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水瓶

ファンタジーや日々のこと

大木須小木須(おおぎすこぎす)

2015-06-12 19:43:41 | こころ旅
前回から続けてになりますが、こころ旅栃木県後編です。
母の実家が那須烏山市(旧南那須町)で私もよく知っていたので、今日の見てたらつい書きたくなっちゃって。
国見峠という名前は知らなかったけど

小木須・・!!!

母が「大木須小木須って、すーごく山深い所があるのよ」と言うので、
「行ってみたい!」と、もうずっと前に一度ドライブに連れて行ってもらったことがあるんです。
車だったから楽でしたけど、自転車で上る人はいないでしょうね。。。あの坂。
こうして見るとほんとにすんごい所だなあ。。鳥の声がすごかった!

烏山町・南那須町・小川町・馬頭町が合併したのが今の那須烏山市。
この辺の町の名前にはすごくなじみがあります。
観光で行くような所じゃないけど、「ひなびた」って感じがピッタリで、私は好きです。
あの辺りは日光や那須みたいに高い山はないけれど、なだらかな山が連なっててそこを道路が通ってるから、
アップダウンの繰り返しできついんです。昔は盗賊とか出たんじゃないんかなあ。
しっかしいいお嫁さんでしたね。幸せそうでよかった!

昨日は下野市細谷のお地蔵さん。下野市も合併して出来た市です。
南河内町と国分寺町と石橋町か。もう全然わからんよ。。。
赤ちゃんをお地蔵さんや目印になってるような石の前にいっぺん捨て子して、よその人に拾ってもらい、
あらためてもらい子すると無事丈夫に育つっていう風習、柳田國男さんの本にありました。
たしか夜泣き石の話だったかな?似たような風習、結構あちこちにあるらしいです。
(実は夜泣き石については悲しい由来の話もあるんですが。。)
もともとは実際に養子縁組して、何年か育ててもらったりしたらしいです。
それが簡略化された形で残ってたんですね。へええ。。
Y字路(野分け)とあったかどうかは定かじゃないけれど、野分けって古くからちょっと特異とされてた場所なんですよね。
なるほど股(Y)から生まれる、生まれ直すって意味があるのかも。面白いなあ………
さすが正平ちゃん、こういうのほんとするどい!
黄色いお花畑の中のお地蔵さまがまたいい顔してて。
新しい赤い前かけしてたから、ちゃんとお参りしてる人が今もいるんですね。

というわけで、いい思い出もいやな思い出もいっぱいある栃木県ですが、
こうして見られてやっぱりうれしかったです。まあ離れてからもうずいぶんになるし。。
ふるさとは、遠きにありて思うもの。なるほど。

写真は五色沼のビジターセンターで買って来たキビタキくんとモモンガのバッジです。かわいいでしょう?
こころ旅、来週からは福島です。

2015.6.10 の夕焼け&こころ旅

2015-06-10 20:13:30 | こころ旅
今日7時頃の西の空。まるで波打ち際の砂浜のような空になっていました。

今週のこころ旅は栃木で、「どこだろどこだろ?」みたいな感じで見てます。
こころ旅見てると思うけど、日本は関東平野みたいな平たい所は少ないんですよね。
筑後平野とか濃尾平野とか、あとは北海道か。
平たいのがあたり前だと思って育ったけど、今住んでる横浜もえっらい坂多くて、引っ越して来てびっくりしたんです。
自転車で坂上るの、夏は特につらいですほんとに。ひい。

昨日放映された足尾銅山があった町はさびしかったなあ。。あっちの方は行ったことがなくて。
山に大きな穴があいてて、線路の向こうに神社があって、人が歩いてない。。。
なんだかけだるい昼下がりに眠ってるような町で。
過疎化してる町村、今は多いんでしょうけど、
足尾は栄えた頃のなごりがあちこちに残ってるから、なおのこと寂しいですね。
足尾の辺りはうちの実家の方(栃木市)とは訛が違うんだなあ。
でもわたらせ渓谷鉄道はいいなあ。一回乗ってみたい。


こちらは昨日の夕焼け。お空が火事よ!
最近はピンクに焼けることが多いですね。
あちこちで火山活動が活発になってるせいかなあとか思ってるんですけど、どうなんでしょう…?

今日は新栃木駅から壬生町へ。
うーん、なじみ深い感じの平たい景色だ……なじみ深いじゃがいも入りやきそば。
柊なのかギンモクセイなのかわからない、小学校の大きな古木、調べたら、やっぱりギンモクセイのようです。
そうそう、季節はずれのこんな花咲いてた!葉が少しギザギザしてるって。

そして正平ちゃんの今日の名言

「古木になるととんがってるのがめんどくさくなって丸くなるんだよ」

淡い黄金色の麦畑が風にそよいできれいでした。

あんたがったどっこさ

2014-12-11 20:03:40 | こころ旅
ちょっと遅れてしまいましたが、先週のこころ旅は熊本県でした。
正平ちゃんが驚かして飛ばしたスズメが沢山いた薮、あれひょっとしてイグサかなあ。
近所の畳屋にくまモンののぼりが立ってて、それに「熊本の畳」と書いてあって、
調べたら、熊本はイグサの生産量日本一なんだそうです。へええー。

あんたがったどっこさ 肥後さ 肥後どっこさ
熊本さ 熊本どこさ 船場さ 船場山にはタヌキがおってさ
それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ
それを木の葉でちょいとかぶせ♪

ついでに調べたてみたら、この手まり歌は、本当は肥後発祥ではないんじゃないかと言われているようです。
そういえばこの歌詞だと、肥後で歌われたものというより、
どこか別の場所で出身地をたずねた時に、肥後の人が答えた形になってるようですよね。

小国辺りの風景が独特だなあと思ったら、牛を放牧するために山を焼くんだと地元の人が言っていました。
肥後牛が有名だそうで、検索するとひたすら肉の画像が。。。
すごくおいしそうなんだけど、今はやや牛寄りの心情なので………ンモオオオー!!!

宮本常一さんによると、熊本は石橋がすばらしいそうで、山間部の深い峡谷に見事な石橋がいくつもかかっていて、
それらはほとんど東陽村種山の石工たちの仕事だったそうです。
種山の石工たちはすぐれた架橋技術を持っていて、鹿児島の方まで行って石橋を造ったりしていたけれど、
大工事のあった時には、その技術が他にもれるのをおそれられて、
村に帰る途中で暗殺されてしまったとか、いや、それが実はひそかに命を助けられていて、
また他で橋を造っていた、なんて伝承が残っている名工もあるそうです。
エジプトのピラミッドにも似たような話ありますよね。
技術そのものは大切にされても、技術者は祖末にされていたことを物語ると宮本さんは書いていました。

「仏像のようなものさえ、作者の名のわかっているものはほとんどない。ただ黙々としてこれを刻みつけたにすぎない。それが芸術的にすぐれているとしても没個性的であるのが日本の仏像の特色であるとされているが、作品を残すだけで、作者の名を残すことが目的ではなかったからである。そしてそのような伝統は容易に消えなかった。(生きていく民俗)」

そういえばなぜか、国宝とかになっている、素人目にもずば抜けて見えるような仏像でも、
かなり昔に作られたせいもあるんでしょうけれど、誰が作ったんだろう、とかあまり気にならないかも。
でもしいて、誰が作ったんだろうと考えると、個人が作ったというよりも、
そうした物を必要として、可能にした背景や技術、個人の力をはるかに超えるもの、
その時代の文化が作った、というのが一番ぴったり来るのかも知れません。
いつの時代にも、個々にすぐれた天分を持った人はいても、
他にもさまざまな条件がそろわないとできないような物は、日本に限らずあるんじゃないかと思います。
そういう物が長い時を越えて、国境を越えて、残されてゆくんでしょうか。

ちなみに、大工や石工や左官などの職人たちが、職能神として信仰していたのが聖徳太子なんだそうです。
太子講って聞いたことありませんか?お寺の建立とか積極的に進めてたからかなあ。


肥後牛の人形のアップ。真ん中辺りに角と目?
牛らしい独特の雰囲気がよく出てますよね。ここから、ここから。

四国めぐり

2014-11-30 08:38:19 | こころ旅
キダチチョウセンアサガオの花びらにいたテントウムシ。
花が大きいのでまるで谷のようです。わっせ、わっせ!

今週のこころ旅は正平ちゃん英気養い中の蔵出しスペシャルで、四国の三県と岡山でした。
徳島だけ先に前回やったんだよね。
四国は行ったことがなくあまり知りませんで、特に香川については、近年のうどん県PRで、
「香川=うどん=讃岐」と覚えたぐらいで………でも、そうだよ香川は讃岐だよ!
(今、古い地名を覚え中で、香川が讃岐、愛媛が伊予、徳島が阿波、高知が土佐。四国はこれでオッケーだ!
いや、でもうどんだけじゃなくて、見てたらあちこちに立派な石垣があるんです。
特に小豆島!小豆島は香川だったのか。

それでちょっと調べたら、小豆島は大阪城の石垣の石を切り出してるんですね。
なるほど、巨大な石を運ぶには、陸路よりも海路を使う方がやりやすかったようです。
当時、小豆島は天領、江戸幕府の直轄地だったとあります。
天領は金山のある佐渡とか、木材の豊富な飛騨とか、鎖国下で貿易が許された長崎だとか、
すごくポイント突いた所を押さえてるんですよね。
さっすが三百年近く続いただけあって抜け目ないんですよ徳川幕府は。んふー。

四国はあとお遍路さん、巡礼。
江戸時代になって世情が比較的安定してからのことだと思うんですけど、
他の地方の農村から、嫁入り前の娘だけで巡礼に行くことなどもあったようです。
高知をのぞいた三県を女四国といって、若い娘だけで旅できるぐらい安全だったんですね。
娘三人で農閑期に四国にお遍路に行って、善根宿(無料で巡礼者や旅人を泊めてくれる家)を頼ってめぐり、
そうして帰った時には持って出たよりおこづかいが増えていたという記録があるそうです。へええー。

こころ旅、岡山にある竹久夢二の生家も出て来たんですが、
瓦屋根の上に煙出しのある茅葺きの屋根が重ねてあって、あー、もろ古民家だあ!ウキウキ♪
茅葺き屋根は村人、つまり素人でも作れるようになるけれど、持つのは十年から二十年ぐらい。
長持ちする瓦屋根は、専門の職人でないとできませんでしたが、
個々の家が豊かになっていくにつれ、茅葺きは瓦に取って替わられて行きます。
宮本さんの本読むようになって思ったけれど、茅葺き屋根が保存されている意味は、
その素朴な趣をなつかしむだけでなく、かつての村に茅葺き屋根を共同で作るような互助的な講があったこと、
またそうした制度が村の中から生まれ、全国に広がっていったという所にあるんだと思います。
もともと村そのものも、上からの押しつけではなく、自発、自然発生的に出来てきたものなんですよね。
村には悪い所も多分にあったけれど、稲作を始めた頃から近代まで続いたのは、
やはりそれだけよくできていたからなんだろうと思います。



そういえば岡山で、正平ちゃんが道ばたに生えてた何かを取って食べて、「これがむかご」と。
あ、それこないだ行ったお店で、小鉢に出て来た!!
お豆だと思って食べたら、食感や味がイモっぽく、なんだろうなんだろうと思ってお店の人に聞いたら、
むかごといって、根っこじゃなくて上につく実のようなものなんだそうです。
そういえば母から聞いたことあったような・・・?
ちょっとふかっとした歯ざわりで、おいしかったですよ。
十一月も今日でおわり。今週からぐっと寒くなるそうです。いよいよ冬ですね。

桜の紅葉

2014-11-22 08:00:01 | こころ旅
桜の紅葉は、葉がいたみやすいのとすぐ落ちちゃうのとで、見頃に当たるのが難しく。。。
でもこれはきれいに紅葉してました。
葉の表側はつやつやしてて、けっこう光を反射するんですよね。


別の桜。葉裏側から光の方を見ると、赤が透けてはっとするぐらいきれいです。

こころ旅、今週は長崎県でした。筑後平野で比較的なだらかだった佐賀県から、坂と階段の多い長崎へ。
佐賀も長崎も、同じ肥前だったのか。
しかし長崎ぐらい、県の形がつかみにくい県ほかにない!
史上最多と思われる正平ちゃんのハアハア、とうとうへたばるカメラマン。
(テレビのカメラマンは、すごく体力のある人がなると聞いたことがあります。
たしか山岳部出身の人が多いんですよね。)
長崎って、自転車の台数が日本で一番少ないんでしたっけ。。
あの辺きっと自転車で行く人いないよね………

地図見てて、東日本と西日本で大きく違うのは、船のラインの数かと思います。
特に瀬戸内海や長崎辺りは島が多いから、定期船も多いんでしょうね。
島の小さな漁村の、道路一本へだててすぐ海、後ろはすぐ急な山のすそに、
しがみつくように建てられた家々。一生懸命生きてたんだろなあ。

そういえば、平地が少ない農村は耕す土地がなくて困っていたというのに、
関東平野が江戸時代まであまり開けてなかったのはなぜなのかと思ったら、
関東平野は水が少なくて、作物が日焼けするために、農業に向いてなかったんだそうです。大きい川はあるのにね。
近世になって、治水灌漑の土木技術が発達してからようやく開けた。
武蔵野の方は旅するのに一日水場がないような所もあったとかで、平地は平地で大変だったんですね。
あそっか。茨城のサツマイモも千葉の落花生も、比較的乾燥に強そうだ。
落花生の行商のおばさんは、十年以上前には、京成線や総武線でまだたまに見かけることがありました。
今はどうだろ?


最近この時期によく見かけるようになった、コダチダリア。
秋のヒマワリとでもいうように、かなり大輪の花が高い位置に咲いてます。
ふらーふらーと風に揺れてるのを夕方頃シルエットで見ると、
ちょっとさびしい、怖い感じかも。

おとといぐらいから急に寒くなりました。もう11月も終わり。
ちゃんぽん食べたくなったでげす。

         

このページわかりやすくて面白かったです。→ 江戸幕府による関東平野大改造の歴史
土木技術にも関東流と紀州流があって、ちょっとやり方が違うんですね。
しっかしよくこんな大工事やったもんだなあ。。