ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

1995年と2006年 その4 阪神・淡路大震災から11年

2006年01月17日 10時46分26秒 | Weblog
 4年間ほど阪芦屋川駅近くに住んでいたことがあり、震災後、友人宅の見舞いもあり、元住んでいたアパート周辺を歩いたことが重いだされる。アパートの被害はあまりなかったが、木造住宅は見る影もなく崩壊していた。駅周辺の被害もすさまじかった。砂埃というか、建築材の粉塵が空中を舞い、道路はなぜかぬれていた。真冬のなか、どれだけの人が野外で寒さをしのいだことか。
 芦屋の喫茶店でいまから20年以上も前、阪神のザトペック投法の村山選手を見かけたことが会った。家族連れで楽しげだった様子が思い出される。しかし震災で家が崩壊し車に非難して何日かをすごしておられたニュースを見た記憶があるが、その村山さんもいまは亡くなられた。11年の歳月は思いのほか残酷だ。

 JR、阪神、阪急が全線開通しておらず、線路を歩いて友人宅に行ったことを覚えている。それから耐震の取り組みは随分進んだ。その後、JRの上越新潟線は地震にあったが、列車脱線が最小限度にすみ、乗客が助かったのも、阪神・淡路大地震の教訓が生きていたからだ言われる。その教訓を儲けにした建築会社、設計士、総合コンサルタント。今日の国会の証人喚問でスカタンな質問を国会議員はすれば、1・17は教訓として政治家には生きていないことになる。1・17の日に政治は欲望に渦巻くくせものと達観など誰もしないだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「アマゾン」族 | トップ | 両立しますか、できませんか »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事