ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

時代の変わり目 (下)

2006年01月06日 14時18分47秒 | Weblog
いわゆる強制連行の歴史が刻まれる前段でこれまでになかった動きがおきていた。

一九三八年六月八日、奈良県高市郡畝傍町(現橿原市)で「紀元二六〇〇年祭」(一九四〇年一一月一〇日、一一日)に向けた建国奉仕隊結団式で、朝鮮京畿道から青年二〇人が参加したことだ。

 文献を記すと、「大阪朝日新聞」一九三八年六月八日「橿原の聖地に代表二千人集まり 建国奉仕隊あす結成」の記事で、「朝鮮青年団二十名」の見出しもあり、記事中に「朝鮮京畿道青年団員二十名」「聖域に感激の勤労」とある。

 これまでの奈良の在日朝鮮人史で朝鮮人青年が神社に関する工事でわざわざ玄界灘をわたり奈良の地までやってくるなどなかったことだ。

 何かが変わったのである、一九三八年といえばその四月に国家総動員法が出されていた。その時代の変わり目にあらわれた朝鮮青年団の橿原神宮派遣。なにげなく見過ごすが、この変化は当時にあっては朝鮮人への「皇国臣民」化がいよいよ具体的に動きだしたことであり、この「皇国臣民」化とセットで産業界では石炭や鉱山作業に朝鮮人青年を求める、いわゆる強制連行がはじまるのである

前回述べた朝鮮からの朝鮮農業報国団青年隊派遣は一九四〇年から四四年まで行われるが、強制連行の開始といい、三八年の建国奉仕隊結成が始動した時に、時代の変化を見ることは現在だから見れるわけであるのだけれども、有事関連法施行や被害者の匿名発表裁量をもつ警察体制など、新たな動向を今一度整理する必要があるのではないか。

問題はそこでどうするかだが、時代の変化は確実に憲法改正に向けて進んでいる、戦後体制の改変であることはたしかだ。1つ1つ検証する必要がある。時代の変わり目に座してはいられないだろう。きっちりと冷静に検証すべきなのだ。

そこで参照になるのは歴史だ。まず変わることの「動機づけ」がまずなされることを橿原神宮の拡張工事の歴史は語っている。「内鮮一体「皇国臣民化」の教育により、それを受容した朝鮮人は無理難題の戦争体制に駆り出されていくのだ。その意味で1938年6月8日の建国奉仕体の決結団式は見逃してはいけない。
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1995年と2006年 その3

2006年01月05日 16時30分07秒 | Weblog
1995年と2006年で決定的に違う点は東アジアの国ー韓国、中国ーの猛烈な反対に意を介すことなく一国の代表たる首相が靖国参拝を繰り返すことだ。

なぜこうも変化したのだろうか。

1995年といえば社会党の村山さんが首相をつとめ8・15に際して「村山談話」を発表、以降、この路線が踏襲されている。小泉さんもこの村山談話が国際社会での立場表明になっている。

産経の元旦社説は小泉さんの靖国参拝を支持している。対抗軸としての日本の支柱とでもいいたげな筆運びである。一方毎日はアメリカ高官が靖国で中韓とうまくいかない日本に東アジア外交の軌道修正を求めるニュアンスの発言をしていることをあげ、中韓どころか、アメリカも「いい加減にしては」と口を入れかけている状況が出てきている。

さらに読売は渡辺主筆が雑誌『論座』2月号で対談して「靖国参拝は遺憾なこと」の趣旨の発言をしている。読売は当初参拝賛成だっあが、国立墓地建設を主張するにいたり「変化」をとげているから、渡辺発言も驚くにあたらない。

こうした政治・言論状況でも小泉さんは変わらない。一体何がそうさせるのか。一方ではイラク派兵帰還問題についてのコメントは話さない。年頭会見である。「対抗軸」かどうかは知らないが、どうして中韓とうまくやろうとしないのか、本当によくわからない。

自民党の新憲法草案で自衛軍保持を打ち出したが、昨年末、韓国にいて知人から「戦争での反省のないまま軍隊をもつことは、軍国主義の復活と映りますよ」と苦言を呈された。いま私はその言葉をかみしめて納得のいく言葉をだせるだろうか。

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時代の変わり目 (上)

2006年01月05日 13時08分22秒 | Weblog
時代の変わり目というのがたしかにある。

奈良県での農業労働者と朝鮮人というテーマで調べていて気付いたことだ。吉沢佳世子さんの研究「内地派遣朝鮮農業報国団青年隊の研究」に導かれたことだが、国家総動員体制下、紀元2600年事業が始まるが、そこへの朝鮮人動員が後の朝鮮農業報国団青年隊派遣の嚆矢となるというのだ。この青年団は1940年から44年まで日本に派遣した朝鮮の農業青年の強制動員になるのだが、ちょうど朝鮮人の強制連行期と重なっている。いずれも国家総動員体制のもとで繰り広げられたというところに共通点がある。

ところが農業の就労に関しては前段があるのだ。奈良では珍しいことではなかった。大阪地方職業紹介所事務局「朝鮮人労働者調査」(1930年)に詳しい資料が載っているが、農繁期に「最近1ケ年間で約300人と称されて居る」朝鮮人労働者が同職業紹介所を通すなどして奈良での農家に小作農として雇用されていった(「其の雇傭主は多くは大地主又は自作農」)歴史をもち、その雇用された数は日本で1番目であった。賃金は年期雇は日本人250円に対して朝鮮人230円、1か月雇いは35円に対して25円と民族差別賃金が貫徹されていたのだが、この民族差別性が利用される側面をもつ。

大阪地方職業紹介所事務局資料は、都市労働者としての朝鮮人労働者が地域雇用の要請を受けて移動する形態をみせたことを意味しているが、民族差別性の利用とは本質的には治安対策なのだ。日本労働組合全国協議会の文書(「在日本朝鮮労働者に於ける全協の当面の活動任務についての上申書」)で中央執行委員の金浩永が書いた内容ではこうある。

「奈良県下に於ては小作争議の時、地主が土地を取り上げてそれを朝鮮人に耕作せしめて居る」

つまり小作争議対策と記述したのだ。具体的に奈良県添上郡治道村の小作争議で地主側が朝鮮人を雇い小作人に対抗した事実や(大阪朝日新聞大和号1924年12月26日)、地主側が朝鮮人労働者5、60人募集、3、40人が応募したことに小作人側が対応を協議した(大阪毎日新聞奈良版1928年6月23日)ーなど報じられている。

実は植民地支配は経済的な「利潤支配」であるとともに、支配秩序に関わる「治安支配」で活用されるのだ。小作争議の代替労働力としての在日朝鮮人の史実を顕著に刻んだ歴史はこの文頭に記した「時代の変わり目」をはっきりと語るものだ。

この「利潤支配」から、さらに「治安支配」から、もう1つ変わり目が紀元2600年記念事業で始まった農業動員(朝鮮農業報国団青年隊派遣)なのだ。それは国家総動員体制という時代の変わり目でおきた。これまでとまったく異なる形態である。下では紀元2600年記念事業を少し追うが、時代の変わり目は異なったものがあらわれてくることに気付くことが大切だ。小泉さんが民主党との大連合をいっている。これまでなかったことだ。大連合に向けて動いているのだ。さらに小泉さんは年頭会見でイラク派兵問題について何も言わなかった。もうアメリカ軍の後方支援ではなく「人道支援」とう参戦が当然のことになっているのが、何も言わない=当然のこと、国民的合意という構図が出来上がっているという時代の変わり目に「ちょっと待てよ」と言いたい。
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2006年上半期 韓国情勢と金大中前大統領の「北」再訪 

2006年01月03日 23時31分17秒 | Weblog
統一地方選が4月にある韓国では野党ハンナラ党優勢が伝えられている。こうした政治情勢は当然次期大統領選に流れ込むわけで、韓国・盧武鉉大統領としては北(共和国)との関係を一層改善することで政治状況改善に大きく有利にさせたいとする見方が強いようだ。そんな折、1日の聯合ニュースは金大中前大統領が北への訪問の意志があることを伝えた。

記事では「盧大統領と金正日委員長が北朝鮮訪問を勧めたが、健康が許せばよければ(北)に行きたい」、「列車で行ければいい」と新年の挨拶で自宅に訪れたヨリンウリ党、民主党関係者に語ったという。同様の記事は中央日報でも報じられた。
金大中氏の共和国再訪は単に個人的な文脈でとらえることはできない。盧政権での支持回復の大きな要素として金大中氏の再訪実現があるーとみるのが、ソウルのジャーナリストの大方の見方だ。いま私学改革関連法の可決で最大野党ハンナラ党が審議を拒否。さらに米(こめ)の自由化に反対してデモ闘争をした農民2人が死亡し、この警備をめぐり盧大統領が謝罪するなど、内政面では難局を抱えている。こうした中で共和国との改善を一層進めることは政治的にも重要だろう。

一方では昨年12月に入り韓米大使が共和国への露骨な批判を展開、韓国政府が不快感を表すなど議論を呼んでいる。アメリカでの保守派の巻き返しが源とみられ、対共和国政策での強行発言がまずブッシュ大統領から発信され、さらに駐韓米大使発言続いた。今後、米韓の綱引きがどう展開して再開がまだ決定していない6か国協議実現に向けて進むかが今年前半の大きな朝鮮半島情勢の焦点といえるだろう。
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一言神社

2006年01月03日 11時21分45秒 | Weblog
 2日、高校時代からの友達宅に行って新年会をするのがこの20年来の慣わし。今年もその日午前11時過ぎから夕方まで騒いだ。

 はじめての経験があった。一言だけお願いができるという神さんがいるということで、近くの祭神を刻んだ碑文の前で手を合わせた。「川瀬、一言だけやで。かなえてもらえるのは」というわけで一言だけ心の中でつぶやいた。素朴な神さんがおられるもので、祭神の周りは鉄柱の垣根があるふだけ。しかしきれいに掃除されて住民に大切にされていることがわかる。
 
 一昨年他界された彼のお母さんもよく手を合わされただろう。家屋の軒下にいまも凍てついた雪が残る京の岩倉、静原に通じる道の入り口にたたずむ。
 
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朝日新聞の友人からの年賀状

2006年01月03日 00時24分49秒 | Weblog
朝日新聞の友人何人から年賀状をいただいたが、これまでと違いかなり今後の朝日のあり方に悲観されている文面が多かった。なぜだろうか。

詳しいことは彼らに会わないとわからないが、朝日が打ち出した社内改革にあるのだろうか。それとも社内の雰囲気なのだろうか。ただ言えることは、新聞社が同じ虚偽報道を犯してしましても、まったく扱いが違う。田中長野県知事の虚偽コメントを載せた朝日の虚偽報道は雑誌で特集を組むほどバッシングが強い(例えば『WILL』2004年11月号)。架空会見のネーミングは伊藤律の架空会見が1950年9月27日に朝日がやったと、歴史的に解明する論者(同誌の谷沢永一さんの「朝日新聞の道徳基準」)まで現われる始末である。ところが産経の合成写真報道はまったく批判的特集組まれるなどない。いかに朝日のバッシングが強いかを物語る。

虚偽コメントを送った長野総局元記者は無論社内で事情を聞かれた。知人の話では政治的意図や特ダネ意識ではどうもないようだという。単なるサボリ記者ではないのかーというのが漏れ聞いた感想なのだ。サボリ記者であることは実は「単なる」ではなぬ、新聞では生命線である取材力が地に落ちてきたことを意味する。批判すべきはおsこにあるべきで「道徳」問題を持ち出すことpも大事だが、取材力を求めることが大事なのに、バッシング胃だけが目立つのは何か政治的意図を感じる。

朝日の友人の自信喪失はこうした一連の不祥事に対する社側の対応が管理的農耕がますます強くなっているからではないか。それと経済効率性である。新聞の未来はネット社会突入で決して明るくない。そのことも自信を失わす部分の大きな要因かっもしれな。しかしデジタル時代は全体が見えないのだ。アナログは全体を見る剤路ユを目の前に繰り広げてくれる。認識や判断力を養う材料は新聞の力にかなわない。

いまの政治的意図を十分に探り対応することだ。そうした対応こそ指導者に求められるだろう。自信のなさは取材力の弱さがまず病理としてあることを踏まえていくべきだろう。記者要請の研修をするといった改革案が先だって報じられたが、研修だけでは取材力は養われない。人脈が取材力の源泉であり、どんな人脈を築いているのかにかかっている。

先の12月31の「日韓言論状況を考える」でふれたが、「社が一丸となり」と実現できおそうもない言葉を書いた。一丸などない。神話だろう。しかしかぎは取材力の強さが一丸を、すなわち「なるほど」とうながすことになるのだ。

言論の自由がどうなのかは民主主義社会の鼎の軽重を問うものだ。それが徐々に怪しくなっている。それを跳ね返すの力があるかだ。勿論ネット言論も無関係ではない。
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