水瓶

ファンタジーや日々のこと

Kawaiiこけし展・横浜人形の家

2016-10-30 18:22:48 | 横浜人形の家
かわいいでしょう?宮城県白石市の弥次郎地区に住んでいた木地職人の人たちが作り始めたこけしちゃんです。

週の中ほどは半袖でもよかったかな?と思うぐらい暑かったのに、週末にかけては冬に駆け足。
お天気はよくないけど、くしゃみ鼻水との戦いをようやく終えたのでおさんぽに。
あちこちでハロウィンの仮装した人たちを見かけるようになりましたね。


ちょっと珍しいこの写真は、受付後ろの企画室でやっていた「人工クラゲと人形たちの対話」という展示です。
そういえばしばらく前にスカイツリーのすみだ水族館に行った時、人少なめなクラゲの水槽の前で、
若い女の子が一人じっくり眺めてる光景をけっこう見かけたのを思い出しました。



さて入口を通るとどんと大きなドールハウス!細かい所までこれでもかというぐらいに作り込まれていました。
M・R・ジェイムズにアンティークのドールハウスを取り上げた怪奇小説があって、
いったいどんなものかと思っていたんですが、なるほどこんな感じだったのかな。



常設展から特別展の展示室に行く途中に小コーナーができて、そこでちょっとしたプチ特集をやるようになったようです。
これがなかなか面白くて。今回はレンチドール。以下はディスプレイにあった説明書きです。

レンチドールは1919年イタリアの北部トリノに誕生しました。
創始者、エレナ・スカビーニは自分自身の人形を製作するために夫と共に会社を立ち上げました。
社名は彼女の創作目標『Ludus Est Nobis Constanter Industria』の頭文字『LENCI』から来ています。


イタリア語わかりませんのであしからず。写真はレンチドールのハーレクイン。
ハーレクインはイタリア喜劇由来の道化師だそうで、クリスティの変わり種小説にこれを扱ったのがあって、
「クィン氏の事件簿」という恋愛話をメインに持って来た小説でした。
シューマンの謝肉祭のパンタロンとコロンビーヌというのもハーレクインの系統にあるんじゃないかな?
よく外国の小説で、仮装パーティの扮装で出て来るんですよね。


レンチドールの娘たち。ちょっと他の人形では見かけないような表情をしていて、不思議な雰囲気をかもし出しています。


レンチドールの子どもたち。・・・かわいいけど、表情がかわいくないでしょう。
でもこれが、レンチドールの子どもたちの特徴なんだそうです。

1918年、エレナは当時流行したスペイン風邪で長女を亡くし、その悲しみを癒すため作り始めたのが人形でした。
レンチドールの子どもの顔立ちや表情はこの長女がモデルになっているともいわれています。
また17世紀の彫刻家フランソワ・ドゥケスノワの子どもの彫刻など、エレナが影響を受けたモチーフは他にもあると考えられます。


・・・どうして、いわゆる「子どもらしいかわいい」表情にしなかったのかな。


ガラスの外に飾ってあった女の子。肌触りを確かめてみて下さいと書いてあったので、さわってみました。
フェルトの型押しが特徴なんだそうで、やさしいはだざわり。
しかしはまるとやばそうなレンチドールであります。お金も心もうばわれちゃうぜ…!



さて今回の企画展示の「Kawaiiこけし展」。これがまたとてもよかった!!
こちらは現代のこけしたち。色んな作風の作家さんたちがいるんだそうです。


木地職人というと昔は男の人が主だったと思うんですが、今は女性も多いそう。うんうんわかる〜


これなんかちっちゃくて、おもちゃらしさがいっそう際立ってますね。


この子の満面の笑顔が気に入ってしまいました。にーんまり


伝統のこけしたち。地域ごとに分かれた展示になっていました。
こちらは南部、岩手県花巻市や盛岡市あたりのこけしたちです。けずりたてのような白木に塗られた色がきれいですね。


木地山。秋田県湯沢市木地山のこけしたち。地域ごとに表情が少しずつ違うんですね。

こけしといえば温泉地のお土産もの。たしか宮本常一さんの本では、
冬期の農閑期に体を休めるため温泉地に、近在の農家の人たちが集まるので、その人たち向けに売っていたらしいです。
木地職人の本業は器づくり。もともとは山地を移動しながら暮らす人たちだったようです。


宮城県遠刈田新地のこけしたち。パステル色背景の水玉もようにこけしがよく映えてました。さすが見せ方のプロの仕事だよねえ。


山形県肘折温泉のこけしたち。東北地方がふるさとのこけしたち。あー、、温泉行きたくなってきたよ。。。

写真に撮ったのはほんの一部で、他にもまだいっぱいこけしたちがいました。
地域ごとに表情など見ると、ほんとに面白いんですよ。『Kawaiiこけし展』は11月27日まで。



                         



おまけ。



今日でもう終わってしまったようなんですが、イベントで文豪ストレイドッグスというアニメのスタンプラリーの展示があって、
昔の文豪たちをモデルにした、異能力対決バトルするみたいな話で、設定がずいぶん面白いんですね。けっこう若い人が来てた。
で、アメリカ陣にラブクラフトがいたんですが、なかなかカッコよく描かれていて、
これ見たらラブクラフトも喜んだんじゃないでしょうか。

・・・しかしまさか百年後に、世界中で自分の小説がこうももてはやされてるとは思わんだろうて。
なんかあれ、時代を先取りしすぎた人って、結構不遇な生涯送ってるんですよね。。。
ていうかB級あつかいされがちなラブクラフトですが、百年読み続けられてるってすごくない???
能力名:旧支配者。触手のびるらしいです。

さあ、気ちがいになりなさい

2016-10-27 21:04:09 | 雑記
いいタイトルだなあと思ったら、星新一の訳だったのか。Come and Go Mad。

フレドリック・ブラウンといえば、昔は文庫でいっぱい出てて、久しぶりに読みたいなあと探してみたら、軒並み絶版。
たぶん、星新一のエッセイで知ったんだったかな?
クリスティーとかの外国の小説を初めて読み始めたのと同じ頃で、最初は英米文化に慣れず、戸惑ったのを憶えています。
一番よく憶えてて、読み直してもやっぱりいいなと思ったのが「みどりの星へ」。
昔読んだ時には「宇宙をぼくの手の上に」という短編集に入っていて、とても悲しい話なんですが、
なぜかとても好きで、ブラウンを読まなくなって大分たっても、この話だけはおりおり思い出すことがありました。
ほかでは星新一の「妖精配給会社」、これもなぜ何度も繰り返し読むのか自分でもわからない。
でもそういう短編てありませんか?

ブラッドベリの自選短編集「万華鏡」も読んだけれど、この頃の小説いいなあ。
ロック以前のアメリカがなかなかいいんです。そういえばマーロウもそんな感じだったな。。
あと私レベルだと、やっぱりコンピューターが一般に普及する以前のSFの方がわかりやすいです。
AIじゃなくて「ロボット」だった時代。せいぜいクラークぐらいまで。
P・K・ディックもものによってはかなり読むのが大変になってしまう。
そして短編、長くても中編。前にもちょっと書いたけれど、パルプマガジン向けみたいなのがいい。



パルプマガジンのwikiが面白いんですけれど、表紙によく使われた絵として象徴的なのが
「ヒーローの助けを待つ、危機に陥った半裸の女性」!
半裸の美女は、私はまあそれほど興味はないけれど、いわんとすることはわかりますでしょうか。
お色気あり猟奇あり、チープトリックで時にセンチメンタル。安価で大量に刷られる通俗的な本。
でも自分がすごく面白いと思う小説には、どこかそういう所がある気がする。。
何より「謎」が先へ先へとひっぱる力ってすごいですよね。あたりまえの気もするけど。
ラブクラフトも、ろくに原稿料ももらえないながらも安っぽいパルプマガジンに書いてたそうで、
そう、そうなんだよ。あんまり高尚な小説じゃないんです。

パルプマガジンはテレビの出現であっという間にすたれてしまったそうですが、今それに近いものを探すと、
日本の週刊や月刊のマンガ雑誌かなあと思います。
パルプマガジンの頃にも、だんだん挿絵が増えていったとありますし、なんかこう当然の流れのような。
今まであまり考えたことなかったけれど、ああいうマンガ雑誌は、
何人もの人の作品が読めるというのがすごくポイントなんだと思います。
新しいマンガ家を知るのにうってつけなんですよね。
お目当ての人のを読んでしまった後に、昔は他に娯楽も少なかったので、すみずみまで目を通していたから、
自然と知らない人のや、つまんないと思うのでも読んでて、それがだんだんと面白いと思うようになったりして。
これからまた電子化の波で、どう変わってゆくのかわからないけど。

でも、電子書籍ができてよかったことの一つには、以前には本を入手するどころか、
知ることもできなかったような人の本が読めるようになったこと。
出版にいたるまでのフットワークが紙の本よりだいぶ軽いのかな?
この間も書いた田辺剛さんて人のラブクラフト原作のマンガもそうだし、
この小田桐圭介さんという人のマンガは電子書籍でしか出てませんが、とても気に入って。
短編集だし、今どきのアニメが好きな人向けの絵でもないし、こういう本が読めるようになったのは本当によかった。
「ヒュールルルーのガーガーガー」、これもなぜ好きなのかわからないけど、おりおり思い出しそうな話です。

(※中ほどの写真は清水真理さんという方の人形です。ちょっとぎょっとするような、独特の世界がありますね。)

やさしい暗闇 三渓園・旧矢箆原家

2016-10-16 21:29:33 | 横浜の観光・博物館など
お天気のよかった土曜日、三渓園に行って来ました。
写真はけっこう撮ったけど、古民家の旧矢箆原家(やのはら)にしぼりました。あとで自分で見返して楽しむ用。

それにしても、中華街からバスに乗ったら大変な混みようで………。
前に行った時もそうだったけど、このルートのバスはいつもそうなのかな?
ううむ、、三渓園はいい所だけどあれだけはかなりのストレス。。。
帰りは三渓園入口のタクシー乗り場から根岸駅までタクシーを使ったんですが、千百円ちょっとだったので、
これだったらこれからは行き帰りとも、根岸駅を最寄りにしてタクシー使った方がいいかなと思った次第です。
さいわいタクシーはつかまえやすいみたい。


矢箆原家は、岐阜県大野郡荘川村岩瀬(白川郷)にあった旧家で飛騨三長者と呼ばれていたそうです。
やっぱり合掌造りは古民家の花ですね。


月見かざり。昨夜は満月だったようで、きれいなお月さまが見られました。


入口すぐの土間は厩だったようです。


やわらかい直線で構成されたいろり端。


囲炉裏で焼けた川魚を保温がてらこんな風に上に刺しておいたんでしょうか。
・・・五色沼のホテルで食べたヤマメおいしかったな。。。




自家製の味噌や食品など、こうして沢山保存してたんでしょうね。雪国では特に大事。




二階は蚕を飼ってたらしい。


この階段が怖いぐらい急で、上ったその足が上の段の角にすぐぶつかってしまうほど。


二階では民具が展示されています。


上って来た子どもたちが「迷路みた〜い」「忍者屋敷だ!」と大騒ぎ。
まったくその通りで、昔の子どもたちもこの柱の上を伝い渡ったりしたんだろうなあと思いますが、、、


こんな感じで、落ちたら命に関わる高さなんですよね。。でもやっぱり渡ったかしら。


暗い中につやつや光る床や柱。きしむ音は比較的静か。

古民家の暗い中に二十分ほどいただけなのに、とても気持ちが休まった感じがしました。
多分昔の人は、この暗さから逃れたくて仕方なかったんだろうなと思うけれど。
でもほんと、一日三十分でもこんな所でくつろいだ時間がすごせたら。。。
なんか息がゆっくり楽になるんだよね。

ちなみにうちは風呂上がりに森のなかまが電気を消して、あちこちに小さい懐中電灯を吊るすので、
ほどよい暗さのせいか眠りにつきやすいです。



三渓園は他にもよそから移築されてきた立派な建物があるんだけれど、私はやっぱり古民家が一番好きで。
武家屋敷とか茶室には生活感がなくて、きれいだけどつまらないっちゃつまらないんですよね。。生活感?
でもその古民家の生活も、今とは大分違うものだからこそ、現在を逃れて心あそべるのかも知れませんね。

テケリ・リ!

2016-10-14 21:22:02 | 雑記
Amazonのおすすめで来たのは、なんと原作ラブクラフトのマンガ・・・!
一冊買ってみたら、これがなかなかいいではないですか。というわけで、三冊つづけてポチポチポチ。
原作にかなり忠実なつくりでありまして、これはうれしい。そして思わずため息が出るような描き込み。すごいねえ・・!
ラブクラフトの小説には廃墟などの古い建築構造物が舞台としてよく出てくるんですが、私はそういう立体物をイメージするのが苦手なので、
こうして絵になるとほんとにありがたい。百聞は一見にしかずでありますよ。

ラブクラフトの小説は、いったい何があったのか文章から読み取るのがすごく大変な所があったりするんですが、
しかもそれがすごく知りたい!と思う箇所だったりするので、わざとかも知れない。
見えそうで見えない、、くぅ〜〜〜、みたいに描くわけで、あれも一つの怪奇小説の手管なんでしょうが、じれるのじれないのって。

ラブクラフトといえば創元文庫の恐ろしい表紙のこれが有名だと思うんですが、訳者の人があとがきに、
ラブクラフトは翻訳者泣かせとか書いてたように思います。すごく古い、めったに使われないような単語を使うんだっけ。
でもわかりにくいおかげで、それは一生懸命読んだので、読解力とか想像力とかラブクラフトのおかげで研ぎすまされたかも知れない。
自分で書いた小説はほとんどお金にならず、プロの作家の文章に手を入れたりして生計を立てていたそうで、
なら文章力はしっかりした人なのではないでしょうか。わかりにくいけど。

白眉は「異世界の色彩」、創元では「宇宙からの色」というタイトルだったと思いますが、いやー、、よく描いたなあ、これ。
なんか聞き手の主人公が(語り手ではない)、微妙にラブクラフトに似てる気もする。。
これは私は読むとほんとに気持ち悪くなってくるので他に比べて回数読んでませんが、
それにしてもマンガの方がスッキリした感じがするのはなぜなんでしょうか。
ラブクラフトの本って、なんとなく全体の字面から、瘴気ただよう感じがするんですよね。。
大仰で大時代、大真面目。これがラブクラフトの醍醐味で、なんだ大げさでばかばかしいなと時折思ったりもしますが、
ひとたびページをめくれば、その腐臭にまみれた絢爛たる暗黒世界に取り込まれてしまうのです。
いまだピルグリムファーザーズも遠からぬ、現代とは違うアメリカの一面が見られるのも面白くて。

ラブクラフトは旧家に育ったものの、晩年は困窮した暮らしだったようです。
死後カルト的な人気が出て、本は売れ続けるわ、グッズは出るわゲームも出るわで、
生きてる間に陽の目を見なかった気の毒さ具合ではゴッホと並びますね。生きてるうちにいい目を見させてくれよ。。。



ラブクラフトといえば、ご存知の方も多いと思いますが、人種によっては蔑視することを明らかにしており、
「私は黒人とインディアンとアジア人を劣等人種と見なす以外は平等で公平な見方をしている」といったようなことを、
なんか胸を張って書いてたりします。そんな時代か。
まあ百年前だからしかたないとは思うんですが、でも今生きてたら絶対トランプさん支持してた感じはする。。

イギリスの作家チェスタトンも公然と黒人に対して差別感をあらわにした作品を書いていて、
私はそれに結構ショックを受けたんですが、ラブクラフトにはあまりショックを受けなかったのが自分でも不思議で。
考えてみたんですが、チェスタトンは作品が人文的というか、倫理を持ち込んだ小説を書いていて、それがとてもいいんですね。
で、ある面ではこんなに先進的な考え方を持っている人が、なぜそんな差別意識を持つんだろうと不思議に思ったことを憶えています。
一方ラブクラフトは、そういうテーマ、善とは悪とは、みたいなことについてはほとんど触れず、
一貫して絢爛たる真の悪、古からの恐怖についてしか書かなかったですし、しかもその悪や暗黒に魅了される主人公も多かったりするので、
それであんまり不自然に思わなかったのかな???さもあらんていうか。
チェスタトンはブラウン神父ものとかすごく面白いし今も読まれていますが、ああいう差別的な感情をあらわにした作品を書いていなければ、
今もっと再評価されてたのかもなあと思います。「詩人と狂人たち」とかもいいのになあ。残念。。。



ラブクラフトの「ダンウィッチの怪」は、私は特に好きな小説なんですが、
文章通りに想像するとどうしても愉快な感じになってしまって、ちょっとおかしくなってしまう。。
あれのマンガ化はさらに難しいかも知れませんが、このマンガ家さんにはぜひチャレンジして頂きたい。
ちょっとこの絵に似てるんですよね。

一番上の写真は、スカイツリーのすみだ水族館にいた、キノコのようなサンゴです。
ラブクラフトといえば……そう、海やシーフードが大嫌い!
子どもの頃海に入った時に、ぬるぬるぶにゃぶにゃしたなんだかよくわからないものを足で踏んだ感覚が恐ろしかったそうで。。
たしかにあれはちょっと気持ち悪いかも。あまりくわしく想像したくないですよね。。
なんかいやがらせのような写真になってしまいましたが、ごめんなさい、H・P。小説からは海の印象が強いもんだから。
でも自分が嫌いな恐ろしいものを、あれだけ熱を込めて書き続けられるのがすごいなあ。

そういえばシン・ゴジラの幼体蒲田くん、あの陽の当たる所に出したらいかん的なグロさ、
クトゥルフっぽくありませんか?海から来るし。

ヨグ・ソトホーーーース!!!父上!父上ェェェェ!!!