水瓶

ファンタジーや日々のこと

「鉄腕アトム ロボットと暮らす未来展」横浜人形の家

2016-08-28 10:30:59 | 横浜人形の家
こーこーろーやーさしーーー♪ラララかーがーくうーの子ーーー♪

昨日は横浜人形の家の「鉄腕アトム ロボットと暮らす未来展」に行って来ました。
人形の家はひな人形展の時に行って以来。常設展などもレイアウト替えしたようで、なかなか新鮮でした。


鉄腕アトムのマンガ原稿やカラー扉絵などが展示されていました。へええ、こういう風に始まったんだ。

鉄腕アトム、よくよく考えてみると、私はテレビアニメほとんど見たことがなく、マンガも読んだことがなかったんですよね。
なつかしのアニメ特集みたいなテレビの特番で一部がよく放映されていて、なじみはあったけど。
手塚治虫のマンガをよく読み出したのは思春期過ぎた頃で、アトムはちょっとお子様向けの感じがしたのかスルーしてたように思います。
森のなかまは学級文庫に置いてあったマンガを読んでいたそうです。たしかにすごくそういうのに適した感じだ・・!


あんまりロボットっぽい外見ではありませんが、こちらもロボットです。名称は「火山対応ロボット開発プロジェクト」。

うーん………もう少しロポットっぽい感じの名前にすればいいのに。。。というか機械とロボットの違いは厳密にはどういうあれなんでしょう。
私のばくぜんとしたイメージだと、ロボットは人形(ひとがた)っぽいというか、いやそれほど人形していなくても、
なんか人格みたいなのがあるような???・・・難しい話になりそうなので今はいいや。。
まあでも私はなんかロボットには「くん」とか「ちゃん」とか「さん」とかつけたくなるのだ。

とにかくこの火山対応ロボット開発プロジェクトくんは少し前の箱根の火山活動の時にも活躍し、
人の立ち入りが困難な地域に行って、火山性ガス濃度センサーの設置と回収を行ったそうです。えらいのう。
火山対応ロボット開発プロジェクトくんはこれ一体きりなので、もしも今どこかで火山活動が活発になって必要とされたら、
人形の家から運ばれて活動することになっているんだそうです。へええー。。


こちらはおしゃべりできるロボット「palro」(パルロ)
案内のおねえさんいわく「今おしゃべりできますよ」とのことで、ちょっとおしゃべりしてきました。
ちょっとうろ覚えですが、以下ぎこちなく始まった会話のすべり出しのやりとり。

「旅行に行ったことはありますか?」
「あります」
「旅行はいいですね。ぼくがおすすめする旅行先、おおしえしましょうか?」
「どこですか?」
「ロシアです!ロシアは五月から九月まで、北海道のような気候で、とても過ごしやすいんですよ」

と、かわいい声でやや意表をつく線をすすめてくるパルロ。ほう。


「あなたに花の名前のニックネームをつけてもいいですか?」
「なんていうの?」
「ガーベラさん」

ほうほう。悪くないぞ、パルロくん。ていうかわれながらちょろいな。。。


そしておもむろに「ふるさと」を熱唱し始めるパルロくん。
サイトを見ると高齢者と会話をする介護用としても考えられているようです。

高齢の方と接する機会も多いので、どういう暮らしぶりだと認知症になりやすいんだろう、なりにくいんだろうって自然と考えるんですが、
まああくまで私のばくぜんとした印象にすぎないんですけれど、言語活動がすごく大事なんじゃないかという気がしてます。
社交的な人が認知症になりにくいと言われるのも、人と会話をすることが多いせいかな、と。
あと、今の高齢世代だと男性に多いんですが、社交的でない、あんまりおしゃべりとか好きでなくて認知症にならない人には、
読書が習慣づいてる人が多いみたいで。
ただ、昔は本をよく読んでいたらしくても、80才をすぎても読書してる人ってすごく少ないんですよね。
まず老眼で目がしんどくなってしまって。
「一日中テレビばっかり見てるのもよくない」ともよく言われるけれど、たしかにテレビは会話の当事者ではなく、
第三者的に眺めるものだから、より能動的にせざるをえない人との会話や読書よりは言語活動としての効果は下がるかも知れないけど、
もしかなりの高齢になっても、テレビに出てる人が言っていることが大体理解できて、
何らかの情緒的な反応(笑ったり怒ったり、喜んだり悲しんだり)ができたら、大したもんなんだと思うようになりました。
テレビはついてて画面の方を見てても、実はほとんど番組見てない人って、けっこういるように思います。ぼーっとしてるっていうか。。
とりあえずテレビをつける習慣はあるので電源入れるけど、音がないのもさびしいから、という感じのようで、
ざわめきみたいな感じにとらえてるんだろうか。。

そんな風に思うので、実際の肉体的な介護負担を減らしてくれるパワースーツとかと同じように、
パルロくんのような会話してくれるロボットって、単にさびしさの解消だけにとどまらず、すごく大事なんだと思うようになりました。
認知症のあるなしで、介護負担が何倍も違って来るし。。
それも同じパターンでなく、ちゃんと相手に合わせて話題を選べたり、会話を続けることができたら、すばらしいことです。
・・・ていうかそれは人間だって難しいしな。。。ああ、人間ってなんてめんどくさいんだろ。
そんなにもめんどくさいから、ロボットもこんなに進化しなきゃいけないんだぞ。ふーんふーん



というわけで、ようやく本当に目覚め始めたかのように思えるアトムの後継者たち。
こころやさしい科学の子にはもっと普及して欲しいなと思ったしだいです。

しかし五分ほど会話しただけなのに、すっかり情が湧いてしまいました。かわいいんですよ、パルロくん。。
ちなみにお値段こんな感じ。・・・う〜ん、欲しい。。。

バラードとレム

2016-08-22 20:47:24 | 雑記
近所の川を見に行きたくて、うずうずする気持ちを抑えて台風が通り過ぎるのを待つ午後。
土曜日の夜には鶴見川の花火大会を見て、オリンピックも閉会式。夏も終わりですね。というかもう終わってくれい。

Amazonのおすすめで、ほーと思って読んだJ・G・バラード「ハイ・ライズ」
冒頭の一行で「・・・え?は???」となってぐんぐん読み進めたぐらい、アクセルの効いた謎めいた出だし。くっそう。
スピルパーグの映画「太陽の帝国」の原作者のイギリス人です。日本軍の捕虜になってたことがあるんですね。
バラードは短編集一冊読んだぐらいで、もっと読みづらい文章の人のイメージがあったけれど、これはスラスラ読みやすかった。
結末は大体予想できるけど読みたいと思う小説(大体ハッピーエンド)と、
結末がまったく読めなくて気になって読んでしまう小説(ハッピーエンドなのかそうじゃないのか判別しがたいことが多い)があるけれど、
「ハイ・ライズ」はまさに後者。
いったいこれは笑うべきなのか?冗談じゃなく真剣に受け取るべきなのか?などと迷いながら読み進めている内に、
ぐんぐん引き込まれてしまいました。こういうのをストーリーテラーというんでしょうか。しかし一筋縄じゃいかないよ!
感情移入しないで読める、というか登場人物誰にも感情移入できない感じで、こういう小説がむしょうに読みたくなる時があります。
しかし、たとえば感情移入を促されやすい小説で感情移入してしまう人物って、別に自分に似てるわけじゃなくて、
むしろよくよく考えると正反対の性格をしていたり、逆に感情移入できない、したくないような、
ろくでもない人物が本当は自分と似てたりするのかも知れないとバラード読んでて思いました。いやですにゃー。



もう一冊、SFづいて続けて読んだのは、スタニスワフ・レム「泰平ヨンの未来学会議」。「惑星ソラリス」で有名な人です。
ソラリスはリメイク版の方の映画と小説とを読んだことがあって、シリアスでなんとも哀しい話だったけれど、
泰平ヨンはまるっきり違う印象なのでおどろいた。こんなハチャメチャなのも書く人だったのか。。。
これもやっぱり感情移入ほとんどせず(ということはつまり気楽に、野次馬根性で)読めました。
そうか、でも、文章のスタイルは全然違うけど、アイデア自体はソラリスと通じるものがあるかも。
レムはポーランドの人で、東欧の小説で私が読んだのはわずかにすぎないけれど、
SFが面白くて、怪奇小説はあんまり怖くないイメージが東欧にはあるんですよね。
たしかロボットのアイデアを発明したチャペックもチェコの人だったか。
たぶん、怪談とか幽霊のようなものを怖がれるのは、ある程度恵まれた環境にあるんだろうなと。
かつての東欧は、怪奇小説よりもSFに優れたものが出るような、そんな状況にあったんじゃないかと思います。今はどうだろう。



上の二作品に共通するのは、どっちも最近になって映画化されたことで、バラードはKindleで出てるのは今のところ「ハイ・ライズ」だけ。
レムはけっこういっぱい書いてるみたいだけれど、日本で出てるのは「ソラリス」と「泰平ヨンの未来学会議」の二つだけ。
多分上に上げた二作品は、映画化されなければ日本では出なかったんじゃないかな。
どちらも書かれたのは1970年代。なんで今映画化されたんだろうと考えると、「ハイ・ライズ」は時流的になんかわかる気がするし、
「泰平ヨンの未来学会議」は、うーん、、、これはけっこう普遍的な不安かも知れないです。

写真は、みなとみらいのランドマークプラザとクイーンズスクエアの間にある、青空映えのする巨大オブジェで、
調べたら正式名称は『モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー』というんだそうです。SFっぽいなと思って。
ジェットコースターみたいと思ってたけど、なるほど、ヨーヨーかあ。

大ゴジラ特撮王国

2016-08-18 13:15:25 | 雑記
ゴボオォォォ…!

横浜の街がやられています。わあーたすけてー!

昨日はランドマークでやっている大ゴジラ特撮王国YOKOHAMAに行って来ました。
しかもなんと昨日が初日だったんですね。夕方近く行った頃にはそれほど混んでもいなかったので、
始まったばっかだからまだあんまり知られてないのかねーとか言ってたら、
すでに沢山の人が来たオープニングセレモニーが終わった後だったようです。
物販コーナーでからっぽの棚がいくつかあったので、初日だからまだ搬入されてない品物でもあるのかなと思ってたら、
もう売り切れていたらしい。。。すごいね。。。


マンダという怪獣と、それにぐるぐる巻きにされているのは海底軍艦 新・轟天号というらしいです。
ジオラマは撮影OKとのことで、これはうれしい!さすが、絵になる形になってるんですよね。
ちなみに撮影禁止コーナーには、初代ゴジラに出て来たオキシジェンデストロイヤーなどがありました。ああ、あれだ…!

きっと映画シン・ゴジラの勢いを借りた感じの、しょぼい展示なんじゃないかなどと、
うっすら疑いを抱きながら来てみたような感じだったんですが、そんな疑いをくつがえすド迫力のジオラマ!
覗き込むような、ガラスケースに入った小さいジオラマだと思ってたら、どの怪獣も人間大ぐらいあって、
来てよかったねとなりました。ほんとにすごい作り込み。


沖縄の守護神の怪獣・キングシーサー。


こちらはバラゴンvsゴジラ。この二体が対決したのは箱根の大湧谷らしいです。名所旧跡は逃さないぜ!


初代ゴジラが最初の島に出現した時、巨大な顔が山の上からのぞくシーン、怖かったんですよね。。。


バラゴン。ちょっとコアラとかスティッチに似てて、なかなかかわいらしいです。


海から浮上するゴジラ。よっこらしょ、と。ざばー。


圧巻のキングギドラはカイザーギドラというらしいです。ゴジラ以外の怪獣も映画によって色々バリエーションがあるんですね。


うーん、これはかっこいい。。。ヤマタノオロチがモデルかな?






冒頭の写真と同じジオラマ。回りはボロボロなのにランドマークタワーだけ無傷なのは会場だからかしら。。。


上空から攻めるモスラ。正直モスラとかキングギドラとか、どういった関係にあるのかよくわからない。。。
しかしモスラ、かなり初期からいる怪獣なのになぜ蛾・・?という疑問がありましたが、
wikiを見るとモデルがヤママユガとあって、あっ蚕なのか、、、となんとなく納得しました。
やっぱ蚕の蛾は特別なんじゃろ。



パンフレットに「ゴジラ 破壊と激闘の歴史」というページがあって、都道府県でのゴジラの活躍(?)が書いてあるんですが、
けっこうあちこちに行ってるんですよね。
ランドマーク的なものを目の敵にしているようで、天守閣とかは特に狙われやすいようです。
名古屋では石垣につまづいて頭をぶつけて、怒りに任せて天守閣を破壊したそうです。
それ自分がドジなんじゃん。。とはいえ気持ちはよくわかります。行動原理が八つ当たり。


そしてこちらが新ゴジラのシン・ゴジラ。


けっこう重要な器官らしい背中のヒレ、初代からこの形だけど、雪の結晶に似てますよね。


なんと重々しくも威厳のあるしっぽ。。ていうか最後のシーンが気になってしょうがないんだけど。。


ティラノザウルスとかだとあの手というか小さい前足は、ひらが下向いてるんだけれど、シン・ゴジラは大体上向いてますよね。
昔、ティラノザウルスのあの鋭い鉤爪のある貧弱な前足は何のためにあるのかという疑問に対して、
つまようじのように歯にはさまった食いかすを取り除くためだという珍説を何かで読んだことがあったんですが、
ゴジラは肉食じゃないですしね。。。退化の途中とかかしら。

ちなみにその説では、巨大肉食恐竜は歯がダメになったら即命に関わるからと力説していました。
たしかに肉食獣でなくても歯のお手入れは大事ですね。


こちらは小さめのシン・ゴジラ。


エイリアンっぽいグロいしっぽの先。うーむ………このしっぽから、一体何が始まろうとしていたのか。
しっぽに始まりしっぽに終わる。


有名なイラストレーターの方が描いた、ゴジラ対エヴァンゲリオンの絵のようです。んー、こういうタッチにもよく映える!


会場ではこういう飛び出す感じの絵を背景に撮影できるようになっていました。もちろん撮りましたよ!


新旧メカゴジラの頭部。鼻の穴からなんか出る武器になっていたのか。。。


これ、釈由美子が機龍隊の制服で着てて、なかなかかっこよかったんですよ。


メカゴジラ全身。どーん。


わりと初期に近いゴジラなんですが、まぶたにハイライトが入ってるせいか。白髪眉毛っぽくておじいちゃんぽい。


つぶらなゴジラ。目の違いは大きいですね。シン・ゴジラのくまもんみたいなアレ。。。



大ゴジラ特撮王国YOKOHAMAは、ランドマークプラザ5階で9月4日までだそうです。

パンフレットに、初代ゴジラで俳優として初めて主役に選ばれた宝田明さんが、
撮影初日に「主役の宝田明と申します」とあいさつして、「馬鹿野郎、主役はゴジラだ!」と怒鳴られたというエピソードがありました。
宝田さんにはかわいそうな話だけど、どれだけゴジラが大切にされていたのがわかりますね。箱入りゴジラ。
これからも元気に暴れてね。にゃらら にゃらら にゃらららららららら♪ ゴボォォォォ!

さよなら裸電球「シン・ゴジラ」

2016-08-16 11:47:24 | 雑記
エンドロールの「野村萬斎」のテロップで、もののけ姫以降もう一作映画館に足を運んでいたのを思い出したシン・ゴジラ。
そうだそうだ、「陰陽師」も見に行ったんだっけ。
というわけで話題の「シン・ゴジラ」、見に行って来ました。

おおおおもしろーい!!!

最近ゴジラの旧作をいっぱいテレビでやっていて、最初のゴジラの他にも、ヒロインが沢口靖子と釈由美子と新山千春のを見たけれど、
どれもけっこう面白かったんですよね。それでいきおい拍車もかかって、映画館に行こう!となりました。
沢口靖子のゴジラは目がかわいくて愛敬があり、釈由美子のゴジラもなかなか悲哀あり、新山千春のはけっこう悪いゴジラと、
作品ごとにゴジラから受ける印象も少しずつ違うんだけれど、「シン・ゴジラ」は

きもちわるいゴジラ。

最初に登場したゴジラの衝撃的な気持ち悪さ。なんだこの気持ち悪さは。。。でも気持ち悪いけどもっと見たい…!!
それでもやっぱり最後にやられてしまう所は悲しかったんですよね。なんというふしぎなゴジラの魅力か。

トレーラーの印象では、もっと深刻な、重々しい感じなのかなと思ってたら、テンポよく、
ていうかセリフが早口のうえにおそらくふだんの会話ではめったに使われないような難しい言葉が多く、
聞き取れないし意味もわからない所が多かったんですけれど、別にそれ全部理解できなくても十分楽しめてしまうもんなんですね。
なんとなく流れさえつかめれば。っていうか大まかな流れはつかめる感じで作ってるのかな?どうやってるのか知らないけど。
近くにいた小学生ぐらいの子も飽きずに見てたようなので、そういう雰囲気は伝わってたのではないでしょうか。

そういえば十何年ぶりで映画館に行ったら、観客のマナーがすごい良くなってたのにびっくりしました。
途中で立ち上がったりする人もいないし、ポップコーンとかも売ってて持って入った人は多かったのに、
食べる音とかぜんぜん聞こえないし、もちろん話し声もないし。映画が面白かったせいもあるかも知れないけど。
あと、書かれてあった開演時間から実際に映画が始まるまでかなりCMが多く、またそれが映画の予告編とかじゃなくて、
ふつうのテレビでやってるようなCMが多くてつまらないので、いつ始まるんだろうとじれてたら、
近くからボソッと「CM長いな…」というつぶやきが聞こえてきたので、
長いこと映画館に足を運んでなかった人が他にもけっこういたのかも知れません。



で、色んな解釈とかあると思うんですけれど、それには触れないことにしまして、このブログでは私が気に入った所についてちょっと。
「シン・ゴジラ」には、けっこう笑っちゃう所が多かったんですが、その感じがトレーラーではわからなかったものだから、意外な驚きでした。
映画をそんなに沢山見てるわけじゃないけれど、邦画に対して私が持ってる印象って、言葉がすごく悪くなってしまいますが、
「クソまじめで辛気くさくて貧乏くさい。照明も暗い。」なんですよね。。。昔の裸電球のようなイメージ。
でも「シン・ゴジラ」にはそういう感じがなかった・・・!
それがどこから来てるかというと、一つにはユーモアの感覚からじゃないかと。
ユーモアの感覚って、もうひと味とか隠し味的なスパイスとか、あるといいよねみたいな付け足しのように思われがちだけど、
もっとずっと根幹の所ですごく大事なものなんじゃないかと、シン・ゴジラを見てあらためて思いました。
といっても、ユーモアそのものが根っこというわけではなくて、多分、創作の中心になるアイデアと同じ所からユーモアも出て来る。

どうしても日本では笑いって低く軽く見られがちと思うんですけれど(今はでも少し変わって来てる?)、
もちろん年がら年中、強迫的に面白いこと言ったりやったりする必要はないんだけれど、
かつてとてもすぐれたユーモア感覚を持っていた人が、ユーモアを楽しむ余裕を失ってしまった姿を見るのはすごく悲しい。。
べったりはりついてしまった何かから、べりっとひきはがしてくれる力を持っているのが笑いとかユーモアで、
執着的に物事を見るようになってしまった時にこそ効果的な、特効薬のようなものだと思うんですよね。
私はそれに何度助けられたかわからない。。でもそれを失わずに生き続けるのは、あんがい難しいことなんだと。
大して大事なものじゃない、失ってもかまわないものだと思うなら、なおのことなくしてしまいやすいんだと思います。
それで「シン・ゴジラ」にも同じように、ユーモアを大切に思う感覚が感じられたので、
中だるみもなく楽しんで見られました。あれがずっとまじめ一本槍のシリアス超大作だったら息がつまってしまう。。
その場の会話で発揮するような、当意即妙のユーモアも難しいと思うけれど、
作品中に意図してユーモラスな場面をつくり上げるのには、また別の難しさがあるんじゃないかと思います。
用意周到に準備して作り手の意図どおりに笑わせるって、すごく難しいよね。



うーん、「シン・ゴジラ」、DVDも欲しいなあ。その際日本語のセリフもテロップが出るよう選べるといいんだけど。
序盤の方、ゴジラが現れて大きな被害が出た現場で、中継してるアナウンサーの後ろを宅配ピザらしきバイクが通り過ぎてて泣き笑い。
なんてリアル。。。

谷根千さんぽ・根津教会

2016-08-14 12:10:56 | 東京の町
火曜日のおっそろしい暑さから、いったんは少し大人しくなったように見える夏。。
今年のお盆休みも旅行に行きたかったけれど、各地でがニュースになったりしていて、
いつも微妙に熊が出そうな所を好んで行ってたりしたもんだから、どこにしようか迷ってる内に一ヶ月を切ってしまい、
あーもう今年はいいや、とあきらめました。。
体調くずさないようにしなきゃとか、電車に遅れないようにしなきゃとかの緊張感もなく、
気が楽といえば楽ですが、やっぱりちょっとさびしいですね。

そんなわけで旅行の予定を入れなかった今年のお盆休み。
昨日は日帰り江戸の旅ということで、谷根千をおさんぽしてきました。
谷中・根津・千駄木辺りを総称して今はそういうんですね。そうそう、千駄ヶ谷じゃなくて千駄木!
かつての江戸も、きつねにたぬき、カワウソカッパは出たものの、さすがに熊は出なかったようです。


実はいきなりガイドマップの地図を読み間違えて出くわしたのがこちらの「はん亭」
明治時代に建てられたそうです。


これだけの木造を料理屋さん現役で維持するのは大変だろなあ。


小腹が空いていたので、近くのそば屋できりりと冷えたもりそばを頂きました。
店内に飾ってあった石臼っぽいこれは、そばをひいて粉にする機械でしょうか。


そばを食べ終わり、地図をまちがえたまま行った先にはこんな物が。旧都電の停留場・池之端七軒町があった所なんだそうです。


まだまだまちがえたまま歩いています。なんかこの辺盆栽協会とか盆栽クラブとかありました。んー、っぽいですねえ。。

・・・が、このあと、不忍通りに出てから道をまちがえていたことに気づき、
予定していた大名時計博物館には間に合いそうにないとがっくり肩を落とします。。。
森のなかまに「また来ればいいんだから」となぐさめられ、ガイドマップを取り上げられてしまいました。

谷根千の地図は難易度高いです。方向音痴および地図を読むのに自信のない方は、
方位磁石を持ってゆくことをおすすめします。


しかもどの方向へ行っても、魅惑的な坂や小径や建物があったりするので、気を取られてなかなか間違いに気づかなかった。。。
それも楽しいっちゃ楽しいんだけれど、時間・体力に限りのある方は要注意なり。


気持ちを立て直した小さな公園にいたラッコらしき何か。

さて、根津駅方面に戻ってしきり直し、冒頭写真の風景にたどり着きます。


大正時代に建てられた木造の根津教会。この通りになじんで、こじんまりしたかわいらしい建物なんです。
なんとなく、横浜の旧山手68番館に似てるんですよね。


前の通りでキャッチボールをする親子。のんびりした下町の午後。いいなあ。

雲少々、そんなに暑くならずによかったなあという感じの日和でした。
このあと何回かに分けて、谷根千おさんぽの記事をアップしてゆく予定です。
これがほんとに良かったんですよ。なかなかこの辺り独特の風景は、他では見られない感じ。
それにしても大名時計博物館、行ってみたかったなあ。。