水瓶

ファンタジーや日々のこと

「世界史」W・H・マクニール

2015-01-08 08:57:46 | 民俗のこと
まだ上巻だけなんですが、読み終わりました。結構時間かかりました。
文明が進んで来るとややこしくなって、また地名とか国名とかドカンと増えて頭がついていかないので、
50%理解できてるかどうか、、、でも半分ぐらいしか理解できなくても面白いんです。
下巻については、近現代に近づいて来るので書かないと思います。難しい。。
しかしこの著者のマクニールさんていう人はすごいですね。
これ書くためにどれだけ本読んだんだ?!って、後ろの参考文献見てビックリです。
このアフリカまでも網羅した世界史が短いのにはわけがあって、なんでかっていうとこの本、
学生さん向けに書かれた「世界史教材」という全十巻の本と組み合わせになってたんだそうです。
でも残念なことにというか当たり前だろというか、この教材使用した先生少なかったんですね。
間もなく絶版になってしまい、大まかな解説にあたるこの「世界史」だけが、版を重ね続けたんだそうです。

内容についてはこれまでもちょっと触れてますけれど、四大文明の黎明期から紀元千年以降までもの長い間、
ユーラシア大陸の中央に住む遊牧民族が重要な役割を果たします。
ステップ地帯に住む遊牧民それ自体は、文明といえるまでのものを持っていないけれど、
とにかく武力が強く、蛮族なんて表現されています。
中国からはまとめて匈奴とか柔然とか呼ばれていましたが、一つの民族というわけではなく、
ゲルマン民族なんかもその内に入っています。
戦士部族という形で、とにかく広大な地域にわたって暮らしていたようです。
ビリヤードでテーブルの中央に玉がまとめて置いてあって、上手な人がパアンて打つと、
この玉があの玉にぶつかりその玉がまた別の玉にぶつかり、という具合にどんどん穴に落っこちていきますけれど、
その最初の一打みたいな役目を果たすのが遊牧民族です。
その初めの一打、もともとは牧草地をめぐる部族同士の争いからに過ぎないんですけれど、
弱い方が追いやられてどこか別の場所を襲いに行き、と玉突き状態になって、文明圏に押し寄せて来る。
紀元前に秦の始皇帝が、遊牧民族の侵入を防ぐために、あの途方もない万里の長城を築いたことを考えると、
遊牧民族がどれほどの脅威だったのかわかる気がします。

以下、いくつか面白いと思ったポイントを。

「ヒンズー教のカースト制度がインド社会の多様性を可能にした」と言っていて、目からウロコでした。
要は違う民族も違う宗教を信仰する人々も、新しい一つのカーストとして受け入れることで、
そのカースト独自の風俗、習慣などが保たれることになった。
大きく分けたものしか知らなかったけれど、カーストってすごく沢山あるんだそうです。
カースト制度は差別的な感覚が強いので、現代の感覚に照らすと、とても理想的とは言えないけれど、
たしかに多様性が守られる結果になってはいたんですね。
差別的な感覚が出て来るのは、ヒンズー教の教義にもよるんだろうけれど、
種類によっては、カースト同士が没交流のせいもあるかなあ、なんて思いました。
宮本常一さんによれば、日本の多くの村々も、いわゆる被差別を別としても、
同じような差別的な感覚を、他の村に対して持っていることが珍しくなかったんだそうです。
「古くからそうされていた」以上には理由がわからない差別ほど、根深く根強く、取り除くことが難しいんですね。

もう一つは、キリスト教、イスラム教、仏教の発生。
教義はそれぞれ違うけれど、共通してるのは、民族や住む土地などに関係なく、
信仰すれば信者として受け入れられることで、これは大都市ができることによって生まれた宗教の特色なんだそうです。
大都市には色んな土地から来た色んな人種の人がいるわけで、土着の宗教からとりこぼされたような人を受け入れ、
また土着の宗教そのものを取り込むような形を取ったりして、多くの信者を獲得していく。
この三つの宗教は普遍的宗教なんて呼ばれますが、うーん、なるほど。。

もう一つ、「馬を調教するものが、神官の支配する農耕社会を支配した」。
でもこれ、遊牧民族がある国の頂点に立って支配しても、農耕社会に同化できなければ、
どれも短命に終わったそうです。安定した統治ができない、というのがその理由。
たとえば元(モンゴル)は一時期ものすごい勢力をほこって、中国を支配したけれど、
やはり短命に終わり、その影響を中国にほとんど残せなかったのは、
漢民族と同化するのを拒んで、戦士部族の伝統や習俗を保とうとしたためで、
すでに高い文化が完成し、盤石な官僚制度が出来上がっていた中国を変えることはできなかった。
そう、中国は古来から、冷酷非情といってもいいような官僚制度の国なんですと。孟母三遷科挙の国!

そして大きくアジアとヨーロッパの違いですけれど、やっぱり米。稲作から来るんじゃないかと。
水田は、面積に対する収穫量が、小麦や大麦の畑に比べて多いんだそうですが、
畝をつくり水を引くなど、手間ひまがかかり、高い技術がいる。
だから見知らぬ新しい土地に移って一から始めることが、畑作よりもずっと大変なのです。
そんなわけで稲作は定住性が強い。このことが、アジア圏の文化にかなり大きく影響してる気がします。
ことに日本は、集約農業と書いてましたか、狭い土地に集まって暮らし、共同体でやるような農業だったので、
農民が貧しくて勤勉になったと。ああこれ、宮本さんが言ってたのと通じる。。。
最後に、日本について書かれた所を。

日本は中国から距離的に離れていたため、中国の文化圏に完全にのみ込まれてしまう危険をあまり感じなかった。そこで日本は、600年から1000までの間に、仏教、儒教をはじめ彼らが輸入し得る中国文化のあらゆる要素を歓迎して受け入れた。この時示された、外国の文物に対する日本人の精力的な熱狂性は、それ以降の時代にも何度かくり返され、その度に日本の歴史は急激な転換を見せたが、これはほかには見られない、まったく日本史だけの特徴である。

……うん。それ、すごくよくわかる。でも少し直そうよ。痛い目見るから。。

このマクニールさんは、異国の様式の全面的受容は未開民族の特徴だと言っていて、
独自といえる文化を築いた後にも日本がそれをやるのが不思議だったようです。
異国文化の上手な取り入れ方は、中国美術から影響を受けたペルシャ絵画に見られるように、
部分的に、抑制的に、だそうです。きっとさじ加減にセンスがいるんだよね。
ちなみに、真に日本独自といえる文化とは、中国の影響大きい平安文化よりも、
土着のサムライが築いたものにあると言ってます。・・・やっぱそれかい!
いや、でもこの人、日本史の参考文献に「親鸞とその浄土教」とかいう本読んでるんですよ。ポイント突いてるよ。
でもね、サムライだけじゃあないぞ。と思うぞ。うまく言えないけど。



他にも面白かった所が沢山あるのですが、それについて何か書けるほどには読めてないのです。
あんこがぎゅうぎゅうに詰まったおまんじゅうみたいな本です。お得です。
あー、でも、ほんと今に続いてるんだなあ。。。

         

大きくまとめ。
中近東、ヨーロッパ、インド、中国と四つの文明圏が、外から攻めて来る強力な異者に対して、
防御、衝突、従属、反撃、同化などを繰り返しながら、少しずつその特色をはっきりさせ、確立していく。
このマクニールさんは「疫病と世界史」という本も書かれていて、
外からの脅威という見方をするなら、疫病も遊牧民族も同じなのかもと思います。
いずれそっちも読んでみよう。なんか利口になった気がするぞ!


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