ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

両立しますか、できませんか

2006年01月18日 17時00分32秒 | Weblog


ブログのページは自分の周辺のことを書けるから、かなりリラックスしてパソコンに向かえる。ところがネット新聞は韓国の情報にしてもかなり裏をとらないといけない。韓国国家情報院のエックスファイル事件が昨年韓国に衝撃を与えたが、また捜査が始まったと聞いた。これを書くには何の容疑の捜査なのか、誰を対象としているのか調べないといけない。

ブログ日誌は自分に向かって書くところがあるからいつも反芻している内容を出せる。だから文書が練れるのは当然だ。読む側に食いつきやすい最大の要因。ネット新聞は公に向かいキーボードを叩くのだから、少し裃(かみしも)を着ることになる。それでも面白いということになるならば、内容そのものにかかる。

誰もやっていないインタビューをやる、凄い注目の書を出したがハードなのでインタビューなどやるのはしんどいが、これを実現させる。いま注目されている人をいち早くネットに登場させる等などだ。無論他のメディアが追いかける特ダネを出せれば最高!

ブログの利点をネット新聞にくわえればすごくプラスにきまっている。

新聞と出版は根本的に違う。どちらも正規職員として13年勤めたが、出版はその本の担当者がほぼ完璧に仕上げないといけない。つまり、校正や表現の問題は言うに及ばず、写真の選定から、写真説明から、装丁の色あいから、デザインから、著者略歴から何から何まで一編集者の肩にかかっている。ところが新聞は分業制である。外勤記者なら記事を送れば大半の役目は終わると思ってしまう。新聞記者が校閲からレイアウトから見出しに至るまで面倒見ることはないからだ。

だからしばしば記事を書くというのは表現の全てではなく補佐された公にされるのだが、全て担っているという錯覚に陥る。この錯覚はなかなか克服できないでいる。加齢で段々わかってくるが。

また新聞記者は取材相手に怒ることが出来る!威嚇することができる! たとえば警察の発表が遅いと、「刑事部長何してるんですか! 」なんて声を張り上げる。ところが出版でそれをやったら、もうおししまい! ひたすら忍耐、忍耐だ。そうでないと仕事は収まらない。

両業種とも中途半端に来た私が一つだけ言えるのは、両方とも手を抜いたらお話にならないということだ。作業中の兼業(たとえば論文を書いているとか、他の執筆をしているとか)はご法度だ。だから編集の仕事をしだしたら、ものを書くことができないし、新聞の仕事に真摯になればとても金儲けなど考えなくなる。利権に走る新聞記者がいるが、もうそれは新聞記者ではないことは誰の目にもわかる。

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1 コメント

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両方うまくいけばいいのですが--できませんね。 (鄭容順)
2006-01-18 18:02:21
新聞と出版の仕事の内容、勉強になりました。新聞はほとんど編者デスクの手で削除されたりする。民団新聞でも関西のことは漠然としか分らない。そんなとき地名の間違いが多々おきる。また工場にはいって校閲作業で上司があいまいなところを指摘、外にいても携帯がなる。みんなのチームワークで新聞を作っている。自分の主観なんていれられない。このストレスになれるのに約10年すれば理解できて解消する。ネットの書き込みは民団新聞の原稿がないときでないとネットの原稿に集中できない。今はすこし取材がないので韓国で暮らす在日韓国人出身の女性の原稿を作成しています。参考になりました。
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