本田哲郎『釜ケ崎と福音』が書評に出ていたが、この本田さんの聖書解釈は面白い。
朝日の見出しでは「『貧困と差別』のイエス像」となっていたが、宗教でこの2つの社会問題と無縁なものなど、民衆宗教ではない。だいたい宗教の救いが特権階級であったり、知的階級であったりするはずがない。それは既得権園の擁護運動にすぎない。
だから世界宗教のキリスト教も仏教も最底辺に生きる人を救わなでいたならとうに姿を消しているだろう。ゴータタマ・シッダルータはたしかにクシャトリア階級の出身とされたが、カースト制度に反対し、自ら無一物として修行し人だ。ブッダの身分解放の営みがあるからアウトカーストの苦しみで生きてきた人々に支持されてもきた。アンベドガルが仏教徒であった理由は仏教に見出される。
そういう意味で本書で語られるキリスト像は何ら驚くべきではないのかもしれない。彼は貧しい人とともに歩んだ高貴な人物ではなく、とことん貧しくへりくだりを示す余裕などこれっぽっちもなく、食い意地の張った酒飲みで、ヘブライ語も読めない無学の徒で、当時の最も賤業であった「石切」の仕事に従事したと朝日読書欄評者(斉藤美奈子)はいう。受胎告知を受けたマリアは律法に背いた父がわからぬ子を身ごもった罪深い女だったという。だからこそ「心の貧しきものは幸い」であり、苦悩と対立の陣しえを生きたから世間では逆説の教えを説く。
かつて本田訳の新薬聖書『小さくされた人々のための福音』に衝撃を受けた評者はいう。私がこの本田の書をまだ読んでいない。是非読みたい。93年から釜ケ崎で労働者と闘うフランシスコ会の神父である著者の聖書解釈と実践の書がこの本であるように思う。
朝日の見出しでは「『貧困と差別』のイエス像」となっていたが、宗教でこの2つの社会問題と無縁なものなど、民衆宗教ではない。だいたい宗教の救いが特権階級であったり、知的階級であったりするはずがない。それは既得権園の擁護運動にすぎない。
だから世界宗教のキリスト教も仏教も最底辺に生きる人を救わなでいたならとうに姿を消しているだろう。ゴータタマ・シッダルータはたしかにクシャトリア階級の出身とされたが、カースト制度に反対し、自ら無一物として修行し人だ。ブッダの身分解放の営みがあるからアウトカーストの苦しみで生きてきた人々に支持されてもきた。アンベドガルが仏教徒であった理由は仏教に見出される。
そういう意味で本書で語られるキリスト像は何ら驚くべきではないのかもしれない。彼は貧しい人とともに歩んだ高貴な人物ではなく、とことん貧しくへりくだりを示す余裕などこれっぽっちもなく、食い意地の張った酒飲みで、ヘブライ語も読めない無学の徒で、当時の最も賤業であった「石切」の仕事に従事したと朝日読書欄評者(斉藤美奈子)はいう。受胎告知を受けたマリアは律法に背いた父がわからぬ子を身ごもった罪深い女だったという。だからこそ「心の貧しきものは幸い」であり、苦悩と対立の陣しえを生きたから世間では逆説の教えを説く。
かつて本田訳の新薬聖書『小さくされた人々のための福音』に衝撃を受けた評者はいう。私がこの本田の書をまだ読んでいない。是非読みたい。93年から釜ケ崎で労働者と闘うフランシスコ会の神父である著者の聖書解釈と実践の書がこの本であるように思う。