株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

やさしい古事記講座(124) オロチ退治9 宇摩説解釈8(オロチのマトメ) 

2008-03-31 00:01:41 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

   オロチ形状のマトメ

 前回で、古事記にあるオロチの形状が、太鼓台の部分を書いた物だと、細かい説明を説明しました。余りに枝葉に入ったので、全体に如何に関係するかを、マトメておきます。

 (116)で書いた現在の史学解釈は以下のようになっていました。スサノオが、「その形はどのようか?」聞く所からです。

 ここに「其の形は如何に」と、問いたまへば、答へ白ししく、「彼目(そのめ)は赤加賀智(あかかがち)の如くして、身一つに八頭八尾(やつかしらやを)あり。亦、其の身に生つる蘿(こけ)と檜椙(ひすじ)を生(お)ひ。其の長(たけ)は、谷(谿)八谷、峡八尾(たにやたに、をやを)に度(わた)りて、其の腹を見れば、悉に常に血爛(ちただ)れつともおしき。

 この形状を、五つの部分に分けて話しました。
 ここに「其の形は如何に」と、問いたまへば、答へ白ししく、

  1、彼目(そのめ)は、赤加賀智(あかかがち)の如く。
  2、身一つに八頭八尾(やつかしらやを)あり。
  3、其の身に生つる蘿(こけ)と檜椙(ひすじ)を生(お)ひ。
  4、其の長(たけ)は、谷(谿)八谷、峡八尾(たにやたに、をやを)に度(わた)り。
  5、其の腹を見れば、悉に常に血爛(ちただ)れつ。

 以上が、現在の解釈です。この記述と解釈に従えば、ヤマタノオロチは、

  1、血走った目をして、
  2、胴体が一つで、頭と尻尾が八つに分れ、
  3、その身はこけと檜、杉が生えて、
  4、身長は、八つの谷を渡るほど長く、
  5、その腹は悉く、常に、血に爛れている(怪獣となる)


 宇摩説では、太鼓台の一部を書いた物と解釈する。

  1、昇降の睨み合う龍の目。
  2、太鼓台一台に、八匹龍。
  3、太鼓台は、かずらと檜と杉で生まれる。
 *生を「はえる」に対して、「しょうじる」と読み替えた。
  4、曲がりくねって(龍の胴に例える)、八本のカキ棒を渡る。
 *谷と峡を山ではなく、太鼓台の「カキ棒」の表現とした。
  5、布団締め、飾幕、掛布団の裏は真っ赤な染色である。

 となって、全て太鼓台の一部の表現となった。

 元々、太安万侶が、「龍」の字を知らなかったとは思えないのに、「袁呂智」と、書いている。これは、最初に注意を喚起している、「日本語を残した」表現である。これは、「言葉の語義を色々検討せよ」と言う部分で、「愚・血」とした。

 また、今もオロチに「大蛇や蛇」の字を当てる。しかし、演芸では明らかに、「龍」である。龍なのに、何故、大蛇と書いてきたのだろう。これは、記紀の影響である。つまり、朝廷の影響なのだ。

  太鼓台(神輿太鼓)の起源

 太鼓台は、奈良県から長崎県までの西日本に分布する。しかし太鼓台の起源や由来を語り継ぐ所は無い。三島の伝承も、集めて、その他の物と比較検討して、判明したのであり、単純に起源とか、創始とか言う話ではなかった。

 三島では確定的な伝承とも言える、「女神が国固めのために作った」が残るが、これとて、女神の特定が必要である。この女神を特定する諸条件が、宇摩郡では色々なところに残しているから、解けるのである。

 女神は「国固め作った」と言うことは、裏返すと「国が乱れていた」と言うことだ。国が乱れていた時の女神となる。そして、異国の皇帝に使者を出した。応じて贈り物が付いたとなれば、卑弥呼以外に無い。このような傍証が必要なのである。

 そして、傍証によって、女神が卑弥呼と判明すると、古事記の天照大神と一致する伝承が残っていたりして、卑弥呼=天照大神となるのだ。また、皇帝に贈られた錦で飾った太鼓台の存在がこれを証明する。

 つまり、卑弥呼(天照大神)が皇帝に使者を出し、贈られた錦で山車(太鼓台)を作ったのである、この「タイコダイ」のタイに付いても別に説明したように、伊勢神宮、天照大神や倭人伝によって、その時代や思考を残し言葉なのである。

 これらの整合によって、太鼓台は卑弥呼(天照大神)が国固めの為に作り、成功して平和になり、人々はこれを慶んで、祭りの山車として、全国(当時は西日本)作られて、継承していたのだ

 後に、高天原から分家して、九州に天降りした家系が、後に、武力で西日本を征服した。この天皇家は、本家高天原を天上の国として、地上は天皇家が支配すると言うために、地上の高天原と、この功績を消していった。その一つが記紀なのである。

  邪馬台国論の九州と近畿

 邪馬台国の所在論は江戸時代からあるようだが、本格的な研究、論争になったのは明治以後の話である。それでも、今は、明治から140年になる。九州・近畿説がおのおの論証を示したが、100年余りも決着を見ない。

 何故、決着しないのか?
答えは簡単だ。
共に間違っているからだ


 記紀の記録に惑って、古代は神話が書かれた、九州・出雲(中国)・近畿しか無いと思い込んだ結果である。記紀には、これらの国の上に存在した、「高天原」があるのに、これを無視した論理なのである。

 つまり、高天原=邪馬台国の場所の特定を本気で求めず、これらの支配下にあった地域である九州や近畿だと騒いでいるのだ。記紀を読む限り間違いだから、決定しないのは当然であろう

 このような膠着状態であった所に、古事記を合理的に読み直した新しい解釈の、宇摩説が生まれた。古事記の高天原神話を、四国神話とすれば、神話は日本の国内にあった古代の史実となって、当時の社会が明確に判明するのである

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