水瓶

ファンタジーや日々のこと

冬景色

2014-12-31 10:50:58 | 日記
昨日はみなとみらいへ今年最後のお散歩。
元町にコメダ珈琲が出来てて、カツサンドとチョコノワール食べました。
冬らしくて結構気に入った写真が撮れたのでざざっとアップします。



























一年間おつきあい下さって、本当にありがとうございました。
ではまた来年!


笑う門には

2014-12-30 09:26:15 | 民俗のこと
横浜人形の家に展示してあった漆器です。
おとといの日曜日には家でのんびりと、BSでやってた「古地図巡り東京の旅」という再放送の番組を見ました。
オグちゃんのナレーションに三宅裕司さんて、なんかほっとしますよね。
私は三宅裕司さんの、にゃあとしてる顔が好きなのです。

今年最後の記事になるかな?どうも一つにまとまらない近頃よく考えてることなど、
横浜人形の家で撮った写真に合わせて、たらたら書いてみました。話とびとび。



〈平安時代の貴族のこと〉
宮本さんによれば、平安時代の貴族はケガレのない生活を送るハレの人々であり、
神様をお祀りするのがいわば仕事のようなものだったそうです。
土に触れることはケガレなので、高床式の家に住み、地面に直接触れることのないよう気をつけたり、
物忌みだとか方角だとかに、すごく気を使ったんだそうです。
貴族の乗り物である牛車は、地面に触れることなく移動できるけれど、
通りがちょっと狭ければすれ違うのも難しく、しかも行っちゃいけない方角だのあったから、
何かとめんどうだったようです。
(牛車は小さな部屋を牛にひかせてるようなもので、すごく重くて大きいんだそうです。
なにせ車輪の高さが大人の背よりも高かったりして、
日本の小柄な馬ではとても引けそうにないしろものなのです。平安貴族の生活には牛!
そうしてケガレのない生活をして神様を喜ばせ、災害が起こらないように祈り、
悪い病気が流行らないように祈り、豊穣を祈る。

「馬を調教するものが、神官の支配する農耕社会を支配した」。
初めに大陸から日本列島に渡って来た「馬を調教するもの」である騎馬民族が、
少なくとも平安時代には、こうして農耕社会の上に立つ神官になっていたんですよね。
しかも初めからそうだったんじゃないかと思うぐらい、不思議なほどなじんで。
「ギリシャは戦争でローマに負けて、文化で勝った」と聞いたことがあって、
これはギリシャを征服したローマが、ギリシャの文化に染まっていったということらしいんですが、
これもそれに近いことなのかな?

けれどその後、今度は身分の低い貴族、つまり身内から、
武士という新たな「馬を調教するもの」が出て来て、実質的に日本を支配するようになる。
歴史って、こういうことの繰り返しなんでしょうか。



〈聖書の一節〉
クリスマスの後に、教会の礼拝に行かれ方にリーフレット見せてもらったんですが、
そこにヨハネによる福音書の一節が書かれていました。

はじめに言(ことば)があった 言は神とともにあった 言は神であった
彼ははじめに神とともにあった 
すべてのものは彼によって成った 成ったもので彼なしに成ったものはなかった 
彼の中に命があった この命は人の光であった
光は暗闇の中に輝いている そして暗闇はそれに打ち勝たなかった

ああ、これが人間なんだ、と思いました。動物と人間とを分けるもの、人の光、言葉。
赤ちゃんがおぎゃあと生まれたのち言葉を覚えて、物心がついて段々と記憶ができていって。
過去が留められているのが物だとしたら、言葉も物だと言っていいような気がするし、
物心は記憶といってもいいのかなあと。
記憶って、言葉になってどっかにしまわれてるような気がするのです。
それとも、記憶のしまわれてる引き出しの取手かラベルみたいな役目をしてるのが言葉なのかなあ。

今年の初詣で引いたおみくじに「言葉は魂です。大事にしましょう」と書いてあって、
なんか一年間の宿題が、ようやくとけた気がします。



〈民具の美〉
へへへ、すごいでしょう。ミニチュアの生活道具たち。くしゃみしたら飛び散ってしまいそうです。
宮本さんが、庶民の家や日常の生活用品について、
実用にもとづいた美しさがあるといったようなことを書かれていて、
たとえばべんがら格子、あれは西の方では杉が少ないために、
家を建てるのにも松材が使われていたことが多かったそうなんですが、松は虫が喰いやすい。
その虫よけにべんがら(紅殻:酸化鉄)を塗ったものなんだそうです。
実用という制限の中でも、目に楽しくという気持ちから生まれたのが、民具の持つ美しさなんだと思います。
冒頭写真の漆器は庶民使いの物ではないけれど、もともとは漆も、
木を湿気から守って、長持ちさせるために塗られるようになったものでした。
竹細工の籠や陶器、木工品などにも、同じような、細やかな美しさがありますよね。

宮本さんの本読んでいて、う~む……なんかずいぶんと生活をおろそかにしてた気がする、、
よし、クリスマスに昔凝ってたパウンドケーキでも焼こう!と思い立ったら、
バターが売ってませんでした。年が明けたら出回るかしら・・・



〈こっけいさの効用〉
上流階級に出回っていたような美術品には、有無を言わさぬ立派な雰囲気がありますが、
庶民の民具にはこっけいだったりかわいかったり、思わずくすっと笑ってしまうようなものが多いです。
「おめでたい」って悪口でも使われたりしますが、そのめでたさにも通じるこっけいさ。
近代以前には、病や貧困、死が今よりももっと身に近しく、
民具に見られるこっけいさやかわいらしさには、そうした重苦しさを振り払い、
不幸を遠ざけたいと願う気持ちが込められてるようにも思えます。笑う門には福来る。

・・・てなことを、浅草をぶらぶら歩いてる三宅裕司さんを見ながら考えてました。
三宅さんのつくる笑いにも、似たような軽さがある気がしませんか?
もしも昔に生きていたら、私も怪奇小説なんか読まなかったんだろうな。。。
だから今、こうして怪奇小説を楽しめるのって、結構恵まれてるんじゃないかと思います。
クトゥルフ・フタグン!クトゥルフ・フタグン!

             

どうぞよいお年をお迎え下さい。来年がいい年になりますように。

ゆく年

2014-12-26 09:18:18 | 日記
ふーーーっ。。大掃除というか猛掃除をしまくった12月でした。
クリスマスもすぎて、街は一気にお正月に切り替わり。
いよいよ今年ももう終わりですね。

今年自分にあったことをあげると、
一つめは介護福祉士の資格試験に合格したこと。
これ、まあすんごい久しぶりに試験の緊張を経験しまして、
実技試験の前日には一睡もできなかったんであります。よく受かったなあ。
しかし会場寒かった……

二つめは、まがりなりにも自分で長めの小説を書き上げたこと。
書く楽しみと読む楽しみはまたちょっと違うことがわかって、これもいい経験になりました。
民俗にはまってからしばらくお話書いてませんけれど、またそのうち書くだろうと思います。

三つめは、宮本常一さんの本に出会ったこと。
ただ本を読んだだけなんですけれど、この三つの中で、自分にとっては一番大きい何かだったように思います。

宮本さんという方は、おそらく日本で一番といっていいほど、
日本の村々を自分の足で歩いて回られた方だと思います。
ご自身も山口の周防大島の村の出身でしたが、なじみのない遠い村へよそ者として訪れ、
はっきりと著書に書かれることはありませんでしたが、なかなかしんどいことも多かったようです。
やっぱり村っていうのは、程度の差はあれ、どうしても閉鎖的になりがちなんですね。
四季の移り変わりのような定まった変化以外は、変わったものや新しいもの、見慣れないものを、
あまり望まないような所があるんじゃないかと思います。

私は、柳田國男さんの本はわりと昔から好きで、ちびちび読んだりしていました。
近年になって、今度は網野喜彦さんの本に出会い、こちらも夢中になって読みました。
そうして今年は宮本常一さん。
宮本さんは柳田さんから、網野さんは宮本さんから、かなり影響を受けているようで、
読んでいて「あっ、これは!」と思うことしばしば。
特に宮本さん網野さんは、二人とも渋沢敬三さんの設立したアチックミュージアムに所属し、
網野さんは「忘れられた日本人」の解説も書かれています。
そんな風に互いに影響し合う、同じような分野の研究者でありながら、
三者三様でちょっとずつ方向は違うんですけれども。
宮本さんがこの三人のちょうど真ん中ぐらいかなあ。

柳田さんの、叙情の香り漂う格調高い文章に対して、
網野さんの文章は大胆かつエキセントリック、読んでてドキドキワクワクするような感じ。
宮本さんの文章は、上の二人に比して花のない、地味な文章といってもいいかと思いますが、
同時に一番平易で読みやすい。
それは、できれば自分が調査した数々の村に暮らすような人たちが読んでも理解できるようにと、
なるべくわかりやすく書かれたからではないかと思いました。
おそらくは誰よりも近しくなれ親しんだ「村」に対して、客観的な、時には批判的にもなる目をけして失わず、
いい所も悪い所も知り尽くした上で、なお深い愛情を持ち続けていた。
そうした姿勢は、日本という国に対しても同じだったんじゃないかと思います。



私はけして多読ではないんですが、気に入った著者の本をとことん読むような所があって、
中でも宮本常一さんは肌なじみがとてもよく、初めて読んだ気がしません。
まあ、年齢その他いろいろによって、自分も少しずつ変化しているので、
今の自分にちょうどしっくり来るのが、宮本さんの本だったのかなとも思います。
二十代の頃に読んでも、今ほど面白く読めなかった気もするし。
でも、こういう時期に出会えてよかったなあとしみじみ思います。
さあて、十年後、二十年後には、自分はいったいどんな本読んでるんだろう・・・?

いろいろクリスマス

2014-12-23 16:11:45 | 日記
先週末は、山手西洋館 世界のクリスマス2014に行って来ました。沢山の人!
スペイン、アメリカ、フィンランドの三つの国のを見たんですが、
他にも色んな国のクリスマス飾りをやっていたようです。


ここはスペインのクリスマスをやっているベーリックホールです。
ほんとだ、アルハンブラっぽいぞ!ちゃ~らら~らら~♪


ゴージャス感たっぷりの室内。ユリの花はマリア様を表してるんでしたっけ。


ここでディナーを食べるわけですね。素敵だけどくつろげない雰囲気。。


こちらは子ども部屋のクマくんたち。まるで湯船につかっているようにすっかりくつろいでいる様子。


こちら外交官の家は、アメリカはニューヨークのクリスマスだそうです。
おおっ、これは「恐怖の愉しみ」の表紙をほうふつとさせる、なんて雷鳴が似合いそうな館なんだ……
そうそう、こういう家には幽霊の一人や二人がついててなんぼですぞ!(※残念ながら出ませんでした。)


クラシックな部屋にいい感じのクリスマスツリーですね。


こちらがダイニング。さすがニューヨークっぽい!

・・・といいつつ、実はこの外交官の家は山手イタリア庭園とも言われているために、
今記事を書くのに調べるまでイタリアのクリスマスだと思い込んでて、
わーイタリアっぽーい!と思っていました。われながらいいかげんだな。。。


こちらがそのイタリア庭園です。
植え込みがもっと高く複雑になって、迷路になってる庭園もあるんですよね。
そういう庭園が舞台の怪奇小説があるんです。


うーん、うーん、うれしいなあ。幽霊屋敷ものの名作がいっぱい思い出されてくるぞ。

ふた昔前ぐらいのイギリスでは、クリスマスに怪談を、とかクリスマスにミステリーを、
みたいな習慣があったそうで、毎年クリスマスの時期にそういった本が発売されたようです。
日本だと怪談は夏の納涼という感じだから、季節が逆ですね。
幽霊屋敷が舞台の話も多く、このありがちなテーマをどう料理してやろうかとでもいわんばかりに、
色んな作家が腕だめしのように書いていて、面白い短編が多いです。
私は、こと怪奇小説についてはコテコテの話が好きで、斬新さとかロマンスとかはいらないのですが、
この点、昔のイギリスの怪奇小説に裏切られることはあまりありません。
というか翻訳されて日本で出版されてる時点で、大体間違いないんですが。

私の考える怪奇小説の理想的な主人公のタイプは、やや内向的ながらもそつなく社交をこなし、
怪異のさなかにはなすすべもなく恐怖を満喫しつつも冷静な観察眼を失わず、
ショックが癒えた後に重い口を開く、みたいな独身の紳士です。
ちなみに大学時代(主にオクスフォード)にラグビー部かボート部に所属していたタイプの紳士は、
夫婦関係が冷えきっているのに地位に執着して別れてくれない妻との離婚問題を、
愛人の存在を隠したまま探偵や友人の弁護士に持ち込んで来たりするので、
怪奇小説よりもミステリー向けです。(その妻がタイミングよく殺されて犯人と疑われたりする。

・・・ええと、何話してたんだっけ。
あ、そうだ。ともかくこの時季に古い怪奇小説読んでみるのもなかなか乙ですよ。
毎年クリスマスに怪談を一つ書いていたというM・R・ジェイムズおすすめです。
迷路庭園の話もこの中に納められています。コテコテな珠玉の怪談集!


今にも黒い詰め襟の服を来た神父が歩いて来そうです。
ちゃんちゃんちゃちゃん♪ ちゃんちゃんちゃちゃんちゃん♪
エクソシストのテーマが似合うなあ。いいなあ。

さて、実はこの外交官の家の前に、山手68番館を回っていたのです。


一見気づかずに通り過ぎてしまいそうな、ひかえめな感じの68番館。
他と少し離れた山手公園の中にあるせいか、人も少なめでした。


でもちゃーんとトナカイさんがお出迎えしてくれます。こちらフィンランドのクリスマス!


うん、うん、まわりもごちゃごちゃしててなんか親しみやすいツリー!

実はこのクリスマスイベント、森のなかまが調べて来て、
「フィンランドのクリスマスが見たい!」と言い出したのです。
でも森のなかまはフィンランドがどこにあるのか、北の寒い方ってぐらいでよく知らないと思います。
私もそうですが……。ここでした。おぼえとこう。。。


アドベントカレンダー。一日一日がポケットになってて楽しいですね。
お薬カレンダーにも使えそうです。


そう、森のなかまはこのトントゥという妖精の人形に心うばわれて、
フィンランドのクリスマスに行きたいと言い出したのでした。えらいぞ!


ごろごろと埋もれているトントゥたち。ムーミントロールの親戚でしょうか。
北欧の妖精は深い森に住んでるんですよね。松ぼっくりと相性がいい!
しかしどこのクリスマスも素敵だったけれど、森のなかま夫婦がともに一番気に入ったのは、
このフィンランドのクリスマスでした。なんかごろごろできそうだもんね。


人形の家に飾ってあった聖歌隊の人形です。
どうぞみなさま、よいクリスマスをおすごし下さい。

馬のこと(長い)

2014-12-21 08:38:35 | 民俗のこと
こころ旅、とうとう今週で秋の旅終わってしまいました。。。名実ともに冬ですね。

しょーんぼり。。。

正平ちゃん、役者のお仕事もしたいんだそうです。
うん、晩年の一休さんとかはまりそうだけどなあ。
あと、宮本常一さんの「忘れられた日本人」に、土佐源氏という話があるんですが、
日本に役者多けれど、この役ができるのは火野正平しかおらん!と思いながら読んでました。
源氏とは源氏物語の光源氏、つまり高知のプレイボーイ、みたいな話なんですが、
単なる二枚目ではダメなのです、これ。
なんというか、忘れられた日本人てだけに、今の若い人ではちょっとできない感じで。
しかし最近、森のなかまとこんな会話をすることが多いです。

「正平ちゃん、いつまでこころ旅やってくれるんだろね・・・?」
「う~ん………


もとい、トップの写真は沖縄の人形たちです。沖縄の船、二本マストだ!
沖縄は江戸時代にはどういう位置づけだったんだろうと調べたら、うーん、、そうだったのか………。
沖縄は今に至るまでずっと、複雑な歴史を背負ってるんですね。。。
さとうきびは葉っぱが強くて硬いのか、強い風でざわめくさとうきび畑の音が印象的でした。
そういえばそんな歌ありましたね。ざわわ、ざわわ、って。ほんとにそんな音でした。


鹿児島はやっぱり西郷さん!左手下にあるお面が南方風に感じられます。

こころ旅、沖縄での最終日に、宮古島の宮古馬という絶滅寸前の馬が出て来ました。
ポニーに分類される小さな馬なんです。お手紙には20頭以下しかいないとありましたが、
今は保護活動によって、40頭ぐらいいるそうです。ちょっとだけ増えた!
たしか鹿児島にもトカラ馬という似たような在来種の小型馬がいて、
こちらは百頭ぐらいまで増えているそうです。
宮古馬もトカラ馬も、さとうきび畑での農耕や運搬などに使われていたのが、
機械の導入で使われなくなったら、あっという間に減ってしまったんだそうです。
小さいけれど重労働によく耐える、飼い主によくなつく、おとなしい馬で、
にゃんと今の天皇陛下の、お若い頃の乗馬としても使われていたとあります。折紙つき、すごいぞ!

青森  岩手

秋田  山形

ほら、馬の人形となると東北に多いんです。
日本書紀に、東北から馬が千頭ぐらい朝廷に納められたという記述があるそうで、
すでにその頃から馬が沢山育てられていたんですね。
「馬」という漢字は、たてがみなびかせて走ってるイメージなんでしょうね。
「牛」は、左上斜めのはらいが角だと思います。

神奈川  山梨

長野  岐阜

立派な馬具をつけている人形が多いのは、祭儀や儀礼に使われたり、
武士が乗っていたことが多かったからでしょうか。

これまた世界史の本にあったんですが、古代文明で馬は、牛と鋤のあとに来る、
重要な転機となる役割を果たしているんですが、悲しいかな、これが戦場においてなんです。
そのスピードと力のバランスの良さが、戦場向けだったんですね。

一度目の転機には、戦車を引く馬として。
この戦車の上から弓で攻撃すると、ほとんど無敵だったそうです。
ただしこの戦車はお金がないと持てないので、貴族の戦士が上に立つ社会でした。

その次の転機は鉄によるもので、これは青銅の時代から鉄鉱石の存在は知られていたけれど、
鉄は冶金が難しいために、強い鉄が作れなかったんだそうです。
その鉄の加工技術が進むと、鉄鉱石はユーラシア大陸に沢山あったので、
農民階級にも鉄製の道具が普及するようになり、それまでの戦士貴族という存在が薄れます。

そして、次に来た大きな転機が乗馬でした。
意外にも、馬に車を引かせる戦車から、戦場で馬に直接人が乗るようになるまでは結構な間があったようです。
鞍と鐙(あぶみ)の発明によって、もちろんかなりの訓練は必要だけれど、
馬に乗ったままでも両手が自由になって、弓や剣が使えるようになった。やぶさめ!
この乗馬と鉄製の武器との組み合わせによって、ヒクソス、ヒッタイト、カッシート、ミュケナイ、
アーリアなど、ステップ地帯の遊牧民族が、戦闘においてその力を最大限に発揮するようになり、
ユーラシア大陸の勢力地図が大きく変化したんだそうです。騎馬の革命とありました。
この時期にほとんどどの文明も、遊牧民族の侵攻を受けて、支配下に入っています。

古代の農耕社会では、種まき時や雨期、刈入れ時の目安などに暦が大変重視され、
暦をよく理解して季節の移り変わりを予言できる人は、自然と神官的な立場になったようです。
南米で時代も後になるけれど、マヤやインカの暦がすごいのは有名ですよね。
けれど農耕社会の人々は好戦的でないために、やがて略奪から始まる、
遊牧民族による支配を受け入れざるをえなくなってゆきます。
ギリシャの詩人ホメロスは、こう歌っているそうです。

「馬を調教するものが、神官の支配していた農耕社会を支配した」

あっそうか。文明発祥の地・中東に起きた騎馬民族による大きな波紋が、
東のはじっこの島・日本にも、遅れること何世紀かにして到達したんだ。。
その最初の余波が落ち着いて後にも、鎌倉時代から再び、武士が支配階級になっていますよね。
武士と騎馬民族は似ています。そう、だって、義経=チンギスハン説があるぐらいだし。
一見どんなに違って見えても、こういう芯に通った骨格みたいのは変わらないんだなあ。

佐賀

・・・というわけで、あちこち熱が入って長くなってしまいました。
上に書いたことは、あくまで私が理解できる範囲で大ざっぱにまとめたものなので、
読み間違えなど多々あると思います。原典はこっちだよー。瀬戸内海は地中海だ!

強風の中にもじっと耐えてる宮古馬の姿に、お手紙の主と同じような気持ちになりました。
ほんとやさしくて、かわいい目をしてるんです。なつこいし。
馬って山に生きるものでもないし、野生に戻すにしても、今の日本の環境ではちょっと難しそうだし、
家畜としても、乗馬や競馬などのちょっと特殊な場以外に身の置き所がないように思えて。。
私は、牛に目覚めたのは最近なんですが、馬は子どもの頃から特別に好きなので、なんだかとても切ないです。
宮古馬やトカラ馬、もっと増えて欲しいなあ。ヒン。