杜鵑草と書いて花ホトトギス。鳥のホトトギスは不如帰と書くそうです。へえー。
なになに?掃部山……そうぶやま???いーえ、にゃんとこれで「かもんやま」と読むんだそうです。
というわけで昨日は掃部山公園へ行って来ました。ここも桜木町からすぐなのに、初めて行く場所です。
すぐ近くの図書館は一、二度行ったことあったんですが。。
みなとみらい方面から掃部山公園へ行くには、紅葉坂(もみじざか)を上ります。この街路樹がモミジです。
紅葉にはちと早く、一番色づいていた葉がこれぐらい。
掃部山公園近くの県立少年センターや図書館のある場所は、かつての神奈川奉行所跡なのでありました。
そうか、、考えてみれば遠山の金さんや大岡越前の江戸以外にも奉行所ってあったんだよね。。。
石碑のそばにあった説明板によりますと、横浜港建設の事務に関わった外国奉行五人に神奈川奉行も兼任するよう命が下り、
ここ戸部に奉行所(内国司法や行政)を、横浜村の方には運上所(関税及び外務全般事務)をつくって任に当たったそうです。
その後神奈川奉行は専任に。明治になって後、横浜裁判所ができて運上所と奉行所の役目を引き継いで、
神奈川奉行は廃止になり、名称も神奈川県庁になった、ということらしいです。
思ってたより大きかった井伊直弼の銅像。この読みにくい掃部山公園の名前は、井伊直弼公に由来するのです。
開港に尽力したために井伊直弼公は横浜にゆかり深く、明治17年に旧彦根藩士がここを買い取って井伊家の所有となったのですね。
で、その井伊直弼公の官位であったところの掃部頭(かもんのかみ)から、掃部山と名付けられたとのこと。
なーるほど、それで以前赤レンガに、井伊直弼公生誕200年記念でひこにゃんが出陣して来てたのか。
井伊直弼公についてwikiを読んだら、今まで意味も知らず桜田門外の変としか知らなかったんですが、
安政の大獄というのが、多くの人の恨み買うほど相当すごかったようで、すさまじい最期ですね。。
こういうことが起こるんだから、本当に大きな激変期だったんでしょうね。。。
今この掃部山公園には、能楽堂が建てられています。井伊直弼公は能楽含め、多数の趣味に通じていたそうです。
ちなみに、wikiにあってちょっとビックリしたのが、栃木県佐野市は彦根藩の飛び地領だったそうです。
えっ、彦根って滋賀県でしょ?なんでまたそんな遠い所に???
なぜ近江の大名が、遠い下野国に領地を拝領したのか検索してもわからなかったんですが、
ひこにゃんの方はちゃっかり佐野市のお祭りに出陣して、さのまると共演などしていました。ぬかりないね!
秋ですねえ、、秋ですなあ。。
掃部山を少し下ると和風庭園があります。
水に映って印象派効果。
ホトトギスは花葉のつき方が燭台のようで、私はこの形好きであります。
ホソバヒイラギナンテンの、黄色い鈴のような花。
ツワブキ。秋の花には、秋の趣き。
紫コロコロ、ムラサキシキブ。
紅葉の時期も来てみたいなあ。
掃部山公園は桜の名所としても有名で、百年前の花見の写真が飾ってありました。茶店なんかもあったようです。
県立の公の施設などが多い地域のせいか、土曜日は人も少なく静かでした。なかなかいい感じなんですよ。
なんとなく古い面影を偲ばせる風景ですね。
この後、野毛の方を歩いてみたんですが、野毛は小さい通りに音楽通りとか動物園通りとか名前がついていて、
ちょっとなつかしい感じの小さい喫茶店やレストラン、古本屋や面白そうなお店があって、歩くのが楽しい町です。
この日は時間が中途半端だったんですが、今度はおいしいお食事どころ探してみよう。
なになに?掃部山……そうぶやま???いーえ、にゃんとこれで「かもんやま」と読むんだそうです。
というわけで昨日は掃部山公園へ行って来ました。ここも桜木町からすぐなのに、初めて行く場所です。
すぐ近くの図書館は一、二度行ったことあったんですが。。
みなとみらい方面から掃部山公園へ行くには、紅葉坂(もみじざか)を上ります。この街路樹がモミジです。
紅葉にはちと早く、一番色づいていた葉がこれぐらい。
掃部山公園近くの県立少年センターや図書館のある場所は、かつての神奈川奉行所跡なのでありました。
そうか、、考えてみれば遠山の金さんや大岡越前の江戸以外にも奉行所ってあったんだよね。。。
石碑のそばにあった説明板によりますと、横浜港建設の事務に関わった外国奉行五人に神奈川奉行も兼任するよう命が下り、
ここ戸部に奉行所(内国司法や行政)を、横浜村の方には運上所(関税及び外務全般事務)をつくって任に当たったそうです。
その後神奈川奉行は専任に。明治になって後、横浜裁判所ができて運上所と奉行所の役目を引き継いで、
神奈川奉行は廃止になり、名称も神奈川県庁になった、ということらしいです。
思ってたより大きかった井伊直弼の銅像。この読みにくい掃部山公園の名前は、井伊直弼公に由来するのです。
開港に尽力したために井伊直弼公は横浜にゆかり深く、明治17年に旧彦根藩士がここを買い取って井伊家の所有となったのですね。
で、その井伊直弼公の官位であったところの掃部頭(かもんのかみ)から、掃部山と名付けられたとのこと。
なーるほど、それで以前赤レンガに、井伊直弼公生誕200年記念でひこにゃんが出陣して来てたのか。
井伊直弼公についてwikiを読んだら、今まで意味も知らず桜田門外の変としか知らなかったんですが、
安政の大獄というのが、多くの人の恨み買うほど相当すごかったようで、すさまじい最期ですね。。
こういうことが起こるんだから、本当に大きな激変期だったんでしょうね。。。
今この掃部山公園には、能楽堂が建てられています。井伊直弼公は能楽含め、多数の趣味に通じていたそうです。
ちなみに、wikiにあってちょっとビックリしたのが、栃木県佐野市は彦根藩の飛び地領だったそうです。
えっ、彦根って滋賀県でしょ?なんでまたそんな遠い所に???
なぜ近江の大名が、遠い下野国に領地を拝領したのか検索してもわからなかったんですが、
ひこにゃんの方はちゃっかり佐野市のお祭りに出陣して、さのまると共演などしていました。ぬかりないね!
秋ですねえ、、秋ですなあ。。
掃部山を少し下ると和風庭園があります。
水に映って印象派効果。
ホトトギスは花葉のつき方が燭台のようで、私はこの形好きであります。
ホソバヒイラギナンテンの、黄色い鈴のような花。
ツワブキ。秋の花には、秋の趣き。
紫コロコロ、ムラサキシキブ。
紅葉の時期も来てみたいなあ。
掃部山公園は桜の名所としても有名で、百年前の花見の写真が飾ってありました。茶店なんかもあったようです。
県立の公の施設などが多い地域のせいか、土曜日は人も少なく静かでした。なかなかいい感じなんですよ。
なんとなく古い面影を偲ばせる風景ですね。
この後、野毛の方を歩いてみたんですが、野毛は小さい通りに音楽通りとか動物園通りとか名前がついていて、
ちょっとなつかしい感じの小さい喫茶店やレストラン、古本屋や面白そうなお店があって、歩くのが楽しい町です。
この日は時間が中途半端だったんですが、今度はおいしいお食事どころ探してみよう。