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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

講談社版「大江健三郎全小説1」を読んで 

2018-12-16 11:09:59 | Weblog


照る日曇る日 第1178回


著者のデビュー当時、1957年5月から59年6月までに書き書きまくった全部で18本の中短編小説と1篇の戯曲が673頁に凝縮されていて、読み応えは120%! 読むほうも汗だくだが、これほど膨大な原稿をおよそ3年間によくも毎月毎日書きまくったものよと、内容の吟味の前に驚いてしまう。

この人、よっぽど小説を書くことが、楽しかったんだろうな。で、その中身は?

東大医学部での犬殺しや人間の死体処理のアルバイトを扱って読んでるこっちの眼鼻手まで気色悪くなってくるほどの細部のリアルで迫って来るのが、「奇妙な仕事」と「死者の奢り」だが、どちらも骨折り損のくたびれ儲けに終わるのが皮肉だ。

「他人の足」は脊椎カリエスの少年患者たちの内部と外部の流通と断絶、党派性とセクスを取り扱う。政治と性はいつも変らぬ著者の固定的なこだわりである。
「石膏マスク」では整形手術をした者の違和と悲哀が主題になっている。

「偽証の時」は大学内で起きた偽学生の不法監禁事件の関係者たちが、当事者のみならず大学当局を含めてもみ消しを図ろうと組織的な「偽証」を繰り返して隠蔽を図り、良心の呵責に耐えかねて真実を告白しようとするヒロインを押しつぶそうとするのだが、それは安倍蚤糞に忖度する官僚の心的機制を先取りしているようだ。

「動物倉庫」は珍しくも戯曲であるが、やはり「偽証の時」と同様の組織的隠蔽の非人間性をテーマにしている。

「飼育」では著者の郷里を思わせる山間部に舞台が移り、飛行機が墜落して捕虜になった黒人兵と主人公の少年との不思議な交情と突然の死が描かれる。
草いきれと黒人の肌の匂い、そして振り下ろされた鉈から迸る血。視聴覚360度サラウンドな小説である。

深夜のバスの中で主人公たちあわれな日本人は進駐軍の兵隊たちによってパンツを脱がされる。「人間の羊」を整列させながら「羊撃ち、羊撃ち、パン、パン!」と唄う兵士たち。それはいまの日本とアメリカの関係そのものだ。

「運搬」では、仔牛の肉を運ぶ主人公たちを襲う野犬の群れ! 溝鼠、雀、蜂、土竜、トカゲ、そして鳩。「鳩」では様々な動物たちが窓の外に吊るされ、「鳥」では鳥にトリつかれた青年が登場する。

傑作「芽むしり仔撃ち」では、山奥のに送り込まれた感化院の少年たちが圧倒的な存在感を示す。疾病の流行を恐れて逃亡した村人たちに置き去りにされた少年たち。少女との束の間の恋、脱走兵との出会い。主人公はある種の独立王国の日々を満喫するが、村人たちが帰還すると粛清の嵐が吹き荒れる。

同じ村が舞台の「不意の唖」では、生意気な進駐軍の通訳を村人たちが闇に葬る。

「見る前に跳べ」は著者お得意の学園ぐじゅぐじゅ内向学生もの。
ガブリエルの情婦良重の肥った肉体につながれている我らが主人公は、仏語を教えている女学生田川祐子と新規一転新生活を始めようとするが結核で胎児を出産できない母体であると分かって良重の元に帰るがインポになっている。

「部屋」でも主人公はインポテンツに苦しむ。結局いつまでも跳べないのである。

「暗い川 おもい櫂」も、黒人と娼婦と、跳べない青年の話。
「喝采」もリュシアンにおかまを掘られていた夏男が太った娼婦康子と男女のセクスができた万歳!と「跳ぼう」とするが、それは康子の演技であり、結局青年はいつまでも跳べないのである。

「戦いの今日」では、ひょんなことから主人公と弟が脱走兵をかくまうが、彼は憲兵に撃ち殺されてしまい、主人公は「解放感に満ちた奥深い虚脱」に落ち込んでいく。

最後に置かれた「われらの時代」では、懸賞論文に思いがけず入選した学生の靖男が、宏大な背中と共生感の持ち主である淫売の頼子と決別し、「さあついにあこがれのおふらんすに脱出して自由になれる」と思ったのもつかの間、アルジェリア人からは正義の戦争に連帯せよと突きあげられ、ミュジシャンの弟は警察沙汰に巻き込まれて墜落死し、妊娠した頼子からは泣きつかれ、四面楚歌となって、とうとう脱出の機会を永久に棒に振る。

そういう次第であったが、ぜんたいとしては、自然と少年時、田園と音楽、セクスと女体、個人の自由と共同体の暴力、戦争と民族などというか鍵言葉があちこちに点滅する、激しくも美しい散文作品集でしたね。

   最近は光君はどうしているのか? なお生きるべし大江健三郎 蝶人

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ジュリー・ダシェ原作・原正人訳「見えない違い 私はアスペルガー」を読んで

2018-12-15 11:12:17 | Weblog


照る日曇る日 第1177回

27歳で一人暮らしのワーキングウーマンで、アスペルガー症候群の患者、ジュリー・ダシェが、自宅や職場や世間でどのような偏見と誤解の洪水に流されながら、その実態をマドモワゼル・カロリーヌに画にしてもらった解説付き漫画本です。

これを読むと障害者先進国のはずのフランスで、いかに自閉症を含む発達障害者に対する無知と無理解が蔓延しているかが、よく分かります。まあどこの国でもかなり酷いけど。

アスペルガーについての、正しい理解を促そうとする狙いはよいのですが、セリフや解説の言葉が細かくて、とても見づらく読みづらい。原本のレイアウトをそのままに日本語化しているのもカッタルく、これは日本版の編集にはさらなる一考を要しますね。

   美ら海に土砂投げ入れる狂者あり八大龍王止めさせ給え 蝶人
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エドガー・アラン・ポオ著・八木敏男訳「ユリイカ」を読んで

2018-12-14 11:14:02 | Weblog


照る日曇る日 第1176回

1848年、ポオの最晩年に書かれた散文詩だというので期待して読みはじめたら、紀元2848年に書かれたという触れ込みの「物理的宇宙ならびに精神的宇宙についての論考」だったので驚いた。

序言には「真理の書」、「芸術作品」「一篇の詩」と書かれているのだが、いきなりニュートンの物理学やケプラー、ラプラスの天文学のその当時における最新の学説が紹介され、敷延され、清濁併せ呑まれ、最終的にはポオ選手独自の哲学や宇宙論の補強材料として使い捨てられる。

当時の文明後進国アメリカの一介の詩人・文学者ぐあ、文芸理論ではなく、宇宙の創造、進化、本質について、まるで第一線の物理学者・天文学者のように「理路!?整然?!」と語り尽くす。こちとらは子供の時から理系はカラキシ駄目だから、何が何やら分からないままに図表まで添えられた大論文を目で追うしかない。

そして原始粒子の絶対的単一性の吟味から開始された哲人的考察は、広大無辺の太陽系、銀河系、宇宙の構造の因果律の直観的把握を経て、「聖なる存在者」と遭遇し、ちっぽけな人間は、空に輝く星もろとも神とひとつになって、永遠のいのちの律動を体感するにいたるのである。

ポオは最後に、「すべては、いのち、いのちのうちなるいのちであって、小なるものは大なるもののうちにあり、そしてすべては精霊のうちにあることをゆめ忘れたもうな」と綴って、この空前絶後の「散文詩」の筆を置くのであるが、その瞬間、おそらくかのアルキメデスと同様に、「Eureka(エウレカ 我見いだせり!」と叫んだことだろう。

  ユリイカとヤリイカは相異なるが距離の2乗に反比例して惹きつけられる 蝶人

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ジョン・カサヴェテス特集ずら

2018-12-13 11:15:31 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1898~1907



1)ジョン・カサヴェテス監督の「オープニング・ナイト」
老いをテーマにした芝居の役作りに腐心するジーナ・ローランズの孤独と煩悶、そして奇跡的な成功を劇的に描いたカサヴェテスの傑作。ラストはちょっとあざといけれど、それでも感動するのはそれまでの伏線が波乱万丈すぎるから。ローランズはもちろんだが、カサヴェテスの演技も凄い。

2)ジョン・カサヴェテス監督の「フェイシズ」
これが映画だ! 夫婦、男と女、人間と人間の関係の実相をこれでもかこれでもかとぎりぎりあぶり出す怖いほど面白い戦慄的な映画。こういう映画に触れさせないためにテレビ局は死に物狂いで阿呆莫迦バラエテイやドラマを大量生産しているのだ。
出演はお馴染みのジーナ・ローランズやジョン・マーレイ、リン・カーリンなど。

3)ジョン・カサヴェテス監督の「チャイニーズ・ブキーを殺せ」
「クレージホース」で女たちとの楽園を作り上げていた主人公がふと魔がさしてバクチで23000ドルをすったところから、殺し殺されの悲劇が始まる。しかし人世ってなかなかうまくいかないもんだな。

4)ジョン・カサヴェテス監督の「アメリカの影」
カサヴェテスの監督第一作。全編を即興的演出でドキュメンタリータッチで撮影されたというがその不穏なライヴ感が好ましい。主として白人と見分けがつかない黒人女性と寝た白人男性の内面の問題を取り扱っている。

5)ジョン・カサヴェテス監督の「グロリア」
ふとしたことからプエルトリコの少年の保護者になってしまったジーナ・ローランズが、女だてらに組織全体を敵に回して大活躍。しかしあの窮地をどうやって逃げのびたかは永久の謎ずら。

6)ジョン・カサヴェテス監督の「壊れゆく女」
家族から愛されていた主婦の頭がだんだんおかしくなっていくありさまをジーナ・ローランズが完膚なきまでに表現しつくす。
「普通の」家に一人の障害者が出現すると、その家はもう「普通ではなくなって」大なり小なりの悲劇と騒動が巻き起こるが、それは誰のせいでもないから、ありのままを受け入れるしかないのだ。愛の精神で。

7))野村芳太郎監督の「張り込み」
佐賀までの長い長い蒸気機関車での旅が「序」、懐かしい面影を伝える佐賀の1週間の張り込みが「破」、高峰秀子と田村正和の切ない出会いが「急」。
それにしてもあの後哀れなヒロインはどうなったのか。こういう悠揚迫らぬ美しい白黒映画はいまでは貴重な文化遺産だ。

8)ロバート・アルドリッチ監督の「何がジェーンに起ったか?」
姉にコンプレックスを持つ妹役のベティ・デイヴィスが姉役のジョーン・クロフォードを苛めまくる恐怖とスリルとサスペンスドラマ。
屋敷から出たまぶしい海岸で明かされる秘密に愕然とするうちに幕。恐ろしきは人間なり。

9)シュレンドルフ監督の「スワンの恋」
スワンのジェレミー・アイアインズ、ドロンのシャルリュス男爵もどうかと思うが、オルネラ・ムーティのオデットは完全なミスキャスト。原作のプルーストのイメージと香気のかけらもない映画なり。

10)大島渚監督の「白昼の通り魔」
異常性欲の持主?である佐藤慶が川口小枝や小山明子などの首を絞めて次々に犯す。
けれども犯された2人は、そのためもあって狂暴男をあくまでも愛し続けて、私などの理解を絶する意外なるラストになるのであるんである。

 ヒトラーの母国オーストラリアでも極右が伸びて危機が高まる 蝶人
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長尾高弘著「抒情詩誌論?」を読みて歌える 

2018-12-12 11:00:05 | Weblog


照る日曇る日 第1175回&これでも詩かよ第249回



「抒情詩誌論?」という不思議なタイトルがつけられていますが、著者も腰巻で談じているように、別にいかめしい詩論とか格調高い論考なぞではまったくなくて、あえていうなら、「ただの詩集?!」ですので、良い子の皆さんは、けっして敬したり遠ざけたりしてはなりませぬ。

実態はその逆で、まことに口当たりがよくて読みやすく、これほどノンシャランでとっつきやすい詩集なんて、いまどきどこを探してもないでしょう。

それは著者が、普段通りの話し言葉、ざっかけない日常の言葉で、読者に向って、(というより著者自身に向って、かな)語っているからなのですが、かというて、その語りかけや自問自答の内容がつまらないとか面白くない、なんてことはさらさらないのが、私としては不思議なくらいです。

著者の飾らぬ人柄にも似て、さりげなさの中に人世の信実や知恵がくっきりと浮き彫りにされ、独特の滋味やユーモアが漂うという、そんなまことに味わい深い玄妙な詩集。
あえて言うなら「現代詩」に絶望している人に薦めたい1冊です。

ではいったいどんな詩集なのかと迫られたら、ぜひ「らんか社」のたかはしさんに電話して、実物を取り寄せて読んでみてほしい、と答えるしかないのですが、とりあえず「ものづくし」という定義集のような作品の中から、いちばん短いのをご紹介して、おしまいにしたいと存じます。

      「サンドイッチ」
    足を伸ばして寝ていたら、
   ふとんごと食われてしまった。

                 *

さて、久しぶりに素敵な詩集を読んだおかげで、私も久しぶりに抒情詩ができました。
ありがとう、長尾さん。


            「パンドラの星」

昔むかしあるところに、1人の詩人がいました。

地上では誰ひとり自分の詩を読んでくれません。
はてさて、どうしたらいいだろう?
いろいろ夜も寝ないで考えていると、突拍子もないアイデアがおもいうかびました。

地球がダメなら宇宙があるさ。
宇宙ロケットで詩集を打ちあげたら、もしかして水星人やら金星人、火星人、木星人たちが読んでくれるのではないだろうか?

そこで詩人は、毎晩毎晩夜なべして、糸川博士にならって超ローコストなペンシルロケット作りに熱中しました。

構想1秒、実践3年。
先端部に「らんか社」から刊行された500部の処女詩集「これでも詩かよ」を搭載した「あこがれ」1号が打ち上げられたのは、西暦2020年、十五夜のお月さまが東の空に皓皓と輝く師走の夜のことでした。

「あこがれ」は、秒速20キロの速度で大気圏を離脱し、長い長い航海に旅立ちましたが、やがて35億光年の彼方に到着しました。

そこでロケットが、あらかじめセットされていた通りに先端部の蓋を開け、500部の詩集を広大な真空地帯にまき散らすと、まっしろな詩集たちは、無明長夜の闇の中を、白鳩のように羽ばたきながら、パンドラ銀河団めがけて舞い降りていきました。

詩人の処女詩集「これでも詩かよ」が、パンドラの箱文学賞を受賞したという第一報が、超長波電磁波に乗って地球に到着したのは、それから間もなくのことでしたが、残念なことには、その地球も、その詩人も、もはやこの世のものではなかったのでした。


  お向いのテラオさんちに鳥が来てよく鳴いていたその木切られる 蝶人
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由良川狂詩曲~連載最終第28回 

2018-12-11 14:40:49 | Weblog


第8章 奇跡の日~いつかどこかで



――あっ、あれは、もしかして、Qちゃん? ほんとうにQちゃんなのかい?
ああ、、こんなに疲れきってボロボロになっちゃって……
 Qちゃん、君はそれにしてもよく無事でこんなに早く故郷に戻ってこれたね。

ケンちゃんは、思いもかけない再会の驚きと感激で、頭の中がまっしろです。

Qちゃんは、朝の光を受けてキラキラと輝く由良川の清流の中を、軽やかな身のこなしで、ぐるぐると2回転半。あざやかなストップモーションを決めると、相変わらずアシカに似た賢そうな頭をクルリとひと振りしてから、上目づかいに見上げながらケンちゃんに向ってニッコリと微笑みかけました。

「ケンちゃん、お久しぶりです。お元気でしたか? ぼくも元気です。旧型の山手線はいまごろどこを走っているんでしょう? もうお払い箱になっちゃったのかしら?」
「山手線の旧型だって? お前は魚のくせに、JRに乗って、綾部まで帰ってきたのかい?」
「ぼくは、無事に帰ってきました。だけど、うぐいす色の山手線は、いまごろどこを走っているんでしょう? 南武線かな? それとも常磐線かな?」

すると、いつのまにか傍にいたオオウナギが、あわてたようにいいました。

「ケンちゃん、Q太はさかまく嵐の海を必死に泳ぎぬいて、たったいまなつかしい故郷へたどりついたばっかりなんじゃ。あんまり難儀な目にあいすぎて、ちょっとばかり頭が変になっとるようじゃ。そのうちに元に戻るさかい、あんまり心配せんでもええよ。
それより皆さんおまちかねじゃ。ほれQ太、これでお世話になったケンちゃんともお別れになるんじゃが、記念になんか一曲歌ってくれんかなあ」

Qちゃんはこっくりうなづくと、長老の頼みに応えて、持前の透きとおったボーイソプラノで、朗々と歌いはじめました。

♫君が愛せし綾部笠
落ちにけり 落ちにけり
由良川に 川中に
それを求むと尋ぬとせし程に
明けにけり 明けにけり
さらさら さやけの夏の夜は

♫心の澄むものは
霞花園 夜半の月
秋の野辺
上下も分かぬは 恋の道
岩間を漏り来る 由良の水

♫常に恋するは
空には織女流星
野辺には山鳥 秋は鹿
流の君達 冬は鴛鴦

♫舞へ舞へ 蝸牛
舞はむものならば
馬の子や 牛の子に
蹴させんとて 踏破せてん
眞に美しく舞うたらば
華の園まで遊ばせん

「華の園まで遊ばせん、華の園まで遊ばせん」、と二度まで繰り返して見事に謡いおさめ、Qちゃんはくるくると2回首をまわしてから、こう顔を七三に上手に方にひねって、ぴたりとみえを切りますと、井堰の舞台奥にズ、ズイと控えし由良川の魚ども、こぞって胸ビレ、背ビレ、尾ビレを総動員。綾部盆地を揺るがすような三三七拍子は、いつ果てるともなく山川草木の上に響き渡ったのでした。

そんなQ太の立派な晴れ姿をみつめながら、「ウナギにしては小さ過ぎ、ヤツメにしては目がふたつ、ほんにお前はドジョウみたい。変なやつ。でも、好き!」
とケンちゃんは、心の中でなんども思い思い、Q太へのつよい愛情が胸の奥いっぱいに広がるのを感じました。

「Q太よ、Q太よ。早く良くなっておくれ。ぼくの兄貴のコウ君だって、いっけん天才児に見えるけど、じつは生まれたときから脳のどこかをやられているんだ。でも今回は得意技を生かして、ここ一番というところでぼくの窮地を救ってくれた。だからQ太も頑張ってくれ。頑張ってなんて古くさい言葉だけど、いまはそれしか言えない。どうか頑張って!」

言葉にはせず、そう口の中でつぶやいてみただけで、ケンちゃんの大きな瞳は、みるみる熱いもので覆われてしまうのでした。

「さあ、これでぼくらの仕事は、ぜんぶ終わった。Q太くん! それから愛する由良川のすべての魚の諸君! いつまでも元気に、仲良く暮らしておくれ!」
とケンちゃんは、らあらあ泣きながら、由良川全部に向って叫びました。

「ではケンちゃんとコウさん。オラッチはもう年寄りでっさかい、ここいらで失礼させてもらいまっせ」
とオオウナギは、そばかすだらけの分厚い腰をペコリと一折折ってから、ニヤリと笑い、病み上がりのQ太をうながし、抱きかかえるようにして井堰の向うの川の深みへと消えてゆきました。

そのオオウナギの、そばかすだらけの横顔に浮かんだ、実に奇妙な笑いをみた瞬間、ケンちゃんの脳裏に、かすかな不安がよぎりました。

――西限と南限は東アフリカのナタール、東限は北部は小笠原諸島、南部はマルケサス島。日本の分布は黒潮が接岸する鹿児島県から房総半島南端にいたる沿岸と長崎県のみ、とされているオオウナギが、なんで丹波の内陸を流れる由良川にいるんだろう?

オオウナギの小型のやつは海の浅瀬の底にいるけれど、大型のは河川の淵の洞窟のなかに潜んでいると、確か魚の図鑑に書いてあったっけ。きゃつらの餌は小魚、エビ、カニ類で………
もしかしたら、ああ、もしかしたら、あいつらも、ライギョやアカメの同類項なのかも知れない!

「Qちゃん、Qちゃん、ちょっと待て! 待つんだ!」
と、ケンちゃんは大声で叫びました。

二度にわたって海を渡り、列島を大回遊し、奇跡の生還をなしとげた小さな友達に向って、声を限りに呼びかけました。
しかしいくらケンちゃんが目を凝らして、由良川の水面から遠くを見透かしても、もう魚たちの姿は、メダカ一匹見えません。

ただサラサラ、サラサラと規則正しい波音を立てて、由良川は上流から流れ、下流に向って、いっさんに流れ去っていくばかりでした。

正午。
太陽は、いままさに、ケンちゃんとコウちゃんの頭上に静止し、燃えるような強い光線を、垂直に注ぎこみました。

ちょうどその時、市役所のサイレンが喨々と、かつまた寥々と、鳴り響きました。

サイレンは五月のそよ風に乗って、由良川の川面を渡り、てらこ履物店の上空を過ぎ、やがて寺山のてっぺんのところで、ハタハタとはためく日章旗としばらく戯れたあと、綾部市の旧市街地にちらりと一瞥をくれ、青空の彼方へと静かに消えてゆきました。

                                                          おわり



・引用&参考文献
佐佐木信綱校訂 新訂「梁塵秘抄」(岩波文庫)
中村守純「原色淡水魚類検索図鑑」(北隆館)
阿部宗明「原色魚類検索図鑑」(北隆館)
村松剛「帝王御醍醐」(中公文庫)
綾部市役所編「市勢要覧」
浅野建二校注「山家鳥虫歌」(岩波文庫)
浅野建二校注「人国記・新人国記」(岩波文庫)
磯貝勇「丹波の話」(東書房)
神奈川県鎌倉市立大船中学特殊学級歌・小林美和子作詞「八組の歌」

・初稿 1991年5月19日~9月26日 改稿 2018年11月8日




   紫色の細く尖った鉛筆を掲げて走りゆく我が家の耕君 蝶人
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土岐友浩著「Bootlegブートレッグ」を読んで 

2018-12-10 13:40:49 | Weblog


照る日曇る日 第1174回



書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの1冊で、短歌には珍しいスズキユカのイラストの表紙に惹かれて手に取ってみました。

作者は1982年生まれの歌人、精神科医で、郷里の小浜や学生時代を過ごした京都の風物が出てくるのが、なんとなく懐かしい(ちなみにケネデイが暗殺された秋、私は市電の轟音を聴きながら左京区田中西大久保町の下宿で暮らしていた)。

 東山三条田中人形本店は斜め向かいでございます。
 サークルの立て看板がだんだんと東大路に増えていく春
 しょこたんをたまに応援したくなるひとり暮らしのおしろいの花

 内容はといえば、若手にありがちな鬼面人を驚かせるような作品はまったくなくて、たとえば、

自転車はさびしい場所に停められるたとえばテトラポッドの陰に
やり方は知らないけれど春先のゲートボールをころがる

のような、ちょっとした気づきを、平明な言葉遣いで淡々と詠んでいるところに好感を覚えます。

乗客は乗り込んだのに雨の日のドアをしばらく開けているバス
発泡スチロールの箱をしずかにかたむけて魚屋が水を捨てるゆうぐれ

なんていうのは、クープランのクラブサン曲をBGMに、フェルメールの絵を眺めているような趣があって、なかなか悪くなかったのです。


 チコちゃんよ安倍蚤糞を叱ってやれ「テメエ、ボーと生きてんじゃねーよ!」 蝶人
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ジュリー・オオツカ著・小竹由美子訳「あのころ、天皇は神だった」を読んで

2018-12-09 09:52:15 | Weblog


照る日曇る日 第1173回

大東亜戦争についての研究書かと思ったがさにあらず、(どころか天皇についての記述は数えるほどしかない)、日帝による真珠湾攻撃の仕返しに、財産も地位も取り上げ、1世も2世も味噌くそ一緒くたに強制収容所に放り込まれたある日系人一家の運命を、始めは処女の如く淡々と、終わりは活火山の大爆発のように音吐朗々と描いた中編小説でありました。

序章となる「強制退去命令一九号」以下最後の「告白」まで、全部で5つの章で構成されたこの小説は、章毎にあえて語り手を切り替えるなどの創意工夫を施していますが、名翻訳家の小竹由美子さんによって精妙に邦語に置き換えられたその語り口は、当時の歴史的事実に依拠しながらも、見事に抑制された知的なもので、随所に詩的なニュアンスを湛えて読む者を飽かせません。

ようやく戦争が終わると、この物語の主人公たちは無事に加州バークレーの我が家に戻って来ることができました。悲惨の極みとはいえ、これがもし日米彼我の立場が逆転していたら、彼らのような移民の一家は、どのような運命をたどることになったでしょうか。

自らも移民の子でありながら、トランプ大統領は、極端な移民排斥政策をとって世界中から顰蹙を買っていますが、私たち日本人ならナチの強制収容ばりの、それ以上に過酷で残酷な対応をするのではないでしょうか? 

関東大震災の折の朝鮮人虐殺事件を知る者にとっては、想像するだに恐ろしいことです。


 「今度生まれてきたら国境なき医師団の看護師さんになりたいな」と妻が言う 蝶人

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「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第66回

2018-12-08 13:20:42 | Weblog

西暦2018年皐月蝶人酔生夢死幾百夜


私は、突然抽選で選ばれて、ある国の王様になってしまったのだが、どう考えても本物の王ではなさそうなので、あんまり嬉しくなかった。5/1

いつも暇で暇でごろごろしている宣伝課なのだが、急にイマイ課長とか、上司のマエ選手あたりがサンザメいて、ブランド立ち上げの機運がみなぎってきたので、私は、仕方なく部下のサカイ君を叩き起こした。5/2

その展示会では、展示物が一定の間隔を置いて、2次元になったり、3次元になったりするので、観客の関心を集めていたが、ほどなくして、飽きられてしまった。5/3

またしても、いつもの駅に来てしまった。これは何という駅で、どこからどこまで走っているのか分からないが、いつもホームも列車も満員なので、乗ったことはない。今日はホームの誰かが「それでも、就職するならやっぱり電通がいいわね」とほざいておった。5/4

彼ら超エリートたちの趣味と言えば、もう珍しい高価な物を買い漁るようなことではなく、手持ちのお札や、住所や、車や、部屋の番号を、1で揃えることだけだった。5/5

ハバラというその男は、「ササキはん、絶対にこっちから値段を言いださないこと。それがブランド買収の秘訣でっせ。よお覚えときなはれ」と、声をひそめて、さももっともらしく教えてくれるのだった。5/6

とっくの昔に現役を引退していた私だったが、駐車場の開閉と集金の仕事を頼まれたので、これも何かの縁だと思い、受けることに決めた。5/7

いつも夢に出てくる場所で途方に暮れていると、「右側に行けばバッハ坂という駅があるよ」と誰かが教えてくれたので、どんどん歩いて行くと、バッハ坂の広場に出た。駅ビルと思しき建物に入ると、そこは九龍城のような迷路になっていたが、なんとアキレタボーイとオリーヴナッツ嬢に再会した。5/8

私はアキレタボーイなんかには目もくれずに、オリーヴナッツ嬢めがけて突き進むと、彼女は迷路の中を逃げるふりをしながら、立ち止まってちょっと腰をかがめ、身につけていた超ミニスカートをぱっと捲くる。それで私が突進すると、彼女は逃げる。立ち止まって捲る。突進するという具合に、昔のように私を挑発するのだった。5/8

いくら「あっちへ行け」と手を振りながら怒鳴っても、追跡を振り切ろうと全力で走っても、シオミ・ヨウイチ君は、いつも私の傍にぴいたりと張り付いて、微動だにしないのだった。5/9

ダラ幹たちは、政権反対の意思表示として、機動隊への投石でお茶を濁していたが、気鋭の怒れる若者たちは、山村深く入り込んで村人たちを武装させ、いつかある日、首都に進撃する日が来るのを待っていた。5/10

ここは熱海か、それともカンヌか。「海岸の傍の映画館で上映されている日本映画は、かなり面白いよ」と、サイトウさんが言うた。5/11

「今回の広告は、シンプルなモノクロームだけで行こうよ。その方が経費もかからないし」というと、ゼンタロウも「いいですね。そうしましょう」と大きく頷いたのだが、結局普通のカラー広告よりも高くついてしまった。513

妹一家は、大船に住んでいるのだが、私たちは、まだ訪れたことはない。ところが、ある日我が家にやってきた見ず知らずの女が、「さあ、これから妹さんのお宅へ一緒に行きましょう」というので、私らは慌てた。5/14

内戦が激化して、死者がどんどん増えてきたので、私たちは、墓地に逃げ込んで、息を潜めていた。5/15

「月曜に西洋医にかかり、水曜日には漢方医にかかって、両方の医者の言う通りにすれば、たいていの病気は治ってしまいますよ」と、その中国人は宣うのだった。5/16

友人に誘われてある会に出たのだが、見知らぬ人ばかりで途方に暮れていると、「さあ、今度はあなたの番ですよ。お題の1句はできましたか?」と、リーダーらしきおっさんが迫る。どうやら吟行句会にまぎれこんでしまったらしい。5/17

毎年5月になると、私は昔取り残した5つか6つの単位を取得しなけねばならないという強迫観念に取りつかれて、仕方なく大学へ行くのだが、その課目は今では存在せず、担当の教師も、とっくに泉下の人となってしまっているのだった。5/18

カウンターの右端にいた小林秀雄が、「このトロを喰うと、ほかのはてんで喰えねえな」とほざくので、私も試してみたが、アブラ身がエグくて吐き気がしたので、二度とその寿司屋には行かなかった。5/19

大阪駅で、長崎に向う在来線の特急を朝早くから待っていたのだが、いよいよ列車が入線するとなると、列があってなきがごとき状態になってしまった。どうも昔から関西は、客の「たち」があんまり良くないらしい。5/20

さる秘密結社の会合に出たら、いきなり「俳句を詠め」といわれたので断って、某社のCMのロケ現場へ駆けつけたのだが、いくらコンテを見ても、何を表現したいのかさっぱり分からないので、帰宅して寝た。5/20

このたび地球に飛来した火星人と対話できるのは、なぜか自閉症児者だけだと判明したので、これまで各方面から白眼視されていた我が家の長男にも、俄かに明るい光が当てられるようになってきた。5/21

うちのコウ君は、複雑な数式を用いて両惑星の岩石構造について対話したり、火星でのthere とafternoonという言葉の両義性、音楽の2重3重4重奏曲におけるポリフォニーの響き方の違いについて、論じあったりしていた。

シェルターの中で、昔の平和な時代の思い出に耽っていると、山の向うのバルザック像が微笑んでいるように見えたが、それもつかの間、私は過酷な第3次世界大戦の現場に引き戻された。5/22

午後8時、横浜駅のタクシー乗り場で待ち合わせ、助っ人の2人と一台の車に乗り込む。目指すは、渡辺組の渡辺兄弟。今日こそ決着をつける運命の日だ。5/23

「あたしはね、誰かさんにデザイナーになってくれと頼まれたから、デザイナーになってやったのよ。そしたら無茶苦茶に売れたので、みんな喜んだじゃないの」と誰かが息巻いている。5/23

バスに乗って、赤いトマトを買いに行こうと思うのだが、いつも超満員なので、乗れない。たまに乗れても、乗客同士の押しくら饅頭に巻き込まれて、精根尽きはてるので、うまく買えたためしがない。5/24

私は、その国に行ったことがあるが、薬品は別として、その他の飲料や食品などは、飲食しても大丈夫だ、と判定していた。

手に持った百円玉を落としてしまったので、拾おうと思ってしゃがんでいると、耳元で「大好きなのよ」という声がしたような気がして、立ち上がると、ミタさんだった。ミタさんは、私が落とした百円玉を拾って、そっと渡してくれた。

山の上には、まったく同じ住居に、姉妹がそれぞれ住んでいるのだが、、航空写真を拡大して見ると、敵は2人の姉妹を捕まえて、首をのこぎりで挽いているようだった。5/25

次の競売品は、古書が入った汚い本箱だった。見習のデッチが処分しようとしたのを、とどめてよく見ると、なにやらいわくありげな巻物が。
これはもしかすると値打ちがあるかもしれない、と、私の心は躍った。5/27

地獄門からの眺望を楽しんでから、私はふと思いついて、いつもの北口ではなく、反対側の南口から降りてみようと思いつき、陸橋を移動していくと、黒人が門扉を開いてくれたが、下は真っ暗で何も見えない。ここを降りても大丈夫なのだろうか?5/28

このビルでは、常務、専務、社長、会長専用のエレベーターが完備され、それぞれ内装や速度などが、彼らの好みによって調整されていた。5/29

すべてのマイスターが準拠すべき規範は、1844年に定められているので、私たち新米職工も、ここから出発せざるを得なかった。5/30

くたばる前に本を出そうと決意し、諸事万端準備を整えて新宿まで出張ったのだが、題名、構成、挿画などのすべてについて自分の考えがバラバラだったことに気づいた私は、タカハシさんに「さよなら」も言わずに、らんか社を飛び出してしまったよ。5/31


 もう一回アメリカに負けたとこからやり直せば今よりましな国になるかも知れん 蝶人

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家族の肖像~親子の対話その39 

2018-12-07 14:36:37 | Weblog


ある晴れた日に 第536回



伝染病ってなに?
うつる病気だよ。

ぼく、小川君好きですよ。
そう。小川誰?
ケイスケ君?
そうだお。ぼく、小川君。
こんにちは小川君。

蒲田、蒲田、蒲田でミヤコさん生まれたの?
そう。
ミヤコさん、昭和何年に生まれたの?
分かりません。

お母さん、ならぬって、いけないことでしょう?
そうよ。
ならぬ、ならぬ、ならぬ。

お母さん、整頓ってなに?
きれいに片づけることよ。

お父さん、中央線、富士見行く時でしょ?
そうだね。

ぼく、ひらがないっぱい書きます。
そうなんだ。カタカナは?
わかりませんお。

京浜東北線、水色の線が入ってるでしょ?
うん、入ってるね。

ぼく、ワイドドア好きですお。
そうなの。
小田急、ワイドドアですお。
そうなんだ。

韓国は飛行機に乗ってでしょう?
そうだよ。

お母さん満点てなに?
全部いいですよ、ということよ。

このたび、ってなに?
今回は、だよ。

お母さん、ぼくタンポポ好きだよ。
お母さんも。

お母さん、いってきます!
いってらっしゃい!

「廃止」は、やめることでしょう?
そうだよ。
サカイさんは、「やめてください」っていったお。
そうなんだ

カズタケさん亡くなって、オトゾオオさん泣いた?
泣いたでしょう。

お父さん、サッちゃん恐くない?
恐くないよ。優しいよ。
そお。

ヒロシさん、おじさん?
そう、おじさんだよ。

お母さん、ぼく、ルパン好きだよ。
ああそうなの。
ルパン、ルパン。

お母さん、分かりゃしない、てなに?
分からないだろう、ってことよ。

お母さん、人殺し、イヤですよねえ。
いやですねえ。

落語ってなに?
面白いお話よ。
ぼく、落語すきですお。
そうなんだ。

フクザツってなに?
いろいろむずかしいことよ。
フクザツ、フクザツ。

お母さん、この桃色の花、なに?
カーネーションよ。
ぼく、カーネーション好きですお。

被害のヒは、コロモ偏に皮でしょう?
そうだね。

証言の証は、ごんべんに正しいだね?
そうだね。

被告人ってなに?
悪い人じゃないかと思われてる人のことよ。

ひらめくってなに?
思いつくこと。こうしよう、っと。

じつは、って、なに?
本当のところは、よ。

バイキンって、なに?
悪い病気の元だよ。耕君、バイキン手に入って痛かったでしょ?
痛かったお。

ぼく、平成5年に歯石取ったよ。
どこで?
聖ヨセフ病院で。横須賀の。
25年前じゃないの。よく覚えてるね。
そうだよ。

お母さん、ぼく、お仕事徹底的にやりますよ。
すごい!

お母さん、ぼく、ウラジロ好きです。
そうですか。
ウラジロ、ウラジロ。

お母さん、ぼく、ヤブコウジ好きですよ。
お母さんも好きよ。
ヤブコウジ、どこにあるの?
あとで教えてあげる。赤い実がなるのよ。


 ピカピカの五段切り替え高級自転車を2度盗まれし息子の心 蝶人

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なにゆえに第58回~西暦2018年霜月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2018-12-06 14:42:23 | Weblog


ある晴れた日に 第535回


なにゆえに成年後見制度は気が進まない悪しき後見人が後を絶たない

なにゆえに辺野古に基地を作る東京五輪会場に移設せよ

なにゆえに外国人を招き入れる受け入れ態勢なんかまるでないのに

なにゆえに3年連続広島負けるわしゃほんまに分からへんわ

なにゆえに日にいくたびもやって来るここ和泉橋に佇む女

なにゆえにアオイケさんは柿を送ってくだすったおらっちが大の好物なので

なにゆえにトランプは中間選挙で負けたのか やりたい放題をやり過ぎた

なにゆえに消しても消しても現れる「60歳は誰ですか?」と問う阿呆莫迦CM

なにゆえにアジアの人を下に見る お前も同じアジアの民なり

なにゆえにクラブツーリズムは「朝読産経」に広告を出す普通は「朝毎読か日経」だろ

なにゆえにいつのまにかガンになるガンの家系にあらざる人が

なにゆえに「鎌倉ニュージャーマン」はなくなった「紅谷」のクルミっ子に負けたのか

なにゆえにプーチンと闇取引する北方領土を安倍蚤糞には任せられない

なにゆえに逗子の「ウララ」は閉店した夏にはスイカを買っていたのに 

なにゆえに控えの力士は土俵を見ないお前の上におっこちてくるぞ

なにゆえに「つはぶき」と書いた方が様になる新仮名で「つわぶき」と書くよりも

なにゆえに祖父も移民妻も移民の大統領が移民を排斥するのか

なにゆえにバッハ平均律クラビア曲集第2巻をシフは2時間暗譜で生演奏できる
https://www.youtube.com/watch?v=Ebe9tiWimWs

なにゆえに改元を語れども廃元に触れぬ 永久に天皇制にしがみつく人々

なにゆえになんじゅう億をちょろまかす労働者たちが得るべき金を

なにゆえに横浜駅でキビタキが鳴く 見えない人に出口を教える 

なにゆえに障ぐわあい児を殺してしまうすべての人が障ぐわあい者なのに

なにゆえに障ぐわあい児を殺してしまう生まれてくる子の障ぐわいを知ると

なにゆえに大阪万博で大喜びついでにカジノを開くとか

なにゆえに出鱈目法案を採決する 国会の存在理由って何?

なにゆえに横浜駅に横浜線が止まらぬ新横浜から新幹線に乗るのが大変

なにゆえに安倍蚤糞は立法府を虚仮にするやがてブーメランがお前を直撃

なにゆえにこの頃の夢は短いのか夢見る体力が失われていく


  海外ではお辞儀せぬようにしていても帰国すればペコペコお辞儀す 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第63回 

2018-12-05 11:49:50 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.301


ある左翼の人に「あなたはどうして左がかっているのですか?」と尋ねたら、「野道を自由に歩けといわれたら、大方の人は左側をあるくし、新聞の記事下広告を見るときは、左端のやつに眼が行くでしょ。それと同じ生理的な自然からですよ」と答えた。11/1

歴史家の網野善彦によれば、日本を日本と呼ぶようになったのは、天武天皇の死後、大后持統が689年に施行した浄御原令から、本居宣長によれば、孝徳天皇が即位した大化元年の645年からであるというのだが、だいたいこの頃から、「日本は日本になった」のである。11/2

本居宣長は、「倭」は唐が勝手につけた称号であり、「日本」は異国に示すための対外的な呼称に過ぎず、わが国の本号は「大八洲」であると「石上私淑言」で述べている。因みに我が国の国号を「日本」とした法令は、今もどこにも存在しないので、「日本」は現在も一時的な呼び名といえるだろう。11/3

最上級ではないけれど、いつも上の下とか中の上クラスでそれなりに健闘している存在、たとえば相撲のキセノサト、テニスのニシコリといったところが、日本という国のライト・ポジションなのだろう。11/4

私は子供の頃から、日の丸の旗とか旭日旗のデザインや、君が代の詞や旋律が嫌いで、これまでとは全然異なるものを夢想していたのだが、もうすぐ平成が終わる機会に、国号、国旗、国歌、憲法を公募して一新したらどうだろう。11/5

米国の興廃、この中間選挙の一戦にあり。わが安倍蚤糞もそうだが、それにしてもトランプのやることなすこと、世界の民草の為にならぬことばかりであることよ!11/6

下院は民主党、上院は共和党のねじれ議会になったアメリカだが、日本でも野党はもっともっと頑張って、来る参院選でねじれ状態に持ち込まねばならないとね。11/7

気狂い大統領に鉄槌を下す良識がまだ残っている米国と、専制独裁首相に忖度して、どこからもノーの声さえ上がらぬこの国の政治的成熟度の差は、あまりにも大きい。11/8

トランプの記者会見を見ていて、ドタマにきた。どこのテレビ会社に勤めようが、貴様の知ったことではない。同席している記者は、なんで抗議退席しないのか。不当に侮辱された記者とCNNは、このフェイク大統領を名誉棄損で訴え、併せて彼奴の精神鑑定を要求すべきだ。11/9

民主党に敗れた途端、トランプが司法長官を解任したことは、彼奴が大統領選挙をめぐってロシアとの陰謀、いかがわしい取引に加担していたことの何よりの証拠だ。11/10

「平成最後の秋」なぞという曖昧な区切りで物事を整理するよりも、いっそ「天皇制最後の秋」という明快な区切りで、世の中を裁断したいものだ。11/11

移民に混じって移民と仲良くやっていく習慣は、島国日本人の党派性にはまだなじまない。それは移民が、我々のムラ社会の外側にある「異民」と映じているからだ。11/12

成年後見制度の説明会に行ったら、あんのじょうカネ儲け話と勘違いしている阿呆莫迦欲呆け亡者どもが来ていた。寄る辺なき障害者や認知症患者から、楽して金をむしり取ろうと思っているのだ。11/13

3連敗したので「即休場、引退」かと思っていたら、さらにズルズル連敗して、今日から休場するという。これで横綱とは聞いてあきれる。親方だの相撲協会などはいったい何をしているんだ。歴代の横綱の名誉を穢すこんな最低最弱の横綱は、即刻引退させよ。11/15

朝からひたすら手術がうまくいくよう祈っている。「メス光る声なき秋の神頼み 蝶人」11/16

やれ憲法改悪、ほれ移民法案、北方領土と、まるでおもちゃ箱をひっくり返すような「提案」をぶちまける安倍蚤糞。だんだんトランプの口先妄動に似てきたな。政治や社会はお前の「悲しい願い」を実現するための玩具ではないぞ。11/17

「もう50近い僕になお子供じみたところが残っているとして、それは僕がイーヨーの障害を頼りにして、いつまでもかれと一緒に子供の領域にとどまりたがっていることではないか?」大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ・蚤の幽霊」11/18

「性接待」という異様で惨たらしい名前の「人身御供」。今度の戦争でも、それは繰り返されるに違いない。11/19

おごれるものは久しからず。祇園精舎のゴーンの音。猛きものも遂には滅ぶ。ひとえに風の前の塵に同じ。天網恢恢疎にして漏らさず。次は安倍蚤糞の番ずら。11/20

改元について、ああだこおだと、らあらあ語る人は多いが、「この際いっそ廃元にしたらどうか」と提案する人は、列島狭しといえども誰一人いないのが不思議だ。11/21

なんびゃく億円だか知らないが、たかが報酬の過少申告や虚偽記載でビジネスマンを逮捕して得意顔になるくらいなら、なんで公文書を捏造した役人どもをそうしなかったんだ。11/22

ルノーの筆頭株主がおふらんす国だからというて、日本政府が日産ルノー連合の後押しをするのは、没論理だ。そもそも自動車業界の合従連衡に、国家権力がいそいそと介入するのが変態なり。11/24

ヴィスコンティの名作「ベニスに死す」では、冒頭からマーラーの5番のアダージェットが効果的に流されるが、これはフランコ・マンニーニ指揮聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の演奏である。マンニーニは「ルートヴィヒ/神々の黄昏」「家族の肖像」「イノセント」の音楽も手掛けているが、名監督との息が合ったのだろう。11/25

月曜日は、栄プールで泳ぐ日だ。私はクロールが苦手だし、物凄いエネルギーを消費するので、もっぱら省エネの平泳ぎで泳ぐ。昔はいつまでも泳いでいられたが、今では500メートルでも無理な体になってしまった。11/26

「なにほどのこともなく作曲したい」と武満徹はいう。それならば、なにごともなく生き生きて、なにごともなく死んでいきたいものだ。 11/27

外国人労働者を受け入れるべきか否かの議論が、ほとんどなされていないのに、反対を押し切って法案を強行採決する自民、公明、維新は、政党の名に値しない暴力団である。11/28

短歌でも詩でもエッセイにも格好の素材を思いついたので、帰宅したら早速書こうと意気込んでいたら、バス停で耕君にパッタリ会った。珍しく逃げ出さなかったので「耕君お帰り」というて手をつないだら、とても温かかったので、こりゃいいやと手とつないだまま歩いているうちに、折角の素材を忘れてしまった。11/28

半世紀ほども前の大むかし、たった一度だけ話をしただけだが深く記憶に刻まれた音楽評論家、作詞家の麻生香太郎氏が、今年の3月にがんで亡くなられていたことを知った。享年65.好奇心旺盛、フットワーク軽く、勉強家で切れ味鋭い人だった。合掌。
 https://ameblo.jp/simalisu3218/entry-12323741385.html  11/29

老子曰く。「小国寡民、その食を甘しとし、その服を美しとし、その居に安んじ、その俗を楽しむ。隣国相望みて、鶏犬の声聞ゆるも、民、老死に至るまで相往来せず」。外国人に頼らず、この国の労働力だけでこの国を運営していける「小国寡民」の道を模索しようではないか。11/30

  鎌倉から新宿駅まで918(キュウイチパー)で私を運ぶ湘南新宿ライン 蝶人


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西暦2018年霜月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2018-12-03 12:30:25 | Weblog


ある晴れた日に 第534回



錦織がフェデラーに勝つた月曜日けふは何かいいことあるかも

ローグ死にベルトリッチも死んぢまい生きているのはゴダールくらいか

なるほどねあの父親が貴景勝を優勝させた 「父子鷹」だね 

皇族の誰かがテニスを見物しそれがニュースとなる不可思議

なにゆえに逗子の「ウララ」は閉店した夏にはスイカを買っていたのに

口にするすべてのものを大声で「わあウマイ!、ウマイ!」と叫ぶ宮川大輔

「つわぶき」かそれとも「つはぶき」がいいだろうか同じ石蕗の花だけど

メス光る声切なき秋の神頼み

内臓の二つ三つはなんのそのわが妹は生還したり

ふとしたはずみでニョッと出る「尿対応パンツを買ってあげよう」と妻君が言うがそんなもん要らんて

七四と四四の親子なれど手をつなぎ歩く霜月の午後

一撃されしばらくもがいた冬の蚊はやがて動かなくなりましたあ 

「憲法」をどう「読み解く」かご存じですか? 「ケムンパス」と読むのが正解

ていのいい集金装置ではないかいな 世に町内会なんちゅうもんは

本当は外国人は好きではないが 共に暮らすはやぶさかでない

ヴ・ナロード サルガッソーで人民の海に潜ってみたがホンダワラがユラユラ揺れているだけだった

指示どおり大腸検査の便を落とせば紙もろともに沈みゆくウンチ

アメリカの中間選挙を株式の儲けと損から論じる男

我が国の祭りにあらざるハロウィンを諸人こぞりてカボチャで祝う

純正日本及び日本人急速に滅びつつあり絶滅危惧種ギフチョウより疾く 

土日には外出しなくなりました この街は観光客のもの

見るたびに嫌な感じになるCM 切り替え損ねてまた見てしまう

霹靂は晴天の日にやって来て我ら茫然空仰ぐのみ

無投票にて再選される市長多し さぞや立派な市長さんならむ

「反原発」封じて外相になれる人 いずくにありや政治家の信

そのかみは知恵遅れまた最近は発達障害などと呼ばれる自閉症の息子

なにゆえに移民阻止制限を叫ぶのか祖父・母・妻みな移民のトランプ

死に死にてまた次々に現れるギネス候補最高齢者

  全巻が揃ったままで捨てられて荷風先生悔しくないか 蝶人

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色川武大著「狂人日記」を読んで 

2018-12-02 10:07:22 | Weblog


照る日曇る日 第1172回



恐らく著者がナルコレプシーを病んで入院したおりの体験がベースになっているのだろうが、精神を病むとこういう具合になるのかと思って大変怖くなる小説だ。

けれども病んでも主人公の精神はあくまで健康で、健康でいながら病んでいるというのはじつに難儀なものだろうと思うのであるが、絶望的な暗さの中で点滅している明るさという在りようは、どこか太宰治の小説を思わせたりもする。

そして女のことなんかは太宰よりもはっきり急所を捉まえるようにして書いてあるのだが、ラストは暗くて怖い。怖い怖い。そもそも暗くて怖いのが人世だから当たり前か。

  このせつはのど自慢の鐘は二つ以上NHK流の優しさなるか 蝶人
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「緑の光線」を読んだり、みたり

2018-12-01 11:25:36 | Weblog


照る日曇る日 第1171回&&闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1898



○ジュール・ベルヌ著・中村三郎訳「緑の光線」を読んで

スコットランドを舞台にしたベルヌお得意の海洋ロマン小説。
ある自然条件が整うと夕方西の水平線に海没する太陽がその刹那に緑色の光芒を放つという「モーニング・ポスト紙」の記事を読んだヒロイン、ミスキャンベルは、2人のおじと共にグラスゴーを発ち、船をチャーターして、それが見えそうな海辺を訪れるが、ある日大渦巻に飲み込まれそうな小舟の若者を救う。

やがてこの若者も加わって、スタファ島を訪れた一行は。大嵐に襲われ、メンデルスゾーンの序曲でも有名な「フィンガルの洞窟」でヒロインは若者に救われ、恩返しをされるのであるが、これが彼らの運命の赤い糸となるのである。

いよいよクライマックスの時がやってきて、2人のおじは、初めて目にした緑の光線に狂喜するのだが、大事な大事なその時に、恋する2人は、お互いの瞳の中に輝く「別の色の愛の光線」を見たのである。

「ヘレーナは若者の目が投げかける黒い光線を見た。そしてオリヴァーは、若い娘の目からもれる青い光線を見た!」




○エリック・ロメール監督の「緑の光線」をみて

名匠エリック・ロメール監督の「緑の光線」では、ベルヌの原作が「それを見た者は幸福になる」という形で前提となっている。

そして2人の恋人が、シェルブールの海岸で、真赤に燃えながら海に沈みゆく太陽を息詰まる思いで見つめるのだが、映画ではベルヌの原作とはうって変って、2人とも「緑の光線」を眺め、愛の成就をお互いに確信するのである。

蛇足ながら、かつて私も、夕闇迫るLAのベニスの海岸で、この緑の光線を見たことがある。ような気がする。



    LAのベニスの海に輝ける緑の光線幻なりしか 蝶人

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