水瓶

ファンタジーや日々のこと

2015.5.31 の朝焼け

2015-05-31 20:02:09 | 日記
昨夜の地震、建物がうねるようで怖かったです。
さいわい深い所で起きた地震で津波は起きないそうで、何よりでした。
でもなんとなく落ち着かない。。
咽頭炎や夏のような暑さ、地震、噴火やベイスターズの快進撃()やらで、
ここんとこずっと今ひとつ地に足つかない感じです。

というわけで、今朝4時頃目がさめて窓を開けると、はっとするようなあざやかなバラ色。
空気中にチリなど浮遊物が多いと空がよくやけるそうで、もしかしたら口永良部島の噴火の影響があるんでしょうか。



森のなかまは、水、非常食料、簡易トイレなどの備え(懐中電灯はいわずもがな)をしたら、
あとは心配ばっかりしててもしょうがないからね、と。
そだね。

回復途上読書録

2015-05-29 09:27:58 | 雑記
のどが痛い……と先週病院に行ったら「あ~のど真っ赤ですねえ。。」と先生。咽頭炎とのことでした。
ようやく治ってきましたが、咳がひどくてインフルエンザよりつらかったです。
気力体力ともに大幅にダウンして何もやる気が起きず、ちょっとうつ気味になりました。
しゃべると喉痛いし、それ以前にしゃべる気も起きないし、そのうえ森のなかまにもうつってしまい、
外は晴れて暑いのに、家ん中はどーんより………

Kindleで本読んでましたが、未読のものだとつい先へ読み進んでしまうので、かえって治りがよくなかったかも。。
ディケンズの「ピクウィッククラブ」の直後にカフカの「城」を読んだんですが、
ごちゃごちゃと色んなものが置いてあるにぎやかな部屋から、
いきなり質素なガランとした寂しい部屋に入ったような気分で、落差がすごいです。
ディケンズは幸と不幸のコントラストが激しいけれど、カフカはなんか全体にうっすら不幸の影がさしてるというか
とにかく幸せそうな人が一人も出て来ないよ………

「城」は、ひょっとしたらどこから読んでもそれなりに面白く読めるのかもと思いました。
ていうかもともと話のすじがはっきりわからん話なのです。
だいたい城ってのがいわゆるお城っぽくないし、「なんでそうなるの?!」みたいにどんどん話進んでくし、
主人公のKも一人称のくせにあんまり腹割って語ってくれてないように思えるし。
「城」は未完なんですが、完結してない惜しさをそれほど強く感じないのはそのせいかも。
でも、パッと適当にページを開いて、誰かのセリフ、というか語りを読み始めたら、
話の前後がわからなくても、せつせつと胸に迫る感じがするんじゃないかと思います。
色んな女の人の気持ちを、よくあんなにこまごまとリアルに書けるもんだなあ。。。
実際にああいう風に話す女性はほとんどいないと思うけれど、
女性の心情を克明に言葉にすると、多分ああいう感じになるんだろうと思います。

中島敦が読みたくなって読んだら、うつっぽい気分にとてもシンクロしてよかったです(いいのか?)。
しかしなんで日本文学の作家って、うつ病っぽい人が多いんでしょうね?
夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、川端康成、志賀直哉、有名どころはみんなうつ病っぽくて、
頭のすぐ上に重くて分厚い天井が迫ってて上向けない、みたいなイメージです。
芥川龍之介は、あの有名な正面からのポートレートすごく決まっててかっこいいけど、
お札の絵になったら景気悪くなりそうですよね。
・・・もとい。中島敦は作品数が少ないせいか、知名度は上記の人たちにくらべると低いけれど、
沙悟浄の話とか特に好きです。
中島敦は33才の若さで亡くなってるんですね。作品からも、すごく「青年」という感じがします。

治りかけにはアシモフがよかったです。なんと21才で書いたという「夜来たる」。
二千年来夜が訪れたことのない星の人たちが、初めて夜を迎え星空を見たなら?___
アシモフもクラークも、科学わからんちんの私でも面白く読めるように書けるのがすごいです。
博覧強記というか、現実に対しても空想に対してもあっけにとられるぐらいどん欲で旺盛で、
ほんとすごいですね。遠い人たち。

そしてもうひとつ、ゴーゴリが面白かったのが意外でした。
十代二十代の頃の自分を思い返すと、ディケンズはその頃でも面白く読めたと思うけれど、
ゴーゴリやカフカは途中でやめちゃったろうと思います。
(じっさいに昔、カフカの短編面白いと思って「城」読み始めたんですが、序盤で挫折してたのです。)
この年になってようやく、面白く読める本の幅が広がって来たんだなあと感慨深いです。
冗長だったりつまらなく感じられる部分も、ちょいとがまんしてやりすごすことができるようになったのかも。

しかしゴーゴリの「鼻」って、なんじゃこりゃ。。

           

まとまりのない文章であいすみません。でもこんだけあれこれ出てくりゃもう大丈夫だな。。
体力が戻るにつれ気力も戻って来てほっとしたけれど、うつ病は両方ダウン状態がずっと続くようなものでしょうから、
すごくつらいでしょうね。。。
森のなかまは懐中電灯をいじったり買ったりしてる内に回復したようです。
そういうものがあるのってちょっとした助けになるもんですね。

冒頭の写真は、猪苗代駅近くの公園です。すぐ向こうの杉並木に沿って、磐越西線の線路があります。
バスや電車の待ち時間をここでぶらぶらしてたら、結構すぐ時間たちました。
遊んでる子の姿が見えないのがさびしいけれど、いい場所でしょう?
では、病み上がりゆえこれにてドロン。



※よくよく考えてみたら、「城」では「Kは___」と言ってるので一人称じゃありませんね……
間違えました。濡れ衣着せてすいません。

五色沼探勝路・その4

2015-05-20 08:08:40 | 
松林とサンゴ礁???なんともふしぎな取り合わせの青沼。

五色沼探勝路の続きです。
去年行った時には雨が降っていたので、もう少し白濁した感じだったんですが、
この写真を撮った日は夜中に雨が降った後晴れて、水も澄んで水底がよく見えました。


サンゴのように見えたのは、水草のようです。
生えてる所と生えてない所がくっきり分かれています。生えてない所は岩・・・?


五色沼にアカマツを植林したのは遠藤現夢という人だそうです。
アカマツは不毛の土地によく耐えるフロンティア植物で、フロンティア植物というのは荒れた土地に最初に進出して、
後発の植物が育ちやすい環境を整えてくれる植物のことをいうようです。
アカマツの他にもウルシや杉を植林とあります。ウルシは漆器、杉は木材。
磐梯山噴火後に荒れてしまった土地と人の暮らしをつくり直すことを、よくよく考えたうえでの植林事業だったんですね。
五色沼近辺で温泉に入れるのも、もしかしたらこの人のおかげかも。


こちらは若葉の針葉樹、カラマツ(落葉松ともいうそう)。
カラマツは日本でただ一種類の、落葉する針葉樹なんだそうです。
この木の明るい若葉があちこちで見られました。
宮沢賢治の「小岩井牧場」に「ラリックス、ラリックス」とあるのがカラマツの学名です。
宮沢賢治は舶来物やことば好きだからね。


ふっくらした子どもの手のような、やさしい輪郭のイタヤカエデ。


夏のような陽射しに濃い影の落ちる林道。

青沼から柳沼への途中に遠藤現夢の墓があって、先に行ってた森のなかまが行こうとしたそうなんですが、
道が水につかっていて行けなかったそうです。次は行かなきゃ・・!


探勝路もゴール近くの母沼の水際のようす。
こういう水草の生えてる水際、いいですよね。瀬戸際はやだけど。。

父沼と、あともう一つ弥六沼という沼も近くにあるはずなんですが、少し離れているようで、
国道沿いをちょっとさまよってみたものの場所がわかりませんでした。
猫魔山方面から流れて来た水が、弥六沼→父沼→母沼→柳沼の順に流れているんだそうです。
弥六沼は、植林事業で功績のあった林学博士・中村弥六博士からとった名前だそうです。
そっか、この博士が遠藤現夢さんに助言・協力したんですね。


柳沼、、、じゃなくて母沼のふちに生えていた柳。柳も新緑です。
新緑だと葉がしなって垂れていないから、柳とわかりにくいですね。


上の柳の対岸にあったヤマザクラの古木。みごとに満開!


そして、桧原湖物産館のすぐそばに位置する柳沼。この沼には魚がいっぱいいるそうです。


えーと、これ柳沼のはず、、だと思うんですけど、なんか上の写真とずいぶん色違うな。。。
・・・とまあこんな具合に、季節や天候、時間帯によって、さまざまな姿を見せてくれるのが五色沼なんであります。
ということで……

五色沼探勝路を歩いていて、宮本常一さんが「どこか人の手が入ったような自然が自分は好きだ」
というようなことを言っていたのを思い出しました。
人の手がまったく入っていない自然は、人には少し荒々しく、さびしく感じられたりするのかも知れませんね。

この後桧原湖物産館でお昼にラーメンとアイス(どんぐり味!)を食べておみやげを買い、
森のくまさんバスに乗り遊覧船に乗りと、思いっきりホリデーを満喫しました。
レトロな森のくまさんバスはガイドさんの話が面白いです。小原庄助さんの歌もいい声でうたってくれますよ。
紅葉の時期ももちろんいいそうなんですが、
すんごい混むので地元の人はよそへ行きますよとタクシーの運転手さんが言ってました。
私ここは何度来てもあきないだろなあ。。

これで、今回のGW旅行の記事はおしまいです。
youtubeにツクツクホーシのまねをするキビタキのさえずりをアップしました。
にゃんとキビタキくんは福島の県鳥なんだそうです。ピッピキピー!(とよくさえずる)
動画がブレブレだったり、近くの声が入っちゃったりしてますが、よかったら聞いてみて下さい。


五色沼探勝路・その3

2015-05-16 10:43:59 | 
木々の間から見えてはっとする青空のような色。見た人見た人思わず声をあげちゃうんです。
昔の人が弁天沼と名前をつけた気持ちがわかる気がします。弁天様は水の神様だもんね。

弁天沼は五色沼の中でも大きい方で、しかも探勝路のすぐそばに開けて見えます。
探勝路、二日目三日目と二度まわったんですが、どちらもちょうど弁天沼にさしかかった頃によく晴れ上がって、
沼の色がいっそう鮮やかでした。


写真を見返すと、空を撮ったのかと迷うぐらい。


場所によって色も微妙に違います。




倒木は沼の成分で白くなったものでしょうか。


つい沼にばかり目がいってしまいますが、沼の反対側の景色もいいんです。
あちこちに見られた大きな岩は、ひょっとして磐梯山の噴火で飛んで来たのかなあ。。。

そして、道をはさんでちょっと引っ込んだ所にるり沼があります。


磐梯山をバックにるり沼。去年は見えなかったんだあ。。
春でまだ草が丈高くなる前なので、去年の夏よりよく見えました。


黒といってもいいような水の色。
透明度が高いそうで、よくみがかれた鏡のように景色を映していました。


こんな風に水面に波がたって陽が差すと、「るり」っぽい色になりますね。

晴れ渡る青空のような弁天沼の向かいに、
暗く澄んだ夜空のようなるり沼が、ひっそり静かに佇んでるのがいいですね。





雨上がりの空にきらきら光る葉は、ナナカマドかクルミのなかまでしょうか。
この鳥の羽根のような葉のつき方、羽状複葉というんだそうですが、結構沢山の種類の木にあるようです。

五色沼の辺りの木は、磐梯山の噴火以降の木なんだそうです。
小野川湖の方の探勝路には、噴火以前からの、もっと古くからの巨木や奇樹があるそうです。
近くには不動滝という滝もあっていい所らしいのですが、ビジターセンターの人によると、
そっちの方はまだ雪が結構あって歩くのが難しいだろうとのことだったので、今回は断念しました。残念。。。


           

Kindleストアめぐりしてるんですが、まるで悪魔のささやきのような
『1clickで今すぐ買うボタン。
紙の本より安いし、場所も取らないから大丈夫大丈夫!
、、、といっぱい買ってしまうダイエットドリンクのような落とし穴。
しかも本屋の店頭に置いてないような本もすぐ買えちゃうし。なんかタガ外れた。。。
危険な匂いがするので、一応一ヶ月の上限額を決めました。


………マンガ……マンガ怖い……

kindleとコスモポリタン

2015-05-13 17:10:29 | 雑記
とうとうKindleがうちにやって来ました。paperwhiteという機種です。
・・・あれ、、なんか電子書籍に対してちっと抵抗感あったんですけどどういうんだったか思い出せない。
とこんな感じに今「ワーイ!」状態です。ワーイ!!

まずは有料でピクウィッククラブの上巻を買って、あとは無料のをダウンロードしてます。
青空文庫のものが無料やかなり安く読めるようで、とりあえずポーとかチェスタトンとか。
おおブラウン神父だ、なつかしい・・!
思い出してみると、子ども向け以外の外国の小説を読み始めたのは小学校の高学年頃、
母が推理小説好きでいっぱい文庫本持ってたので、アガサ・クリスティー辺りがスタートだったかなと思います。
結構それで外国(おもにイギリスだけど)の生活がどんな感じなのか大ざっぱにつかんだような気がします。
ちょっと今の日本とは違うので、最初は???って思うことが多いんです。
なんでお金がないお金がないと言いながら大きい屋敷に住んで執事やお手伝いさんがいるのか、とか。
読んでる内に、イギリスではそういうもんなんだとなんとなくなじんでしまったけど。
でも、夏目漱石とか芥川龍之介とかの本だって、同じなんですよね。
生活に困ってるらしい描写があるのに、通いの女中さんがいたりしますから。

Kindleが来る前に、アーサー・C・クラークの「白鹿亭奇譚」と「宇宙のランデブー」を紙の本で買って読みました。
アーサー・C・クラークは好きで結構読んだんですが、なにせ沢山書いてるので読みのがしてるのがあって。
どっちも面白かったですけど、特に「宇宙のランデブー」すごく面白い………!!!
なんでこれ読んでなかったんだろう。ほんとに。
私はクラークの描く未来の人間が好きで、一つの理想像というんでしょうか。
あとSFだけれど、むやみと人が死なないんです。「宇宙のランデブー」も登場人物が一人も死にません。
お話の前提として、小惑星が地球に激突して60万人死ぬという未曾有の大災害が設定されているんですが、
そこはあまり書き込まないで半ページくらいであっさり切り上げてるとこに、
オレが書きたい所はパニックから生じるなんだかんだじゃないんだよ、
みたいなクラークのSF作家としての自負と矜持が感じられます。はい。
「白鹿亭奇譚」の方はちょっと趣向が違いまして、SFほら話といいますか、本人の序曰く、
「SFとユーモアは両立しないとのたまってる批評家どもをぎゃふんと言わせるために書いた(意訳)」そうです。
でも「宇宙のランデブー」にもユーモア効いてるんですよ。すばらしい最後の一文……!

クラークを説明するのに「国際人」という言葉が解説に出て来て、コスモポリタンの訳だと思うんですが、
アイザック・アシモフやH・G・ウェルズにもそういう形容がなされてたかな、、、
今でいうグローバルとはちっとニュアンスが違って、とにかくその当時言われていたコスモポリタンという言葉には、
「(こまかな違いはあれ大筋では)普遍的な倫理観を共有している人たち」という含意があって、
しかもそこに重きを置いていたように私は受け止めていました。
この人たちの本読んでると「それ(普遍的な倫理観)」がどういうものであるか、
また作品を書く上での前提としてしっかり踏まえられていることが、なんとなくわかるんです。
「それ」はあくまでたてまえで、ほぼ幻想のような理想にすぎないと一蹴されてしまうかも知れないけれど(今は特に)、
でも、WWⅡから冷戦という、けしてしゃれにならない危機が水面すぐ下にあった時代を通して、
たしかに「それ」はあるんだ、そういうものが本当に普遍的になる世界を自分たちはつくっていかなければいけないんだ、
という気持ちをくさらずに持ち続けて、東のはしっこの島国まで届く本を書き続けていたっていうのは、
今考えるとすごく胸に来るものがあります。
SF作家のような人たちだからこそ、現実からは遠すぎる夢物語と目の前から払いのけなかったのかも知れませんね。
テクノロジーの飛躍的な進歩よりも、全体的な「それ」の底上げの方が、今ははるかに難しく思えますし。

今は世界的に「それ」が、クラークやアシモフ在命時よりも、ちっと退行しちゃってる感じはあるけれど、
これも大きく見れば過渡期のゆりもどしのようなものであればいいなと思います。
わりと「それ」が当たり前の感覚だと信じて育った私自身も、311以降、普遍の逆へのゆりもどしみたいなことを経験しました。
寄り道や回り道、ふりだしに戻るみたいなことなんですけれど、個人的にはまだ取り返しのつく内でよかったと思います。
そして、それが私にとっては当たり前の感覚である「ふりだし」をつくってくれたのが、
クラークやアシモフ(多分クリスティーやチェスタトンも)といった人たちだったんだと今になって思い当たりました。

森のなかまのお父さんはクラシック音楽が好きで、以前アルフレッド・コルトーというピアニストのCDを貸してくれた時に、
「コルトーの演奏は戦前と戦後で違うから、よーく聞いてごらん」と言われました。
くわしくは知りませんが、コルトーはフランス人だけれどドイツのワグナーが好きでオペラの指揮をしたりと、
結果的にナチスの宣伝、協力をするような形になったらしいんですね。
CD聞いても私には、戦後のが戦前のより音が悪い(レコードのノイズがひどい)としかわかりませんでしたけど。。。
(録音時期が1940年代辺りは多分物がなかったんだと思います。逆に1920年代の方が音質はいい。)
うん、でも、コルトー自身の音の変化、きっとわかる人にはわかるんだよね。

・・・ええと、Kindleからずいぶん飛んだ上長くなったな。。。
写真、Kindleのそばにひかえておるのは、ずいぶん前に浅草の仲見世通りで買った招き猫です。
名前は上げてる手(足)にちなんで右ちゃんと左ちゃん。
買った直後に森のなかまが忘年会のビンゴで二万円当てて来ました。
きっちり一匹一万円ずつひっぱってきてくれた律儀な招き猫です。