦。


野辺地戦争戦死者墓所に津軽軍戦死者が葬られている。




11時、JR大湊線の踏切をわたり、
11時15分~30分、スーパーにて買い物。海鮮天丼、トマト、マヨネーズ。ベンチでトマトをほお張り、海鮮丼を食べる。
11時40分、陸奥湾に沿って「むつはまなすライン」の国道279号線を行く。案内板には石川啄木の「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かのはまなすよ 今年も咲けるや」の歌が書かれてある。


11時50分、十符ヶ浦(とふがうら)海水浴場。通過してきた夏泊半島方面が望まれる。


12時15分~45分、「れすとらん常夜灯」で、「元祖」ほたて丼を食べる。1000円。ほんの1時間前にスーパーで食事をしたばかりだったが、「元祖」の文字に引かれて立ち寄ってしまう。味は大変結構。
これで大分時間を喰ってしまい、あとはアップダウンを繰り返す道を、延々とただひたすら「道の駅 よこはま」を目指すことになるが、とにかく遠い。
14時30分、六ヶ所村核燃料再処理工場方面に続く県道180号線との交差点。
横浜まで19kmの表示あり。あと4~5時間か、こりゃ日が暮れてしまうかもしれんな。
野辺地ウインドファームの風力発電の風車を見つつ行き、
15時30分、横浜町に入る。


15時50分、海辺の雲雀平に、幸田露伴の『易心後語』から引かれた文学碑がある。
「左に断えず海を眺めつ
 茫々たる原中を
 歩まするに菖蒲 玫瑰
 遠く近くに 咲きにほひ
 さまゞゝの禽の歌ふ
 聲長閑く立てる座れる
 睡れる 當歳 二歳
 三歳以上の馬どもの各が
 じゝ自由に振舞へる
 も我等の眼には
 新しゝ」。
「玫瑰」を「はまなす」と読むことを知る。


傍に大町桂月の「一沼に 馬群れ十里 尾花かな」の文学碑もある。


木材を満載したトラックや、大湊線の写真を撮ったりしつつ、


16時55分、大湊線の吹越(ふっこし)駅を通過。いかにも風の強そうな名前なり。
17時20分、大湊線がたった1両で通過する。


18時~05分、コンビニにて買い物。飲むヨーグルト、またもや大福。
18時40分、ようやくにして道の駅「よこはま」に到着。今夜はここで泊まらせてもらうことにする。
およそ14時間半行動か。我ながら今日はとにかくよく歩いた。靴も随分くたびれてきた。
このまま中1泊で大間まで行くことも可能に思えるが、修行でもトレーニングでもないのに、この調子でわき目もふらず下北半島を駆け抜けたのでは、いったい何のための旅だか分からない。日程も予算も余裕があるので、下北半島でもう2泊することにしよう。

経費  3,190円        累計  260,376円
歩数  84,902歩       累計  3,524,211歩
距離  56km(えっ!)    累計  2,327km

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徒歩の旅 第70日 青森市  道の駅 浅虫温泉へ

2009年05月30日 | 2008年日本海側の旅
6月19日(木) 晴のち雨 (中新座北公園~青森市・「道の駅 浅虫温泉」)



4時、公園発。ホームレス君は、まだベンチで眠っている(中央奥)。


洗面と用足しのため、一旦「道の駅 なみおか」に戻る。
4時30分、道の駅を出発し、リンゴ園と水田の中を貫く、国道7号線の新しくて広い浪岡バイパスを行く。この道路は、旧国道7号線(現県道)のバイパス道路の一部で、以後青森駅方面に向かい、大釈迦バイパス、鶴ヶ坂バイパス、青森西バイパスと続いている。
天気予報は下り坂だが、今のところ雲にさえぎられつつも時々は日差しもあり、雨の気配はなし。気温は15℃。
5時15分、津軽自動車道(浪岡五所川原道路)の方の国道101号線との交差点を通過し、さらに、
5時40分、今度は大間越街道の方の国道101号線との交差点を通過。田園地帯から大釈迦峠へと上っていく。
6時、緑濃き大釈迦峠へ。
6時30分、JR奥羽本線の鶴ヶ坂駅方面への分岐を通過。
鶴ヶ坂バイパスは高く茂る木々に囲まれた山間部に入って行く。
鶴ヶ坂1号橋、2号橋、3号橋と真新しい橋梁をわたる。いずれも高度感のある橋である。
その後は、青森市中心部方面に向けて長い坂をずっと下って行く。
8時10分、青森環状バイパスとの交差点を通過。ここを右折すると三内丸山遺跡方面に行くのだが、今回は素通り。
8時20分~45分、コンビニにて食事。牛乳、から揚げ弁当。
日差しが弱くなり、雨が接近している予感。コンビニ先の道路わきにて15分ほど結露に濡れたテントを乾かす。
9時15分、新城川にかかる新城大橋を渡り、青森市街に入る。先ほどまでと違い高層ビルの間を行く。
9時40分、青森西郵便局にて旅の途中で入手した資料などを自宅宛に郵送。
10時、JR津軽線を跨ぎ、市の中心部を歩いていると、お婆さんに「どこまで行くの」と声をかけられる。旅の説明をしたあと、15分ほど市内の様子や彼女の家族の話などを聞いたりし、青森のリンゴは甘いからぜひどうぞと、リンゴジュース缶を2個いただく。「お気をつけて」の声に送られ出発。
10時25分、古川跨線橋でJR奥羽本線とJR東北本線を跨ぐ。青森駅や青森港は左手の奥の方である。


さらに市内を進み、
10時35分、青森県庁前を通過。ここには、国道7号線と国道4号線の転換点を示す道路標識があり、したがって、ここからは国道4号線を歩くことになる。




すぐ近くに「空襲・戦災青森都市」の説明プレートもある。東京や横浜・川崎、大阪や神戸、広島・長崎などの空襲は知っていたが、青森市も空襲を受けていたとは知らなかった。1945年7月28日夜半の空襲で、死者1018名、市街地の90パーセントを焼失した、とある。


11時、銀行やホテルが並ぶ町並みを過ぎ、堤川にかかる堤橋をわたると、青森市の中心街をぬける。
11時10分~30分、弁当屋にて昼食。焼肉弁当を店内の椅子に座って食べる。
浅虫方面へは県道259号線を海沿いに行くつもりでいたが、うっかり分岐を見落としてしまい、しばらく4号線を行ってから気づいて戻る。
12時10分、青森商高の横で10分間小休止。小雨が降り出し雨具を着用。
青森湾に沿って県道259号線(奥州街道の旧国道4号線)を東進する。
13時50分、雨が強くなり、草に囲まれた無人のJR東北本線野内(のない)駅にて、雨宿りを兼ねて30分ほど休憩。ホームの待合室で少し眠る。
再び雨の中を行く。
15時、久栗坂(くぐりざか)で国道4号線と合流。善知鳥(うとう)崎を望みつつ、青森湾沿いの風情ある景観の中を行く。
15時05分、雨は上がり、善知鳥トンネル(112メートル)をぬけ再び青森湾沿いを浅虫(あさむし)へ。


15時30分、「ゆ~ざ浅虫」という温泉に併設の「道の駅 浅虫温泉」に着く。
浅虫の町は大きなホテルや温泉旅館が立ち並ぶ歓楽街である。どこかテントを張るのに適当な場所はないかと探すと、うまい具合に道の駅に通じる歩道橋下にスペースが見つかり、今夜はここで泊まることに決定。
時間的にまだ早すぎるので、道の駅売店でお菓子を買い、その後5階の展望浴場「はだか湯」に入浴。
裸になると、半そで半ズボンで歩いているため、日焼けしている部分とそうでない部分との落差が余りに大きく、湯船の男性たちに何の商売をしているのかと尋ねられる。漁師ОBの彼らの話を聞き、温泉でゆっくりと汗を流した後、自販機で飲料。時間があるので、今後のルートの検討、旅の費用の計算などをして過ごす。
今日、東北地方の梅雨入りが発表される。ついに梅雨前線に掴まってしまったか。
しかし、徒歩の旅は今日で70日目。着々と北海道に近づいていることを実感する。

経費  2,550円     累計  257,186円
歩数  58,973歩    累計  3,439,309歩
距離  39km       累計  2,271km

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徒歩の旅 第69日 青森市浪岡 中新座北公園へ

2009年05月28日 | 2008年日本海側の旅
6月18日(水) 晴 (「尾野旅館」~青森市・波岡 中新座北公園)



7時50分、出発時に女将さんが、お昼ご飯の足しにと、大きなおにぎりと沢庵を持たせてくれる。親切な心遣いに感謝し、今日もまずは国道101号線を行く。
8時10分、鰺ヶ沢観光案内板。「津軽藩発祥の地」とある。岩手の大浦光信が、西海岸一帯の守りのためにやってきて1491年、種里に築城。


8時30分、跨線橋から緑の中の五能線。


海岸沿いにはイカ干しの店。


8時30分、鳴沢橋をわたると道は海岸線を離れ、岩木山を右手に眺めつつ、津軽半島の付け根を東に向かって横断するルートに入っていく。


8時40分、岩木山の一部にはまだ雪がついている。


9時15分、つがる市に入る。


9時45分、コンビニで買い物。牛乳、ガム、のど飴。
コンビニの女性従業員が、「深浦の方から来たでしょう。昨日も今日も、出勤途中に車の中から見かけましたよ。」と言い、「頑張ってください」と激励される。
美空ひばりの「津軽のふるさと」や「リンゴ追分」などを歌いながら、津軽平野の水田とリンゴ園の広々とした道を行き、




10時20分~35分、「道の駅 もりた」にて小休止。
旧増田家住宅母屋が保存されており、見学。100年以上前に造られた大規模な萱葺き家屋の豪邸である。




11時10分、再び跨線橋上からやって来る五能線の写真を撮る。左端は岩木山。


11時20分、道路わきの小公園で食事。宿の女将さんに貰ったおにぎりを食べる。
13時、岩木川にかかる乾橋をわたり、五所川原市街地に入る。
13時10分~50分、女将さんが、「是非寄っていきなさい。」とすすめてくれた「立佞武多(たちねぷた)の館」を見学。




高さ22メートル、重さ17トンという巨大な実物の「立佞武多」が3台、4階建ての館に収納されている。その迫力に圧倒されてしまう。


4階からスロープでらせん状に降りながら、その大きさを実感する。


五所川原の「立佞武多」は、青森の「ネブタ」、弘前の「ねぷた」と並び、青森三大ねぷたの一つ。






8月4日から8日にかけての「立佞武多祭り」では、これらが五所川原の町を練り歩くことになる。




実際に市街を練り歩く姿を見てみたいもの。


(興奮して、何枚も写真を撮っているのがわかるでしょ。)


その後は、五所川原商店街のアーケードを進み、
14時25分、コンビニで食事。牛乳、おにぎり2個。
14時50分~15時、泊まりに備えてスーパーで買い物。食パン、トマト、玉ネギ、サラミ、ママレード、ココア。
水田の中を行くが、増えた荷の重さと暑さのためのどが渇き、自販機でペットボトル買う。
15時40分、五所川原東ICで津軽自動車道の下をくぐり、
15時55分、中溜池を通過。


16時10分、分岐にて国道101号線と別れ、県道34号の五所川原浪岡線に入る。浪岡まで11キロの表示あり。
その後は、再び間近くなった岩木山を右手後方に見つつ、田園地帯、水田とリンゴ園が続く道を行く。
県道は元は畦道だったのだろうか、くねくねと曲がった所や小さなアップダウンを進む。大木に囲まれたいかにも豪農然とした旧家や、ところどころに果樹園や溜池などがある。
17時~10分、高野にて小休止。
17時15分、青森市に入る。


18時25分、ようやくにして国道7号線に出る。
18時35分、今夜の宿泊予定地の「道の駅 なみおか」手前で、道の駅から出てきたホームレスの男性と話。
彼は道の駅で泊まるつもりだったが、職員から夜間に警察が職務質問に来ると聞き、近くの公園に移動するところとのこと。いよいよ洞爺湖サミットの警備の影響が出てきたかな? こちらは免許証もあり旅の計画書もあるので職務質問は別にどうということもないが、聞くところによると、彼は二日間何も食べていないとか。可愛そうになってしまい、近くの公園で一緒に食事をすることにする。
18時45分、道の駅近くの中新座北公園にて、シートを敷いて二人で奇妙なトワイライト ディナー。とりあえず非常食として自分用の乾パンだけは確保し、その他の手持ち食料は二等分してしまう。彼は42歳で、調理師になるべく専門学校を出たが、勤め始めて自分には向いていないと思い、調理師の道は諦めてしまったとのこと。その後いろいろな職業についたが、どれも長続きせず、結局はホームレスになってしまったのだそうである。トマトや玉ネギを食パンにはさんでマヨネーズをかけただけのサンドウィッチだが、実にうまそうに食べ、残りの食料は大事そうにバッグにしまっていた。いろいろな人生があるものだと思うが、やはり実際に目の当たりにし話を聞いてみないと、なかなか想像力ははたらかないものだ。
そんな訳で、今夜は公園でテントを張って泊まることになる。彼はベンチで、あげた銀シートにくるまって寝たようだった。

経費  9,738円      累計  254,636円
歩数  61,412歩     累計  3,380,336歩
距離  42km        累計  2,232km

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徒歩の旅 第68日 鰺ヶ沢町 尾野旅館へ

2009年05月26日 | 2008年日本海側の旅
6月17日(火) 晴 (JR驫木駅~青森県・鰺ヶ沢町「尾野旅館」)



4時25分、日の出前の驫木(とどろき)駅舎。好天を予感させる空の色。


ホーム。


4時45分、出発。五能線と並行して国道101号線を行く。
5時、ゆとりの駐車帯。トイレと水飲み場があり、洗面および飲料水の確保。
驫木駅にはトイレはあるが、水道はない。しかし、わずか1キロの所に両方ともあり好都合。
そばに案内板があり、その解説によると、このあたりは一時期参勤交代の道でもあったそうで、大間越から鯵ヶ沢までを「西浜街道」と言ったとのこと。


「大間越の国境から鰺ヶ沢(あじがさわ)までが『西浜街道』であり、小泊村までが、西ヶ浜であった。……」とある。


5時40分、海辺に家屋が見える。作業小屋だろうか。


5時50分、海岸線の花々。浜昼顔や、


ハマナス。




白いハマナスもある。


6時05分~35分、「かそせイカ焼き村」という大きな看板がある「道の駅 ふかうら」にて休憩、食事。
海上の大島、




弁天島にある紅白の帯を締めた鳥居崎灯台や、


7時10分、五能線の写真を撮りつつ、海岸線に沿って行く。




6時45分、気温が上がってのどが渇き、自販機でジュースを買う。
7時40分、大戸瀬の漁港では忙しそうに働いている。




8時~15分、千畳敷駅手前で、五能線の写真を撮るべく待ちながら小休止。


8時25分、千畳敷海岸へ。


案内板によれば、千畳敷海岸は1792年(寛政4年)の地震による隆起で出来たとのこと。


広いテーブルのような岩場と、


いくつもの奇岩。鷲岩、兜岩、潮吹き岩などとそれぞれ名前がつけられている。


空も海も真っ青。


太宰治の小説「津軽」の文章が刻まれた記念碑や、


大町桂月の文学碑などがある。


8時45分、波がきらめく中、陽を浴びて歩く。津軽半島が先端の方までよく見渡せる。


9時、跨線橋を過ぎ、坂を上る。
9時30分~10時、暑くなったので、北金ヶ沢の防災広場の四阿で昼寝。
しかし、気温は18℃、澄んだ空気と日差しの強さの問題だろうか。
(この時、草むらをかき分けた際にヌカカに足首を何箇所も刺され、後々まで痒くてまいった。)
10時05分、北小金沢の港を見下ろす地点へ。


10時20分~25分、水田の横を五能線が往来する。






10時45分、甕杉(かめすぎ)。菅江真澄の道の標柱がある。


11時、コンビニにて買い物。牛乳、豆大福。一昨日の「道の駅 みねはま」以来の久しぶりのコンビニである。
11時25分、さらに五能線の写真を撮ったりしつつ水田の傍を行く。


11時55分、鰺ヶ沢町に入る。


12時15分、相変わらず強い日差しの下、真っ青な海を見ながら歩く。




12時50分~13時30分、「ドライブイン汐風」で「イカミンチ丼」というものを食べる。イカのハンバーグで作った天丼のようなものだが、味も良く量も多くて満足。
その後は、海岸通をイカの売店やイカを干している店などを見つつ行く。


淀町、漁師町、釣町、浜町などの歴史を偲ばせる名称を持つ家並みを過ぎて行き、
14時10分、鰺ヶ沢奉行所跡。


14時40分、鰺ヶ沢駅前の「尾野旅館」に到着。
女将さんは真っ白な割烹着が似合う大変気さくな人で、風呂に入っている間に着替えの洗濯をしてもらったり、町のことや泊まった人たちのことなど、いろいろな話を聞かせてもらう。ここは日本海沿いを旅をする人にはちょうどよい位置にあるせいか、様々な人が泊まっていくとのこと。この部屋にも、数年前にカメラマンの人が泊まった、と。おそらく、『日本縦断 徒歩の旅』( 岩波新書)を書かれた石川文洋さんのことだろうと思う。たまたま泊り客も少なく、彼女も時間の余裕があったのか、話は尽きない。
「今日は美味しい魚が入ったから期待していてね。」との彼女の言葉通り、夕食はご馳走。鯛の塩焼き、ワラサの刺身、ヒラメの刺身、巻貝の煮付け、酢の物、香の物、塩辛、ご飯と味噌汁、それとビール。


5日ぶりの宿泊まりで、美味しい食事を腹一杯。夜はぐっすりと眠った。宿泊代、一泊二食付で6,500円。

経費  1,155円(宿泊代は翌日会計) 累計  244,898円
歩数  44,474歩          累計  3,318,924歩
距離  28km            累計  2,190km

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徒歩の旅 第67日 深浦町  JR驫木駅へ

2009年05月24日 | 2008年日本海側の旅
6月16日(月) 晴のち曇一時雨 (深浦町松神 私人宅の庭~青森県・深浦町 JR驫木駅)



5時、昨日の約束どおり、テントを撤収して出発。
歩きはじめる前に昨晩のお礼をと思ったが、Kさんたちはまだ寝ているとのことで、後片づけをしていた女性にお礼を言い、皆さんによろしくと伝えてもらう。旅が終わったら、自宅からあらためてお礼を出すことにして、寝不足と二日酔いまじりのやや重い頭で、大間越街道の国道101号線を北上。
(昨晩の宴会は、この坂の上の林の中。)


5時10分、JR五能線の十二湖駅はまだ閉まっており中へは入れない。
駅前にある観光地図。


5時30分、森山トンネル(295メートル)を抜ける。
5時40分、道路に沿った家に、薪が大量に積み上げられている。この地の冬の苛酷さを物語っているようだ。


6時~30分、陸奥岩崎駅にて小休止、食事と用足し。
生徒たちが電車で通学する。こんなに早朝から大変だ。


上空には多少雲があるものの、白神山地方面は晴れて、稜線がくっきりと望まれる。


6時55分、陸奥沢辺駅を通過。海は今日も穏やかだ。


7時20分~8時25分、「沢辺パーキングエリアゆとりの駐車帯」にて大休止。洗面をし、五能線を撮ったり、今日の行動予定を考えたりする。


8時45分、鯵ヶ沢の駅前旅館に宿泊の予約電話。
9時、ウェスパ椿山駅のスロープカーのレール上に、サルの群れを見かける。逆光に毛並みが輝いている。


右手に風力発電の白い大きな風車を眺めつつ行き、
9時35分、艫作(へなし)駅を通過。
9時45分、観光地図あり。


10時、海岸線に沿って行く。


10時15分、青空と紺碧の日本海。空気が澄んで気持ちがよい。


10時20分~45分、神明神社そばにて小休止、食事。
10時50分、路傍に「菅江真澄の道」の標柱を見つける。新山権現とある。




11時、海岸線を行く五能線快速列車。


11時45分、「岡崎夕陽展望所」から深浦港方面を見る。
雲が出てきて天気は下り坂。
展望台裏手の風が遮られる場所には、自転車旅行者のものだろうか真新しい宿泊の跡もある。




11時50分、深浦港。


11時55分、円覚寺。北前船交易が盛んな頃には、航海の安全を祈願する船乗りたちの絵馬が奉納された。


ここにも「菅江真澄の道」の標柱がある。


12時05分~13時、「津軽・深浦風待ち館」を見学。


江戸時代に北前船の風待ち港として栄えた深浦港の紹介や、北前船に関連した文物や資料の展示、船の模型などがある。また、北前船と深浦ねぶたを紹介するビデオなどを見る。特に映像はわかりやすく、弘前、青森、五所川原の他に、ここ深浦にもねぶたがあることなどを知る。
風待ち館を出ると小雨が降りだし、雨具を着用。
深浦郵便局のATMで3万円下ろし。
13時45分、海岸線を五能線と並行して歩く。


14時20分~25分、広戸駅にて小休止。
この駅には「宿泊等を禁ずる!」という張り紙がない。小さな駅で、周辺には人家も少なく、利用者はいったいどれほどいるのだろうかと思わせるような駅である。女性の保安員が線路の点検をしている。
その後は、霧雨が断続的に強くなったりして降り続く中を、「道の駅 ふかうら」まで行くか、それともこの先の無人駅泊まりにするか、などと波立つ海を見ながら考えつつ歩く。


15時、町はずれのスーパーにて、泊まりの食料として食パンを買う。
15時10分、追良瀬(おいらせ)駅入り口を通過。
15時30分、驫木(とどろき)駅。
雨は降り止まず、この先濡れて歩いて道の駅でテント泊というのも気が進まず、結局この無人駅で泊まらせてもらうことにする。この駅にも張り紙は無い。つまり、深浦駅まではことごとく駅に「宿泊等を禁ずる!」との深浦駅長名の張り紙があったが、それ以後の駅にないのは、五所川原駅長の担当区域になるのだろうか(弘前機関区かな?)。広戸駅や驫木駅などはむしろ非常にオープンな雰囲気である。
「驫木駅」はよく見ると「馬」の字が4つもある。いかにもローカルな感じだが、ところで「驫」はなんと読むのかな、意味はどういうことかな? (帰宅後に調べたところ、「ひょう」と読み、「多くの馬」という意味だそうである。)
そもそもこの駅は実に素晴らしい駅で、駅舎にも、時計と時刻表、切符入れとゴミ箱とベンチ、掲示と駅ノート、あとは外側のトイレの他には何もない。改札も券売機もない。


ホームの前の線路の先は日本海の波である。


そこを時折五能線の列車が発着するだけ。




何もないということのなんという豊かさ! 
すっかり気に入ってしまう。余りに多くのものに囲まれて窒息している自分の日々の生活に、深い反省を迫るような実に素敵な駅である。


18時、雨は上がり、西の海上にヤコブの梯子が見られる。


備え付けの駅ノートを眺めたり、五能線の写真を撮ったりして、最終列車の発車まで待とうとしたのだが……。






疲れのせいか、本当は駅寝マナー違反であるが、とうとう最終列車の出発を待てずに構内の隅にテントを設営し、潮鳴りを間近に聞きつつ夢路をたどる。
駅ノートによれば、この駅は多くのファンを持つ人気の「秘境駅」とか、それもむべなるかなと思う。宝物のようなよい駅に出会えたこともこの旅で得た財産であろう。

経費  498円       累計  243,743円
歩数  45,613歩    累計  3,274,450歩
距離  30km       累計  2,162km

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徒歩の旅 第66日 深浦町松神 私人宅の庭へ

2009年05月22日 | 2008年日本海側の旅
6月15日(日) 雨のち晴 (「道の駅 みねはま」~青森県・深浦町松神 私人宅の庭)



未明に気がつくと雨が降っている。
6時~05分、降ったり止んだりする中、道の駅の東側、水田の彼方をJR五能線が通る。




6時30分、出発。大間越街道の国道101号線を北上する。
白神の山々はガスの中で見えず。雨が上がるのを待って出たつもりが、直後に再び降雨。木の下であわてて雨具を着用する。
7時05分、コンビニにて食事。牛乳、赤飯おにぎり1個。
7時25分、沢目駅の先より五能線の隣を並行して進む。
7時40分、雨が上がり、徐々に遠くが望めるようになる。


7時50分、緑の中の水沢川。


8時15分~25分、県道63号線との分岐の跨線橋上から、水田の中を接近し、去っていく五能線の写真を撮る。




8時40分、積み木のごとき東八森駅を通過。雲が切れ少し青空が顔をのぞかせ始める。


8時50分~9時05分、白瀑神社方面へ続く踏切にて五能線を撮る。


去り行く五能線。空の大きさを感じる。


9時40分、鹿の浦展望所にて小休止。男鹿半島方面は霞んでいてまだ見えない。雲の動きが早く、風が冷たい。


9時50分、五能線快速「リゾートしらかみ青池編成」が通過する。




10時10分、観楓橋を通過。所々青空が広がりつつあるも、白神山地方面は依然としてガスの中。


10時30分、海上は徐々に雲が切れて、男鹿半島が島のように見える。ちょうど佐渡島のような感じだ。


10時50分、あきた白神駅通過。ハタハタ館は、日曜日のせいか駐車やや多し。


11時20分、ゆるい坂を上りつめると、小入川にかかる橋。ちょうど五能線の小入川鉄橋が俯瞰できる地点で、絶好の撮影ポイント。


橋の上に、写真を撮るために待機している青年がおり、一緒に待ちながらしばらく話をする。彼は五所川原に住んでおり、今日は父親とともに写真を撮りに来ている。こちらが宗谷岬まで行くつもりだと話すと、以前は海上自衛隊で全国の港をまわり、北方の国境警備のため宗谷岬にも何度も行ったことがあるとのこと。今は実家に戻り父親と農業従事。今年はいつまでも寒くて、農作物に遅霜の被害が出ていること、この付近は景色はよいが病院と買い物が不自由そうなので住もうとは思わないこと等など。
通過時刻を過ぎても列車が来ないので、二人で時刻表を何度も確認し、首を傾げつつもさらに待つが、何故か一向に来ない。
12時10分、仕方なく写真は断念し、彼らと別れて出発。
12時15分、海青し、青森県も間近なり。


12時35分、海岸線を緑色の五能線快速「リゾートしらかみ橅編成」が行く。


13時~30分、「道の駅 はちもり」にて休憩。
四阿で冷たい風に吹かれて寒々とした食事。
道の駅横の「お殿水」の湧き水で、津軽の殿様を真似て「甘露、甘露。」と言いながらのどを潤し、ペットボトルにも詰めて出発。


13時50分、青森県深浦町に入る。16県目。


気温16℃。見下ろす海岸線は荒涼として、こころなしかもの寂び、ずいぶん遠くへ来たなぁとの感を深くする。


14時、須郷岬方面の岩礁が続く海岸線。


14時10分~30分、筧にて休憩。右手頭上鉄橋を五能線が通過するのを待って写真を撮る。


15時~10分、中の澗跨線橋上にて五能線通過を待つが空振り。
直後、歩いていると、先ほど橋の上で話した青年が車を止めて、ペットボトルのお茶の差し入れ。「気をつけて頑張って。」の声に、お礼を言って有り難くいただく。徐々に気温が上がってきていたので、冷たいお茶がうまい。
15時55分、後方より五能線が接近。


今度は「リゾートしらかみ くまげら編成」。


16時15分、緑の中の大間越トンネル(627メートル)を抜ける。
16時35分、右は山が迫っているが、左は広々とした景色である。空はすっかり晴れ渡り、暑いので半袖のTシャツになって歩く。


17時、白神岳登山口の分岐を通過。
17時10分、太陽が日本海に反射して眩しい。


17時40分、五能線がシルエットになって水田の向こうを通過していく。


18時、宿泊予定の松神駅に着くも、なんと「宿泊等を禁じます!JR深浦駅長」の張り紙。これでは泊まるわけにはいかない。
さてどうしようかと考えつつ歩いていると、子守をしている年配の女性がいる。思い切って、
「恐れ入りますが、歩き旅をしていて今夜の宿泊に困っており、この近くで小さなテントを張って一晩過ごせるような公園か空き地をご存知ありませんか?」
と尋ねると、近くには公園はないが、自分の家の空き地があるからよかったら泊まりなさいと言ってくれる。
彼女の話では、実は空き家もあるのだが、今夜は集まりがあって貸してしまった、空き家の隣に炭焼き小屋がありそこに空き地があるから使ってよい、とのこと。もし雨が降ってきたら炭焼き小屋の中に逃げ込めばよい、と。
親切に対し心からお礼を言い、明朝5時には出発しますと約束して、有り難く泊まらせてもらうことにする。いやぁ助かった。
18時15分、空き家利用のグループの人たちに挨拶をして、炭焼き小屋横にテント設営完了。
テント内で、荷物の片付けをしていると、グループの一人Kさんが、「これから宴会をするので参加しませんか。」と言ってくる。まさかのことにびっくりして一旦はお断りしたが、なおも是非にと誘ってくれるので、「では、ご迷惑でなかったらお願いします。」ということになり、宴会に参加させていただく。
宴会は空き家の横の焚き火のそばで、地元のKさんの他に男性3人(なんと熊本の山の会の人たち)と女性2人のグループ。初対面なのにうちとけた雰囲気で迎えてもらう。やがて女性たちは家の中に、男性陣は焚き火のそばに。真っ暗闇の中で焚き火を囲み、ゆれる炎に照らされつつ話に花が咲き、酒とご馳走もおよばれする。話は白神山地における林野庁との攻防戦を始め、ヒマラヤやアラスカの話等々、どれも興味深く痛快かつ時にしんみりとし、またこちらの旅の話も加わって、次から次へと続き、気がつくと12時過ぎ。酔眼朦朧、お礼を言ってテントに戻る。
青森県第一日目は、いろいろな出会いがあり実に面白き一日。

経費  250円       累計  243,245円
歩数  55,543歩     累計  3,228,837歩
距離  37km       累計  2,132km

(本日の到達地点――青森県に入る)


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徒歩の旅 第65日 八峰町  道の駅みねはまへ

2009年05月20日 | 2008年日本海側の旅
6月14日(土曜) 晴ときどき曇(「道の駅 ことおか」~秋田県・八峰町 「道の駅 みねはま」)


  
5時25分、八郎潟の朝。北風が強く、雲の流れが速い。肌寒く、未明に降雨があったであろうと思われる。その分、空気が澄み渡り、水田と遠くの家々が輝いている。


5時30分、出発。今日も羽州街道の国道7号線を北上する。八郎潟の東部承水路とJR奥羽本線に挟まれた道である。左側には昨日と同じフェンスが続く。
5時50分、コンビニで買い物。牛乳、おにぎり3個。
民家の庭につつじが咲いているのを見かける。鹿児島でつつじを見たのは、もう2ヶ月も前のことになる。ここが北国であることを実感する。
6時10分、鹿渡駅通過。遠く、陽を浴びて白く輝く風車がいくつも回っている。今朝ほど見た田の中の家々といい、この風車の群れといい、あまりに大きな景色の中にいるので、それらが本当におもちゃのように感じられる。


それにしても広い景色。水田も、空も。このデジカメは24ミリの広角だがとても収まらない。


6時30分、風に乗って、どこからかラジオ体操第二の音楽が流れて来て、懐かしさを覚える。
道路は八郎潟に沿って左にカーブし、さらにフェンスが続く道を行く。
7時、「じゅんさいの館」を通過。三種町は、じゅんさいの全国出荷量の8割を占める。


7時10分、左手遠くの山は寒風山(標高355メートル)。


7時25分、路傍に庚申塚。


7時40分、三種川にかかる川尻橋のバス停で20分間の小休止、食事。このあたりまで来ると、八郎潟ももう北の端である。
8時55分、大曲で男鹿半島方面から来た国道101号線と合流。
9時10分、能代市に入る。


9時25分、八郎潟を過ぎても田園地帯はさらに続いている。


9時45分、左に浅内沼を眺めつつ行く。


10時20分、秋田自動車道南能代入口を通過。
断続的に延々と続いてきた防風防雪のフェンスもこのあたりでいったん終わる。
10時30分頃、地震について自宅より安否確認の電話あり。9時40分頃に東北地方に大規模の地震が発生し、大きな被害が出ているとのこと(宮城岩手内陸地震)。回線混雑のためなかなか連絡が取れなかったが大丈夫か、と。こちらは歩行中で揺れにはまったく気づかず。心配なき旨応答する。
11時、バス停にて食事と小休止。
11時30分、芝童森(しどうもり)交差点で国道7号線と別れ、国道101号線を行く。
交通量も増えた市街地を行き、
11時40分~12時25分、スーパーにて買い物と食事。食パン、海鮮天丼、焼きイカ、ミニトマト、吹雪饅頭。
スーパーのベンチで近くに住むおばあさんと食事をしながら話。
地震は、彼女のところでは蛍光灯の笠が揺れた程度、死者が出たことはテレビのニュースで知ったとのこと。
旅のこと、彼女の膝痛のこと、「風の松原」のことなどについて話。
彼女の、時間があるならぜひ「風の松原」に寄って行きなさい、今日みたいに風が強く気温が低い日でも、中でなら昼寝が出来るからという勧めの言葉に従い、「風の松原」に立ち寄ってみることにする。
12時35分~14時10分、「風の松原」にて昼寝、食事、散策で過ごす。


「風の松原」は、日本五大松原の一つで、クロマツの数が約700万本、日本一の規模の防砂林。


幸田露伴の「能代の防風林是なり」という賛がある。


五大松原とは、ここの他に、天橋立(京都)、気比の松原(福井)、虹の松原(佐賀)、三保の松原(静岡)を指すそうで、今回の旅では、天橋立、気比の松原に続き3ヶ所目になる。






どの木も、草食恐竜の首のように陸地側に傾いている。
そのわけは、露伴の文章に「むかしは風すさまじく烈しくして、水の上はもとよりの事、陸の住居さへ安きを得ざりしなり。其故を如何にといふに、礙(ささ)ふるものなき日本海を渡り来る風の直に此方に衝き當ることなれば、其勢の猛きこと喩ふるに物も無きほどにして、石礫(じゃり)を飛ばし土砂を捲き、天を晦(くら)うし地を撼かし、行客を倒し民家を埋め、人をして如何ともすべからぎるを歎ぜしむること、秋冬は一ト月に二度三度のみならざりしを以てなり」とあるごとく、風の凄まじさによるもの。しかし中は別天地で、温室のように無風で暖かく、広場で日差しを十分に浴びながら、午睡をむさぼる。
14時45分、米代川にかかる能代大橋を渡る。


上流側の鉄橋は、JR五能線。


大型店が並ぶ通りを行き、途中ダイソーで封筒を買う。
15時、さらにスーパーで食料の補充。クッキー、ココナツサブレ、柿ピー、レトルトビーフハヤシ、からしマヨネーズ。
道は大間越街道と名称を変え、再びフェンスと水田の中を行く。
15時55分、JR五能線が通る時間帯になり、道の駅手前の田圃の脇で待ち体制。


16時25分まで五能線の写真を撮る。






16時30分、「道の駅 みねはま」に到着。
隣の販売所で買い物。きゅうり、大福、シュークリーム。なにやら無性に甘いものが食べたくなって、余計なものまで買ってしまう。
休憩所には菅江真澄の歩いた軌跡が展示されており、食べながら拝見。




この休憩所で泊まらせてもらうつもりだったが、係員が来て18時で締め出されてしまう。彼の話では、国道7号線など数字が1桁の国道は利用者が多いので、夜間も休憩所が開放されている道の駅もあるが、101号線のような3桁の国道は利用者が少ないので、管理会社に委託し夜間は閉めてしまうところが多い、とのこと。とすると、今後も国道101号線を行くわけだから、青森市までの間では道の駅の休憩所は夜間締め出しかな。
四阿もなく仕方ないので、販売所終了後に、入口の屋根の下にテントを張らせてもらう。明朝も早く出発する予定だから、営業妨害にはならないだろう。

経費  2,800円     累計  242,995円
歩数  53,461歩    累計  3,173,294歩
距離  35km       累計  2,095km

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徒歩の旅 第64日 三種町  道の駅ことおかへ

2009年05月18日 | 2008年日本海側の旅
6月13日(金) 曇一時雨のち晴 (旅館「白鳥荘」~秋田県・三種町 「道の駅 ことおか」)



7時30分、出発。天気予報は下り坂。
8時10分、市立体育館前にて国道7号線に合流。
羽州街道の秋田北バイパスを行く。
菅江真澄の墓に立ち寄って行きたかったが、事前に地図をよく調べておかなかったために残念ながら分からず仕舞い。
国道に入ると、ものすごい車の量で大渋滞である。
9時、臨港警察署入口を通過。雲の流れが速く、時々陽が射したりまた曇ったり。風は強く空気はひんやりしている。
9時10分、秋田臨海鉄道北線の相染跨線橋を越える。
空は今にも降り出しそうな感じ。


9時35分、JR奥羽本線の上飯島駅を通過。秋田市郊外の大型店などが並ぶ通りを、空模様を気にしつつ進む。
10時25分、追分駅で小休止。待合室にいた親切な男性が、秋田県立博物館への道を丁寧に教えてくれる。
10時40分、小泉潟公園の男潟(写真)と女潟の間を通り、


10時45分、秋田県立博物館へ。


博物館の前に設置されている看板。右側のスケッチは菅江真澄の描いたもの。


その後約2時間、県立博物館を見学。館内にはいくつかの展示室と「菅江真澄資料センター」などがある。受付でザックを預ってもらい、まず「秋田の先覚記念室」で写真と業績を見る。


昨日「あきた文学館」で見た人々のほかに、東洋史学の内藤湖南、南極探検の白瀬矗、第38代横綱の照国、流行歌手の東海林太郎や、秋田の産業を築いた人々、婦人運動家など多くの肖像写真がある。ほぅ、こんな人が秋田県出身だったのか、と思う以上に、未知の人がほとんどで浅学を恥じる。
その後は、お目当ての「菅江真澄資料センター」を見学。彼の生涯をはじめ、旅の記録、スケッチや書その他の豊富な資料が、「生い立ち」「風俗」「雪」「晩年」とまとめられている。映像による紹介もわかりやすく、とてもよくできている。実に充実していて引き込まれてしまい、夢中になっているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまう。ここは日本全国の菅江真澄研究のセンターでもあるようだ。ぜひ再訪したいと思う。
『真澄』というパンフレットのバックナンバーをいくつかいただく。


平日の午前中とはいえ、見学者は他にはおらず、もったいない限りだ。見学中に雨が降ったようだが、博物館を出るときには既に止んでいる。
小泉潟公園の四阿で休憩して昼食。
再び国道7号線に戻って歩き続ける。
13時55分、潟上市に入る。


14時20分、緑につつまれた元木山公園で食事をしていると、雨が降り出すが、すぐに止んでしまう。
14時50分、高速道路の秋田自動車道をくぐり、「道の駅 しょうわ」にて10分ばかり小休止。苗木などを売っており、混雑している。
道の駅で入手した「菅江真澄の道」のパンフレット。男鹿半島、八郎潟方面を歩いた記録。


当初はここで宿泊の予定だったが、時間的にやや早いこと、休憩所が夜間閉鎖されてしまうことなどを考慮し、急遽もう20キロほど頑張って次の「道の駅 ことおか」まで行くことにする。
再び雨が降ったり止んだりする中を歩き始める。
両側が広々とした水田地帯を過ぎて、
16時25分、「井川さくら」というタレントのような名の駅にて小休止。水分を補給。挨拶をしたおばあさんに、「何処まで行くの? 自分史を書いたらいいよ。」と言われる。
16時55分、大川三叉路を通過。
17時05分、馬場目川にかかる竜馬大橋をわたり八郎潟町に入る。
17時10分、コンビニにて買い物。牛乳、黒あめ、豆大福。
17時25分、五城目(ごじょうめ)入口交差点通過。黒い雲が迫る中を時間と雨に追われる様にして急ぐ。
17時50分、真坂交差点を過ぎると、西方に八郎潟の展望が開けてくる。雲間から太陽の光が差す。


どこまでも続く水田。


広々とした田圃の中を行く特急列車。


18時15分、「夫殿(おっとど)の洞窟」というところを過ぎる。説明には、伝説とともに、「縄文時代の住居にも利用された跡があり……」と書かれている。


すぐに三種町に入る。


18時30分、気がつくといつしか雲も去り、夕陽が八郎潟の果てしなく続く水田を照らしている。


道路の左側は風雪対策だろうか、フェンスが続くところもある。


18時40分、北緯40度の表示を過ぎる。北緯40度には北京やマドリッド、フィラデルフィアなどがある。


西空に薄明光線である「ヤコブの梯子」現象が現れる。


東空は青く澄み渡り、真夏のような輝く雲。


18時50分、奥羽本線が北へ向かう。


日没時刻が迫ってくる。




19時05分、ようやくにして、「道の駅 ことおか」到着。
すでに売店は閉まっており、他に誰もいない快適そうな休憩所で泊まらせてもらうことにする。

経費  376円      累計  240,195円
歩数  60,833歩   累計  3,119,833歩
距離  42km      累計  2,060km

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