水瓶

ファンタジーや日々のこと

三ツ池公園の紅葉

2016-11-30 16:54:50 | 横浜の観光・博物館など
なんとも繊細で精巧なモミジの葉。
明日から十二月。はやいよはやいよあっという間だよ、一年が。

三ツ池公園がいい感じに紅葉していました。自転車で行ける範囲に、こんなに大きな公園があるのはよかったなあ。


メタセコイア。全体の姿がスラリときれいですよね。


いまいち区別する自信がないけど、今の時期に咲くのは椿でなくサザンカでしょうか。


ススキときらきらする水面は相性がいい。ススキを尾花というのはキツネのしっぽからかしら。


銀杏はけっこう見かける機会が多いけれど、モミジは意外にないかも。
曲がるから街路樹にはしにくいし、奥山か庭園向けかな。しかしここまで赤くなる木もあまりないですよね。
ウルシやナナカマドもかなり赤くなるんだっけ。


この眺め、ちょっとした観光地に来たようではありませんか。
三ツ池公園の名前の通り、池が三つあります。かなり高低差もあって、枝道も多く、まだ全部回れてません。


点描黄葉の銀杏はスーラの絵。


思わずぎょっとするぐらい大きい葉はホオの木。朴葉味噌って聞いたことありますか?
このはっぱ、いい香りがするそうなんですが、緑の葉じゃないと匂わないかな。


なんかかわいいタッチに黄葉していました。調べてみたんですけど、コナラ、、、の葉かな?


この銅像は、中国の遼寧省から贈られた古代の「馬超龍雀」のレプリカだそう。
さて、この像を見て何かに気づきませんでしょうか。

側対歩?

側対歩といえばラクダ。ラクダといえば側対歩。おんまさんはちゃうでー。
さては古代中国人が見誤ったか、、と思って側対歩についてちょっと調べてみたら、なんとなんとなんと!!!

どうも流鏑馬の馬はわざわざ側対歩に訓練するらしい。

で、ちょっと流鏑馬の写真調べてみたら、たしかに側対歩っぽいんですよね。
つまり武士は側対歩の馬に乗ってた、、、ってことかしら。
へえええ。。。知らなんだー知らなんだー。
でもリンクしたブログによると、大陸の馬は基本的に斜対歩なんだそうで、
単に古代中国人が見間違えてただけなのか、それともかつては大陸にも側対歩の馬がいたのでしょうか。


コリアン庭園の白砂。なるほど白い砂は影がきれいに映えるんだな。


こないだ行った時は手入れしてる人がいたので写しにくかった前庭。
このての庭園って四季おりおり楽しめるように造ってるんだろうけど、私は秋が一番きれいに見えるような気がします。


でっかい瓶がずらっと並んでる景色は壮観。


塀。南国風の葉がかかるとちょっと沖縄っぽくなりますね。


秋の花は紅葉よりもいっそさびしげな色合い。




日本の古い建物とかもそうだけど、東アジアの建築は、背景に木々や山があって完成するような気がするんだな。



このコリアン庭園来て思ったんですけれど、前に冬のソナタブームとかで韓国との関係が比較的良好だった時期に、
韓国へ旅行しとけばよかったなあと。今のように悪感情がここまで表面化しちゃうとちと行きづらい。。

井上靖の「シルクロード・遺跡の旅」では、かつてシルクロードの行程にあったサマルカンド、コーカンド、フェルガナ、
クワといった古い都市を旅するんですが、この辺の都市って、チンギス・ハンに大体一回滅ぼされてるんですよね。
それで同じ場所でなく、近くに都市を再興したりしている。
このチンギス・ハンの征服というのは本当に凄まじかったらしくて、都市をあとかたもなく破壊し、
住民皆殺しにしたらしい。。皆殺しって、すごい労力かかると思うんですけど。。。

なぜここまで強かったかというと、前にも書いた気がするけど、騎馬民族の軍というのは一人で数頭の馬を率いて疾走し、
乗馬が疲れて来ると交換し交換し、だからたとえば百キロぐらいの距離もかなりの短時間で移動したらしいんですね。
で、武器は半弓。これが流鏑馬なんかで使う長弓とは違って、矢をつがえる時間が短く、疾走する馬上からパンパン放つ。
(大陸生まれの馬が斜対歩ということは、半弓は側対歩よりも斜対歩の方が合っていたんでしょうかね?)
強い馬を沢山持っていること、馬と弓を操る術に長けていること、によって繰り出される画期的なスピード、
が当時の騎馬民族の圧倒的な強さの秘訣だったようです。まさに悪鬼のごとき強さ。
これは他の国には真似しようと思ってもなかなかできなかったんだと思う。汗血馬のエピソードもしかり。

井上靖が訪れた昭和55年頃は、これらシルクロードの都市があったウズベキスタン、キルギスタンなどはまだソ連領で、
ヘディン、スタイン以降外国人としては初めて、この西域に足を踏み入れたそうです。これぞ紀行文の楽しみといった感あり。
この西域って言葉にまた、なんかロマンを感じてうずうずするだ。




何の影が落ちたものか、門扉の影。


この狛犬っぽいものの顔が怖い。。。まあ魔除け的なものは怖くないと意味ないんだろう。
かなり古い物の形の気がしますね。ムーミンに出て来るモランにも似てる。


カモがみんな羽毛に顔を埋めて冷たい風に耐えていました。


陽が傾いて、モミジますます燃え。


鈴のような、アンティックなランプのフードのような、ユッカ蘭の花。
冬の花というとアロエ、ヤツデ、ユッカ蘭、カニシャボテン。


まだ三時過ぎぐらいなのに、もう陽がかなり傾いて、暗くなってゆくばかり。


まぶしくてどう撮れてるかよくわからなかった夕焼け。

紅葉ももう終わりでしょうか。ただいまもう外が真っ暗。陽が落ちるの早いねえ。。

クリスマスマーケットin赤レンガ

2016-11-27 11:25:59 | 横浜の観光・博物館など
赤レンガのクリスマスマーケット。今年もクリスマスの季節がやって来ました。
しかしまさか十一月に関東平野部に雪が降るとは………。


万国橋近くから、暗雲たちこめるかに見えるランドマーク。


しかし同じ時にほとんど同じ場所で、反対の海側をのぞむと青空。
カメラのレンズマジックであります。どうやったら明るい部分がとばずにあんなに暗くならずに撮れるんだろね。


こちらも暗くてちょっとわかりにくいですが、クリスマスマーケットのようす。
ドイツのフランクフルトをまねてるそうです。


グリューワインであったまります。シナモンとかオレンジピールを入れて煮込んだワインですね。
お店の屋根に飾ってある人形を見るのも楽しい。めえー

実は昨日のメインの目的はクリスマスマーケットではなく、1号館の二階でやっている手作り・雑貨&クラフトフェアねらい。
全国の手芸作家さんたちが作品を持ち寄って売ってるのです。森のなかまのたってのリクエスト。
こういった感じのかわいい物たちがいっぱいで、沢山の人が来て買い込んでいました。
なるほど今の時期だと、クリスマスプレゼントにちょうどいいんですよね。これは今日までかな?


このおねえさん一人だけ他と趣が違う。。。なんでこんなすみっこに立たせるのか。さびしいじゃないかあ。


赤レンガの広場をまわります。冬だねえ。




ロックガーデンは工事中。


短い日が暮れてゆく。冬の夕景はひと際さびしいなあ。空は澄んできれいなんですけどね。


夕ご飯のため元町モールへ移動。


こちらでもクリスマスイルミネーション始まりました。




暗くなるのが早いので、ちょっとさびしい気分にもなるけど、冬は嫌いじゃありません。
風邪とインフルエンザとノロウィルスにはようく気をつけないといかんけどね。

横浜の観光にはここのイベントカレンダーが便利ですよ。ただしクリスマス直近の赤レンガ近辺は混み混みで消耗します。
我こそはと思はん勇者は挑んでみては?


                         


※今回買ったのはこんなものたちです。多幸感、ふうー。

消えてゆく都市

2016-11-23 17:30:02 | シルクロードのこと
シルクロードと聞くと、ちゃ〜らら〜♪らら〜♪らら〜らちゃらら〜♪とメロディーが浮かぶ人はどのぐらいから上なんでしょう。
おお、なつかしいなあ………。でも放映の頃はまだ子どもで、この手の番組は退屈で見てませんでした。

昨日の世界ふれあい街歩きで敦煌をやっていました。
砂漠に囲まれた都市で、街の中から盛り上がるような砂丘が見えるんです。
市場にはスパイスとか漢方の材料だかが並んでて、あれがなんとも魅力的なんですよね。
これだよ、これ。バッザールってやつは。
一見なんだかわからない砂漠の植物の干したのとか、あれどうやって食べるんだろ。
唐辛子が電柱とかに干してあって。あと敦煌の中華料理、ロバ食べるんですよ。ロバ!

昔らしい白い土壁の家に住んでるおばあちゃんに庭をほめると、「でももうすぐ私たちも立ち退きだよ」とさびしそうに言っていて、
その家もそう遠くないうちに、まわりに建っているような団地になるらしいです。
おばあちゃんとなかよしの孫娘の方は「この街は近代化が遅れていたけど、これから豊かになるのよ」とうれしそうに言ってる。
ほんとにそうなんでしょうね。今すごい勢いで変わっていってる。
でもたぶん、敦煌にはまだ、私なんかが持ってる古いイメージの中国が残っていて、
それは道ばたマージャン卓を囲んでるじいさんたちとか、野外で卓球してる人たちとか。
だから今が、見てて面白いと思う敦煌の最後の姿かも知れない。他の中国の都市はどうなんだろう。
私はどちらかというとおばあちゃんの気持ちの方に共感するんだけれど、でも私も古民家は好きだけど、
正直なところ住みたいとは思わないしなあ。こういうのをセンチメンタルっていうんですかね。
たしかに新しい建物の方が実際に暮らすにはいいけど、かといって、消えてく物を惜しむ感情をまるきり感じるなってのも無理ですよね。
さびしいことはさびしいと素直に言えるのはいいよ。

で、ちょっと前に中央アジアら辺のことを気軽に読める本ないかなと探してて見つけた、
井上靖の「遺跡の旅・シルクロード」っていう紀行エッセイ読んでるんですが、この人の文章すごく読みやすいですね。

巨大な教会や僧院は征服者の祈りによってでなく被征服者の祈りによって建てられているのであり、高い塔の頭頂部の琺瑯の色は、奢れる者の誇りによってでなく、苦しい一生を沙漠に送った貧しい人々の悲しみによって、あの独特な美しい色の冴えを出しているのであろう。

中世ぐらいの寺院の建築って、たいていは戦争で捕虜になった人たちが現場で働かされてたんですよね。
だからキリスト教の寺院はイスラム教の人が、イスラム教の寺院はキリスト教の人たちが、実際に手足を使って建ててる。
考えてみるとへんな話だ。。。



                 



昨日の地震では、津波で被害がほとんど出なくて本当によかったですね。朝は震災のことを思い出して不安な気持ちになりました。
電脳マヴォ読みあさってて、ご本人が震災に遭われた時のことを描いたエッセイマンガ見つけたんですが、これとてもよかったです。
シリーズ他のエピソードも面白いです。ほんと今のマンガのレベルたっかいなあ。

オレ外伝④ 好日

幕の内パルプマガジン

2016-11-19 21:40:39 | 雑記
またまた面白いマンガを見つけました。

「のんちゃん!の破壊☆日記」

読んでたら思わず「あっはっはっは!!」と大声で笑ってしまい、森のなかまがびっくりする始末。
マンガ読んでてほんとに声を出して笑ったのって、けっこう久しぶりの気がする。
読んでる内に、この人間だと目に当たる部分から足の生えたぬらぬらした生き物がかわいく思えてくるんですから不思議だ。。
で、も一つはこれ。

墓国

「ぼこく」って読むんでしょうか。まずは発想がすごいですよね。絵柄もちょっとなつかしめのマンガちっくで好きであります。

この二つはどちらも投降マヴォ入選作品で見つけまして、ここにあるマンガ全部読んだけど、
特に私好みだった上の二つをあげましたが、他のどれも面白かったです。
ていうかこれ入選作品ていうぐらいだから、みんなアマチュアの人の作品なんですよね。
と考えると、こんなにクオリティの高いマンガを描ける人が今現在こんなにいるのかと思って驚いた……。
すごいねえ、すごいねえ。。へええ!

それにしても、こうして色んな人のマンガが並べられていて、それを次々と読んでゆくこの楽しさ。
ここにあるのは短めの読み切り作品で、かなりアクというか個性が強いマンガも多いんですが、
これぐらいの長さの読み切りなら、好みとはいえないものでも大体面白く読める。
そう、こういうのなんだよ。私が求めてたパルプマガジン的な楽しさって。

気に入ったマンガ家や作家を見つけて、その人だけの作品をまとめて読みたいという気持ちもあるけど、
好きでもずっとその人だけの本を読んでるとさすがに慣れて来るし、
たとえばブラッドベリなんかずっと読んでると「うっ…」て胸焼けしそうになる時あるし。
最近はラブクラフトづいて、ボロボロになった文庫本を全部読み直してたら、やっぱり「うっ…」となりました。濃いからね……。
だから、パルプマガジンとかアンソロジーのような、なんていうんだ、横断的というんでしょうか、
色んな人のを集めた形で読めることの良さを見直してます。
ちょっとずつ、ちょっとずつ色んな味が楽しめる幕の内弁当のような。



うちは少年ジャンプも毎週買ってまして、やっぱりジャンプは国民的な週刊マンガだから、
話の流れ的に大きくは外せない所があって、だから長編でも安心して読める安定したマンガ、
万人向けにならされているというか、が多いと思うんだけれど、ちょうどこの電脳マヴォとは対称的ですね。
ほとんど知らないマンガ家だし、射程範囲も広そうで、どういう展開になるのか読みにくく、
どうなるんだろうどうなるんだろうってドキドキしながら読み進める。その辺が強みでしょうか。

とはいっても、この手の読み切りマンガは、それだけを描いて生計をたてるのは難しそうだから、
大抵は別に仕事を持っていて、趣味や副業的に描いてる方が多いんじゃないかと思うけれど、
だからこそ、好きに描ける自由はあるんじゃないかなとは思います。
そう、あと読み切りはアイデアに重心が大きくかかるし、あんまりすごい頻度では描けないですよね。
たとえ専念して描いても、週刊、いや月刊ペースでも描き続けるのはなかなかしんどいんじゃないだろうか。
でも今は、プロでなくてもネットで読んでもらう機会が増えたし、そういう意味では昔より良くなった・・・といえるのかしら。
お金につながりにくいのが難点だけれど。ああほんと、昔のパルプマガジンブームとの違いはそれかも知れない。
むしろお金になりにくいのにこんなに描いてる人が多いのが不思議なくらいだ。

でも、たしか筒井康隆氏も、誰でも一生に一つは小説を書いてみて下さいとインタビューか何かで言っていて、
(ひょっとしたら長編小説だったかも?とするとひょっとしたらニュアンスがちょっとズレてしまうかも知れませんが、
つまりは創作にトライしてみよということですよな?)、
それはマンガでも同じだと思うんだけれど、ここにある入選作品のようなレベルのマンガが描けたら、
それだけでもうれしいし、何かの何かになるんじゃないかなあという気がします。何かってなんだよ。

さあ、どれから箸をつけようか。幕の内弁当バンザイ!パルプマガジンばんざい!

それは自分ではない

2016-11-15 15:19:17 | 雑記
「ライ麦畑でつかまえて」を初めて読破したのは二十才か二十一才ぐらいだったか。
とても感動して、なるほど永遠の名作と言われるだけのことはあるなと思ったんですが、
さてこのライ麦を、アラフィフになった今読んだらどう思うんでしょうか。
残念だけどたぶん、二十歳の時と同じようには感動しないんでしょう。

中年になってから長い時をへだてて初恋の人に会ってがっくり、、、っていうのはよく聞く笑い話だけれど、
この場合、本の方では全く変わっていないのに、そう、こっちが中年になっちまったんだよ。。がっくり。。
昔大好きだった音楽も、今になって聞くとうるさく感じることすらあるんです。悲しいことに。
たとえばレッド・ツェッペリンってすごく好きだったバンドがいて、たま〜に一曲だけ聞くといいなと思うけど、
アルバム一枚分も聞いてると、うるさくしんどくなってくるんですよ?いったいなんだこのていたらくは!
ロケンロールつらい。。。

でも今は、二十歳の頃にはつまらないと思っていたような本や音楽を面白いと思うようになっているわけで、
何かを失ったけど、また何か別のものを得てきてはいるんでしょうね。だから悪い話ばかりでもない。
あんまり考えたことなかったけれど、そういうものは他にもきっと沢山あるんでしょう。
その時には必要不可欠で、我が身の一部とさえ思っていたのに、いつの間にか心の引き出しに入れっぱなしになって、
いつか忘れられるのを待つだけになっているようなものが。
でも、それでいいんだと思います。それはもうしっかり何かの役目を果たして、それなしでも生きていけるようにしてくれた。
自転車の補助輪のように。少しさびしいけど。

たとえば大好きだったミュージシャンの悪口を言われれば、自分のことでもないのに怒ったりしたものが、
いやでも、その人は自分ではない、自分とは違う人間なんだと思える。
もともと私は、好きな物とか人とか、人一倍我がことのように思い込む傾向が強かったと思うんですが、
いや、でもそれは私のことじゃないよ、よく考えてみれば自分とは関係のない話だよ。悲しいかな、うれしいかな。
これが齢五十を前にしてようやくつかみかけた大切な、えーなんだ、、、
ライフハックっていうんですかね。しゃらくさい???

それにしても、たとえばアイドルや、オリンピック選手とかによく見られる、
本来は自分とは境遇も持ち合わせもまったく違う人間を、まるで自分のことのように思わせる力っていうのはすごいですね。
ていうかむしろ、自分にはないけれど、もしも持っていたら素晴らしいのになあと思うような資質を持ってる対象にこそ、
そういう引力を感じるのかも知れない。きっとそういうのをカリスマ性っていうんだろう。
そう思われやすい傾向の人と、思い込みやすい傾向の人ががっちりかち合うと、
こないだのアメリカ大統領選みたいになるんじゃないかと思いました。
(ちなみにトランプさんの大統領の資質については判断保留であります。私なんぞにはわかりまへんで。
けど、ああいう風になる選挙はすごく怖いと思った。)

でもだから、カリスマ性って、必ずしもいいこととは限らないんだ。
むしろ私のように、我がことのように思い込みやすい人間は、特に気をつけなければいけないものなんだ。
そう、それは私のことじゃない。自分ではない、誰か別の人の話なんだよ。

引き出しにしまわれて、やがて忘れられてゆくかつてのカリスマ。もう、それなしでも生きていけるようになったんだね。