水瓶

ファンタジーや日々のこと

月は今でも明るいが

2015-08-30 09:31:33 | 雑記
日本人の宇宙飛行士の人って、なぜお父さんが休日に家族をショッピングモールに連れて行くみたいに
宇宙ステーションだの操作するような人ばっかりなのか不思議です。なんかみんな雰囲気似てません?

写真はみなとみらい、帆船日本丸の近くのマリタイムミュージアムに展示されている船の模型。
今日はSF読書ノートです。ル・グインとJ・G・バラードもKindleで出してくれえ!

アーサー・C・クラークの「楽園の泉」「都市と星」と続けて読みました。
「楽園の泉」は宇宙エレベーターを実現しようとする科学者兼技術者が主人公の話です。
宇宙エレベーターというのは、ずいぶん前にソ連の科学者が考えた、すごく高い所まで届くエレベーターのことです。
「都市と星」は、遠い未来の地球にぽつんと残った、文字通り閉じた都市の話。
(サイバネティクス理論を応用実現した都市だそうです。頭に思い浮かべただけで見たい景色が見られたり、
食べたいものが食べられたりする、なまけ者の夢のような都市です。いいなあ。
どちらもこれぞクラーク!といった感じで面白いです。
・・・のですが、続けて読んでたら何か物足りなくさびしい……。え、なんで?なんで?

クラークの小説というと、二つ三つ専門分野の知識を持ったような学者だの技術者だの天才みたいな人たちが中心で、
そういう人たちは当然のようにずば抜けて知性的で理性的で冷静で、わずかな欠点といえば自分の名を後世に残したいという、
比較的罪のない、欠点とも言い切れない野心がちっとばかり強いぐらいです。
平均的な人たちも脇に顔を出しますが、それとてすごく理性的で、話せばわかるような人ばかり。
敵役すらけしてバカではないという。つまりクラークの小説には

自分に似てる人がぜんぜん出て来ない・・・!!!

そう、クラークの小説にはバカな人が出て来ないので感情移入がほとんどできないのです。
そうか、それでさびしかったのか……!
クラークはバカな人が書けなかったのか書くのがいやだったのか、ほんっと出て来ません。
でもだからこそ読みやすい、というか私がクラークを好きなのはまさにそういう所ではあるんですが、
クラークの考える未来には、私みたいな人間は淘汰されちゃってるのかと思うとやっぱさびしい。ぐっすん。



上記の「楽園の泉」「都市と星」、後に書きます「火星年代記」にも扱われていますが、地球の滅び方って重要ですよね。
今まで映画や小説、マンガとか合わせたら、いったい何回ぐらい滅んだんだろうというぐらい地球は滅んでるけれど、
どう滅ぶかの描き方は、すごく大事だと思います。
核戦争とか宇宙人が攻めて来るとか彗星がぶつかるとか。自転が止まりそうというのもあったっけ。あとマグマが冷えるとか。
ていうかむしろ今までよく滅んでないな………大量絶滅はあったけど、まだ人間全部いっぺんには滅んだことありませんよね。
映画にしやすいようなドラマティックな滅び方なら比較的短期間で済むけれど、
滅ぶぞ滅ぶぞとも思わないまま、じわじわだんだんと衰退してゆく滅び方もあるんじゃないかと思います。
で、なんかえらくヘンだけど妙にリアルかも、と思い出したのが、ヴォネガットの「ガラパゴスの箱船」。
南米の経済危機から始まって人類が退化してオットセイみたいな生き物になって海で繁殖する、という滅び方です。
何がどうしてこうなった???
・・・ええと、生き物としては繁栄してますが、人類としては滅亡といっていいかな、と。
さすがヴォネガットといおうか。でもこれで話の感じがつかめたあなたはすごい!



ブラッドベリの代表作「火星年代記」ってどんなだっけ?と思ってKindleで買って読んだんですが、
クラークとちょうど対極にあるのがブラッドベリかも、と思いました。
wikiによるとクラークは1917年、ブラッドベリは1920年生まれでほぼ同世代ですが、この二人はとても対称的です。
ブラッドベリはSFだけでなく、ファンタジーや怪奇小説的なものも多く書いてますが、科学には弱かったと言われていて、
たとえば火星に下りた宇宙飛行士たちが焚き火でハムエッグ作ったり、ハーモニカやアコーディオンを演奏し始めちゃったりする。
なんか宇宙というよりは、アメリカ入植開拓史のようで、作中でもそうなぞらえています。
そんなだから、やっぱりブラッドベリのSFは今読むとさすがに稚拙で古くさいなあ、、とか思いながら読み進んでいる内に

いや、それがどうした!

と思ってしまう。これがブラッドベリ!

あっさり淡々としたクラークに対して、ブラッドベリは詩情あふれる熱っぽいノスタルジーがたっぷりで、
苦手な人は苦手だろうし、好きな人でもずっとブラッドベリばかり読んでいたら胸やけしてくるような所があるけれど、
それでも「火星年代記」が名作だと言い切れるのは、たんに叙情的なだけではないからです。
ブラッドベリの小説に出て来るのは、クラークの小説には出て来ないような人たちがほとんどで、
私はブラッドベリ描く人々の中に、沢山のありえる自分を見ることができます。
感情的で、時には勇気ある選択をすることもあるけれど、考えなしに行動したり、わかっていながら愚かなことをしたりと、
クラークの人類ならクリアするだろう障壁を、ブラッドベリの人類は越えることができません。
ブラッドベリの描く火星がどんなに実際とかけ離れていようと、
クラークよりもブラッドベリの方がリアルに感じられるのはそこなんです。人。

多分ブラッドベリは、その世代でも保守的といえるような部分もあって、物事に対する常識や感覚が現代とは少し違うけれど、
大切に思うものが同じなら、細かな違いについては「それがどうした!」と思えます。幹がまっすぐならいいじゃない?
「それがどうした!」と思えるなら、五十年前、百年前、さらにもっと前の創作物にも感動できるんですよね。

「火星年代記」は、バラバラに書きつづっていた作品を後で一つにつなげたものだそうで、
オムニバスというんでしょうか、一つ一つを短編として読むこともできます。
まるでポーの復讐のような、残酷ながら胸のすく「第二のアッシャー邸」、火星に移住した神父が見た奇蹟「火の玉」、
フロンティア前夜の恋人たちを描く「荒野」、そして老夫婦が出会った火星人とは…?「火星の人」。
ブラッドベリの描いたまるで妖精のような火星人は、いったいどこから生まれて来たんだろう。。
ちなみに記事のタイトル「月は今でも明るいが」は、特に気に入った章のタイトルです。
文明がアクセルなら文化はブレーキだ。

ブラッドベリの庭は垣根が低くて子どもでも入りやすい、一度入ると大人でもしばらく留まってしまう、そんな庭です。

水上・谷川岳連峰一ノ倉沢

2015-08-26 19:50:51 | 
雲の影になって、魔の山という言葉がぴったり来る顔を見せる谷川岳。
少し間が空いてしまいましたが、水上旅行記の続きです。

水上駅から谷川岳ロープウェイ乗り場まではバスで行きます。
8月上旬に行った時には、ロープウェイはまだ運休中でしたが、今は運行再開しているようです。
試運転しているらしき様子を見かけたので、もう少しかなとは思ってたんですが、ほんのちょっとだけ早すぎた。。。


ロープウェイの駅から歩きはじめます。この駅は谷川岳登山の基点になるようで、かなり大きく、
おみやげだけでなく、山用のウェアや道具を置いている売店や、コインロッカーなどの設備が整っています。


ロープウェイの駅から一ノ倉沢までのトレッキング。
舗装道路なのが残念といえば残念だけど、一般車は入れなくなってるし、歩きやすいことは歩きやすいです。
スカートにサンダルばきの女性もいたぐらい、、、ってもさすがにそれだと疲れるとは思うけど。


トチノキの巨大な葉を通ってくる木漏れ日。
天狗の葉団扇ってトチノキの葉っぱかなと思うんですが、どうでしょう。


谷川岳は木に名札がついているのでありがたかったです。
ハリギリ、ハクウンボクなど、耳慣れない木は調べるのも大変だからなあ。。
それに、よく見かけるような木でも意外にわからなかったるするんです。生えてる環境とかでも結構違って見えるから。


ロープウェイ駅と一ノ倉沢の間は、ガイドさんつきのオープンな自動車が往復しています。
帰りに乗ろうかなと思ったんですが、9人定員でオーバーだったので、残念ながら乗れませんでした。
のんびり走ってていい感じなんですよね。


早くも紅葉の走り?今頃もっと増えてるかしら。急に肌寒くなりましたね。


だんだん登ってゆくと、こんな景色が見えだします。あの岩がむき出しの部分は雨が降った時に水の流れる沢でしょうか。
だとしたらかなり急で危険な流れになりそうです。


なんか仙人住んでそうな感じ。というかおサルか仙人ぐらいしか住めなさそうな感じ。


マチガ沢。案内板の説明から。
「その昔マチガ沢の出合いには三軒ほど宿があったらしく、畑や墓跡が残っています。
清水峠を越えて越後から山道を夕暮れに疲れて下ってきた人が、このあたりで灯火を目にして、
「ああ、町が見える」と喜んで発した言葉がマチガ沢の由来といわれています。」


この山深い場所で、宿だけで生計たてるのは難しいでしょうから、畑や狩猟、漁などしながら暮らしていたんでしょうか。
暮れかけた山道で見た人家の灯り。さぞかしほっとしたことでしょうね。


説明板によれば、樹齢二百年ぐらいのブナ林。どの木も大変な高木でみごとでした。
この日の写真を見ると、木の写真が異様に多く、なんでこんな似たような写真ばっかり撮ったのかと思うぐらい。
こういう枝葉が好き勝手に育ったようなのびのびした木を見ると、なんかすごくうれしくなっちゃうんですよね。


ブナの樹肌は明るい灰色。


ひゅうと景色が開けてひんやりした風が顔にあたります。遠くに一ノ倉沢。

グレートトラバースでやってたんですが、もともと登山をレジャーでやるという感覚は、明治期に外国の人が持ち込んだものだそうで、
とすると、それ以前はこういう見るからに難所には、特に必要もなければ行くことはなかったんでしょう。
・・・って、いやいや、修験道というものがありました。
前人未到の険しい山頂を制覇したぞ!と喜んでたら、すでにてっぺんに古さびた錫杖が立ってたという話を聞いたことがあります。
もう、なんでこんなとこまで来るのよう!!
でも「人がここまで来たんだぞ」という印を残しているのがいかにも人間らしいなあ。


真夏に雪の残る一ノ倉沢。ここも滑りそうだけど、まさかこの上にそびえる崖も登ったりするのかな………
グレートトラバースではどう行ってたっけな。。。


沢の近くには面白い岩がむき出しになっています。水の流れにけずられた模様でしょうか。


諏訪峡の水は十秒と足をつけてられませんでしたが、一ノ倉沢の水はさらに冷たくて五秒とつけてられません。
雪どけ水かなあ。本当に澄んだ水です。


人がいっぱいいる中、おサルの群れがどうどうと水を飲みに来ていました。ウッキッキ。


一ノ倉沢から少し行った先に、ブナのしずくという湧水があります。
あとから知ったんですが名水だそうで、飲めたみたいです。飲んどきゃよかった。


一ノ倉沢から先の地図が書いてあった看板。この旧道というのが清水峠越えの道・国道291号線のようです。
清水峠は、群馬県みなかみ町と新潟県南魚沼市の境にあたるそうです。
越後から上州への最短ルートとしてかなり古くから使われていたそうで、
戦国時代、上杉謙信が関東進出を計った際に使ったという記録があるらしいです。ひょえ~!
その後明治に入ってから、馬車が通れるように整備されたそうなんですが、崩落の多い道で、
新道ができるとともに、やがて使われなくなっていったそうです。
今は山歩きに使われるぐらいだそうですが、この時には最前の豪雨で崖崩れがあったとのことで、途中から通行止めになっていました。


今は蔦におおわれる古い石垣。

たしか新潟は塩の生産がさかんだったはずで、とすると上州へはこの道を通って運ばれてったかなあ。
それとも関東で作られた塩が利根川をさかのぼる方が、距離はあるけど重い塩を運ぶにはよかったかなあ。

・・・などと考えて、また塩の道について調べてみたくなって本探したら、調査研究っぽいのは宮本常一さんの本ぐらい。
AmazonもKindleもすごく便利で満足度高いんですが、困るのがこの辺の本のこと。
小説とかじゃない、学術系というか人文系というか、の本の検索についてです。
まだ電子書籍で出版されてない本が多いのは仕方ないけれど、どんな本があるのかすごく調べにくいんです。
すでにその分野について詳しい人ならともかく、少なくとも著者名とか見当ついてないと、とても探せない。
今更ながら、大きな書店のジャンルごとに分けられたコーナーって、それだけですごく貴重な場所だったんだなあと思います。
ずらっと並んだ背表紙でタイトルざっと見られたり、パラパラめくって中身見られたりって、
面白そうな本探すのにすごく便利だったんだなあと。

と、思い出したんですが、まだ若い頃に渋谷の大きな書店でバイトしてた時期がありまして、
その書店はフロアごとにジャンルで分かれてて、かなり専門的な本も置いていました。
で、私は歴史書とかあるフロアで働いてたんですが、定期的に、レジかごを使うぐらい大量に本を買いに来る人がいて、
聞く所によると、東北だったかな、、遠い地方の高校の歴史か社会の先生なんだそうです。
本代以外に時間も交通費もかなりかかったはずですが、かつての書店には、それだけの価値があったってことなんでしょうね。


ロープウェイ駅近くに下りて来て、山岳資料館を拝見。ああ、出会わなくて本当によかったクマくんよ…!!
しかしツキノワグマでこんだけ怖いんだから、ヒグマなんてもうどんなもんだろう。


昔の登山靴。両足と靴下合わせてはくと5キロ近くになることもあったそうです。
足で米5キロひきずるようなものと考えると、そんな状態でふつうは山なんか登れたもんじゃありません。


なんか忍者が使ってたような、雪の上を歩くかんじきのような靴。今のアイゼンにあたる?

そういえば「黒部の山賊」で読んだけれど、山の装備で特に画期的な発明だったのがゴアテックスのレインコートだったそうです。
それまで雨が降ると、古くはそれこそワラ作りの蓑、新しくてもゴム引きのレインコートで、かなり動きが悪くなったそうです。
だからゴアテックスが発売されると、山に暮らす人たちは、かなり高い価格でも早くから買っていたそうです。命に関わるものね。


画家で登山家の上田哲農さんが愛用していたという焼酎を入れていた瓶。趣がよかったので。
一ノ倉沢の辺りで、沢山の慰霊碑が岩に埋め込まれていたのを見て、また谷川岳を見上げた時には、
何か恐ろしいものを影に潜めているようで、明るい陽射しの中でも肌寒いような感じがしました。
なので、山を下りてこうして人の手になじんだ物を見た時には、なんだかほっとしました。。。


自然だけでなく歴史も豊かな谷川岳連峰。
変わりやすい天候の山のはずが、この日は一日中お天気に恵まれて、谷川岳を満喫できました。
夏空の下では少しごきげんよく見えるのかも。今度はロープウェイで天神平まで行くぞ!

土合駅につづく。

横浜防災フェア2015

2015-08-23 20:34:26 | 横浜の観光・博物館など
昨日は毎年やっている横浜防災フェアに行って来ました。といっても前から知ってたわけでなく、
たまたま赤レンガ倉庫の辺りを通りかかったらやってた、みたいな感じで、
そういえば去年もおととしもそんな感じで行きあったんでした。

午前中早いうちに行くと、音楽隊の演奏や、ヘリコプターや船の放水デモンストレーションや、
はしご車のデモンストレーションなどが見られるようです。
来年は前もって調べて行ってみるかなあ。。でもすっごい混んでるんだろうなあ。。。


こんな感じに公的な団体だけでなく、民間企業などがPR活動を行っているようです。


消防車の後ろ姿。色んな特殊車輛が展示されてました。
ゆっくりとまじまじ見たり、写真撮る機会もあんまりないですから、ここぞとばかりに写真を撮らせてもらいます。


横から見るとこんな感じ。どれぐらいの高さまで伸びるんだろ。。


こちらは車体にSUPER RANGERと書いてあります。特別救助隊(レスキュー隊)が使用する救助工作車なんだそうです。
この車はトンネル火災などの時に、大きな扇風機で煙を払うそうです。


クレーンがついているこちらは、特別高度救助工作車のようです。wiki見ると色んな種類の車があるみたいですね。
知らんかった。。。


こちらはかわいいミニ消防車。町の消防団用?狭い道でもオッケーさ!


US NAVYとあるので、アメリカ海軍の消防車のようです。さすが車のデザインがアメリカン!


海軍消防車の腹部にある計器群。なんかすごい。


こちらは自衛隊の偵察用バイク。迷彩服が横にあって、それを来てバイクにまたがって写真が撮れるようになっていました。
小さい兄弟が迷彩服を来て二人乗りさせてもらっていました。とくい!


73式小型トラック。しかし迷彩服姿の自衛隊の人がびしっと立ってますと、なんとなしにこうやっぱちっと声がかけにくいというか、、、
まずはちびっ子が「わあー!!」みたいな感じで車やバイクに寄って行って、
後からお父さんお母さんがおずおずと「写真いいですか…?」みたいな感じでした。わかる。。。

さてですね。私がちょっと思い入れのある特殊車輛がこちらです↓


メルセデスベンツのウニモグ!
エリア88によれば、ほぼ垂直に近い崖を上り下りできる。はずです。

そう、何年か前のこの防災フェアで、初めて現物見て感動したんであります。
wikiによると、トンネルの壁面洗浄や除雪車、傾斜地での肥料散布など、ちょっと特殊な働き方をしてるウニモグくんなのです。
いやあ~~~なんかおっきいギザギザがついてて実に頼もしいタイヤですよね!
これでどんなハードな所へでも行けちゃうんだぜ!?ちなみに中古車なら千万円単位で買えるようです。なんじゃそりゃ。


こちらはNTT東日本のバイク。説明聞くの忘れたんですけど、非常時の通信確保とかに必要なバイクじゃないかと思います。
だってあんまり見たことないもんな。。。
ちなみにフレンドリーな雰囲気に誘われて、恥ずかしながらバイクにまたがって、
若いバイク隊員さんと一緒に写真撮ってもらってちょっとうれしかったのでした。ふだんママチャリしか乗らないからな。。。

それから災害伝言ダイヤル171の説明を聞いて、実際にやってみました。
171に電話して、固定電話の番号をプッシュして、30秒間伝言できるというサービスです。
伝言を録音できるのは固定電話だけですが、伝言の再生確認は携帯でもできるそうです。
終わったあとで、IDホイッスルとカラビナリングを人数分いただきました。ありがたいですね!

こうしてハデな乗り物が呼び物のブースの一方で、比較的地味なブースもあったんですが、これがけして侮れないんですよ…!


こちらは横浜地方気象台のブース。これ、なんだかわかりますか?
これが面白くてですね、1,5リットルの丸いペットボトル二つを口でくっつけた中に、色水が入ってるんです。
これを横にぐるぐる回すように振ってから置くと、あらふしぎ!!竜巻だよ~~~ん!


森のなかまはこのお手製竜巻に食いついていました。
こういう現象が起きるとは知ってたけど、実際にやったことはなかったみたいです。きれいなんですよね、また。
気象台の方々も親切ていねいに、色々説明してくれました。
あと、500mlのペットボトルで雲を作る実験もありまして、これも面白かったですよ。
このブースの実験では、火は使わずにボトル内の圧力を高める方法でした。
夏休みの宿題の自由研究にお困りのお子さま方には、とくに有益な情報ですね。これなら半日ぐらいでやっつけられるぞ!


そして、最近気になるようになりました雨量計。これで一時間あたり雨量を計るんだそうです。
筒の中に斜めになってる金属部がありますが、あれがちょうどししおどしになってまして、
上から水が入って一定の重さになるとカタンと下がります。
最近は、前例のない豪雨ってよく聞きますから、このししおどしくんの役目も非常に重要になってますね。


こちらは地震の震度を体験する車。私は初めて乗りました。震度7で、私は震度7は体験していないんですが、
揺れだしたとたんに、やっぱり震災の時を思い出して、怖くなりました。。。
強い揺れにあうと私は、プレートがどうのこうのっていう地震が起きる理屈よりもまず先に、
何かとてつもなく大きなものに怒られてる感じがして仕方ないです。本能的にというか。。。
だから昔の人が考えてたような、地下で巨大なナマズがあばれてるっていう方が感覚的には近いんじゃないかと思います。
最近つくづく思うけど、私はあんまり現代的な人間じゃないんだよなあ。。。


対策本部車。被災地へ出動する会議車なんだそうです。こうして後ろの荷台部分が横に拡張するようになっています。


車内には、電子レンジや流し、トイレや宿泊設備もついているそうです。
キャンピングカーに近い感じかな?

震災の時の写真が展示されていて、ひとしきり当時のことを思い出しました。本当にひどかったですね。。
今は直接被害を受けた場所がそのままになっている所も大分少なくなっているんでしょうけれど、
時々は震災当時の写真を見返すのも大事なことかも知れませんね。
いつもいつも大きな災害が起きたらって考えてると、こわくて何もできなくなってしまうけれど、
だからといって忘れすぎて油断しないように。うん。


このポンプ車で、津波に被害を受けた空港近辺の水を排水して、短い期間で使えるようにしたそうです。
日本は自然災害の多い、しかも大きな被害を受けやすい国だから、ふだんはあまり出番のない特殊車輛がとても必要な国なんですね。
活躍する場面の来ないことを願いつつ、備えあれば憂いなし、といきたいものです。


最後に、昨日まわった中でなんか一番フレンドリーだった赤十字の献血車。
献血車の車に乗って、赤いキャップをかぶって記念撮影しました。
ゆるキャラは、ハートランドの森からやってきたハートラちゃん。みんな、献血にきてね!

赤十字には、東北の震災から森のなかまと私も毎月寄付しています。
なんだかんだと続いていますが、忘れないように、という気持ちが大きいかも。
赤十字は日本国内だけでなく、外国への救援金もやってるのがいいですね。
でも、世界的な規模で見ても、大きな災害多いなあ。。。
桜島や箱根の噴火活動でも、大きな被害が出ないといいですね。

さあ、暑さでゆるんだ気をひきしめて、防災グッズの点検をするぞ!!

川崎大師

2015-08-20 08:45:35 | 
先日、川崎大師に行って来ました。横浜辺りだと初詣はここに来る人も多いようです。
いっぺん来てみたいなと思ってたので、空いてる隙をねらって行ってみました。
お盆明けのせいかすごく空いてました。でも外国から着た観光客の方の姿もちらほら。

川崎大師は真言密教のお寺で、ご本尊は弘法大師空海上人だそうです。弘法大師が湧き出させた水の伝説は日本中にありますね。
義経と同じくらい日本中に足跡のある、たいへん人気のある方なのであります。
古くから一般の人々にも広く知られてたってことなんでしょうか。


門前の通り。バス停川崎大師と京急川崎大師駅はほぼ同じ場所で、そこから表参道を通ってゆきます。徒歩8分。
お店を見ると、せきのど飴、くず餅、だるま、などが名物のようです。
この日はやってなかったけれど、にぎわう時にはとんとこ飴という飴づくりの実演をするそうです。


立派な山門。山門入って左手に五重塔があったりと、浅草寺と配置が似ていました。そういうのって共通してるのかも知れませんが。


三が日には大変な人だそうですが、さすが真夏のお盆明けは人少なでした。お線香あっつ!


お経が納められてる経堂。これは左側の棚で、右側にも同じだけのお経が入っています。
これ全部で大日経という一つのお経なんだそうです。
案内の若いお坊さんに「お坊さんはこれ全部憶えてるんですか?」と聞くと、「全部はちょっと、、、」とのことでした。
そりゃそうですよね。いくらなんでも。


経堂はご本尊さま以外は撮影OKとのこと。華やかな天井絵とお経の組み合わせがいいですね。


境内かなり広いです。これは池にかかるやすらぎ橋のらんかんに刻まれたなんかの文字。

川崎大師へは、電車に乗って川崎駅に出てそこからバスというルートで行きました。
南武線にゴトゴト揺られて、初めて乗るルートのバスに揺られて、全部で一時間ぐらいだったかなあ。。
乗り物に揺られながら、川崎大師に行くまでのこういう時間もけっこう大事なんだろうなあとぼんやり思いました。
たとえばどこでもドアで、家からすぐ川崎大師へ突然出られちゃったりしたら、気持ちがついていかないというか。。。
たぶん、電車やバスにゴトゴト揺られてる間に、参道を歩いている間に、
少しずつ、知らず知らずに、心が準備されてるんじゃないかと思います。
まあ、そんな大した準備じゃなくて、自分では意識しないぐらいの準備なんでしょうけれど。

病院の待ち時間なんかは少ないに越したことはないけれど、種を土に埋めて水をあげて芽が出るまでの時間とか、
絵の具が乾くまでの時間とか、傷口にかさぶたができるまでの時間とか、
そういうどうしても短縮することのできない、通り過ぎていかなければいけない時間があるんだろうと思います。
距離と時間て、自分を守ってくれる大事な壁のようなものなんだろうな、と。
不便だったりわずらわしいこともあるけど、何かとの間に距離や時間がまるでないのもまた、とても怖いことです。

なんか、人生自体がお寺へ行くまでの通過時間のような気もしてきたな。。人生南武線、て悪くないかも。
なんか眠くなって、たまに乗っても乗り越しちゃったりするんですけど、南武線。ゴトゴト。


こちらは先ほど入ってきた山門の左手にある、古い山門のようです。こちらも立派なものですね。
おみやげに黒蜜ときなこたっぷりのくず餅買って来ました。
一時期の暑さはおさまったようで、ひとまずほっ。。。
でも、どっと疲れが出そうな体を、そっとソフトランディングさせないとですね。

スーホの家・横浜ユーラシア文化館

2015-08-16 13:53:24 | 横浜の観光・博物館など
この天井部はいつも開いてるのかな?

昨日横浜ユーラシア文化館のイベントで、モンゴルの移動式住居ゲルが公開されていたので行って来ました。
水上の記事の途中ですが、なかなか面白かったのでひとくさり。
「スーホも住んでいた!モンゴルの家『ゲル』公開」とうたっていて、スーホってなんじゃらほいと思って調べたら、
教科書にものったりしていた「スーホの白い馬」というモンゴルの民話がもとになっている絵本のようです。
で、wikiにあらすじがのっていたんですが

なんでこんな悲しい話なの……。。

動物関係の名作といわれる絵本って、なんでこんなにひどくかわいそうで悲しい話が多いんでしょうね???
やめてほしいざんす。プンプン。


ゲル全体像。組み立てと解体にも参加できるんだそうです。もう終わっちゃったけど、毎年やってるみたいです。


なるほど、こんな風に組んでるのか。しかし移動式とはいえ建てるのけっこう大変でしょうね。


「ハナ(壁の骨組み)の材料は何?」というクイズがありました。
答えは「動物の腱」だそうです。さわってみたけれど、かなり固くてしっかりしています。


ゲルの中から見た扉の外。モンゴルの草原って風が強そうだけど、吹き飛ばされたりしないんでしょうか。
なんかテントみたいで風に弱そうだけど、弱かったらこの形式長く続かないだろうし、それなりに風に耐えるのかな。
でもオズの魔法使いみたいに、このまま空飛びそうな家です。


天窓から見える空。この屋根の中心にある開口部は、換気やあかりとりのためでしょうか。
もひとつクイズがあって、「現在、石炭がストーブの燃料の主流になっています。では、昔は何が燃料として使われていたでしょうか?」
答えは「フン」。外国に関するこういう知識って、昔「なるほど・ザ・ワールド」で知ったのが結構多かったりします。


モンゴルの伝統的な民族衣装(女性用)。これに皮のブーツをはくわけなんです。かっこいい!
これは絹だそうなので、ふだん着ではなく、儀礼の時などの正装じゃないかと思います。


民族衣装を着られるコーナーもありました。「せっかくだからご一緒に」と森のなかまもすすめられ、一着しかない男性用を着用!
森のなかまはそのまま馬に乗って羊を追えそうなぐらい違和感ありませんでした(なんか土ぼこりに強そうな顔してる)。
モンゴルは寒い所ですから、そのまま防寒具のような服は暑かったですけども、楽しいですね。こういうの。


これがスーホの白い馬がなってしまった馬頭琴。柄の先が馬の頭の形になってます。いいなあ、これ。
ゲルにも見られた唐草模様の装飾は、モンゴルから西にあたるイスラム圏からの影響でしょうか。
常設展の方で見たんですけれど、昔のイスラム圏の、本にほどこされた細密画の装飾、すごいんですよね。。。

宮本常一さんに「日本の武士は馬に乗るのがヘタ」説というのがありまして、いやいやそれはちょっと???
と思っていたんですが、考えてみると、日本での一般的な馬の主な仕事は農耕と荷役だったんですよね。
武士と農民の比率が正確にどれぐらいだったのかはわからないけど、圧倒的に農民のが多かったと思うし、
それに、馬にひんぱんに乗って鍛錬できるような侍って、そんなに多くなかったんじゃないかという気もするし。
一方でユーラシアの遊牧生活では、羊や牛を追って牧草地を移動させたり、夜は野生動物に襲われないよう安全な所に集めたりと、
馬の役目は人を乗せ、遠く速く移動することで、人々は日常的に馬に乗って駆けていた。

また日本では、馬や牛はそうそう買えるものではなく、必要な時に借りることも珍しくなかったそうです。
農耕荷役は重労働で、春の始めに借り出された馬や牛は、刈入れが終わるとげっそりやせて山に帰って来るものだったそうです。
(馬や牛の持ち主は、農閑期は山に放牧してることが多かった。)
そんなわけで、仕事以外の負担はなるべくかけないようにしてたんじゃないかなと思います。
それに、定住の農耕生活では、身一つで馬に乗って遠くまで移動するような必要はあんまりなかったでしょうしね。

だから、侍が馬に乗るのがヘタだったかどうかはともかく、お百姓さんとかは、たとえ同じ家の中で飼うほど馬が身近な存在だったとしても、
やっぱり馬に乗るのは一般的ではなく、慣れてなかったのかも知れないなあと思いました。少なくとも遊牧民ほどは。
こんな風に、同じ馬でも遊牧民での馬のあり方と農耕民での馬のあり方では、色々と違ってくるものなんでしょうね。

そういえばついでに思い出したけど、母の実家の本家筋の家には、玄関の土間の、居間とは反対側にあたる方に厩がありました。
私が子どもの頃にはもう馬はおらず、かわりにトラクターかなんか置いてたんだっけかな。。。
のちに親戚のお兄ちゃんの勉強部屋に改築されてたっけ。


と、昨日はこんな感じで、遊牧民生活の一端をのぞけた気がして面白かったです。
一見のどかなようにも見える、ユーラシアの広い空白の草原地帯が、
かつて世界史に長きに渡って大きな波をたて続けた源だったんだなあと思うと、いっそう感慨深いですね。ふうむ。