ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

恨(ハン)の碑が問うもの

2006年05月21日 00時35分58秒 | Weblog
コラム「風」 恨(ハン)の碑:川瀬俊治



沖縄県読谷村に建てられた「恨の碑」の除幕式を取材した。13日のことだ。その日は30度をこえるカンカン照りの夏日で、敷き詰められた白い石と碑の黒びかりがコントラストをなし、白黒をはっきりさせるいかにも南国であることを演出した。

▼碑の作者は読谷村在住の彫刻家金城実さん。朝鮮人青年が官憲に引っ張られるが、その姿は堂々として、連行する官憲が何かに怯えている姿がレリーフ作品として描かれている。青年の足を母が引っ張る。必死の思いが表情からもわかる。

▼金城さんによれば作品は1・6メートルほどからの視点でどう映るかを考えて約40度傾けられている。朝鮮人青年の肩と顎が視界に飛び込み、強い意志力がみなぎる表情が浮き出るのは40度の傾斜のためだ。彫刻家でしかわからない演出なのだ。

▼除幕式後の懇親会で長年沖縄での朝鮮人強制連行の歴史を研究されてきた方から「朝鮮人で軍夫でない一般の労働者のことも思いをはせないといけない」と提起された。それは連行時のみに視点を集中させずに近代の朝鮮と日本の歴史を見つめなおそうという提起だったと私は思った。

▼近代史全体から個別の歴史をみることは重要だ。なぜなら大枠をとらえることで、長いスタンスで将来を見つめることができるからだ。たとえば戦後史はサンフランシスコ講和条約体制が大きな枠組みだし、9・11同時多発「テロ」以降も大きな時代の曲がり角だろう。

▼沖縄に連行されて九死に一生を得た姜仁昌さん(86歳)が韓国からこられ涙をぬぐわれた。その胸中はいかばかりかと思う。同胞が犠牲となり帰国できた人はごく少数だったからだ。碑を建立された沖縄の人々の尽力が、姜さんの思いを受け止める人たちをこれから生み出すであろう。碑は物言わぬが、物言う人を生み出す。


コメント
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