水瓶

ファンタジーや日々のこと

秋の掃部山公園・ちょっと歴史散歩

2015-10-25 17:16:25 | 横浜の観光・博物館など
杜鵑草と書いて花ホトトギス。鳥のホトトギスは不如帰と書くそうです。へえー。

なになに?掃部山……そうぶやま???いーえ、にゃんとこれで「かもんやま」と読むんだそうです。
というわけで昨日は掃部山公園へ行って来ました。ここも桜木町からすぐなのに、初めて行く場所です。
すぐ近くの図書館は一、二度行ったことあったんですが。。


みなとみらい方面から掃部山公園へ行くには、紅葉坂(もみじざか)を上ります。この街路樹がモミジです。


紅葉にはちと早く、一番色づいていた葉がこれぐらい。


掃部山公園近くの県立少年センターや図書館のある場所は、かつての神奈川奉行所跡なのでありました。
そうか、、考えてみれば遠山の金さんや大岡越前の江戸以外にも奉行所ってあったんだよね。。。

石碑のそばにあった説明板によりますと、横浜港建設の事務に関わった外国奉行五人に神奈川奉行も兼任するよう命が下り、
ここ戸部に奉行所(内国司法や行政)を、横浜村の方には運上所(関税及び外務全般事務)をつくって任に当たったそうです。
その後神奈川奉行は専任に。明治になって後、横浜裁判所ができて運上所と奉行所の役目を引き継いで、
神奈川奉行は廃止になり、名称も神奈川県庁になった、ということらしいです。


思ってたより大きかった井伊直弼の銅像。この読みにくい掃部山公園の名前は、井伊直弼公に由来するのです。

開港に尽力したために井伊直弼公は横浜にゆかり深く、明治17年に旧彦根藩士がここを買い取って井伊家の所有となったのですね。
で、その井伊直弼公の官位であったところの掃部頭(かもんのかみ)から、掃部山と名付けられたとのこと。
なーるほど、それで以前赤レンガに、井伊直弼公生誕200年記念でひこにゃんが出陣して来てたのか。

井伊直弼公についてwikiを読んだら、今まで意味も知らず桜田門外の変としか知らなかったんですが、
安政の大獄というのが、多くの人の恨み買うほど相当すごかったようで、すさまじい最期ですね。。
こういうことが起こるんだから、本当に大きな激変期だったんでしょうね。。。
今この掃部山公園には、能楽堂が建てられています。井伊直弼公は能楽含め、多数の趣味に通じていたそうです。

ちなみに、wikiにあってちょっとビックリしたのが、栃木県佐野市は彦根藩の飛び地領だったそうです。
えっ、彦根って滋賀県でしょ?なんでまたそんな遠い所に???
なぜ近江の大名が、遠い下野国に領地を拝領したのか検索してもわからなかったんですが、
ひこにゃんの方はちゃっかり佐野市のお祭りに出陣して、さのまると共演などしていました。ぬかりないね!


秋ですねえ、、秋ですなあ。。


掃部山を少し下ると和風庭園があります。


水に映って印象派効果。


ホトトギスは花葉のつき方が燭台のようで、私はこの形好きであります。


ホソバヒイラギナンテンの、黄色い鈴のような花。


ツワブキ。秋の花には、秋の趣き。


紫コロコロ、ムラサキシキブ。


紅葉の時期も来てみたいなあ。


掃部山公園は桜の名所としても有名で、百年前の花見の写真が飾ってありました。茶店なんかもあったようです。


県立の公の施設などが多い地域のせいか、土曜日は人も少なく静かでした。なかなかいい感じなんですよ。


なんとなく古い面影を偲ばせる風景ですね。

この後、野毛の方を歩いてみたんですが、野毛は小さい通りに音楽通りとか動物園通りとか名前がついていて、
ちょっとなつかしい感じの小さい喫茶店やレストラン、古本屋や面白そうなお店があって、歩くのが楽しい町です。
この日は時間が中途半端だったんですが、今度はおいしいお食事どころ探してみよう。

海をへだてた向こうから

2015-10-23 20:26:03 | 民俗のこと
並んで目玉をむいてるのは仁王さまとフグ!横浜人形の家で撮った、山口県の人形です。
今日はしばらくぶりに民俗のことなど。少々おつき合いいただければ。

こころ旅の秋篇が徳島県から始まって、今週の山口県まで瀬戸内海の旅でした。
瀬戸内海は海がきれいで波がおだやかで、すごくいい所ですね。まだ行ったことないんだなあ。。
実は火曜日に出て来た山口県の周防大島は、私の好きな民俗学者・宮本常一さんの出身地で、
へええこういう所だったのかと、ひときわ感慨深く見ました。
宮本さんの生家は、善根宿もやっていた農家だったそうです。

周防大島では、明治時代からカウアイ島に移民した人が多かったそうで、今ではこの二つの島は姉妹島なんだそうです。
(このページに経緯が書いてあります。)
たしかテレビでは地元の人が、島の人口18000人っていってたかな、、かなり大きな島で、人口も多いですよね。
でも平地が少なく、人あまりが深刻な問題だったようです。
この人あまりって、日本は昔から苦労していたんですよね。
特に耕作できる平地の少ない山間部と、土地と真水が不足しがちな島では。
民俗の本とか読んでると、ほんとについこの間まで、日本てほとんどの人が貧しい国だったんだなあと思います。
たまたまここ五、六十年が例外的に裕福だっただけで。(いや、三、四十年かな?)


話変わって、十月は神無月。日本中の神様が出雲へ行ってしまうので、他の地方には神様がいなくなってしまう。
けれど留守番神として残っているのがえびす様。というわけで、十月にはえびす様をおまつりするえびす講があります。
最近読み返した柳田國男さんの「幽冥談」という本にあったんですが、
イザナギノミコトとイザナミノミコトの間に生まれたえびす様は、
体が不自由で足が立たない蛭子で(ヒルコともエビスとも読む)、そのために留守番として残るんだそうです。
他には山の神様や諏訪大社の神様が、出雲に行かずに残っているそうです。

で、このえびす様というのが大変な曲者で、wiki見てもこれぐらい色々入り混じってわけのわからない神様いないのです。
イザナギノミコトとイザナミノミコトの間に生まれた神様であり、七福神の神様であり、大国主命とも言われたり。
また、土着のまつろわぬ人々のことも蝦夷と書いてえびすと呼びますし、渡来人と土着の人との、相反する性格を持ち合わせている。
共通点をあげるとしたら、蛭子として海に流されていたり、漁業の神様だったりと、特に海に縁が深いことでしょうか。
土着の人から海を渡って来た人を見れば海の向こうの人ですし、
海を渡って来た側から見ても、土着の人は海の向こうの人でもあるんですよね。
だから「えびす」は、海を隔てた場所にいる(いた)人、のことかも。

でも、そういえば昔の中国では、漢人に対して胡人というと(胡もえびすと読む)、
いわゆる外から攻めて来る遊牧民のことを指したようです。
隔てる海がないから、万里の長城を築かなきゃならなかった・・!
なので「えびす」という言葉には、風俗習慣の異なる人々、言葉は良くないけれど外人とか異人とか、
そんな感じの意味があるのかも知れません。
まあ、遠い昔のことで、とりとめのない話ですが、こういうこと考えるの面白いんだなあ。。

ちなみにえびす講の日には、大根や魚を食べるそうです。和食や。

水上・月夜野びーどろパーク

2015-10-18 15:17:12 | 
セイロン 型吹きオパールグラス ルネ・ラリック 1924


特にガラスに詳しくなくても耳にしたことはあるラリックとガレ。セイロンは作品名?
オパールグラスというのはこのほんのりした色づき具合からついた名称でしょうか。
8月に旅行した群馬水上、月夜野びーどろパークの記事です。

観光地にガラス美術館多けれど、ここのはほんとの本格的!
工場に体験室、展示室、売り場、レストランなど、かなり広い面積で見応えもあり、半日ぐらいつぶせそうな感じでした。


何がすごいって、最寄りバス停がすでにガラスで出来ているという力の入れよう。
上越線後閑駅からタクシー5分、新幹線上毛高原駅からバスで15分くらいだったかな?
タクシーでもそんなに料金かからないと思います。


敷地内の手すりにも一つ一つガラスの動物たちが陣取っています。


こんなのも。カニカニ。


ガラスを作っている工場の中も見学できます。広くて暑くて働いている人も沢山・・!


ガラスを吹いている様子。柵で仕切られた通路側から見学できるようになっています。


作業する人たち。


ガラスの溶解炉。いわゆるるつぼといわれるものです。燃料ブタンガス、最高1450℃、溶解量3トン。
これはルツボ式窯といって、たくさんの色のガラスを同時に作れるそうです。

色ガラスはそれぞれの色ごとに調合された原料を溶かして作るそうで、たとえば赤は金と銅とセレンとカドミウム、
青はコバルトと銅、黄色は銀とニッケル、クロムとカドミウムなどだそうです。
ひょっとして花火と同じ?と思って調べたら、使う材料は全然違うようです。


なんか大きな煙突、、じゃないな……なんだろう???


        

以下、グラスアート美術館の写真です。近代のガラスの流行や、世界のガラスの歴史がわかるように展示されています。


このタイプの花瓶、うちにもありました。白菜に似てるなと思ってましたが、、、
こんな感じで、ガラスの花瓶一つとっても流行ってあるものなんですね。


これはもう少し新しい感じの流行でしょうか。


札を撮り忘れてしまったのですが、外国で出土したトンボ玉のレプリカじゃなかったかと思います。サイケな色柄ですね。

ガラスの発祥はメソポタミアで、かなり古い時代のようです。トンボ玉とはガラス製のビーズのことで、
紀元前15世紀以前の北メソポタミアの遺跡からかなりの量が発見されているそうです。


ローマングラス。左:手付き水差し 1~3世紀  右:手付き瓶 6世紀頃

(以下説明板にあったものを要約)
ローマ時代紀元前1世紀から紀元5世紀頃までに作られたガラスをローマングラスといいます。
鉄の竿で息を吹き込んで作る方法が発明され、古代の型による制作よりも、
一挙に沢山のガラスが製造できるようになり、庶民の日常品にまで普及しました。
ローマ帝国以外へも、シルクロードを東へ、フェニキア人の航海術によって西へと、世界中へ広がっていきました。
表面が玉虫色に変色しているのは銀化現象で、土中に数百年以上埋まっていたことで起きる現象なんだそうです。へえ~。


正倉院に収蔵されているガラス器のレプリカ。これもシルクロードを通じてはるばる日本まで旅して来たんでしょうね。
正倉院のガラス器は、当時からここにしまわれていたため、保存状態が大変いいそうです。物持ちがいいね!


中国は清の時代に作られたガラスを乾隆ガラスというそうです。
鼻煙壷とあるのは、今でいうアロマポットみたいなものかしら。最近ネックレスになっているものも見かけます。


4世紀頃、ケルン近郊で発見された色模様の杯のレプリカ。シンプル&キュートでカジュアル?


14世紀頃ヨーロッパのゴブレットのレプリカ。純金などが使われている大変豪華なもの。


アメリカのディル・チフーリという人の作品のようです。


アメリカはティファニー工房のガラス。アール・ヌーヴォー期の代表的ガラス工房だそうです。


菖蒲文大花瓶。酸によるカメオ技法。エミール・ガレ。


はまなす文鶴首花瓶。イングリッシュカメオ。


ガレかなあ。


ガレちゃうか。


ロスコフ。型吹きオパールグラス。ルネ・ラリック。
実はこの手のつぶつぶ模様をよくよく見ると鳥肌たつタイプですが、面白い意匠だったので。


この珍妙な両手鍋のようなガラスはピカソデザインによるもの。さすがピカソ、面白いなあ。



美術館を見た後にソフトクリームを食べたり、自宅用に買ったお手ごろなガラス皿を宅急便で送る手配などして、
2時間ぐらいいたかな。。絵付け体験とかも興味あったのですが、新幹線の時間もあったのでこの辺で、と。
工場は熱気で暑かったけれど、ガラスは夏に、目に涼しくていいですね。

旅行からずいぶん間を置いてしまって、このまま書かずに終わっちゃうか~と思っていた記事の続きが、
ちゃんと書き終えられてよかったです。なんかやり残した宿題みたいで気にかかっていました。
これで夏に旅行した群馬水上の記事はおしまいです。ああほっとした。。。

さあて、次の旅行はどこにしよう?あんまりあちこちで噴煙上がらないといいなあ。

水上・湯吹きの滝と蛇門の滝

2015-10-17 20:16:19 | 
険しく切り立った崖にはさまれた、細く鋭い剣のような滝。
蛇しか通れないような場所という意味なのか、蛇門の滝というそうです。

今年8月に旅行した水上の記事の続きです。土合駅を降りて国道を少し歩いた先にある二つの滝。
月夜野びーどろパークへ向かう前にここへ寄ったので、短いですが別の記事にしました。


湯檜曽川を渡る国道の橋から見ることのできるこの大きめの滝は、湯吹きの滝といって、人工の堰なんだそうです。


青い淵。人工とはいっても、なかなかの雰囲気がありました。

看板があって、この辺りはユビソヤナギという絶滅危惧種の群生地なんだそうです。
滝に気をうばわれてしまい、どの木がユビソヤナギかよく確かめなかったのが残念・・・


湯吹きの滝の後ろへ回り込む道を進むと


トップ写真の蛇門の滝があります。細い急流にけずられてこの地形になったんでしょうか。


澄んだ水。


秘境感たっぷり。どこからか野生の声が聞こえそうな。。。


人も少なく、ただ水音だけが響き渡る、けど寂しいぐらいに静かな場所でした。
こういう場所で時間をすごすと、心の波がしずまるようです。またゆっくり行きたいなあ。。

水上・土合駅

2015-10-16 20:09:41 | 
なんでもないような不思議な光景。日本一のモグラ駅・土合駅の地下ホームです。

8月に旅行した群馬県水上の記事の続きです。ずいぶんと間があいてしまいましたが、思い出し思い出し書きました。
旅行前に、日本一深い所にあるというこの駅のことを知って、森のなかまが行きたがるだろうなあと思ってたら、
案の定行きたがりました。懐中電灯の使いごたえもよかったようです。


水上駅から電車に乗って二駅ほど。かなりの人が乗り込んでいました。
みんなどこまで行くんだろうと思ってたら、大半の人が土合駅で降りました。有名なんだなあ。


沢山の人が降りてがやがやとにぎやかなぐらい。これなら暗~いホームも怖くない!
この時は8月暑いさかりでしたが、ホームに出たとたんひんやりした空気が。
空調もないのに肌寒いぐらい。地下深いというだけで、こんなに気温が違うことにビックリ。


湯檜曽は群馬、土樽は新潟。土合-土樽間の乗車時間は調べたところ8分で、水上-越後湯沢は40分。
余裕のある旅程なら、水上から越後湯沢まで足をのばせるかも。


カメラの設定をどういじったかよく覚えていないんですが、明るく撮るとこんな感じ。
どうも雪国のモデルになったのは、このトンネルらしいです。
トンネルを抜けるとそこは雪国だった………って、水上も十分雪国ですよね。


ホームには待合室もちゃんとあります。一人で待つのは相当怖そう。
土合駅と検索すると心霊スポットと出て来るんですが、特に幽霊が出るようないわくはないらしいです。
でもたしかに、幽霊が出ないのがもったいないぐらいの雰囲気・・


これがうわさの486段の階段です。ホームは地下70メートルになるんだそう。
左の青い人は長い階段にそなえて靴ヒモをしっかり締め直しているようです。さあ、気合いを入れて上るぞう!

写真を撮っている内に、あんなにいた人がどんどん階段を上っていってしまい、心細くなってきたんですが、
森のなかまはまだ写真を撮っていて、ホームに残るは森のなかまともう一人の男性のみ。。早く来いよ~


サイバー感あふれる感じに撮れました。脱出口をめざせ!
いやいやそれとも、最終戦争があった時とかにここへ逃げ込んで来るのか。。
・・・とかバカな妄想がいくらでも浮かぶような、非日常感あふれる階段空間なのです。


左側にはエスカレーターを設置する予定だったようです。土がむき出していて珍しい眺め。
ちなみに階段の途中には何カ所かベンチがあって、一息入れられるようになっています。休み休み上ろう!
上っている途中でだんだん蒸し暑くなってきます。


「お疲れさまでした がんばって下さい」と書いてあるガラス戸も珍しいですよね。
あと24段、、ということは、さっきの長い階段で462段。。こんな駅から通勤してたら体力つくでしょうね。


ここの通路は川の上を渡る橋になっています。


通路の窓から外を見るとこんな感じ。ふつうの駅の渡り通路だと下には線路が見えるけど、
土合駅ではこんな渓流が見えるのです。冬はどんな景色になるんだろう。。


土合駅の改札は無人なので、切符を記念に持って帰ることができます。


改札口がいっぱいあって、構内も広々としています。ペットボトルの自動販売機もありました。
wikiを見ると、かつてのシーズンには改札に行列ができるぐらいの混雑ぶりだったのが、
上越新幹線や関越自動車道が開通してから乗降客が減り、無人駅になったとのこと。
今ここで乗り降りするのは、駅自体がお目当ての人がほとんどなのかも。


・・・あれれ?地下深くの駅のはずなのに???実は下り線が地下駅で、上り線は地上駅なんだそうです。
あの地下駅に電車から降り立ちたかったら、群馬方面から乗らないといけないんですね。


土合駅から少し歩いた所にある川を渡る線路。
水上近辺には、電車映えがする撮影ポイントがいっぱいあるんです。さすがSLの町!

というわけで、ちょっと時間があいてしまったけれど、印象の強い場所だけに結構覚えていました。
他の所にはちょっとないような珍しい駅なので、近くに来たら一度は行ってみて損はないかも。
土合駅へは水上駅から谷川岳行きのバスでも行けます。
バスの方が本数が多く便利ですが、もしも時間が合うなら電車で行ってみるのも楽しいですよ。

月夜野びーどろパークの記事につづく。たぶん。