こころ旅、とうとう今週で秋の旅終わってしまいました。。。名実ともに冬ですね。
しょーんぼり。。。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rabi_cry.gif)
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正平ちゃん、役者のお仕事もしたいんだそうです。
うん、晩年の一休さんとかはまりそうだけどなあ。
あと、宮本常一さんの「忘れられた日本人」に、土佐源氏という話があるんですが、
日本に役者多けれど、この役ができるのは火野正平しかおらん!と思いながら読んでました。
源氏とは源氏物語の光源氏、つまり高知のプレイボーイ、みたいな話なんですが、
単なる二枚目ではダメなのです、これ。
なんというか、忘れられた日本人てだけに、今の若い人ではちょっとできない感じで。
しかし最近、森のなかまとこんな会話をすることが多いです。
「正平ちゃん、いつまでこころ旅やってくれるんだろね・・・?」
「う~ん………
」
もとい、トップの写真は沖縄の人形たちです。沖縄の船、二本マストだ!
沖縄は江戸時代にはどういう位置づけだったんだろうと調べたら、うーん、、そうだったのか………。
沖縄は今に至るまでずっと、複雑な歴史を背負ってるんですね。。。
さとうきびは葉っぱが強くて硬いのか、強い風でざわめくさとうきび畑の音が印象的でした。
そういえばそんな歌ありましたね。ざわわ、ざわわ、って。ほんとにそんな音でした。
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鹿児島はやっぱり西郷さん!左手下にあるお面が南方風に感じられます。
こころ旅、沖縄での最終日に、
宮古島の宮古馬という絶滅寸前の馬が出て来ました。
ポニーに分類される小さな馬なんです。お手紙には20頭以下しかいないとありましたが、
今は保護活動によって、40頭ぐらいいるそうです。ちょっとだけ増えた!
たしか鹿児島にもトカラ馬という似たような在来種の小型馬がいて、
こちらは百頭ぐらいまで増えているそうです。
宮古馬もトカラ馬も、さとうきび畑での農耕や運搬などに使われていたのが、
機械の導入で使われなくなったら、あっという間に減ってしまったんだそうです。
小さいけれど重労働によく耐える、飼い主によくなつく、おとなしい馬で、
にゃんと今の天皇陛下の、お若い頃の乗馬としても使われていたとあります。折紙つき、すごいぞ!
ほら、馬の人形となると東北に多いんです。
日本書紀に、東北から馬が千頭ぐらい朝廷に納められたという記述があるそうで、
すでにその頃から馬が沢山育てられていたんですね。
「馬」という漢字は、たてがみなびかせて走ってるイメージなんでしょうね。
「牛」は、左上斜めのはらいが角だと思います。
立派な馬具をつけている人形が多いのは、祭儀や儀礼に使われたり、
武士が乗っていたことが多かったからでしょうか。
これまた世界史の本にあったんですが、古代文明で馬は、牛と鋤のあとに来る、
重要な転機となる役割を果たしているんですが、悲しいかな、これが戦場においてなんです。
そのスピードと力のバランスの良さが、戦場向けだったんですね。
一度目の転機には、戦車を引く馬として。
この戦車の上から弓で攻撃すると、ほとんど無敵だったそうです。
ただしこの戦車はお金がないと持てないので、貴族の戦士が上に立つ社会でした。
その次の転機は鉄によるもので、これは青銅の時代から鉄鉱石の存在は知られていたけれど、
鉄は冶金が難しいために、強い鉄が作れなかったんだそうです。
その鉄の加工技術が進むと、鉄鉱石はユーラシア大陸に沢山あったので、
農民階級にも鉄製の道具が普及するようになり、それまでの戦士貴族という存在が薄れます。
そして、次に来た大きな転機が乗馬でした。
意外にも、馬に車を引かせる戦車から、戦場で馬に直接人が乗るようになるまでは結構な間があったようです。
鞍と鐙(あぶみ)の発明によって、もちろんかなりの訓練は必要だけれど、
馬に乗ったままでも両手が自由になって、弓や剣が使えるようになった。やぶさめ!
この乗馬と鉄製の武器との組み合わせによって、ヒクソス、ヒッタイト、カッシート、ミュケナイ、
アーリアなど、ステップ地帯の遊牧民族が、戦闘においてその力を最大限に発揮するようになり、
ユーラシア大陸の勢力地図が大きく変化したんだそうです。騎馬の革命とありました。
この時期にほとんどどの文明も、遊牧民族の侵攻を受けて、支配下に入っています。
古代の農耕社会では、種まき時や雨期、刈入れ時の目安などに暦が大変重視され、
暦をよく理解して季節の移り変わりを予言できる人は、自然と神官的な立場になったようです。
南米で時代も後になるけれど、マヤやインカの暦がすごいのは有名ですよね。
けれど農耕社会の人々は好戦的でないために、やがて略奪から始まる、
遊牧民族による支配を受け入れざるをえなくなってゆきます。
ギリシャの詩人ホメロスは、こう歌っているそうです。
「馬を調教するものが、神官の支配していた農耕社会を支配した」
あっそうか。文明発祥の地・中東に起きた騎馬民族による大きな波紋が、
東のはじっこの島・日本にも、遅れること何世紀かにして到達したんだ。。
その最初の余波が落ち着いて後にも、鎌倉時代から再び、武士が支配階級になっていますよね。
武士と騎馬民族は似ています。そう、だって、義経=チンギスハン説があるぐらいだし。
一見どんなに違って見えても、こういう芯に通った骨格みたいのは変わらないんだなあ。
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佐賀
・・・というわけで、あちこち熱が入って長くなってしまいました。
上に書いたことは、あくまで私が理解できる範囲で大ざっぱにまとめたものなので、
読み間違えなど多々あると思います。原典は
こっちだよー。瀬戸内海は地中海だ!
強風の中にもじっと耐えてる宮古馬の姿に、お手紙の主と同じような気持ちになりました。
ほんとやさしくて、かわいい目をしてるんです。なつこいし。
馬って山に生きるものでもないし、野生に戻すにしても、今の日本の環境ではちょっと難しそうだし、
家畜としても、乗馬や競馬などのちょっと特殊な場以外に身の置き所がないように思えて。。
私は、牛に目覚めたのは最近なんですが、馬は子どもの頃から特別に好きなので、なんだかとても切ないです。
宮古馬やトカラ馬、もっと増えて欲しいなあ。ヒン。