水瓶

ファンタジーや日々のこと

「大聖堂・製鉄・水車 中世ヨーロッパのテクノロジー」J・ギース F・ギース

2015-01-31 08:53:23 | 雑記
おおよそ紀元500年から1500年までに起きた、さまざまな技術革新。
中世とは、西ローマ帝国が衰亡する頃から、オスマン帝国によって東ローマ帝国の首都・
コンスタンティノープルが陥落し、古代から続いていたローマ帝国が滅亡する頃までの千年間を言うようです。
中世の始め頃には、アジア(中国)が技術では抜きん出ていて、ヨーロッパがそのアイデアをを取り入れ、改良し、
やがて中国に追いつき、近代に至って圧倒的に追い越していく、というのがこの本の大筋のようです。

中国が火薬、羅針盤、印刷など画期的な発明を生んだ理由としては、
早くから官僚体制のもとにあったからじゃないかという説があるそうです。
文官と武人が分かれてたからってことかなあと考えてますが。分業化っていうか。
同じ頃のヨーロッパでは、武人の色彩の濃い、地方の豪族や領主が上に立っていたんですよね。封建制度?
ちなみに「世界史」で読んだんですけれど、官僚の発祥はメソポタミアだったかな・・・
官僚とは「権力が、人にあるのではなくその役職にある」という考え方で、
最初の最初にこれを理解してもらうまでは大変だったらしいんですが、
いったん理解してもらうと統治がたいへんスムーズに進んだんだそうです。王様の代理で権限をふるう人。
そう、これですよ!定年退職するとお中元お歳暮ががっくり減る原因は。

けれどその後、なぜか中国はそうした技術をあまり発展させることなく衰えさせてしまい、
西との交易もやめてしまう。このことを著者は「世界史の謎」と書いていました。
その間にヨーロッパがさまざまな機械を発明して追い越してゆくのは、
職人や商人が集まって暮らす都市が大きく力をつけて来たからのようです。
ヨーロッパの発展を促したのは官僚ではなく、自治都市だったんですね。
この都市が、後に国が強い中央集権を進めるもとになります。
技術が進んで、地方の封建領主の財力ではとても持てないような武器や装備が軍事の中心になってゆくと、
大きな都市を持っていて、そこからお金を沢山集められる国が強くなってゆく。
___うん、なんか殺伐として来たのでこの話はここで打ち止め。

以下印象に残った断片をパラパラと。

一見牧歌的に見える水車の、けして牧歌的とはいえない背景。
水車によって、奴隷労働や動物の力に頼っていた重労働から解放されます。
ところが水車を持っているとかなりの利益が得られたため、水車を作るにも許可がいったり、
小作農はお金を払って領主の水車で小麦をひかなければないけないというヘンな法律ができたり、
それが原因で反乱が起きたりなど、結構ドロドロした経緯があったそうです。
水車による水力は、始めは製粉、後にはノコギリ、そして製鉄や織機にまで使われるようになります。
水車も車輪も歯車もネジも、回転する物って文明にとってすごく大事なんですね。ゴットンゴットン。

「まるで王様のようだ」なんて皮肉が残されている、大聖堂を手がけた石工の親方。
この頃の石工の親方は、建築家兼現場監督みたいな感じで、国境を越えて仕事を請負っていましたが、
まだ建築理論とかはなく、経験則とカンで大聖堂とか建てていたので、
時々建てたものが崩れることもあったそうです。ひええ。。
石工の親方は幾何学に長けていて、始めは地面に図を書いて、それを設計図がわりにしてたそうで、
そんなんで大聖堂まで建てちゃうって信じられないですけども。
そう、でも日本でも、大工さんて移動しながら色んな場所で仕事して、腕を上げていったんですよね。渡り。

始めは見世物にすぎなかった時計が、人の時間を縛るようになるまで。
機械がヨーロッパで特に進んだのは、鉄などの金属がアジアよりも手に入りやすかったからのようです。
ギヤ、カム、クランクとか言われても、私はいまいちピンと来ないんですが、
もう少し機械のこと知ってる人ならピンと来るのかも。

あと面白いのは、初期の活版印刷は、修道士たちがあちこち移動しながらやっていたという話。ロバの印刷屋さん!
(そういえば活版印刷は漢字よりアルファベットに有利ですよね。漢字は数が多いから。)
このように、中世の修道士はかなり色んな役目を果たしていたんだそうです。
この頃の修道院には、鍛冶や織物、金銀細工など、職人でもある修道士の人が沢山いたようです。
字が読める人が宗教関係に多いのは日本も同じだけど、
お坊さん兼職人がいたっていう話は聞いたことないかなあ。。。
そうして最初は写本が頼りだった情報は、印刷した本によって、多くの人に早く伝えられるようになりました。
そんなわけで印刷は、のちの多くの発明を促す発明になったそうです。
今のインターネットみたいですよね。

他にも、農業や船、武器、織機、建築、都市のインフラなどの進歩について書かれていて、図もあります。
かつて「暗黒の中世」と呼ばれていた中世は、けして暗黒ではなかった、
暗黒に見えたのは、情報が少なくてよくわかっていなかったから、というのが今の歴史の見方のようです。
中世に起きていたのは「漸進的な革命」って書いてたかな?
近代にいたる爆発的な進歩や世界の拡大は、中世の千年間にじっくりと準備されていて、
航海技術と印刷技術の発達で一挙に開花したんだと。

最後の方に、中世のヨーロッパは、キリスト教によって直線的な進歩向上の考え方が根付いたとありました。
それまでは古代を、過去を理想とする、周回的な考え方をしていたと。
かつての中国が、画期的な発明をすたれるに任せたのは、そのせいもあるのかも知れませんね。円環的なアジア。

テンポがよくて読みやすい本です。マクニールの「世界史」上巻読んだ後に読むといいかも。
物から見てゆくって面白いなあと思うようになったのは、宮本常一さんの影響です。

満船飾の帆船日本丸

2015-01-28 09:06:25 | 横浜の観光・博物館など


今はみなとみらいのドックに静かにたゆたう帆船日本丸は、かつては船員を養成する練習帆船で、
54年間の間に11500名もの実習生を育てたんだそうです。まさに海の母!
この日はお誕生日ということで、お祝いの時に信号旗を全部掲げる「満船飾」をやっていました。
(よく聞く「満艦飾」は、軍艦の時に使う言葉なんだそうです。)
ちなみにこの日本丸は初代で、今は二代目が活躍しているようです。


右手に見える赤い丸いものは、「きせる型通風筒」というそうです。
船内の換気のためのもので、風向きに合わせて筒の部分を回すんだそうです。


デッキはヤシの実や軽石?で、こんな風に掃除したんですね。


どなたか手袋片方落とされてますよ~!


機関室には600馬力のメインエンジンが二つ。国産第1号、第2号の船用大型ディーゼルエンジンだそうです。
稼働期間は1930年から1984年までの54年2ヶ月20日4時間7分。ちゃんと数えてたんだ。。
ずいぶん長い間働いてたんですね。おつかれさま。


氷川丸もそうでしたけれど、動力部分は何ともいえない迫力があるんです。




船乗り結び。ちょっとびっくりするぐらいいっぱいあるんです。
帆を操作するために、もやい結び、巻き結びなど、様々なロープの結び方があり、
どれもすばやく簡単に、しかも確実に結べて持続力があって解きやすくなっているそうです。
また船乗りの手芸の材料にもなったそうで、古いロープを再生した細いロープで、
マットやベルト、髪飾りや額縁なども作ったそうです。リリアンだ!
こうした結び方は独自に考案されたのではなく、船乗りや乗船客を通して陸上の結びとの交流の中から生まれ、
確立したものだと説明にありました。陸と海を結ぶロープ。な~るほどね!


医務室。手術台もちゃんとあります。
しかしできれば船の中で手術するようなはめにはなりたくないですね。。。


わかりやすくキャプテンハットが置いてあるのは船長室。
船長とか艦長とかいうものは、必ずこの帽子をかぶってるに決まっているのです。


色んな計器が並んでいる無線室。右の時計に赤く塗られている時間帯があるのわかりますか?
あの間は、普通には無線を発信してはいけない時間で、
救難信号などの特別な信号を受信する時間なんだそうです。


後ろのデッキにある手動舵輪。でかい・・・。直径1.5メートルぐらいあったかなあ。
以下説明書きにあったものです。

帆走中、この舵輪で舵をとります。普通は2名で行いますが、海が荒れてくると舵が重くなるため、後ろ側の舵輪も使用し、4名で行います。舵は左右35度動きますが、この舵輪一回転で舵は一度だけしか動きません。舵輪の柄の先についている真鍮が回す時の目印になります。風上側の操舵当番が、帆に対する風の入り具合やジナーマストの上にある風見などを見て風向きを知り、同時に前にあるコンパスで船の針路を見ながら、どれだけ舵を回すか判断し、風下側の操舵当番に号令をかけながら回します。フードの中に舵輪があるので、海が荒れている時に、後ろからの追い波で人が流されないようになっています。


舵輪の後ろはこんな風になっています。うわ、重そう………


手動舵輪の前に据え付けてある羅針盤。
ではここで、大聖堂・製鉄・水車-中世ヨーロッパのテクノロジー」から仕入れたてホヤホヤの豆知識を。
へへへ。。

羅針盤は、早い話が方位磁石で、これによって沿岸を離れてもある程度安定して航海できるようになりました。
発明されたのは中国なんですが、これは航海のためでなく、占星術のためだったそうです。
中国は、国内での船舶は主に河川を、中近東やヨーロッパとの交易には、もっぱら陸路のシルクロードを使っていたために、
あんまり遠洋航海しなかったようなんですね。たしかに海路ではずいぶん大回りになりますね。
中国の占星術では、人が生まれた時の星の位置を知ることが重要だったそうで(今の星座占いみたいなもんですね)、
それを調べるために羅針儀が使われていたんだそうです。

で、ちょっと話がそれますが、占星術とともに偽科学と呼ばれていた錬金術は、
「純粋な金属は黄金であり、卑金属と呼ばれる黄金以外の金属には不純物が混じっている」と考えていて、
その不純物を取り除いて純粋な黄金を取り出すことを目的としていたそうです。
で、その黄金を取り出そうとする過程での試行錯誤の実験が、今の化学につながる結果になったんだそうです。
というわけでなんやら奇妙なことに、占星術と錬金術の二つの偽科学は、
今の天文学と化学の礎というか源流というか、になっているんです。面白いですね。
何やらで有名なフランシス・ベーコンという人が、こんなたとえ話をしているそうです。

「ある男がブドウ畑に黄金を埋めておいたと、息子たちに言い遺して逝く。息子たちは畑を掘り返すが、黄金は見つからない。だが、畑を掘り返したことで上々の収穫を得ることができた。錬金術についていえば、黄金を作るための努力を通して、多くの有益な発明や啓発的な実験がなされたのだ。」

うまいこと言うもんだなあ。。後から思うとトンチンカンな努力があさっての方で実を結ぶみたいな。
でもあれか。錬金術も占星術も目的はともかく、分離するとか観察するとか、
きっとそういうプロセスが科学的だったんですよね。うむ。なにしろ掘り返したのはよかった。
しかしこういう話、なんか私は好きです。これに似たようなことってありませんか?


六分儀。羅針盤とこの六分儀とか四分儀があれば、星の見えない昼間でも、
海上で進みたい方向がわかったそうです。どう使うのかさっぱりわからんけど。
しかしこう、船の道具ってどれもしっかり作られている感じがして、頼もしいですよね。


船内に貼ってあった航跡図。島はわずか、大陸ははるか彼方の空白の大洋。
でもこんな海に、昔は今よりずっと簡素な装備で出て行っちゃったんですよね。
コロンブスがアメリカ大陸を発見するずっと前にも、ガレー船に乗った北欧のヴァイキングや、
大きな樽のような船に乗ったアイルランドの宣教師が、アメリカ大陸に渡ったりしていたらしいです。
ほんと、すごいことだよ。。。


日本丸は四本マストのようでしたが、三本マストになってその全てに帆が装備してある船を全装帆船と言って、
中世の終わりぐらいに船がこの全装帆船にまで進歩すると、かなりの遠洋航海ができるようになって、
アメリカの発見など、大きな発見が相次いだんだそうです。
近代への架け橋のような、大きな役目を果たすことになったんですね。
とにかく風力を最大限に生かした船の形。しかも機能的なだけでなく、美しいんだホイ!


ふんふん、こういう風に方向転換するんですね。沢山手順があって大変そう。


これが全部マストとか帆につながってるわけだから。ほとんどあみだくじだよこれ。。



横浜に越して来て、すっかり見慣れた帆船日本丸ですが、実はいまだ、総帆展帆の姿を見たことがありません。。。
海の日とかにやっているんですが、早い時間にしまわれてしまうので、休日起きてちんたらしてると間に合わないのです。
なんとしても一度、気合いを入れて行かねば……!!!

コスモクロック

2015-01-25 12:34:13 | 日記
ちょっと高い所から撮影。

昨日は帆船日本丸85才のお誕生日ということで、イベントに行って来ました。


横浜で活躍中のゆるキャラたちが集合!
左から、テクノくん、カップヌードルくん、コスモくん、あいごぽん、だそうです。
時間によって、他のゆるキャラたちも来ていたようです。
しかしほんと色んなゆるキャラがいますね。


「横浜見聞伝スター☆ジャン」から、横浜をくまなく見聞するご当地ヒーローもやって来ていました。
なかなかかっこいいですね。ビシッ!


でも吹きさらしで寒かったせいか、この回は人が少なく、ヒーローショーというより、
無声漫才のようなことをやっていました。危険な肩の男だぜ!

帆船日本丸の中も見学したんですが、それはまた別の記事で。
このあと「久しぶりに観覧車乗ろうよ!」ということになり、コスモクロックへ。
そう、上に出て来たコスモくんは観覧車のゆるキャラなんでした。


青いイルミネーションは大さん橋。
クリスマスやお正月でなければ、冬のあいだ観覧車は比較的空いてるようです。寒いからなあ。。
でも空は澄んできれいなんですよね。


上から眺める遊園地。段々高くなって来たぞ。。。


手前に通りがくぐっている建物がナビオス横浜。
真ん中ちょっと右上に黄色く光って見える丸い頭の塔が旧横浜税関、クイーンの塔です。
きれいだけど怖い、、怖いけどきれい、、、

じっと眺めてると怖さが勝ってくるのでファインダーをのぞいてシャッターを切ります。
動き回ってあっちこっちとカメラを向ける森のなかま。揺れるから動くなあっっ!!!


ふと、昔のインドの人が考えてた極楽ってこんな感じじゃないかなと思いました。
時々絶叫が聞こえるけど。。

ISO感度を上げるよう森のなかまに言われて320に設定しましたが、結構ブレていました。
夜だし観覧車も動くしなあ。。640ぐらいにしとけばよかったかな…?

透けるスケルトン観覧車も四台あって、こちらは待ちが2、3組くらいでした。
勇気のある方は一度どうぞ!

モーリスくん

2015-01-21 08:08:20 | 日記
モーリスくんと言います。ドイツから来た小人です。
庭の手入れが好きなんだそうです。



ブリキのおもちゃ博物館の隣に「一年中クリスマスの家」というお店がありまして、
このモーリスくんはそこにいたのでした。
他にも色んな小人がいて、それぞれ性格が違います。お守りみたいな感じかな?
しかしドイツだけあって、細かい所までていねいによくできてるんです。


これはクリスマスっぽいドールハウスのようです。ちょっとお高め。

こころ旅の再放送見てますが、景色見ると、手紙の内容とか正平ちゃんが何やらかしたかとか、
結構思い出すもんですね。
こういうのをエピソード記憶というんだそうです。思い出みたいな。
逆に、短期記憶っていうんだったか、電話かけるまでの間に電話番号覚えるような、
ごく短い間だけ持つ、そういう記憶力は加齢とともにどんどん衰えてゆくんだそうです。
はい、心当たりがあります。いやですね、トホホ。。

でも、風景だけの記憶よりも、風景と手紙と一緒の記憶の方が情報量は多いのに、
後々まで覚えてるもんなんですよね。不思議だなあ。

そういえばお年寄りって、最近のことよりも、若い頃にあったことの方をよく憶えてますよね。
そうして、おじいちゃんよりおばあちゃんの方が、よく憶えてることが多い気がします。
それは人に話すことによって、記憶が固まっていくからなのかなと思ったんだけれど、
どうなんでしょう・・・?女性の方が、よく人に話すから。


昨日の夕暮れ。この冬はひと月前倒しで寒くなったって天気予報で言ってましたが、
春も早く来るといいですね。は~るよこい♪

やりがんなとテクノロジー

2015-01-18 09:47:17 | 民俗のこと
昨日、みなとみらいの夕景です。
北風ピープーで寒かったのでショッピング。モンベルであったかいマフラーと帽子を買いました。
まだこれから二月が来るからね。。。


昼間は青空の片方で、黒っぽい雲がぐんぐん広がっていたんですが、
強い風に吹き飛ばされたようで、夕方にはきれいに晴れていました。


MARK IS上階からの眺め。グラデーションがきれいでした。


いきなりこんな写真ですが。。。MARK ISにある横浜オービィの前にありました。
ちょっとお高いんですけども、一回見てみたいなあ。


こういう絵を撮ることもめったにないのでつい、、、
しかし最近のリアルタイプのぬいぐるみはよくできてますね。

はい、で、ここからいつものあれです。
帰りに最寄り駅の本屋で、面白そうな本見つけて買いました。
「大聖堂・製鉄・水車-中世ヨーロッパのテクノロジー」

この間テレビで、奈良の薬師寺再建の番組やってたんですね。
薬師寺は、もとは今でいう国有のお寺だったので、檀家とかがなく、
再建のためのお金を集めるのが大変だったんだそうです。
しかもまた、再建できるだけの力がある宮大工は日本に一人しかいないだろうと。
で、まあ苦労した末に、ようやくお金も集まり、最初は難色を示していたその伝説的な棟梁西岡さんも
引き受けてくれ、見事再建にこぎつけたんですが、それからも大変だったそうなのです。
なんと、建てられた当時のやり方で再建しようとしたんですね。
で、その棟梁が、どうやって建てられたか調べるために、当時現存していた東塔を見てくんです。
物の意志を読み取るには、それだけの力がないといけないって言ったのは、
宮本さんだったか渋沢敬三さんだったか・・・ああ、こういうことなんだと。
たとえば材木の切り出しは、昔は縦に引ける二人引きの長いノコギリがなかったので、
杭を打ち込んで割ってたらしいんです。
上手くやればヒノキ・スギはまっすぐに割れるらしいんですけど、それにしてもやっぱり難しいわけで。
もう一つ、やりがんなという今とは違うかんなを使ってたそうなんですが、これまた使うのが難しく、
この再建に参加した大工さんは、西岡棟梁と同じぐらいの腕を持った大工がいっぱいいなきゃ、
こんなお寺は建てられなかったろう、と言っていました。
で、その大工さんの言うには、やりがんなかけた柱には波がある、だから今の柱と違って、
夕陽が差し込むとね、ふわっと柔らかく広がるんですよ、と。

やりがんなすごい。

・・・いやいや、そうじゃなくて。
当時の日本で最高の粋に当たる建物建てた時には、個々の職人の腕がたよりだったけれど、
今は一人一人がそこまでの技術を持ってなくても、道具だのの補助によって、
巨大な、色んな形の建物が建てられるようになっていますよね。

これがテクノロジーだ!!

(……ついさっき、森のなかまからこの部分にケチがつきまして。
「技術の質が変わった」と言った方がいいと。じゃないと技術がなくても建てられる、と読み違えられるよと。
うん、うん、まあそうですね。そうですよ。。。
でもさ、ほら、技術の質が変わることによって失われるものもあるという、なんだ、そういうことで。
ついでにこの薬師寺再建の話、昔Be-Palって雑誌で連載してて、
森のなかまはそれで読んだことがあるそうです。へえー。。)

・・・でもそうしたテクノロジーが普及するにつれ、失われたものもあって、
それがその夕陽を柔らかく広げる柱みたいなものなんじゃないかと。
それは、そんなに必要ではないから失ってもよしとされたんだろうけれど。
当時やりがんなかけた人も、本当はできるだけ真っ平らにかけようとしてて、
夕陽を柔らかく広げたのは、人の腕が生んだ、意図せぬ副産物のむらにすぎないのかも知れないけど。

(これ、どっちがいいとか悪いとかの話にはしたくないのです。
そりゃあやっぱり、個人の腕に頼りすぎるような形でしか物が作られなければ、
高い技術を生かした物は、上層の一部にしか行き渡らない。
ただこういう話って、どっちがいい悪いっていう方に持っていくと、ほんとつまらなくなるのです。。)

とにかく過去にはそういう形でしか、個々の職人の腕に大きく頼らなければ、薬師寺は建てられなかった。
その腕が今も残って見えるのが、やりがんなかけた柱じゃないかなと。
そうしてこれはこれで、やっぱりいい物だと思うんです。

薬師寺建立とか再建とかの大きな事業は、民俗との対極にあるものだと思うけれど、
その両極ともを行き来していたのは、こういう大工さんたちみたいな職人だったろうとも思いました。
というわけで、もしも奈良の薬師寺に行かれる機会があったら、
ぜひともその夕陽が柔らかく広がる様子に注意して見て下さい。
職人さんて、そういうのに気づく目も持ってるんだよね。

・・・そう、それで、そういうの外国にもあったんだろうなあと思って。
その国、その時代が、持てるものの最高の粋を生かしてつくったもの。
日本とどの辺が同じで、どの辺が違うんだろうと。木と石から来る違いとか。
でも大聖堂もお寺も、見る人への効果をすごく大事にするのは同じだと思うんですね。
しかし文明って、建物、金属、動力、が中心にあるんかな。文明は器、その器づくりに必要なもの。


MARK ISの上から富士山が見えました。望遠レンズないのでトリミング。

この再建に参加した大工さんのサイト見つけまして、そこにやりがんなかけてる棟梁の写真がありました。
テレビに出てた大工さんは栃木の方だったんですが、この方は静岡の方のようです。
日本全国から集めたんだなあ、大工さん。
「いたずら書きを良く書け」と、棟梁が言ってたとありますね。
ひょっとしてこれ、宮大工の秘伝なのかも。