人間て時計みたい。
認知症の検査であるんだそうですが、時計の絵を描かせると認知症かどうかわかることが多いんだそうです。
デジタル時計じゃなくてアナログの文字盤の時計。数字を1から12まで、丸の中に大体均等にわりふれるかとか。
って考えたら時計って、数字とイメージという反対っぽい二つを結びつける、ごく身近にある物なんですよね。
これは高齢者に限らないけれど、ある程度きちんと日常生活を送ることがとても大事だと思うようになって、
大体決まった時間にご飯を食べることとか、定期的にお風呂に入ることとか。
年取ると新陳代謝が若い頃ほどないので、それほど汗もかかないし、口内や排泄関係に問題を抱えてさえいなければ、
実は若い時よりも匂いにくいんですよね。だからお風呂は週に二回も入ってたら大丈夫なんじゃないかと思うんだけれど、
週二回を保つって案外難しいらしくて。一日二日入らないとめんどくさくなって、まあ今日もいいかってなっちゃう。
匂いは慣れると気がつきにくくなりますしね。でも周囲にはふわ〜んと匂うようになってしまう。
そんなわけで毎日入る方が習慣づいていいんじゃないかなと思います。ルーティンにしてしまう。
ご飯は自分で準備するのが一番いいと思うけど、ご飯だけ炊いておみそ汁はインスタント、
おかずはコンビニのレトルトでもいいし、何か一品かんたんなもの作れればなおよし。
今のコンビニのレトルトおかずっておいしいんですよね。
一方で宅配のお弁当はすごく評判悪くて、おいしいっていう人いないです。みんなまずいって言う。
カロリーとかはきちんと計算してるらしいんですが、コンビニのレトルトおかずの方がコスパもいい。
今どきの男性はけっこうまめに炊事する人もいるみたいで、そうです、これからは男の人も料理できなきゃ。
料理に付随する洗い物やゴミ出しも含めて。・・・って、主に誰に言ってるかっていうと森のなかまなんですが。
私が病気になって入院したらとか、先に逝っちゃったらとか考えると、できといた方が絶対にいいぞ。
「いや、おれだってやれば料理できるよ?卵焼きとかおにぎりとかお前よりうまくできるよ?」
たしかにそうかも知れないけど、そうじゃなくて、実際にそうなった時、
毎日決まった時間に、自分ひとりのためにご飯を作るって、思ったより難しいぞ?技術的にじゃなくて、動機的に難しい。
だから思いたったらさっとできるように、手慣れておくことが大事なのだ。オートマチックじゃ。わかったか。
高齢になってから、それまでとは違う新たな日常生活をつくりあげるって、けっこう大変なんだと思います。
あんまり意識しなかったけど、日常生活ってつくるものなんですね。
で、高齢になってからの日常生活をつくることは、仕事とかの縛りがない分、自由にできる分、難しい。
認知症が進んでくると、現在の季節や日時、天気なんかがわからなくなります。見当識障害というんだそうです。
昼夜逆転したりとかよくあって。もう亡くなった私の祖母は、真夜中の2時に雨戸を開けるようになってしまったそうです。
外がどうなってるのか、だんだん関心がなくなっていって、雨が降っててもわからないし、台風が来ても雪が降ってもわからない。
外に出なかったり、人と会わなかったりする生活が長く続けば、外界のことに関心がなくなるのも無理はないのかも知れません。
体内時計っていうけれど、それと似たようなものなのか、認知症になると、
自分の時計がだんだん外の世界とズレていって、しまいには大きく狂ってしまう。
だから時々は、外の時計と自分の時計を見比べて、時計合わせをすることが大事なんだって思う。
・・・あーあ、私ほんとはそういうの苦手だし、嫌いなんだけど、やっぱり大事なんですよね。時計合わせ。
日本人て世界の中でも特に世間を気にするというけれど(多分この世間というのは社会よりも狭い)、
そして今の高齢者の世代は、今よりももっと世間を気にして生きてきた世代だと思うけれど、
そうした人たちがいったん世間から切り離されて、認知症が進んでゆくと、
こんなにも人目を気にしなくなったり、無関心になってしまうのかと思うことがあります。
以前は世間の目に縛られてて、色々なことをがまんしてて、その抑えがきかなくなってしまったのかなって思うこともある。
(昔とはまるで人が違ったような行為をするようになることがある。身内の人すら信じられないような。)
そんなわけでがまんのしすぎは後々悪く出るので、適度に好き勝手しときましょう。
そういえば世界ふれ合い街歩きで何度か見たけど、外国では、子どもを学校に通わせずに親が教えるとかあるんですよね。
イギリスとかカナダとかアメリカだったかな?
あれ、日本でも親が子どもに教えられるだけの能力があったとしても、けっこう難しいんじゃないかという気がするんだけれど、
日本ほど世間を気にしない、そのかわりに個人が強いっていうのか。で、それを周囲も当然としてる。
そういえば宮本常一さんが、日本人には個がないというけれど、日本ではめいめいお椀や箸が決まってる、
外国は食器は共通で使ってる、日本の個もそういうものじゃないかって言ってたけど、どう思いますか?
歴史も風土も違うから、単純にどっちがいいと優劣つけられるものではないとは思いますが、
でも正直、そういった国の人たちの時計の動力は強力そうで、外の時計とピッタリきっちり合うこともないけれど、
社会と切り離されても大きく狂うことがなさそうに思えて、うらやましくなる時もある。
ちょっと楽しくない話になりますが、今の高齢者世代は経済的に恵まれてる人が多いんですよね。
で、その子ども世代、今六十代前後くらいの人たちも、経済的に豊かな人が多いです。
もちろん個別に困窮してる人はいます。あと戦争で苦労した方も多いので、けしてお金がないわけじゃないけど、
とにかく倹約を第一とする人もいます。でも、全体的にわりと豊かな世代だと思う。
でも、前回の介護保険制度見直しの時に、介護保険の介護報酬切り下げがあって、介護保険料が下がって、
つまり毎月支払うお金が減ったわけなんですが、それで何が起きたかっていうと、働く人が減って、利益が上げられなくなって、
小さい訪問介護事業所がどんどん廃業してしまいました。他の介護事業もどんどん撤退してるんだそうです。
なんでそんなことしたんだろねって言い合うけどみんなわからないっていう。
・・・わからないです、ほんとに。国がどういうつもりでいるのか。
でもこのままだと、介護保険料は払ってるけど受けたいサービスがほとんど受けられない、って感じになるんじゃないのかなあ。。
とにかく介護保険料引き下げだーなんて喜んでる場合じゃないことは確かで、ほんとにどうなるんだろ。
しかもこの先、今よりも経済的に苦しい人が多い世代が高齢者になってゆくのに。
とまあ最後暗い話になってしまいましたが、今自分にできる目の前のことと言いますと
①ガマンはほどほどに(けど私はもう少しガマンした方がいいと森のなかまは思ってるかも知れない。はい。)
②お風呂に毎日入る、料理を手慣れておく(主に森のなかま)
③文字盤の大きい時計を買って、時々ながめる
以上です。とはいえ何のために生き続けるのかはいまだわかりません。今死ぬのはやだけどさ。
あー、とりあえずビール。
あっ、そうだ。おじいさんの時計の歌だよね、ほんとに。
認知症の検査であるんだそうですが、時計の絵を描かせると認知症かどうかわかることが多いんだそうです。
デジタル時計じゃなくてアナログの文字盤の時計。数字を1から12まで、丸の中に大体均等にわりふれるかとか。
って考えたら時計って、数字とイメージという反対っぽい二つを結びつける、ごく身近にある物なんですよね。
これは高齢者に限らないけれど、ある程度きちんと日常生活を送ることがとても大事だと思うようになって、
大体決まった時間にご飯を食べることとか、定期的にお風呂に入ることとか。
年取ると新陳代謝が若い頃ほどないので、それほど汗もかかないし、口内や排泄関係に問題を抱えてさえいなければ、
実は若い時よりも匂いにくいんですよね。だからお風呂は週に二回も入ってたら大丈夫なんじゃないかと思うんだけれど、
週二回を保つって案外難しいらしくて。一日二日入らないとめんどくさくなって、まあ今日もいいかってなっちゃう。
匂いは慣れると気がつきにくくなりますしね。でも周囲にはふわ〜んと匂うようになってしまう。
そんなわけで毎日入る方が習慣づいていいんじゃないかなと思います。ルーティンにしてしまう。
ご飯は自分で準備するのが一番いいと思うけど、ご飯だけ炊いておみそ汁はインスタント、
おかずはコンビニのレトルトでもいいし、何か一品かんたんなもの作れればなおよし。
今のコンビニのレトルトおかずっておいしいんですよね。
一方で宅配のお弁当はすごく評判悪くて、おいしいっていう人いないです。みんなまずいって言う。
カロリーとかはきちんと計算してるらしいんですが、コンビニのレトルトおかずの方がコスパもいい。
今どきの男性はけっこうまめに炊事する人もいるみたいで、そうです、これからは男の人も料理できなきゃ。
料理に付随する洗い物やゴミ出しも含めて。・・・って、主に誰に言ってるかっていうと森のなかまなんですが。
私が病気になって入院したらとか、先に逝っちゃったらとか考えると、できといた方が絶対にいいぞ。
「いや、おれだってやれば料理できるよ?卵焼きとかおにぎりとかお前よりうまくできるよ?」
たしかにそうかも知れないけど、そうじゃなくて、実際にそうなった時、
毎日決まった時間に、自分ひとりのためにご飯を作るって、思ったより難しいぞ?技術的にじゃなくて、動機的に難しい。
だから思いたったらさっとできるように、手慣れておくことが大事なのだ。オートマチックじゃ。わかったか。
高齢になってから、それまでとは違う新たな日常生活をつくりあげるって、けっこう大変なんだと思います。
あんまり意識しなかったけど、日常生活ってつくるものなんですね。
で、高齢になってからの日常生活をつくることは、仕事とかの縛りがない分、自由にできる分、難しい。
認知症が進んでくると、現在の季節や日時、天気なんかがわからなくなります。見当識障害というんだそうです。
昼夜逆転したりとかよくあって。もう亡くなった私の祖母は、真夜中の2時に雨戸を開けるようになってしまったそうです。
外がどうなってるのか、だんだん関心がなくなっていって、雨が降っててもわからないし、台風が来ても雪が降ってもわからない。
外に出なかったり、人と会わなかったりする生活が長く続けば、外界のことに関心がなくなるのも無理はないのかも知れません。
体内時計っていうけれど、それと似たようなものなのか、認知症になると、
自分の時計がだんだん外の世界とズレていって、しまいには大きく狂ってしまう。
だから時々は、外の時計と自分の時計を見比べて、時計合わせをすることが大事なんだって思う。
・・・あーあ、私ほんとはそういうの苦手だし、嫌いなんだけど、やっぱり大事なんですよね。時計合わせ。
日本人て世界の中でも特に世間を気にするというけれど(多分この世間というのは社会よりも狭い)、
そして今の高齢者の世代は、今よりももっと世間を気にして生きてきた世代だと思うけれど、
そうした人たちがいったん世間から切り離されて、認知症が進んでゆくと、
こんなにも人目を気にしなくなったり、無関心になってしまうのかと思うことがあります。
以前は世間の目に縛られてて、色々なことをがまんしてて、その抑えがきかなくなってしまったのかなって思うこともある。
(昔とはまるで人が違ったような行為をするようになることがある。身内の人すら信じられないような。)
そんなわけでがまんのしすぎは後々悪く出るので、適度に好き勝手しときましょう。
そういえば世界ふれ合い街歩きで何度か見たけど、外国では、子どもを学校に通わせずに親が教えるとかあるんですよね。
イギリスとかカナダとかアメリカだったかな?
あれ、日本でも親が子どもに教えられるだけの能力があったとしても、けっこう難しいんじゃないかという気がするんだけれど、
日本ほど世間を気にしない、そのかわりに個人が強いっていうのか。で、それを周囲も当然としてる。
そういえば宮本常一さんが、日本人には個がないというけれど、日本ではめいめいお椀や箸が決まってる、
外国は食器は共通で使ってる、日本の個もそういうものじゃないかって言ってたけど、どう思いますか?
歴史も風土も違うから、単純にどっちがいいと優劣つけられるものではないとは思いますが、
でも正直、そういった国の人たちの時計の動力は強力そうで、外の時計とピッタリきっちり合うこともないけれど、
社会と切り離されても大きく狂うことがなさそうに思えて、うらやましくなる時もある。
ちょっと楽しくない話になりますが、今の高齢者世代は経済的に恵まれてる人が多いんですよね。
で、その子ども世代、今六十代前後くらいの人たちも、経済的に豊かな人が多いです。
もちろん個別に困窮してる人はいます。あと戦争で苦労した方も多いので、けしてお金がないわけじゃないけど、
とにかく倹約を第一とする人もいます。でも、全体的にわりと豊かな世代だと思う。
でも、前回の介護保険制度見直しの時に、介護保険の介護報酬切り下げがあって、介護保険料が下がって、
つまり毎月支払うお金が減ったわけなんですが、それで何が起きたかっていうと、働く人が減って、利益が上げられなくなって、
小さい訪問介護事業所がどんどん廃業してしまいました。他の介護事業もどんどん撤退してるんだそうです。
なんでそんなことしたんだろねって言い合うけどみんなわからないっていう。
・・・わからないです、ほんとに。国がどういうつもりでいるのか。
でもこのままだと、介護保険料は払ってるけど受けたいサービスがほとんど受けられない、って感じになるんじゃないのかなあ。。
とにかく介護保険料引き下げだーなんて喜んでる場合じゃないことは確かで、ほんとにどうなるんだろ。
しかもこの先、今よりも経済的に苦しい人が多い世代が高齢者になってゆくのに。
とまあ最後暗い話になってしまいましたが、今自分にできる目の前のことと言いますと
①ガマンはほどほどに(けど私はもう少しガマンした方がいいと森のなかまは思ってるかも知れない。はい。)
②お風呂に毎日入る、料理を手慣れておく(主に森のなかま)
③文字盤の大きい時計を買って、時々ながめる
以上です。とはいえ何のために生き続けるのかはいまだわかりません。今死ぬのはやだけどさ。
あー、とりあえずビール。
あっ、そうだ。おじいさんの時計の歌だよね、ほんとに。